2018年3月31日土曜日

桜吹雪

先週お花見のときには7部咲き。
昨日から盛大に散り始めたさくら。
川に面して建てられたわが家は、花びらの舞う様子、目に染みる青葉、暑い日を遮る緑陰、紅葉、そして落ち葉と四季折々桜に目を樂しませてもらっている。

お陰様もあるけれど、落ち葉のころは手に負えない。
毎朝近所の人と競うように掃くけれど、掃いた側から散り積もっていく。
もうやめましょうよと言い合いながら、それでも未練がましく新しい落ち葉退治。
近所の奥さんは体力気力とも充実している。
ものすごい勢いでさっさと掃く。
私は安物の箒の棕櫚の部分が曲がってしまった物で掃くから、捗がいかない。
ちっとも集まらなくて、私の掃いた跡はまだらに落ち葉が残る。
もうひとりの奥さんの掃いたところは見事にまっさら。

昨日の朝、表に出たらお隣のお嫁さんが落ちた花びらを掃いていた。
でも次々に舞い散ってくるので、全くきれいにならない。
側にお姑さんがいて指図している。
たぶんお姑さんに言いつけられてやっているのだと思うけれど、賽の河原に石を積んでいるようで、気の毒になった。
おせっかいとは思ったけれど「今日は無理じゃない?」お姑さんに言った。
お姑さんは朝に弱い人で、私達が早朝落ち葉掃きをしているのを気にかけているものと思える。
私も近所の奥さんも好きでやっているから気にすることはないのに、表に出てきた時に会うとしきりにお礼言う。
「運動してるの」と私達。
お隣さん、張り切ってお嫁さんと掃いていたのに余計なこと言ったかしら?

お隣のお嫁さんは、最初に挨拶に来た時に一言も口をきかない人で、びっくりした。
うつむいて目も合わさない。
それから2年くらいになるか・・・昨日初めておはようございますと言ったので驚いた。

世の中には私のようにおしゃべりもいれば無口もいる。
私は次兄がおそろしい無口だったから、無口は気にならない。
姉たちがおそろしいおしゃべりだったから、おしゃべりも気にならない。
おとなりのお姑さんは上品な人で、こんな人のところに私のようながさつな嫁が来たら大騒ぎになる。
無口なお嫁さんで良かったかもしれない。
それでも挨拶が出来るようになって顔もあげるようになって、上手くいっているのだと少し安心した。

よその家のこと心配しているひまはない。
最近ノラが来ない。
そのかわり白黒のホルスタインの猫版がやってきて餌を横取りしている。
橋を渡った川の向こう側の町内に、多頭飼いの家がある。
古いアパートの1階に、いつも猫が屯しているドアがあって、天気の良い日にはその前の空き地で沢山の猫が日向ぼっこ。
皆白黒模様だから、同じつがいから産まれた子どもたちだと思う。
沢山居る時に数えたら18匹くらい居た。

その中の何匹かが橋を渡って、こちらのテリトリーまで進出してきているらしい。
元を糺せば、この地にパンダちゃんという絶倫男がいて、彼の血筋ではないかと思う。
彼はこのへんのボスだった。
白黒で目の周りが黒く、ちょび髭の模様まであった。
ある年にはわが家で毎日ご飯。
突然いなくなったから死んだのかと思ったら、商店街の踏切の向こう側で目撃される。
そして又急にわが家へ来る。

ある日うちの玄関先で餌をやっていたら、川向うの家の奥さんがあらわれて「あらっ、この子!死んだかと思ったらこんなところにいたのね。ずっとうちで餌をやっていたのよ」
こうやってノラは逞しく生きている。
このパンダちゃんは、そこいら中に子孫を残した。
みんな白黒模様。
顔はフーテンの寅さんそっくり、目が小さくいかつい四角い輪郭。
決して美男子と言えないのに、猫社会ではキングだった。
そっくりな子猫をいたるところで目撃した。
最近見かける白黒は顔も綺麗。
母親が良かったか、パンダちゃんの子孫で無いのかは不明。
なんとか1匹捕まえて、うちの子にならないかと訊いてみたい。










2018年3月27日火曜日

肩の痛み

お花見で流石に疲れたらしい。
1年に何回も無いけれど、珍しく昼寝をした。
目が覚めると夕方。
起き上がろうとしたら、肩に激痛が走った。
何だこれは。
思うに大きな寸胴鍋や、沢山のおでんの入った土鍋などを持ち上げたからかもしれない。
肩の痛みは去年からあったけれど、楽器を弾くには差し障りがないので放置していた。
けれど、今回は右腕が持ち上がらない。
これは一大事。

考えて、これは動かさないほうが良いのか、無理にでも動かしたほうが良いのか?
後者をとった。
動かさないで固まってしまったら一大事。
今のところはヴァイオリンを弾くのはやめておこう。
でも腕の周りの血行が悪くなるといけないから、出来る範囲で回したり上下させたり。
短気だからヴァイオリンが弾けなくなった時のことを考えた。
私はヴァイオリンが人生の大半を占めるけれど、もし腕がだめになったら他にやることを見つけるのは容易い。

本を読む、なにか勉強する、絵を描く、動物の世話をする、旅行に明け暮れる等々。
今まで怪我が心配でセーブしてきたスキーを極める、自給自足の生活をするために畑を耕す。
最後の畑は無理。
力がない、虫が嫌い。
まずは家の掃除から始めるのが良いかも。
それでもまだヴァイオリンを諦めるのは無理。

一晩寝たら肩の痛みはもっとひどくなっていた。
ベッドの中で腕の運動、肩回し。
湿布薬を探してあちこちかき回したけれど、こういう時に限ってみつからない。
普段はそこいら辺に散乱しているのに。
起き上がって朝食の支度中にも痛む。
今日はモーツァルトのソナタの音合わせの約束があるのに、困った。
キャンセルするのは残念だから、間際まで様子を見ることにした。

高名な女流チェリストのKさん。
以前ブラームスの「弦楽6重奏曲」でご一緒したことがある。
彼女は素晴らしいチェリストで、ダイナミックな演奏をする。
楽しく練習を重ねていたけれど、ある日「私は今日右肘が痛くて弾けないから、音をあまり出せないけど」と言って練習が始まった。
最初は慎重に弾いていた彼女だったけれど、練習が進むと肘の痛みは吹っ飛んでしまったらしい。
大丈夫かなと思うほど練習に熱が入って、結局肘をかばうこと無く弾いている。
ハラハラしながら見ていた。
いつもの彼女の朗々とした素敵な音が部屋中に鳴り響いた。
練習が終わっても何も言わないから、たぶん大丈夫だったのだと思うけれど。

それを見ていたので、たぶん私も弾けば治ると思っていたら、起床以来3時間。
すでに肩の痛みは消えた。
消えたというよりヴァイオリンを弾くには差し支えない。
長年の鍛錬は恐ろしいもので、他の部分が駄目でもそこの部分だけセーフ。

さて、今日の音合わせはモーツァルトのK.296  inC 。
単純でキラキラして、こういうのが1番難しい。
曲の最初と最後はオペラの幕開けのような愉快なファンファーレ。
満開の桜の季節にふさわしい。



























2018年3月26日月曜日

花盛り

今年の「雪雀連」の花見は盛大にと言いたいところが、年々人数が減ってきて少しさびしくなってきた。
それでも山田会長が元気に姿を現してくれたのがなにより。
満開の一歩手前の桜は、女性で言えば17~19才位の最高に清らかで美しい時。
部屋から眺める姥桜は、こんな時代もあったのさ~♬と歌いたくなる。
ちなみに姥桜とは・・・年を経ても残り香を漂わせている艶っぽい女性のことを言う。
実際は娘盛りが過ぎて年増になっても色香があるということなので、年増も過ぎてしまった私達はなんと言うのかしら。
婆婆桜?
私の残り香は猫の香りが混じって、ちょっと獣っぽいかもしれない。
性格も獣だし知能も獣並み。
実況中継で獣のような!と絶叫されるかも。
けものけっこう、「け」の前に「ば」がつかなければ、まだまだいける。

暇になった私は、これでもかと料理を作り、ゲストの持ち寄った料理と合わせてテーブルから零れんばかりになった。
昨日のメインはおでん。
築地で仕入れた牛すじを2日かけてコトコト煮込み、皆さんから出汁が美味しいと絶賛の嵐を頂いた。
ウオッホン!中々やるでしょう?

実は牛すじを煮込む過程でかなり生臭い匂いが鼻についたのだけれど、それも大根などの野菜、おでんの種を入れていくうちに、とてもまろやかな香りとなった。
香水の調合なんかもこういうふうにするのかな?
なぜか最近嗅覚が戻ったような気がする。
忙しく働いていた頃には、嗅覚は殆ど麻痺していた。
1部の匂いを除いて、どんなに一生懸命嗅いでも匂いがわからなかった。
良くわかるときと全くわからない時の差が大きかった。
今臭うのは、ストレスが減ったからなのか、それとも鼻の機能が良くなったからなのか。
年を取って機能が鈍くなる話はよく聞くけれど、だんだん良くなるというのは聞いたことがない。
先祖返りの一種かもしれない。
もし私があと数年で猿になっても見捨てないでください。
変わらぬお付き合いをお願いします。

参加人数が少なくなったのは、椅子が余ったので実感した。
以前は椅子が足りなくなって、ソファやピアノ椅子まで動員。
それも出来ない人はピアノの下に潜り込んで、赤ちゃんを寝かせていたこともあった。
それでも今年は上の階に住んでいる人たちが参加して、思いがけないほどの賑わいになったのが嬉しかった。

3階の住人は美人母娘。
近所の会社にお勤めのバリバリのキャリアウーマンと猫2匹。
さすがに猫は参加しなかったけれど、そのうちにキャリアウーマンの友人が参加して、大いに盛り上がった。
彼女たち2人は中学校の同級生。
雪雀連の中に彼女たちと同じ位の年代?のキャリアウーマンがいて、ソファで爆睡していた。
目が覚めた彼女は知らない人がいて驚いていたけれど、そのうち3人で意気投合。
なにか一緒に遊ぶ計画を立てていた。
こうして人の輪が広がって、雪雀連は増殖してきた。

最後には又歌やピアノが出て、今年も良い花見だった。
後片付けをしていたらお酒の空き瓶が少ない。
全盛期には空き瓶収集のためのプラスティック製の籠に入り切らなくて、2週間に分けて捨てた空き瓶が今はたったの6本。
飲ん兵衛を自慢するわけではないけれど、それだけ勢いがなくなったということで、そのうち一人で花を眺める日がくるかもしれない。
でも私は元々一人で居るのは寂しくないので、それも又よし。
呑気に花が見られれば。
日本の上空を核ミサイルが飛び交って、花が見られないような時代が来ないことを祈っている。








2018年3月23日金曜日

ドンピシャリ

今年のわが家のお花見は25日日曜日。
「雪雀連」の山田会長といつにするかずいぶん迷った末の選択日。
去年は開花予報が4月初め。
それで予報に準じて最初の日曜日に設定したら見事外れた。
予報日の数日前からおそろしく寒い日が続いて、桜も布団に潜り込んでしまったらしい。
桜の咲かない寂しいお花見となった。                       
それにめげるような連中ではないから、三々五々集まって酒盛りをしたけれど、やはりイマイチお花見気分が出なかった。
お客さんたちは駅から家までずっと桜並木をたどってくるので、そこで花が咲いていないとずいぶんガッカリしたと思う。

その御蔭でと言ってはなんだけど、次の週、私と友人のKさんは奈良京都を歩いて満開の桜を楽しんだ。
特に吉野の桜は山全体が薄いピンクに彩られて、夢のように美しかった。
前の週が桜の予報だったので、観光客はそれに合わせて行動したのだと思う。
残念でした、その頃桜はまだ蕾。
1週間遅れと思っていた私達は、満開の花を堪能した。
しかも空いていて、静かに奈良のお寺も巡ることができた。

今年は慎重に協議。
最初は4月の第1日曜日か第2日曜日。
だが待てよ。
今年は冬が寒かった分咲くのが早そう。
しかも4月第1日曜日は会長の都合が悪い。
会長の居ない「雪雀連」はありえない。
8日にするか3月25日にするか。
うーん、難しい。

結局3月に決まった。
今年の「古典音楽協会」の定期演奏会は、会場の都合でいつもの年よりも1週間ほど早かった。
毎年3月の「古典」の定期演奏会なら、東京文化会館のある上野公園の花が見事で、お客さんたちは早めに家を出てお花見をしてからコンサートを聴くというパターンらしい。
今年はそれが出来なかったと嘆く声もあった。
だから余計にわが家のお花見は、桜なしではいけない。
しばらく様子を見ていて、ここならというところで決めたので連絡が遅くなってしまったけれど、ドンピシャ!

花見の支度はひと月くらい前から始まる。
まず冷凍食品、例えばピッツァやキッシュなどは早めに買い置く。
スモークサーモンやローストビーフなども冷凍。
間際になってから、野菜と果物、肉類を2日ほど前から買い集める。
今年はおでんをメニューにしようと思ったので、寸胴の大鍋を出した。
築地に行った時に買った牛すじを、今日から煮込んで出汁をとるつもりだった。
ネギや生姜と一緒に寸胴に入れて、点火!
あれ!点火しない。
寸胴はもう10年以上前に買ったもので、その頃わが家はガスを使っていた。
それから間もなくIHヒーターにしたのを忘れていた。

こういう迂闊なのがnekotamaの取り柄で・・・
なにが取り柄じゃ!
途方に暮れた。
大きい鍋はこれだけで、たぶん20人以上来るから小さな鍋では無理。
それで大きめの鍋と土鍋の二つで、只今出汁取りの最中。
昆布を買うのを忘れていて、なに、明日追加すればいいさ。
こういう杜撰なところもnekotamaの取り柄・・・

出汁を二つの鍋でとっていて気がついた。
土鍋の方が美味しい。
もう一つの鍋は薄いアルミ製。
なにか大量に蒸したりする時に使う。
お蕎麦やパスタを茹でる時にも使う。
それ以外に出番はないから、今日は張り切って働いていると思うので悪口言ったら悪いけど、すぐに沸点に達する以外の取り柄はない。
私と同じかも。
















2018年3月14日水曜日

様変わり

前々回の投稿で私の家の近くの動物公園から新宿まで見渡せると書いたけれど、最近の近隣の街の様変わりで眺望は変わってしまっていた。
今日久しぶりに新宿が見えるスポットに行ってみたら、アララ、隣町の急激な開発で高層ビルが立ち並び、新宿方面が遮られて全く見えなくなっていたのに驚いた。
そう言えば、最近と言ってもここ10年位は散歩コースが他の公園だったから、こちらには来ていなかった。

新宿の見えるスポットはその動物公園の登り口から反対の奥にあるので、帰りは来た道とは別ルート。
途中で茶トラ猫と道連れになって、おしゃべりしながら階段を降りる。
細い道筋にある住宅には様々な花が咲いていて、春の日差しが眩しい。
ゆっくりと歩く。

私は性格がせっかちで普段はゆっくり歩けない。
けれど猫とウニャウニャおしゃべりしていると、猫の歩幅に合わせてのんびり出来る。
普段は体が斜めになるくらい、前向きの姿勢。
散歩の往きは早歩き。
帰り道は足が疲れて歩けなくなった。
猫は口実。
実は自分の足がいうことをきかなくなって、猫に助けられた。

スキー、スケート、アイスホッケー、乗馬にスキューバダイビングと走り回っていた頃は、こんな距離は楽勝だった。
なんであんなに元気だったのか信じられない。
子供の頃はどちらかと言えば虚弱児。
体育の授業は苦手で、懸垂も跳び箱も縄跳びもできない。
静かに本を読んでいる少女だった。
エッ!なんて驚かないで!私だって夢見る乙女だったのよ。
子供らしからぬ好みで、リボンやフリルのついた洋服が嫌いで、もちろん花柄も大嫌い。
お人形さん遊びもしない。

ところが最近、顔にフリル、お腹にはプリーツが畳まれ、最近やたらに派手な花がらのシャツを着るようになってきた。
顔はフリルではなくてアゴのたるみ、お腹のプリーツは余分な脂肪、アハハ。
花粉症対策のマスクと深い帽子を被っているから、外見は年齡がわからないと思ったら大間違い。
どんなに若作りしても、なんとなく弛んだ体型と歩き方ですべてバレる。
かつてのバンビちゃんは今はゾンビ。
ああ、ここでも様変わり。

最近のネットの書き込みで、30才過ぎたタレントさんがフリルの付いたブラウスを着ているのが痛いと書いてあったけれど、そうなると私の花がらのシャツはどうなる?
私も30才は越えている。
いつ越えたかは・・追求無しで・・・・・
余計なことを言う連中だなあ。
他人が、ましてタレントになれるほどの美人が、好きな服着てなにが悪い!

以前よく海外旅行をしていた頃、バスから降りてくる欧米人の観光客に遭遇することがあった。
その中でも、明るい色のワンピースを着ている高齢の女性達をよく見かけた。
でっぷりと太ったおばちゃんが、花模様のドレスをきている。
日本人の旅行者は一様に、パンツ、シャツにベスト、帽子とカメラ、女性も男性も地味で同じ様だから、見分けがつかない。
外国人女性だったら花柄を着ていても文句をつける人はいないと思うのに、日本女性が少し年齡がいくと、もう男性の嫌味が炸裂する。
ほぼ日本人だけでしょう、こんなに年齡を気にするのは。

年を重ねて魅力的になっていく女性に比べて、外見ばかりにこだわる日本男子は、本当にいつまでもお子ちゃまなのだ。
ネットに書き込んでいる男性諸君。
自分もどんどん年をとっていくのに気がつかないの?エッ!どうなの?
もし、目の前にその熟女タレントが出現したら、鼻の下を伸ばすでしょうに。
サインしてくださ~い、なんて言うくせに。

イギリスへ行った時、ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんが言った。
「帽子をかぶっていると日本人だとわかって狙われるから、被らないで」
そんなこと言われてもシミが怖い。
美智子さんの家から出掛ける時は帽子を隠して、彼女がいなくなったら被って。
もっと陽が強いときには日傘まで差した。

その美智子さんも今はいない。
もうすぐ一周忌。
春なのに逝ってしまった。
ロンドンも、もう以前のロンドンではない。


















コズミック・ストリングス

スティーブン・ホーキング博士の訃報を聞いた。
享年76歳。
運動ニューロン疾患症を患い車椅子の学者として知られていた。

私も好奇心が猫を殺すの例えどおり、好奇心から彼の本を買って読んだ。
けれど、難しくて理解不能につき、私(猫)は死ななかった。
途中まで読んで、未だにわが家の書棚でホコリを被って無聊な日々を託っている本を、この際読み返してみようかと思っているけれど、やはり無理かとも思う。

若い頃、私がコンミスをしていた弦楽合奏団。
事務所から、なんという名前で出すかと尋ねられた。
宇宙的弦楽合奏団というつもりで、コズミック・ストリングスと名付けようかと思った。
調和のとれたという意味も兼ねているつもりだった。
だが、しかし・・・演奏を聴いた人が「コミック・ストリングス」と間違えないだろうか。
絶対間違えると思う。
なるほど、コミカルで面白いなんて言われたら目も当てられない。
考えたすえにこの名前は却下。
演奏者がとてもおもしろいなんて言われそうな。
すでにもう言われていたし。

ずーっと以前「コスモス」というカール・セーガン博士のテレビ番組があった。
宇宙のことを我々一般人にもわかりやすく説明するためのもの。
その頃からわからないながらも宇宙に関心を持つようになった。
それで、私は放送大学が出来た時に、小尾信彌先生の講座を受けるため入学した。

小尾先生は口元がちょっと曲がっていて「僕たちの宇宙」と説明のたびにおっしゃるのが新鮮だった。
そうか、宇宙はかけ離れた遠くのことではなく、私達が住むこの地球を含めての現象なのだ。
小尾先生は初めは量子学で微小なものに対する興味を持ち、それが結局宇宙までにつながることがわかり、それで宇宙の研究を始めたとのこと。
その広がりが想像を絶する大きさで、ワクワクする。
その感激もあって私達の合奏団もコズミックと名付けようかと思った次第。

ホーキング博士のコズミック・ストリングスは「宇宙ひも」と日本語に訳された紐状のもので宇宙の仕組みを説明している。
突然なんの前触れもなく紐が出てくるから、一体これはなんなのか?としばらく理解しようと思っていたけれど、やはりお手上げ。

ええーと!紐は一体実在するのですか、そこいらへんに、例えば私の背中に貼り付いているとかするのでしょうか。
猫のしっぽみたいなものでしょうか。
やはり私程度の知能の遥かに及ばない世界。

日本の女子中学生が一般のクラスから拒否された事件があったのを、覚えてますか。
彼女はホーキング博士と同じく車椅子使用で、介護が必要だった。
校長は他の生徒たちの学習に影響すると言って、彼女の入学を拒否。
それに対してホーキング博士からコメントが寄せられた。

言うなれば「信じられない、こんなことゆるされん」

そんなきたない言葉は使わないけれど、女子生徒の励みになる言葉だった。
パラリンピックを見るにつけ、人間の可能性に心打たれる。
1本足でスキーの回転競技に出るなど、おそろしく血の滲む努力をしたことだろう。
私には信じられないことなのだ。
実際の女子生徒の症状を見ていないからなんとも言えないが、記憶が曖昧だけれど親が付き添うと言っていたと思う。
女子生徒の入学を拒否した校長は恥じなければいけない。
その子の世話をすることで、どれほど他の生徒にも良い影響があるか、学力だけの狭い考えに囚われていることを、恥じなければいけない。

私に宇宙に関心をもたせたのはカール・セーガン博士。
しかし、その後彼の言葉で私は失望した。
彼は日本の捕鯨を非難。
あのように知能の高い動物を捕らえるとは「けしからん」とメッセージを出した。
それなら知能の高さで命の尊厳が変わるのだろうか?
知能が低かったら、命を奪っても良いのか?
あら、いやだ!私などは真っ先に生贄に祀り上げられてしまう。
いや、神様はもっと美しく賢い女性をお望みですなんて拒否されたらもっと傷付いてしまう。
どちらにしても私は社会のゴミだなあ。
















2018年3月10日土曜日

孤独なピアノ

先に先にと延ばしていた確定申告書作成。
もうこれ以上延ばせないからやっと書類を探す。
だいたいこんなことは私に出来るわけがないのに、雀の涙の収入なので税理士さんに頼むほどのものでもない。
ずっと自分でやってきた。

だらしがないからいつも領収書が足りない。
今日も引き出しにいれておいたつもりの領収書が何通か見つからない。
年中行事で、死ななきゃ治らない人間はいまさら治るものではない。
あと数年申告すれば、惚けて他人の世話になるか、天国へ行くかして御用がなくなる。
まさか税務署もそこまでは追いかけて来るまい。
最近の重税感では、人殺し~と叫びたくなる人がいるに違いない。
幸いにして私は税金を沢山払えるほど稼いでいない。
けれど、やはりこの先生きていけるの?と思う。

音楽教室も演奏する仕事もほんの僅か残して、リタイア。
見て笑ってしまうほどの額の源泉徴収書が、僅かな仕事先から送られてくる。
申告するのも恥ずかしい。
やっと書類を揃えて、それだけで午前中使ってしまったので疲れた。
お昼すぎに散歩へ出た。

最近の散歩コースは、小さな動物公園。
あまり高くない丘の上にあって、上り坂の途中で富士山が見える。
かなり急な坂道で、最近は途中で息が切れて立ち止まることも多くなった。
上り切ると、まず、鳥のコーナー。
オウムがけたたましく「おはよう」「ぎゃー」
ヤギや鹿、シマウマ、レッサーパンダ、輪尾狐猿、ペンギンなど。
丘の上から新宿の高層ビルまで見渡せる。

ここの園長さんは鳥が専門らしい。
私が、仲間から攻撃されていたカラスを助けてここへ連れてきた時に、治療にあたってくれた。
カラスは害鳥あつかいで、保護してはいけないらしい。
しかし、どうしてカラスが害鳥なのか理解に苦しむ。
死んだ動物の体をついばんで街を綺麗にする。
ゴミを荒らすのは、捨て方が悪いから。
木についた害虫も退治してくれる。
頭が良くて人懐こい。

丘を下ると、最近出来た小奇麗なスーパーやカフェ、フィットネスジムなどがある。
このあたりの商店街は寂れていて、ほとんどシャッターが閉まっている。
そこにマンションとそれに隣接するスーパーが出来て、ほんの僅か活気が出てきた。
帰りに立ち寄って野菜を買った。
私の前世は青虫?と思えるほど野菜が好きで、見たことがない野菜があるとつい手が出る。

自宅が近くなった頃、ある1軒の立派な家の前を通った。
鉄筋コンクリートのガッシリとした建物に広い庭。
高い塀の門扉があいていて、手入れされた庭木と緩やかにカーブした車寄せが見える。

近所の奥さんがある日、一人の女性を連れて遊びに来た。
レッスン室の方へ入ってもらうと、ピアノを目に止めたその人が「うちにもグランドピアノがあるんですよ」「あら、そうですか、どなたがお弾きになるんですか?」
すると誰も弾かないと言う。
なんだ、楽器でなくて家具なんだ。
それからご自宅の自慢話が延々と続いた。
聞いていると、あの立派なお宅の奥様。
なんだか心が病んでいるような印象だった。

私のグランドピアノは実は、寄せ集めで出来た名無しのゴンベ。
ピアノの本体はヤマハ。
あるピアニストが引っ越す時に、タダで上げると言われたもの。
暖房の送風がまともに吹き付けていて、その部分の塗装がひび割れていた。
一緒に行ってくれた「雪雀連」の会長が「いいから貰っときなさい」と言ってくれなければ断っていたかもしれない。
とにかく頂いて、その後はベヒシュタインやヤマハの部品を寄せ集め、1年がかりで出来上がったのは、音の柔らかい世界に一つしか無い私のピアノ。
弾いた人たちが喜んでくれる逸品となった。
かかった費用は新品で買う5分の1ほど。
そんな話をしたら、かの奥様はいささか鼻白んでいるようだった。
なんだか同じ土俵に立つのも馬鹿らしいと、さっさと帰って行ってしまった。
あのコンクリートの冷え切った(かどうかわからないけれど)部屋で弾かれもせず、ぽつんと一人ぼっちのピアノのことを考えると涙が出そう。

うちのピアノはいつも入れ代わり立ち代わりピアニストたちに弾かれて「なんて幸せものなんだ、感謝しなさい」と言ったら「でも持ち主が下手くそで毎日Aの音しか叩かないから、本当ならちゃんとしたピアノ弾きのところへ行きたかった」































2018年3月4日日曜日

雪山とコンサートのはしご

今朝1番のバスで志賀高原から戻った。
出かけたのは金曜日から2泊。
先月行ったときとは雪質がガラッと変わって、ゲレンデはスケートリンク。
ま、それはオーバーとしても、カリンカリンの制御の難しいアイスバーン。

天気は上々、今年のスキーは天候に恵まれている。
先月も到着した日の午後は目一杯滑ったけれど、今回はそれに輪をかけてがんばった。
少人数だったので先生に長野駅で拾ってもらって車で宿まで。
当然先生はやる気満々。
私だけはナマケモノだけれど、他のメンバーもやる気満々。
こまったキチガイ集団なのだ。
最後に一ノ瀬ゲレンデの上から、結構な斜度のカリンカリンのアイスバーンを滑らされて、お終い。

こういう硬いバーンはどちらかと言うとグズグズの重い雪よりはましだけれど、なにが怖いかというとスノーボーダーや初心者スキーヤーが、制御不能で止まれなくて突っ込んでくること。
滑ることに目一杯で他の人の動向がわからない連中が、平気で間際を横切るように突っ込んでくるのは、あな、あそろしや!
私たちは年老いたと言えども経験豊富で、必ず車の運転と同じように周囲を確認してからの発進。
決して他人の前を横切ったりしない。

今回は「古典音楽協会」の定期演奏会の前であり、4つのヴァイオリンの協奏曲の2番めのソロも受け持っており、責任上絶対に怪我はできないからなおさら慎重になる。
でも、慎重も良し悪しで、そのために動作に切れがなくなってかえって危ないことも。
それでなるべく無理なく事故らないように、混み始める土曜日の午後は休みにするとか、一体なんのために行ったのかわからないけれど、我慢我慢。
今回はコンサート前だから参加を見送ろうと思っていたけれど、年々参加者が減っていく「雪雀連」のツアーがなくなってしまうといけないから、とにかく参加した。
そのかわり呆れ返るほどのナマケモノぶり。
もとより勤勉な性格ではないから皆慣れっこで「滑らない」と言えば「ああ、そう」と言って放っておいてくれる。
これがこのクラブのいいところなのだ。

その土曜日の午後に他のメンバーたちは、所狭しと志賀高原を駆け巡り、最後にはオリンピックの回転コースまで滑ってきたそうで、年齡にさからう不届きな輩は増々元気。
でも、流石に宿へ戻ってきたときには皆、ヘロヘロだった。
日曜日の朝、私は一人始発のバスで出発。
バスの出発時間が早いため、朝食を食べきれず残したのが心残り。
大好きな朝ごはんを残すなんて、めったにしたことがないのに。
午後2時からの友人たちのカルテットの演奏を聴くために、暑い東京に戻った。
結局あまり滑りはしなかったけれど、今年は珍しくレッスンを2回受けることが出来て、自分の欠点を見直す良い機会となった。

東京で新幹線を降りてから、世田谷の教会でのコンサートの開始に1時間半ほどの余裕があったので、どこかでゆっくり昼食を取ろうと思った。
ファミレスでは気が休まらないから、渋谷の東急エクセルの中のイタリアンレストランに足を運んだ。
朝ごはん食べ残しのリベンジでもある。
気分良く美味しくランチを済ませて世田谷線に乗る。
赤堤カトリック教会へ到着。

曲目はハイドンの作品64-1とプロコフィエフの作品50。
メンバーは
   第一ヴァイオリン 手島志保
   第二ヴァイオリン 平岡陽子
   ヴィオラ     東義直
   チェロ      和田夢人

ハイドンの弦楽四重奏曲は、響きが明快だから聞いたところ易しそうに思えるかもしれないけれど、弾くのは非常に難しい。
この4人のメンバーは達者に演奏していたけれど、私はこの作品64にずいぶん手こずった記憶が・・・・
この四重奏団の演奏会を何回か聴きにいっているけれど、今回は特に弦楽四重奏としての響きがまとまっていたと思う。
たった4本の弦楽器でも、大編成のオーケストラを凌ぐほどの広がりを見せられるのが弦楽四重奏のすごいところ。
弦楽四重奏が、完璧な合奏の形として褒め称えられる所以だと思う。
管楽器や打楽器などの外に広がる音量の大きい楽器はなくても、内面に深く入り込んで、一つの宇宙の中で深々と広がり大宇宙になると言うべきかもしれない。

プロコフィエフは私は大好きなので、とても楽しんだ。
演奏はとてもむずかしいと思う。
彼の曲は非常に合理的で、難しさを一旦超えてしまえば非常に楽しく弾ける。
彼の天才的なひらめきは決して難解ではなくて、究極はユーモラスでさえある。
志賀高原から分厚い雪靴を履いてドタドタ駆けつけたのは、この曲が聴きたかったから。
聴けてよかったよかった。



















2018年3月1日木曜日

おまけはキュウリ

買い物の途中、少し歩き疲れて甘いものが欲しくなった。
商店街には卵専門のお店があって、そこのプリンが美味しそう。
1つ買って食べたいけれど、食べる場所がない。
コーヒーショップに入ると長居をしそう。
甘いものを一口食べれば気がすむ。

蜂蜜専門店の前を通りかかった。
間口の狭い小さなお店だけれど品揃えが多くて、ニュージーランドのマヌカハニーなども置いてある。
その蜂蜜専門店の前にソフトクリームの看板!
今日は低気圧が通過して、午後から暑くなった。
朝方の雨が止むと強い日差しになって、気温がぐんぐんあがってきた。
甘いだけではなく冷たい。
一石二鳥ではないか。
少し汗ばんでいたから、ためらいなくお店に入った。

店のスタッフは中年の女性で気さくな人だった。
私がソフトクリームと彼女に向かってつぶやくと、喜んで説明を始めた。
チョコレート、バニラの他に柑橘類の味も。
小さなお店にしては品揃いが豊富。
大好きなチョコレートをコーンで注文して店頭で立食かと思ったら、店の中に小さな喫茶コーナーが出来ていた。
チョコレート、クリーム共に上質の味がした。

私の家の最寄駅は沿線の中でも最もカジュアルな商店街で、昔のままの安くて便利で気軽なお店が多い。
その代わりおしゃれなお店というのは少ない。
私の家に遊びに来た人たちは、商店街の物価の安さと品揃えの多さに感激して、買い物をして帰るようだ。
楽器と野菜やコロッケを持って帰る人もいる。

某有名女流チェリストが住んでいる街には、とても良い魚屋さんがある。
彼女との室内楽の練習で集まると、帰りがけに皆で魚屋さんに寄る。
楽器と沢山の魚を持って帰るのがいつものことだった。
冬、金沢で仕事した時には、楽器と鱈の入った発泡スチロールの箱を抱えて帰った。
美味しいものに目がないガクタイは、日頃は朝が苦手なのに、こういうときだけ早起きを厭わず朝市に出掛ける。
ある時飛行機が雪のため中々飛ばなくて、鱈の鮮度が落ちると心配したことも。
最近は宅配便が便利になったから、自分で持って帰ることはなくなった。

ああ、そうそう、蜂蜜やさんの話し。
話をしながらソフトクリームをかじっていると、クリームに蜂蜜をかけるように勧められた。
甘すぎない?
試しに柑橘類の蜂蜜をかけてみると、おーいーしーい!
試食用に置いてある蜂蜜で試してみると、百花、柑橘、アカシア、クローバーなどで味も香りも違う。
私は元々嗅覚障害があると思っていたので、ここの蜂蜜の香りを嗅ぎ分けられたのにはびっくりした。
それだけ強い香りなのかもしれないし、たまたま私の鼻の調子が良かったのか。
普通に売っている蜂蜜では体験したことがなかった。

プリンを1つ買おうと思っていたけど・・・という話をしたら、1つだけ買うのは難しいですよねと返事が。
いつもは私は1つでも平気で買うけど今日はなんだか弱気で、キュウリが1本欲しいけど買いにくいのよね。
すると、キュウリ?キュウリなら1本あげますよ、さっきたくさん買ったから。

なんだか都合の良い展開となってきた。
1山買ったキュウリのなかから1本頂いてきた。
なにがしたいかというと、昨日竹輪を頂いたので、穴にキュウリをいれて食べたらおいしかろうと思ったので。

それで思い出したのは、ヴィオラの永野さん。
N響のメンバーだったけれど、若くして亡くなった。
私たちはとても仲良しだった。
ある時パーティーの準備をしていて、私が竹輪にキュウリを入れて「かゆいところに手が届く」と言ったそうなのだ。
私は全然覚えていないけれど、事あるごとに永野さんが「それがおかしくてねえ」と言う。
よほど彼的に受けていたのだろう。

お葬式に行ったら、彼の奥さんが私達を見て泣き崩れた。
私たちは他の参列者と離れたところにいたけれど、出棺までずっと私たちを見ていた。
皆若くて仲が良くて、ともに苦労したいわば戦友たち。
私の人生は人との絆で成り立っているし、それ以外に何もない。

永野さんに関して思い出すことは、彼はスケートの名手だった。
池袋のスケートリンクで私が手すり磨きをしていたら、どこからともなく現れて私をリンク中央に引きずり出そうとする。
突然リンクの1番遠い端からこちらめがけて、猛スピードで不意をつこうと滑ってくる。
その攻防戦の方が私は竹輪より、よほど面白かった。

猛スピードといえば、中央高速道路で史上最高のスピード違反が逮捕されたらしい。
法定速度を135キロ上回る235キロだというからビックリ!
米国のモンスター級スポーツカー、チャレンジャー6400ccだそうで、なーんだ、中央道で40キロオーバーで捕まった私なんて可愛いものだわ。
6400ccも排気量があったら飛ばしてみたくなる気はわかるけれど、どうかドイツのアウトバーンかなんかでやってほしい。