2020年11月14日土曜日

元気になりました

 コロナのせいで長いブランクがあって、もうヴァイオリンでステージに立つことはかなわないと思っていたけれど、来年の予定が一つはいったらもう元気百倍。現金なものです。

やはり私達はステージが命、アンサンブル好きがこうじてプロになってしまったのだから、大げさに言えば生きる源、3度の飯が食えなくとも弾いていたい。いえ、食わないと死んじゃう。でも私がプロになった頃には食べていけないほどの貧乏オーケストラ、若かった当時は意気軒昂たるもので自分がいなけりゃこのオーケストラは潰れるくらいの意気込みだった。経済的には本当に無駄なことだったとは思うけれど、その御蔭で少しくらいの貧乏は全く意に介さなくなった。

強い人になれました。これほど強いと人を食って生きていける。叩かれ強いと他人から言われる。何を言われても柳に風と流せる。

ひとつ後悔することは、やはり留学すればよかったということ。今からでも遅くはないといわれるけれど、例えばひどく寒いベルリンとかパリとかで足が痛くなって野垂れ死にしそうなときに、果たして言葉がわからなくても死なないだろうか。ある指揮者が冬の夜、迷子になって危うく凍死寸前だったとか、ヴァイオリン製作者がクリスマス休暇中のパリはお店が休みで餓死寸前だったとか聞かされると、日本のように夜中までコンビニが開いている国は天国だと思える。フランス人はマスクをしない。ニューヨークでもマスクをしない権利とか言う人が多いとか、やはり私はそういうことが生理的にだめ。そんなことを言っているからいつまでも日本から離れられない。若ければまだしも、この歳でねえ。もうすぐ天国という留学先が待っているのに苦労したくないというのが本音。日本にいても随分本場の人たちと彈くことができたから、良しとするか。

最近ピアノの生徒が来るようになった。私とモーツァルトのソナタを合わせてほしいというわけで、彼女は月イチで通ってくる。最初驚いたのは、あまりにも雑な音の出し方。バチンバチンと鍵盤を引っ叩く。あのねえ、鍛冶屋さんじゃないから、鍵盤を叩かないでというとキョトンとしている。彼女は大学の音楽学部出身。今はYou Tubeでいつでも演奏家の動画が見られるから、名人の動画を見てご覧、そんな叩きつける彈き方している人はいないでしょう、手の動きを観察してと言うと次のレッスンのときになるほどそうですねと言う。初めてそんな事言われましたって・・・・・助けて~

椅子の高さ、座り方、手と鍵盤の関係など、いちから説明を始めた。私はピアニストでもないのになにを偉そうにと自分でも思うけれど、なんでも運動の理屈は同じ。なにをやってもフォームが良くないといい結果はでない。理にかなった運動が必要なのだ。鍵盤は叩かないで。叩くことがあればそれは表現が要求するときだけ。普段は置いた指を下げればいい。響きを止めるような馬鹿力はいらない。

いつもしっかり彈きなさいと言われていましたと。強い音を出して遠くに届くようにとも言われたそうで、遠くに届く音は響きであって打鍵音ではないと説明。あ~あ、こういう教え方をしていて高い月謝がもらえるっていいなあ。私も先生稼業すれば今頃は自家用機で旅行して歩けるさ。トランプ「もと」大統領のようにコロナにかかっても退院するときに凱旋将軍のように振る舞える。それにしてもあのひとはどこまで我をつらぬくのか、普通なら恥ずかしくて当然の振る舞いを平気でするあの神経、爪の垢でも煎じて飲みたい。おや、だれか?煎じて飲まなくてももう十分と言ったわね。

アルゲリッチの弾き方見ているとかなり叩いているように見えても彼女の手は柔軟で、ある一定の限界を超えないギリギリの線でけっして響きを止めていない。そのために表現が大きく豊か。天才だからと片付けてしまってはお終いで、非常にバランスがとれていると思う。あの上辺の形だけ見て真似するのは危険。日本のかつてのヴァイオリン界の教え方がそうだった。外側から見た形を教えられたので、私達は随分無駄なことをさせられた。先生方を恨むじゃないが、もったいない時間だったなあと思う。先生たちも試行錯誤だったのではと思う。スポーツ界だってそういうこといっぱいあったと思う。マラソンで水飲むなとか。発展途上で色々あっても技術は日々進歩している。まず力まない。体の関節を柔らかく。

前述の彼女、最近音が変わり始めた。時々だけれどヴァイオリンとハモる。ほらね、アンサンブルはね、楽器同士が響かないといけないのよ。あなたはあなた、私は私ではなくて一緒に作り上げていくものだから、長い年月をかければかけるほどよい音になる。楽器だってお酒だって一緒なのだ。

結婚生活とよく似ている。全く違う人生を歩んできた同士が一緒に住む。これは絶対に軋轢があるに決まっている。最近の若者達は(これはお決まりの年寄のセリフだけれど)そこの我慢ができない。お互いにそれを乗り越えられるだけの愛情が必要なのに、愛されることばかり考えて愛することをしない人のなんと多いことか。自分のやり方に相手をはめようと躍起になる。それではだめ。二人で新しい人生を築くことが目的なのに。

全く違う世界、それはアンサンブルとよく似ている。一人では50しかできないことが、二人だと100になる。どちらが主導権を握るかは、それぞれの場面による。あるときは自分がメロディーを、あるときは伴奏を、あるいは全員で同時に歌い上げる、人生のアンサンブル。

私の家庭生活は概ね幸せだった。それは夫の犠牲のもとにと友人たちは言うけれど、私だって非常に努力した。傍目には私が主導権を握っているように見えても、実際は頑固な夫の柔和な外面に騙されていたのも知らないでね。彼はなくなる直前は毎食「これおいしいね」と言ってくれた。雑な料理だったのに。その優しさが涙を誘う。他の欠点が見えなくなるコツ。そう言われたら本当に美味しく作ろうって気になるじゃない。彼が居なくなって私はずっと体半分なくしたような喪失感に襲われていたけれど、そろそろ大丈夫になろう。一人で暮らす覚悟はできた。









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