毎日毎日、他人と口をきかない日々が続き、もういい加減ボケ始めるのではないかと思うこの頃、耐えかねて集まったのは7人の女たち。
東京アラートが解除されて、でも油断はならない。
楽器を抱えて三々五々、ニコニコと集まったのは、ヴァイオリン4人、ヴィオラ1人、コントラバス1人、ピアノ1人。
なにを弾くかと言うと、モーツァルトのピアノ協奏曲。
ヴィヴァルディの四季。
年をとった分だけベテランと言われるけれど、この7人、ものすごいパワー。
全員年齢は感じられない。
特に初参加のヴィオラのAさんは長年の音楽仲間で、最近は楽器のお付き合いだけでなく食べ歩き女子会のメンバーでもある。
女子会メンバーとは年中アチラコチラのレストランで顔を合わせていたけれど、最近その中のひとりがあっけなくこの世を去ってしまった。
6人で食べ歩いていたのに5人になってしまって寂しい。
写真を眺めて涙ぐむ。
アンサンブルのメンバーは、なにがあっても動じないメンバーばかり。
私は彼女たちをすっかり頼りにしていて、自分で動くことは少なくなった。
けれど長年の経験が豊富なので楽譜だけはしっかり揃っている我が家に、皆集まってくれる。
ところがその楽譜も、コロナのおかげでうつ状態になった私は探すことが出来ない。
ヴィヴァルディの四季はもうさんざん弾いたから楽譜は揃っているものと思っていたら、なんと春の楽譜に欠番があった。
あらら、どこかしら?
コロナ鬱のせいかどうかは判然としないけれど、とにかく頭はもうスカスカ。
体はなまって動かない。
探さなければと思っても面倒で、それじゃこれは飛ばしてとなる。
こうなったらお終いですぞ、みなさん。
楽譜を探すのを厭うようでは世も末!
四季はそこそこ弾き飛ばして、本来ならここで持ち寄った食べ物を出してビール・コーヒータイムとなるのだけれど、コロナ感染は予断を許さないから自粛。
用意したのはセブンイレブンのサンドイッチとおにぎり。
それとカップの味噌汁のみ。
これがなんと美味しいんだなあ。
ピアニストの家に行くといつも手料理を出してくれる。
私はコロナ管理に自信がないから、しばらくはこのスタイルでいくことにする。
メンバーの1人は「私の家はほとんどセブンイレブンのお世話になっているの。お惣菜もここで買うのよ」と。
なるほど、手間暇かけて作ったってこんな美味しくできるものではないし、少人数、まして1人なら買うほうが絶対経済的。
材料余らせて、作り過ぎを捨てたりすることもない。
なによりも、いつでも手に入るのが働く女性にはなによりありがたい。
食器はすべて紙皿紙コップ。
久しぶりでアンサンブルを堪能した人たちは、あふれるばかりの笑顔だった。
これが一番のごちそうなのだ。
コロナ感染が収まって、治療法が確立されて、私達が安心してアンサンブルを楽しめる日が早く来ることを願っている。
今回の練習は11月のコンサートのためなのだけれど、果たして実現できるかどうかわからない。
いつまで我慢すればいいのか先の見えない不安でいっぱい。
8月14日、毎年恒例だったコンサートも中止。
9月の古典音楽協会の定期演奏会もどうなるかわからない。
せめて今年中に数回のコンサートができるなら、幸せ。
しばらくステージに立たないと、たぶん次のステージは緊張で大変だと思う。
常に本番は緊張するけれど、何回もこなしていれば緊張と付き合うすべがわかる。
けれど間が空いてしまうと、自分をコントロールできるかどうか心配になる。
ハリー・ポッター講読も再開した。
本を読むだけだからコロナ感染もさほど気にならないものの、万一のことを考えて自粛してきた。
いつもはルースさん所属のオーケストラの練習場に出向いて、そこの建物の小部屋を使ってレッスンをしてもらった。
けれど、いかにも狭い。
2か月間休んでいる間、私はこの巻の最終章まで読みすすんだ。
コロナのおかげで時間だけはたっぷりある。
魔法学校の校長ダンブルドアが死んでしまったときには、涙が止まらなくなった。
これほど思い入れが強かったことに我ながら驚いた。
私の中でダンブルドアは本物の人のように生き生きと存在していたのだ。
作者のローリング女史のたぐいまれな才能が、私の想像力を刺激する。
先日雨の降る日、二人とも時間はたっぷりあるのでできるだけ先に進むことにした。
久しぶりに会う先生のルースさんはお元気で、本当に良かった。
私はフェイスシールドを用意した。
初めのほうはサクサクと進み1時間半はあっという間、私も快調。
しかし、もう限界となったとき、ランチタイム。
近所のピザ店で軽く食事をして後半へ。
そのころには私は慣れない英語の文字に、目はかすみ口はもつれるように。
心なしかルースさんもいつもの鋭さがなくなって、多少お疲れ?という感じになって、4時間近い長いレッスンは打ち切ることにした。
とことん疲れた!
次の日は使い物にならず、うつらうつらと過ごした。
英語の構文はほんとうに不思議に思うことがある。
日本語とはまるで組み立て方が違う。
なにもここまできっちりと言わなくてもわかるのにと思うこともある。
日本語の曖昧さ、言わなくてもわかるでしょ的なことはほとんどない。
ハリーはもう17歳。
会話は立派な大人の言葉になってきた。
私がうんうん言って考えてもわけがわからないこともしばしばある。
ルースさんは日本語はあまり出来ないので、説明に四苦八苦。
二人でああでもないこうでもない、話しているうちにパッと回答が見つかることも。
言葉は本当に面白い。
私は音や言葉の面白さばかり楽しんでいるから、現実の世界のことは苦手。
家事も雑、お金の計算はほとんど頭を素通り。
電球の交換とか力仕事とかになると、全然役に立たない。
パソコンや携帯電話なんかは、逆立ちしてもわけわからず。
まったく猫と同じ。
それを助けてくださる人がいてこそ、好きなことができている。
日々感謝なのだ。
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