2016年4月7日木曜日

ハトカンさんご健在

電話が鳴った。
受話器を取るとすぐに、誰からかかってきたのかわかった。
懐かしい声だった。
かつての東京交響楽団のコンサートマスター、鳩山寛さん。
通称ハトカン。

私が入団試験を受けたとき、とても褒めていただいた。
その楽器はどこの物ですか?ほう、フレンチ。良い音だねえ、と。
入団するとすぐにお声がかかって、その頃ハトカンさんはハイドンの弦楽四重奏の連続演奏をしていたので、お仲間に入れてもらったり。
アンタ、僕の右腕になりなさい、と言われたのも恐れ多いことだった。

ハトカンさんはアメリカにしばらく留学していた。
かのミルシュタインなんかとも一緒に学んだ間柄。
本当に凄い人だったけれども、あまりにも無頓着な性格なので、オケのメンバーからは敬遠されがちだった。
中にはワケも分からずバカにする人も居て、非常に残念だった。
それでも我関せず、偉そうにすることを嫌い、常に音楽仲間として皆と接していた。
威厳を取り繕うなどということも一切なし。
アメリカ仕込みのビジネスライクな所を嫌がる人がいるようだった。
それはプロとして当然なのに。

私はハトカンさんのアンサンブルの上手さに舌を巻き、シャッポを脱いだ。
ヴァイオリンだけではなくピアノもヴィオラも達者。
弦楽四重奏の内声を弾かせたら、名人だった。
歌のオブリガートなども、歌手が大喜びするくらい上手かった。
小津監督の映画「東京物語」でヴァイオリンを弾いて居るのが、ハトカンさん。

一時期沖縄に行って沖縄芸大で教えていたけれど、奥様を亡くされて「東京に戻ってきたよ」と連絡が来た。
それが1年程前。
私は去年はなにかと気持ちに余裕がなくて、それきり連絡もしなかったらしびれを切らしたらしく、あちらから電話をもらってしまった。
「皆元気かな」と言われると、そうか皆に会いたいのねと察して呼びかけたら、4人すぐに人が集まった。

数年前に沖縄に遊びに行った時、この4人で鳩山家を訪問した。
その時にはまだ奥様はお元気で、鳩山さんよりも奥様の方が大喜び。
東京から沖縄に船で荷物を送った中に、行方が分からなくなっていた猫が潜んでいたこと、1週間も気が付かなくて、か細い声にお嬢さんが気がついて、奇跡の再会を果たしたこと、それが話題となって新聞記事になったことなどを楽しそうに話していた。
そのお元気な奥様が亡くなったと聞いて、私たちはびっくりして本当に悲しかった。

来週ハトカンさんと4人で、鳩山家最寄りの駅で会うことになった。
ハトカンさんは足が悪くなって、手押し車の助けが必要らしい。
それで駅の傍のレストランでランチをする予定。
足が悪くなってもまだヴァイオリンは大丈夫、デイサービスの施設でお年寄りたちの前で演奏しているそうだ。
沖縄のお宅を訪問したときも、玄関を開けるとヴァイオリンの早いパッセージが聞えてきた。
肩の力の抜けたなんの気負いもない演奏で、オペラの仕事の時などは隣で弾いて居ると「今の歌はね、こういう場面なんだよ」と解説してくれた。

まるで気負わず、威張らず、本当ならもう少し偉そうにしていたら世間もそういう人だと思ったのにと歯がゆいところもあった。
あるとき澁谷で、道の向こう側から黄色いアロハシャツにストローハットのおじさんが手を振っている。
誰かと思ったらハトカンさん。
ああ、もう少しりゅうとした身なりをすれば偉い人ってわかるのになあと、ため息が出た。
























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