湯沸かしポット型の加湿器の蓋を開けて覗くと、あらま、なんだか汚い。妙にお湯が濁っている。これはどうして?考えたら先日、コロナにはお茶の殺菌作用が有効とどこかで聞いたので、水の代わりにペットボトルのお茶をドボドボ入れてみた。お茶の殺菌力が部屋中に広がると思って。その後中を洗わずそのままお湯を沸かしていたら、茶葉の残滓が溜まっていたらしい。いくらお茶に殺菌力があるとはいえ、これはもう殺菌ではなく育菌でしかない。只今、クエン酸でポットを洗浄している。
コロナ対策のことで政治家をさんざん批判していたけれど、家事の得意な人から見たら、私のやることなすこと馬鹿だと思うでしょう。本当に常識がないというか・・・
ペットを洗って乾かすのに電子レンジに入れて死なせてしまった人のニュースなど聞くと、なんてまあ非常識なと思うけれど、それに等しいことを自分でやっている。自分の想像力の範囲は他人との付き合いによって培われていく。ところがネットで手軽にピンポイントで調べてわかったような気になっていると、一方の面からしか物事が見られない人間になってしまう。それが問題なのだ。
今、マスク着用を拒否する人がいて問題になっている。それはつける側の自分からしかものを考えないから。自分がそうしたい、けれど社会的に見ればもしくは地球的な面から見れば自分の考えはエゴにすぎないと、どうしてわからないのかしら。自分がそうしたいなら、他人の全くいない場所で暮らすべきなのに。逮捕されてわかったのは、日本の最高学府のご出身だそうで、あ~あ。こういう人が学歴だけで社会的にのし上がっていく。そしてエリートは何をしてもいいと、夜中に銀座にでかけていくのだ。営業の相談に乗っていたって?
相手はきれいな着物を着た人かな?仕事なら昼間やるべきでは?
他人と会話することがどれだけ大切かということをわからないといけない。確固たる証拠もないのにあおり運転の加害者として名前や会社名をさらされた人がいる。ネットで晒されたら、後で無実が証明されても永久にネット上に記録が残る。この理不尽さはどうにかできないのだろうか。自分が匿名だからいいたい放題、他人との会話なら否定されたり訂正されたりできるけれど、一方的に流された情報は手がつけられない。ロッシーニ「セビリアの理髪師」のなかに「噂はそよ風のように」というアリアがあるけれど、いまやそよ風ではなく、山火事のように広がってしまうのだ。
加湿器のポットからは今クエン酸の蒸氣がそよ風のようにあがっている。これで部屋も殺菌できるのだろうか。それなら炭みたいにニオイ消し作用のあるものなど入れたらどうかとか、危険な素人考えをしている。これはきっと取扱説明書に書いてあるに違いない。けれど、取説読まない私にとっては自分で使って見ないとわからない。使ってみってその挙げ句事故ったりして。自業自得だから誰も恨みませんよ。
どうして取説が読めないかというと、あれを書いた人は世の中がこれほどおバカさんに満ち溢れているということを知らないから。
以前空気清浄機のフィルターを換えようとして取説に従って作業していたけれど、フィルターのフタがどうしても開かない。それは蓋を水平に持ち上げればいいのに、取説の絵にはカーブした矢印が描かれていたから。だから私は蓋は一方が蝶番のようになっていて、片方だけを持ち上げてドアのように開くものだと勘違い。両方同時に持ち上げればいいのに、その蝶番の部分を探して苦労しました。普通に上下させれば開くのに、どうして片方だけカーブした矢印を書くのか理解に苦しんだ。一般の人がそれを理解できるということが理解できないのだ。
ノートパソコンの蓋が開けられないことがあった。蓋についている製品名のロゴを自分側から見て開けようとしたら開かない。すったもんだの挙げ句、ロゴを自分側から逆さまに見ないといけないことにやっと気がついた。どうしてかというと、蓋を開けたときに向こう側にいる人にロゴが正しく読み取れるようになっているのだと。最初に正しいと思っていた向きに蝶番がついているのが不思議で不思議でたまらなかった。なにも他人に自分の使っている器械の製品名なんて見せなくてもいいのにね。
ヴァイオリンの名器を持っている人などは、楽器の横板にストラディバリウスなんて書いてあると嬉しいかもね。裏板だと見えないから表板にお客さんから読めるように書いておくのもいいかも。自分から見て逆さまに書かないといけないから、たまには楽器を逆さまに構える演奏者が出てくるかも・・・んなわけないか。
いや、でも生まれてはじめてヴァイオリンを持つ人ならあるいは・・・グフフ
。
0 件のコメント:
コメントを投稿