今、西日本はびしょびしょ、大変な被害が出ている。
いままで経験したことのないような大災害、と言うような表現が目に付く。
未曽有の体験をした人たちの嘆きと驚きが連日報道されている。
未曽有をみぞゆうと読んだのは麻生さん。
お隣のおじさんではなくれっきとした大臣。
一時期流行ったから私も会話の中で使ってみた。
「これはみぞゆうのことよね」
すると「あれはみぞうと読みます」とまじめに返されてしまった。
わかってらい!そんなこと。
そういう時に軽く「あ、そう」と返してくれれば座布団3枚なのに。
生まれ育った家は冗談しか通じないような家族だった。
たまに真面目に話すと頭ダイジョブ?みたいな。
そのノリで世間で同じに振舞うと、非常に不快感を表す人がいることに気が付いた。
大学の同級生。
初めはなんて嫌な人だろうと思ったそうなのだ。
後でわかったらこんないい人はいなかったわ・・・それは褒めすぎ。
本当はこんな変な人はと言いたかったのでしょう。
変な人と言えば・・・
私の次兄が世俗を超越していた。
彼は数字のことだけ考えているから、出世とか社会的地位とか興味はない。
山下清みたいな恰好で電車に乗って家にかえってくる。
人がどう見ようとお構いなしで家族は嘆いていたけれど、そんな兄のことを大好きなお嫁さんがもらえたのは奇跡だった。
可愛くて頭が良くてお金持ちで、ふ~ん、世の中上手くできている。
知人が「早く出世したいとは思いませんか」と訊いたら兄は「いや、思いませんね」と言った。
その知人は「へえ、あなたはいい人ですね」と言った。
それを聞いたお嫁さんは、なぜ知人が兄を「いい人」と言ったのか考えた。
この辺も変わり者の家族らしい。
調べたらね「いい人」というのは、他に誉め言葉がない時に使うらしいのよ、と彼女は笑っていた。
本当は彼女のほうが優秀で、大学院の教授と共著の参考書を出版していた。
けれど、さっさと専業主婦になって二人の男の子を育てた。
その代わり次々と大学の講座を受けていたから、ずいぶんたくさん修士号を持っていたのだと思う。
音楽は私の最も不得意の分野だった。
両親は音楽家を育てる気は全くなく、楽器を弾いているとむしろ邪魔にされた。
音大に行くときに母に「本当に音楽をやるの」と念を押されたくらいだから。
だから音大を卒業した時に当然のように私は、普通の大学に入りなおすと言ったら母が激怒。
兄嫁からの影響もあって、いつまでも学んでいたいと思っていたから。
子供たちがやりたいということは全て受け入れてくれたけれど、この時ばかりは大反対。
あれほど音楽家になるのを嫌ったのに、やっと最後の子供が卒業してほっとしたのに、また学校に行くという。
これではだれだって怒るでしょう。
音楽の道に進んだおかげで素敵な人たちと出会って、大変ではあったけれど、充実した毎日が送れた。
もうすぐ母の命日。
私はヴァイオリンを弾くのは限界があるから、そろそろほかの分野での活動はできないのかと模索中。
体力がなくてもできるものはなんだろう。
母が亡くなったのが、86歳のとき。
私はあと10年の余裕がある。
10年でできることはなんだろう。
なんでも面白いと思える性格だから、見つかれば一生懸命になれる。
言うじゃない、すべての道は老婆に通じるって。
え、ローマ?ローマがどうしたって?
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