数日前、感染者が増えているとも知らず池袋へ。
ハリー・ポッターの購読日、先生のルースさんと長時間のレッスンで疲れての帰り道。
新宿は感染者が多くて怖いなどと話しながら、池袋の雑踏を歩いていた。
その数日後、新宿を抜いて池袋がダントツになったというので震え上がった。
電車の中で不埒にもマスクをせずに大きなくしゃみをした男性の座席が、ちょうど私の真正面。
勘弁してよね。
まだ緊急事態宣言が解除になったばかりなのに、浮かれて自粛しないとは。
まったく若い者は・・・
で、自分の若いころを思い出した。
やっとお酒が飲めるようになった頃は、大人になったうれしさでなにかにつけて繁華街に繰り出す。
オーケストラの練習場が閉まるのは午後9時か10時、それから出かけるから当然終電で帰ることになる。
終電がなくなっても遊んでいて午前4時に帰宅したときは、めったに文句を言わない母に叱られたことも。
母は深夜ご帰還の私には叱るよりも効果のある行動をとった。
私が帰ると、そこに座りなさいと言ってお茶の稽古を始める。
袱紗の畳み方を教えて私の気が静まるのを待つ。
それよりも母の気が静まるようにだったかもしれない。
寝ないで待つ母の姿は効果があった。
家事と子育てで寝る間も惜しんで働いている母はとても疲れている。
そのうえ飼い猫の三毛が私が帰るのをずっと待っていた。
私が帰ると庭の隅から矢のように飛んでくる。
これもこたえたから、その後はあまり夜遊びは・・やはりしていたけど。
そうだった。
すっかり忘れていて若者を非難するところだった。
高校生時代、友人の別荘に遊びに行った。
野尻湖の湖畔にある別荘で、夏休みをヨットに乗ったり和船を漕いだりして遊ぶ。
友人のお兄さんが操縦するヨットに乗せてもらったけれど、バランスをとるのにあちこち移動させられて大変だった。
ロープを握らされて引っ張るとか、緩めるとか。
乗せてくれるというからお客さんでのんびりしていられるのかと思っていたので、疲れ果てた。
夜は皆ですき焼き。
友人お兄さんとその学友、私たちはまだ17・8歳の花も恥じらうお年頃。
なのに、すき焼きの肉の奪い合いで醜い争いをした、楽しい思い出がある。
自分の肉を確保するために、これと決めた肉に箸を突き立てて取られないようにしているのに、周りからみんなでこそげ取られてしまうので、なかなか口に入らなかった。
そのころコロナがあったら、こんなことであっという間に感染する。
嫌なことが早くなくなって、肉合戦ができるようになるといいのに。
今思い出したけれど、この野尻湖の持ち主の友人に誘われてスキーを始めたのだった。
ずいぶんよく遊んでもらった。
級友たちはお金持ちのお嬢様が多かったから、すっかりお世話になって楽しい夏休みを過ごした。
この別荘と御宿の海辺の別荘、美ヶ原のホテルのお嬢さんもいたっけ。
そこを渡り歩てリッチな休日を送っていた。
全然お礼をした覚えがないから、ずうずうしく泊まり歩いていたのかもしれない。
母が尻ぬぐいをしていたかもしれない。
宝塚の友人の家に居候をしていて、そろそろ帰ると言ったら友人母が「宝塚劇場に行かなければ帰さない」というので嫌々見に行った。
私は宝塚がどうも苦手だったけれど、初めて見たら余りの美しさにびっくり。
それから偏見はなくなった。
ゴルフ場のオーナーのお嬢さんは中学時代からの親友だった。
だから私は中学時代からゴルフの練習をさせてもらった。
思い出すとずいぶん贅沢なおつきあいをしていたのだわ。
お古の袖のすり切れたセーターとか、13歳年上の姉の使った取っ手の芯が出たようなカバンとか持ってずいぶん貧しそうだったから、同情されていたのかもしれない。
思い出せば出すほど、無謀でやかましくて図々しかった自分の姿が目に浮かぶ。
そう、若さとはそんなものだった。
周りへの配慮とか遠慮とかはなく、自分の道を突き進んでいた。
今私が当時のままだったら、コロナもなんのその、友人たちと面白く遊ぶことを優先したと思う。
だからといって若者たちよ!今はお願いだから我慢して!
大人になるということは、分別ができてすべてが中庸になってしまうことなのだ。
その分面白くなくなるかと言えば、そんなことはない。
ちゃんと体力が衰えて行動力がなくなってくるから、ちょうどよくなる。
自然は本当にうまくできている。
と、いまだに無分別な私が偉そうに言う。
この先いつどんな目にあうかわからないけれど、若い時の気持ちと体力に合った行動があれば、本当に人生は楽しい。
無謀であるのはいいことでもあるけれど、お願いだからコロナだけは怖がってほしい。
かかるとイチコロの老婆からのお願いです。
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