2021年1月20日水曜日

忘れられるといけないので

 毎日コロナの情報ばかり聞いていると、世の中がどんよりとしてきた。最近このブログにも書く材料がなくなってきて、誰とも話さない、野良猫とうちの猫との仲を取り持つにはどうしたらいいかとか、どこで買い物すれば安全かとか建設的でないことばかり考えている。

まだ先の話でコンサートの準備があるのだけれど、私が人選から曲目やプログラムのことを一切任された。それでいつも忙しくて中々捕まらない人に声をかけたら皆暇で、あっさりと出演の承諾をしてもらえた。だがしかし・・譜読みのために集まったら皆さんぼんやりして、反応がいまいちなのだ。この私がまずおかしい。いつもなら練習大好きで生き生きとしているのに1時間もするともうダウン。少しでも休憩すると皆せっせと窓を開けて外の空気を吸っている。そのために使うので音楽まで神経が行き亘らない。

初日だからのんびりとやっていたけれど、こんな状態だと本番怖いだろうなと思う。最近緊張するのがどんなことだったか忘れている。いざステージに立っていきなり緊張したら、もう取り返しがつかないほどあがってしまって収拾がつかないかもしれない。最初の計画では2000席の大ホールが満席になる予定だった。それを聞いてすごく嬉しかったのだが、今の状況がこの先続けば無観客の演奏会になってしまう。コロナの闇はいつまで続くのか。

今頃になってオリンピックが中止になるとかならないとか騒いでいる。とっくにそんなことは考えられることだったのに。遅れれば遅れるほど経費がかかるのに。GO TOが感染を拡大させるであろうことだって、最初からわかっていたのに。と、グチグチ文句がでるばかり。

毎日ヴァイオリンの練習は欠かさないけれど身が入らない。気がつくとテレビのリモコンが手に握られている。テレビは超絶つまらないしコロナのニュースはもううんざりだから、PrimeVideoを毎日見ている。イギリスのものが好きでG.K.チェスタートン原作の「ブラウン神父シリーズ」数日かけて全部見終わったので今は「シェークスピア・ハサウエイ」の探偵ものをぼんやりと見ている。シェークスピアの生誕地と言われるストラスフォード・アポン・エイボンとブラウン神父の舞台のコツオルズの景色を懐かしく思い出す。

先年イギリスに行って、フォルクスワーゲンのゴルフを借りてロンドンとその郊外を走り回った。特にコツオルズは3日間滞在して広大な丘陵地帯をドライブし、靴底のようなビーフステーキを噛り、寒々とした墓地のそばのパブでホットブランデーを飲んだり、地味ではあったけれど、心に染み入るような旅行だった。考えてみると子供の頃からイギリスの映画が好きだった。アメリカの映画は楽しくてきれいだけれど、ヨーロッパ映画のフランス・イタリア・イギリスなどのもののほうが私の琴線に触れるのだ。イギリスの思い出は日を経て私の中で膨らんでくる。亡きピアニスト、美智子さんの面影とともに忘れることができない。彼女の夫のリチャードとはスイスで一緒にスキーをしようと話していたのに、儚く夢になってしまった。ロンドンに行けばそこから彼がスイスまで連れて行ってくれると言っていたけれど、残念だなあ。彼は今頃どうしているだろうか。ハンガリー人のタマーシュ・アンドラーシュ、彼の奥さんのジェニファ、彼らは子供が生まれたそうだ。チェリストのトーマス・キャロルのあの素晴らしい音は忘れられない。会いたいなあみんなに。

早くコロナが終わって自由に海外に行ける日を待ち焦がれている。以前はパソコンに向かうと楽しいことがどんどん浮かんできて、このブログに書ききれないほどの話題があって、笑いながらキーボードを叩いていた。今は少ない画面を埋めるのが精一杯で、特に物忘れは日に日に増大している。このままだと私は先祖返りしてしまう。以前なら、そうなればコロナに罹らないで済むと言えたかもしれないけれど、海外ではゴリラも感染したそうなので、もはやすべてののぞみはなくなった。それでもなにか書かないと忘れられてしまいそうなので少ない話題を絞り出して書いている。世間では言っているかも。「ねえ、nekotamaさんってこの頃ブログもご無沙汰だけど、生きているのかしら」「いえいえ、とっくに亡くなってるんじゃないかしら」「とんでもないあの人が死ぬものですか、ほら、よく言うじゃない、憎まれっ子なんとかって」そんなふうに言われないように歯を食いしばって書いておりますぞ。残り少ない歯磨き剤をチューブから絞り出すようにね。

楽しみといえば毎日ノラが我が家に1時間ほど昼寝にくること。温かい床と日差しが嬉しいらしく、うちの猫の爪とぎに横になって居眠りをしている。その間うちの猫は押入れにおこもり、その時間はその部屋のドアを締めてしまうので家の猫はでてこない。早く仲良くなってほしいけれど、多分それは無理なのだ。なぜかといえば、ノラは非常に賢くて臆病。その御蔭で長年ノラとして無事に過ごして来たので、性格が変わらない限りうちの猫との共存は無理だと思う。私との関係だって数年もかかってようやく友人扱いしてくれるようになった。今でもうっかり手を出せば爪を立てられる。自分の愛情が伝わらないのが少し悲しい。彼女もわかっているのだけれど、人を無条件で受け入れるには今まで苦労しすぎたのだ。愛されて育った子は勇気があるけれど、愛されずに育った子は臆病で人を信用しないのが哀れ。










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