2021年1月1日金曜日

静寂

 目が覚めたら元日の朝8時。こんなに眠ったのは久しぶり。

改めてあけましておめでとうございます

いつもなら夜中に必ず一回は目が覚めるのに、一度も目がさめなかった。起きても頭がふらつく。夜中に目覚めるときは本当にスッキリとしているので寝起きは良いほうだと思っていたけれど、こんなにぼんやりしているのは若い頃の目覚めのようだ。若い頃は半日くらいぼんやりして午前中不機嫌で、周りがハラハラ。ねえ、もうそろそろ話しかけてもいい?なんて言われたものだけれど。

昨日を境に急に若返ったかな?うんにゃ、そんなことはない。また一年、年を重ねて行くのだから。それより、これはいかん!ノラが空腹で足踏みしながら待ち構えているだろう。あわてて階段を降りて駐車場へ飛んで行くと、いつもならじっと待っているのにいない。あたりはシーンとして、いつもなら犬を連れた人や道を掃いている人たちでにぎやかな桜並木には人っ子一人いない。ああ、これが熟睡の原因だったのだ。

上の階の住人もそのお隣もいないので、この建物には私と猫だけ。他の物音もなく静まり返っているから、目が覚めなかったのだ。これほど世の中には音が充満しているとは、静かになって気がついた。いつも6時ころにはおしゃべりをしながら連れ立って散歩をする人たち、飼い犬を大声で怒鳴りつける人、道を掃きながら大声で通りかかる人たちと会話するおばさん。夜中といえど、車やスマホで話しながら歩く人達が通る。それほど大きな音とは思っていなかったけれど、今朝の静かさをみると、相当な音量だったのだ。

以前私がよく訪れた谷中にあるお宅。谷中は寺町で墓地があったりするので、通りから一本裏道に入るとほとんど騒音が聞こえない。その家には高齢のピアニストが住んでいて、私を随分可愛がってくださった。彼女は芸大を出てからご主人の仕事の関係で長くアメリカに住んでピアノの勉強をしてきた。私は彼女のピアノが大好きで、音も音楽性も本当に素晴らしかった。練習を終えると庭に面したリビングに通されて、お茶やときにはお食事を頂いた。高い塀に囲まれた手入れの良い庭、空の様子を眺めながら座っているとなんの音も聞こえない。「ここへ来るといつもお正月みたい」私はよく彼女にそう言ったものだった。

ご主人は陽気な方で、物静かな奥さんとは対象的だった。素敵なご夫婦もご主人が亡くなってその後、年賀状のやり取りだけになり、それもある年からぱったりと途絶えてしまった。今あの家は誰が住んでいるのかしら。お子さんがいなかったから、時々お目にかかった姪御さんが住んでいるのかな。私の大切な友人の思い出は、いつも正月のように静まり返ったあの家の静寂とともにある。








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