2021年1月2日土曜日

ウイーンフィル新春コンサート

 毎年楽しみに聴いているけれど、今年の会場は異様で聴衆がいない。ああいうホールはお客さんが入っての残響が何秒という設計がしてあるから、がらんどうの客席が哀れで涙が出そうになる。演奏する側はよく響くからいいかもしれないけれど、何よりも生の温かい拍手がないのはとても残念。

日本でも音響の良いことで知られる横浜の県立音楽堂、建て替えるという話が出たときに音楽家が反対の署名運動をしたことがあった。見かけはボロでも音響は最高。あのホールは私が子供の頃から通って、レオニード・コーガンの音にしびれ、フランス・ブリュッヘンのリコーダーに魅せられ、ヴィルティオージ・ディ・ローマに衝撃を受けたホールだった。結局その後どうなったのだろうか。とにかくホールは演奏者と客席が一体にならないと成り立たない。仕方がないとはいえ、本当に寂しい気がした。県立音楽堂はステージの音がいいだけでなく、客席の拍手の音も天下一品なのだ。

ウインナワルツといえば、私がオーケストラに入ってすぐに長い演奏旅行があった。ワルツ王の孫のエドゥアルド・シュトラウスがその頃毎年日本に来て日本各地を回った。アサヒビールコンサートという名称で、たしか20日間くらい、甲府を皮切りに新潟から福井、富山など北陸から下って彦根、京都、大阪、神戸など、岡山から四国に渡り、九州を回って本州に戻り東海道を戻ってという、長い旅だった。

その時初めて同じ3拍子でもウイーンのワルツは独特のものだということを知った。3拍子の1拍目と2拍目がわずかに近寄り、3拍目はわずかに遅れる。だから、ブンチャ ッチャとなる。なぜかというとその3拍目で女性がくるりと回るからだそうで、長いスカートが回るから時間がかかるというわけで。なんかこじつけみたいだけれど、孫シュトラウスに尋ねた人から聞いたから本当らしい。

随分あとになって、若い新人と並んだときにそのやり方で弾いたら怪訝な顔をされた。バカバカしくなってやめたけれど、ちゃんと教えてあげればよかったかなと思っている。きっと新人さんは、このおばさんまともに3拍子も刻めないなんてと思ったかもしれない。ウイーンは私が行った海外の国の中で唯一住んでみたいと思った場所。

私の部屋の上の階に住むOさんは、ドイツで仕事をしていた。日本の同じ系列の会社に転勤となり当分日本に住むけれど、仕事はあちらでやりたいと言っている。彼女はドイツが好きで規律正しい何事もやりすぎる国民性が好きらしい。そこへいくとウイーンはちょっとだらしなく見えるのだろうか。私はウイーンの華やかで意地悪でちょっと自堕落なところがなんとも言えず魅力的に見える。だからヨハン・シュトラウス、リヒャルト・シュトラウスやマーラーなどが好みなのだ。

聴手のいないコンサートがこれほど寒々としているとは思わなかった。半分でもいいいから入っていればなあと思う。人のぬくもりがない、死んだ世界みたいな。演奏がいくら素晴らしくても跳ね返ってくるものがなければ虚しい。それでもO澤S爾氏が指揮したときよりはずっと良い。あのときは彼を嫌ったウイーンフィルの正規のメンバーがたくさんおりてしまって、エキストラだらけだったそうなのだ。大金が動いて彼が指揮者の座を獲得したけれど結局うまく行かなかった。こんなことを言うと明日からは日本中敵だらけになりそうね。

その時のテレビを見ていた私は半分くらいで嫌になって、電源を切った。次の日、仕事場に行ったら皆が口を揃えて「ひどかったね」それでも日本国内では評判が良くてCDがたくさん売れたそうだけれど。あんなに人の首根っこ押さえつけてワルツを彈かせようとする指揮は初めて見た。学生じゃあるまいに立派な伝統を持ったオーケストラのメンバーに対してあの振る舞いは今でも腹が立つ。ドン・ジョヴァンニでブーイング続発の意味がよく分かるというもの。

調べてみたら次の年はニコラス・アーノンクールでした。ホッとしたのをよく覚えている。ロリーン・マゼールなどは自分が楽しみすぎて「ちょっとやりすぎじゃない?」と言いたくなるけれど、楽しかった。その前のカラヤンのときは流石に素晴らしかった。彼はベルリンでは帝王でもウイーンではウイーンっ子の魂を尊重する。本当に名指揮者なんだなあと。

ズービン・メータが数回指揮をしている。彼の名前を聞くと胸がズキンとする。ある年、世界オーケストラが日本でマーラーの5番を演奏するので参加しないかというオファーがきた。その時あまりにも忙しく、それを受けるとスケジュールがエライことになるという時期。迷った挙げ句断ってしまった。その時の指揮者がメータだったのだ。やっておけばよかった、未だに後悔している。







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