2020年6月29日月曜日

コロナが変える生活様式

コロナの感染拡大が止まらないどころか、毎日発表される感染者数は以前よりもむしろ増えているという不気味さ。
いつ自分がかかってもおかしくないし、周りの人が感染していないと信じることもできない。
私はコロナ以前、コンビニなどで釣銭を渡されるときに、店員が手を添えてくるのが嫌だった。
なぜ知らない人にこんな渡し方をするのかなあ?なんて。
業界では、そうすれば客の好感度が上がると思って、スタッフに指導していたのだと思う。

私のように指先が不器用で、ひっきりなしに釣銭をこぼしレジで小銭をばらまく人がいるから、そうしたのかもしれない。
確かにこれは親切だけれど、私は人が待っているとオロオロして慌てふためくので逆効果。
黙って受け皿に乗せてくれればいいと思う。
それなら次の人が待っていても、脇にどいてゆっくり釣銭を財布に入れられる。

コロナ以来、生活様式が変わったことでトラブルが多発しているらしい。
それは主に中高年が新しい習慣に不快感を示すのだという。
親切に手を添えて釣銭を渡されることになれた人たちが、受け皿に乗せて出された釣銭にクレームをつける。
釣銭は釣銭、どう出されようと計算が合っていればいいじゃない。
かなり前の中国で釣銭を投げてよこしたのにはびっくりだったけれど、あれにはそれなりの理由があるらしい。
音を立てて偽のお金でないことを示すのだそうで。

マスクの上にフェイスシールドを着けて対応する店員に、声が聞き取りにくいとクレームがくる。
店員さんだってきれいな顔を隠さないで、思い切り声を出したいにちがいない。
それはお客様あなたのためですよ、と言いたいと思う。
思うに、買い物をするのは店員さんにサービスを求めるため?
私はいつも思うのだけれど、買い物をする方と買う方はフィフティフィフティなのに、買う方がやたら威張るのはどうして。
買う方はそれが欲しくて買う。
売る方より偉いわけではない。
品物とお金を交換するだけのことなのに、買う方だけサービスを求めるのはおかしい。

一時期、買い物をすると、店員が店の外まで買った品物を持ってきて手渡しすることが流行った。
何億円もするダイヤモンドか何かだったらいざ知らず、たったの1000円くらいのものまでそうされると腹が立つ。
いくら何でもやりすぎと思っていたら、コロナのおかげでそれがなくなった。
そんなことをするから買い物客は自分が偉いと思ってしまうのだ。
商品についての正しい知識と常識的な応対があれば、余計なサービスはいらない。

それが以前のサービスに慣れた中高年にはわからないらしい。
なぜ、毎日テレビを見ているのに、そのくらいのことがわからないのか。
何のためにテレビがあるの?
近所に買い物に行くと、レジで距離を取らずぴったりとくっつく次の客。
たいてい、かなりのお年寄り。
でもまだ若い人もいる。
エレベーターの中で大声で話す人。
こんな狭いところでほんの数秒間、黙っていられないのかえ?おまいさん。

手の消毒も慣れっこになってきて、時々忘れることがある。
だから私も大きい顔はしていられないけれど、ルーティンワークとなるように早く慣れてほしい。
それよりも、昼カラオケに行くのは自重してほしい。
今一番の感染源らしい。
最も感染度指数が高いのはコーラスらしく、今練習ができなくて泣いているコーラスグループがわんさとある。
感染者が減れば、コーラスの練習が再開できるのだ。
だからカラオケはおひとり様でどうぞ。
自宅にカラオケの器械を買って、楽しんではいかが?

ほかにすることがないって?・・・ご先祖様のお墓参りに毎日行けば心もすっきり、花やも線香やもニコニコ、いいことだらけじゃありませんか。
お墓が遠すぎる?
それならその地方に住めばいい。
まもなくそこに入ることになるのだから、近くにいたほうがいい。

わざわざ地方都市からホストに会いに行って感染された人がいた。
なにもねえ、たかが半年一年、ホスト君に会わなくったって。
一生付き合える伴侶を見つけたら?
不特定多数の女性と付き合っているオベンチャラ君にお金使うことはない。
しかもコロナ付きで。

本当の友達はしばらく会わなくても心は通い合うものなのだ。
ほんの少しの間会わないと消滅するのは、泡沫的関係。
会わないから消えてしまうのは、心が通い合っていない証拠。
だからシャボン玉のように空に飛ばしてしまえばいい。
でもね、好きな人はいつも顔見ていたいよね。
それはわからんでもないけれど・・・











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