2020年6月10日水曜日

ノンちゃんが大好きだった人

ノンちゃんのご主人の田畑精一さんが亡くなった。
ノンちゃんはご主人に惚れ込んでいた。
時々北軽井沢の家にご主人が訪れるときは、朝からソワソワニコニコ。
ノンちゃんは夏の間北軽井沢の家にずっと逗留していたので、都内で仕事をしているご主人とはたまにしか会えない。
初めの頃は精一さんが車の運転をして一緒に来ていたけれど、彼の腰が悪くなってからはなかなか一緒には来られなかった。
彼はいつも素敵な笑顔のとてもハンサムな方だった。
表面上は柔和で優しげだったけれど、思想のはっきりした、権力に立ち向かえる気骨の持ち主だった。

NHKが彼の絵本を断りもなしに放送で取り上げた。
その時の怒髪天を衝く怒り様は覚えている。
NHK側に申し入れをすると、使ってやったのだからありがたく思え的な対応をされたらしい。
訴訟も辞さないという勢いだったけれど、その後のことは聞いていないからわからない。
しかし、理路整然と自分の思いを相手側に伝えられたことは間違いない。
ノンちゃんの一途な心に、それはとても頼もしく思えたのだと思う。

彼は手相を見ることが出来て、スキー場などで夜みんなの手相を見てくれた。
女性たちはキャーキャー言いながら、彼からズバズバといわれる言葉を楽しんでいた。
それをノンちゃんはいつもおおらかな笑顔で見守っていた。

さんざん他の女性の手を握ったあとで、精一さんが最後に必ずノンちゃんの手を握ってニッコリと見つめ合うのが素敵だった。
そんな彼を見ていると、この人隅に置けないといつも思っていた。
ノンちゃんとの結婚を決めたエピソードも聞かせてもらった。
彼はノンちゃんにとって、生涯の恋人だったようだ。
私がノンちゃんを好きなのは、その一途さ気持ちの豊かさ。
精一さんは確かに素敵な男性だったけれど、それを遥かに超えるのがノンちゃんの純粋さだったと思う。
だからノンちゃんが2018年に亡くなった時、ノンちゃん先に逝ってよかったね、と思った。
ご主人が亡くなったら彼女はどれほど苦しんだことか。
どれほど嘆き悲しんだことか。
私はずっとノンちゃんを見ていたから、そんな姿は見たくない。

今頃天国の入り口で精一さんを待っているノンちゃんの嬉しそうな笑顔が輝いているでしょう。
彼が北軽井沢の家に来るのを待っていた時のように。
そういう時のノンちゃんは少女のようだった。
ノンちゃん良かったね。
精一さん、ノンちゃんとずっと一緒にお幸せに、そして安らかにお眠りください。


 「おしいれのぼうけん」などで知られる、絵本作家の田畑精一(たばた・せいいち)さんが7日、老衰のため亡くなった。89歳だった。葬儀は近親者で営み、後日お別れの会を開く予定。喪主は弟博司(ひろし)さん。
 31年大阪生まれ。京都大学中退後、人形劇に打ち込み、その後、古田足日(たるひ)さんと出会い、子どもの本の仕事を始めた。保育園の取材をもとに古田さんと共作した「おしいれのぼうけん」(74年)は、累計発行部数が230万部のロングセラーに。そのほか、先天性四肢欠損の障害がある少女を主人公にした「さっちゃんのまほうのて」、「ダンプえんちょうやっつけた」などの作品がある。
 松谷みよ子さんらと「子どもの本・九条の会」の代表団の一員となり、日中韓の絵本作家による平和絵本シリーズの呼びかけ人になるなど、反戦活動にも力を注いだ。

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