2020年7月8日水曜日

麻雀

せっかくだから麻雀の話を。

私が長年仲良くしてもらっている「雪雀連」は文字通り雪と雀の同好会。
雪はもちろんスキー、雀は麻雀の略称。
私が参加したのはすでに半世紀も前からで、このグループにいたおかげで人生がどれほど楽しいものになったか、計り知れない。
いい加減を絵に描いたようなメンバー。
ひたすら楽しいことだけする。
難しい話は一切なし、個人的な悩みなどは打ち明けない。
美味しいものに目がないから、我慢しない。
だからだれも人格者にはなれないのだ。

それぞれの仕事は千差万別で、決してお互いに深入りしない。
会長は山田氏、ピアノ調律界の大御所。
Aちゃん、照明界の卒業生、照明は照明器具を使わず自らの頭を反射させるとか・・
Hさん、化学者なのにお酒を飲むと自分がどうなるかという研究はしない。
そのほか舞台関係者、音楽家、一時期はバレリーナまでいたことも。
もちろん私の大好きなノンちゃんもご夫妻で。
映画関係者、出版社の伝説的な編集長などなど・・・

一時期それらの人々が集まって70人以上の数になった。
お正月の天元台は毎年40人ほど集まって寝るところもないから、私は押入れで寝ることもあった。
押入れの上から見ると、畳の大広間にいるのはすごい人数の寝姿。
決まりごとは一切ないから、好き勝手に出入りする。
大雑把な人だけかと言うと中には計算の達人がいて、宿泊費、飲み代など日毎に計算して全員の支払いをする。
その計算の早いこと見事なこと!

冗談ばかり言うので生真面目な人は毒気に中てられて、参加しなくなる人もいた。
姑の悪口を言う人は総スカンにあって二度と来なくなる。
そんなこと誰が聞きたい?顔も知らないあなたの姑の悪口なんて。
ご主人の自慢をする人には、ご主人はそうなのね、で、あなたは何をする人?
初参加の人もちやほやしない。
だれもはじめは知らん顔。
自然になじむのを待っていると、そのうち抜けられなくなる。
私は初めて月山の夏スキーに参加した時、ノンちゃんの太陽のような笑顔で迎えられた。
豊かな温かい笑顔を今でも思い出す。

メンバーの出入りは自由。
イベントに参加しなくても、10年くらい来なくてもぜんぜん構わない。
久しぶりに来ても大歓迎もしない。
自然に話が昨日の続きみたいにできる。

最近年齢が限界点を超えて、いまや残党はショボショボ。
コロナでスキーは中止。
高齢者が多いから危険すぎる。

最近こそスキーが主な行事になったけれど、最初のうちは麻雀が主な目的だった。
スキーに行ったつもりなのになかなか皆ゲレンデに出ない。
朝は早くから雀卓を囲む。
昼まで待っても出ない。
そのうちしびれを切らして「ねえ、スキーにはいついくの?」と訊くと「そのうちに」と気のない返事。
ついに昼食の時間、食べ終わるとまた麻雀。
私が切れ始めるころ、やっとゲレンデへ。
3回リフトに乗ると「温泉に行こう」
私は激怒というパターンが長年続いた。

それが山田会長が中年すぎてスキー狂いが始まってから、がらりと変わった。
朝は9時発、最終リフトまでしっかりと滑る。
私は体力がないから3時ころには上がりたくなる。
さっさと宿に戻って温泉に浸かる。
夕食の前にビールを飲んで、夜は麻雀が始まる。
一日中、よくもこんなにあそべるものだと感心するほど徹底的に遊ぶ。
それでいて皆それぞれの世界では名を馳せているのだ。

遊びも仕事も中途半端はダメということ。
体力も気力も最後まで衰えない。
かつてバレーボールのインターハイで名セッターとして活躍したという女性Bちゃんは、伊豆の介護施設からも一人でスキーに参加していた。
最後の最後まで弱音を吐かず、気丈にふるまって誰の手も借りず滑っていた。
もう一人の女性Nちゃんは世界のスキー場をめぐって歩き、亡くなる数か月前までスキー場に来てゲレンデに立つこと、自分の荷物は自分で持つ、それができなくなったらスキーをやめるという厳しい基準を自分に課していた。
私は怠けものだからそこまではできないけれど、この人たちと知り合えたのが自分の財産だと思っている。

中には気の小さい男性もいたけれど、女性は皆強かった。
麻雀で負けたといって次の日の朝、おはようと言ってくれなかった男性。
私ともう一人Oさんが初心者(初めてではないけれど点数がつけられない)だったので、彼は一生懸命教えてくれた。
その恩に報いず後ろ足で砂をかけるような真似をしたのは私たちです。
彼からたっぷりと点数をむしり取ってしまった、心ならずも。
ウフフ・・いやいやビギナーズラックですよ。

中に一人だけ札付きの悪党男性がいた。
酔ったふりをして牌をかき混ぜ、すきをついて牌を変えてしまうというインチキをやった。
それを皆知っているのに知らん顔して相手をする。
清濁併せ呑んで、だれも目くじら立てない。
その人を追放してしまえば収まることなのに、あえてそれをしない。
そういう人も受け入れるだけの余裕が皆にあって、それを楽しむ風も。
あきれたことにその人は教育者、何をかいわんや。






















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