九州や長野などで大雨による河川の氾濫で洪水が起きている。
なにもかも泥だらけ、出水の速さが尋常ではなかったようで、あっという間に自宅が壊れ孤立した集落から人が救助されているようだ。
川の脇を通る道路はガードレールがわずかに見えるだけで、まったく川と同じレベルまで水が来ている。
特に九州は早くから被害が始まった。
テレビで久留米市の様子が映し出されていた。
それで思い出した久留米の仕事。
あるグループのリーダーがその日は空いていないので自分は行けないからと、私に回ってきた仕事だった。
弦楽四重奏で久留米の某結婚式場まで行ってほしいというので、飛行機に乗って博多空港に降り立った。
そこには黒塗りの高級車が待ち構えていた。
いつもほとんど決まったメンバーで仕事をしていたけれど、その日はいつものチェロ奏者は来られないというので、初めて会う若い女性が来ていた。
経験が少ないようなので、飛行機の中でも楽譜合わせをして色々説明した。
ここの部分は急にテンポが変わるから気を付けてとか、ここはだんだんゆっくりするので要注意とか・・・
素直な人でハイハイと返事は良いから、わかってもらえたと思った。
車の中ではすでにリラックスして久留米までのドライブを楽しむメンバーたち。
宿泊は久留米のニューオータニ、飲食は無制限で何を食べても飲んでも良いという。
すごーい!いつもならお弁当とか、コンビニで買ってきたものを部屋で食べるとかなのに。
本番は次の日の午後。
一晩中楽しく過ごせると思っていた。
さてまずは部屋で少しだけ音合わせをしよう。
そこからが地獄。
初めて会ったチェロ奏者は全く経験が浅くてどうしようもない。
だいたいチェロを弾くのもおぼつかない。
今回は参加できるメンバーを探すのに苦労したらしく、リーダーも全く一緒に弾いたことがないという。
落ち着け落ち着け!私は深呼吸して怒らないように、怒ったらおしまいだぞと自分に言い聞かせた。
結婚式で使うような曲はポピュラーなものだから、たいていは知っていると思っていた。
演奏時間は次の日の午前中にわかるから、とりあえず持ってきた楽譜は全部弾けるようにしておかないといけない。
飛行機で打ち合わせはしたから、当然わかっているはず。
しかもチェリストには事前に楽譜を送ってあったし。
でもわかっていなかった。
がーん!一曲たりともまともに弾けないので頭を抱えた。
これでは飲食自由なんてのんびりごはん食べている場合ではない。
ニューオータニで何を食べてもいいなんて、こんなチャンスはもう2度とないのに。
まずルームサービスでサンドイッチとコーヒーを頼んでおいた。
とにかくチェロにはあまり弾かせないように、難しいところはカット。
なるべく易しい曲を選んで、テンポの変わり目はしっかりと合図を送る。
あなたねえ、楽譜もらってあったのに練習をしていなかったの?馬鹿にするんじゃないわよ!
口から出そうになるのをこらえて穏やかに忍耐強く練習をすすめた。
ぜんぶの楽譜をひと当りしたころにはもう深夜になっていた。
次の朝、黒塗りの高級車に乗って会場へ。
会場に着くと、くどいように確認した譜面台がない!
急遽テーブルに白い布をかけてヴァイオリンケースを乗せて、譜面台替わりにした。
それにしても会場には当日の担当者もいない。
音楽を取り仕切っているらしい司会者とエレクトーン奏者は、私たちが演奏することは知らされていなかったらしい。
司会者は明らかによそ者が侵入してきたという態度で、恐ろしく冷たい。
式のどこで演奏すればいいのかと尋ねると、それは自分たちで全部やると言う。
それでも食い下がって、私たちは呼ばれてきたのだから演奏しないわけにはいかない。
どこかのコーナーで弾かせてほしいと言ったらしぶしぶ、でも私(司会者)が肩をたたいたらすぐに演奏をやめてほしいと言われて仕方なく彼女に従うことにした。
披露宴が始まる直前に依頼主の男性が現れた。
私たちを見ると満足げにニコニコしている。
私はもう一度演奏させてもらえるように彼に確認をとった。
ご満悦でいい加減に請け合う彼。
しかし、司会者は強かった。
自分のテリトリーを荒らす存在は排除する気満々。
私たちは地域から言っても、脅威にはならないはずなのに。
宴が始まった。
彼女たちが手順通りにする演奏に私たちも強引に加わり、それは豪華で良かったかもしれない。
ここは私に弾かせてと言うとにこやかに司会者がうなずくけれど、8小節もいかないうちに肩をポンポン叩かれる。
約束通りに弾くのをやめて待機。
そうやって終盤にさしかかり、たまりかねて私は依頼主の男性に1曲でいいからちゃんと弾きたいと訴えた。
やっと演奏させてもらえて、1曲終わりもう1曲と思ったら司会者が強引に割り込んできて終了させらてしまった。
依頼主は大満足なのだ。
結局何かといえば、親戚か知人の結婚披露宴に東京から弦楽四重奏を呼んであげたということがご祝儀になったのかなあと思ったけれど。
その後また近所のレストランで好きなだけ食べていいという。
飛行機の時間に間に合うように黒塗りの高級車が来て、私たちの頭は???となって仕事は終わった。
これって最高に楽な仕事にはちがいないけれど、腑に落ちない結末。
こうとわかっていたらニューオータニでたらふくたべてぐっすり寝られたのに。
あの練習は全く無駄になった。
私たちは結局宴会の壁の花だったようだ。
音なんかどうでも良かったのね。
その後あのチェリストと仕事場で会うことはなかったけれど、ちゃんと成長したのかなあ。
できなければ仕事を引き受けるべきではないのに。
でもリーダーは、その日空いているチェロを探して藁をもつかむ思いで彼女に頼んだと思うと文句はいえなかった。
長年フリーで仕事をしていると様々なハプニングにみまわれるけれど、その中でも謎の多い仕事だった。
だいたいあの依頼者はどういう人なのだろう。
飛行機代、ハイヤー代、宿泊代など、大変な出費なのに、たった1曲だけ弾かせてご満悦とは・・・
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