GROUP"Largo"のピアノコンサートはすこし雨模様だったものの、台風雨の影響もなく無事終了。
国立音大並びに大学院の元教授の芝治子門下生によるこのコンサートは、毎年代々木上原のムジカーザで行われる。
この門下生たちが皆、とても美しい女性たちで、しかもすごく上手い。
長く艶やかな黒髪を背中までさげて、プルンプルンしない引き締まった二の腕を惜しげもなく見せて・・・若さっていいなあ。
揃いも揃って美人ばかり。
その中に毎年混じって弾くのは相当勇気が必要です。
今日も持っていったドレスがついこの間まで緩かったのに、楽屋で着てみたらお腹周りに皺が寄る。
あらま、僅かな間に又太ったんだわ。
私は二の腕が振り袖状なのでいつも長袖。
かつてはストラップだけのドレスで思いっきり腕も背中も出していたのに。
お腹だってピッタリしたタイトのドレスを着ても気にならなかった。
背中も弛んだ肉がはみ出したりしなかった。
ああ、残念。
青春を返せ!!
昨日までは随分心配した。
台風が関東地方に上陸した頃、コンサートが始まったら遠くから来る出演者が帰れなくなる。
下手したら、私だって危ない。
今日終演後大きなトランクを持って帰る人がいた。
どこから来たのかと尋ねたら、岡山からだそうで、無事に新幹線が動いて帰れたのかしら。
台風はと言えば、途中で少し雨脚が強くなったものの、終演時には小止みになっていた。
音大卒業後、演奏家として活躍できる人は数少ない。
まして地方の実家に帰ったり、結婚して転勤があったりして東京を離れてしまい先生稼業が忙しくなると、演奏活動もままならない。
それなのに、このグループのメンバーがとても水準が高いのはどうしてなのか。
それは指導者が率先して演奏しているからなのかもしれない。
実際私だって彼女に引きずられて、コンサートをやめないでいるのだから。
もう限界だと思っているのに、同級生が現役でいるのではやめる言い訳がない。
彼女がやめようよといえば、明日にだって私は楽器を放り投げてしまう。
しかし敵はしぶとい!
やめる気配すらない。
それどころか、練習したら弾けるようになったわと言って、猛烈な速さで弾くから、私はよろよろと後を追う。
もう年なんだからいい加減にしなさい。
とりあえず、今年の夏の予定は21日の古典音楽協会の定期演奏会で終わる。
今年前半は私にとって大変な日々だった。
友人たち、猫たちとの悲しい別れや、夏のコンサートのための準備、その間にまだ縁が切れない仕事、そして又親族、友人の逝去等々、次々に襲ってくる波に飲まれそうになる。
悲しいことが沢山あって、さすがの私も笑ってばかりいられないことも多かった。
しかし、年をとるということは中々うまくしたもので、若い頃のように感情に溺れないでいられるようになった。
猫を沢山飼っていたので、猫の死にも真正面から向き合えるようになった。
ひいては自分の未来にも同じことが当てはめられる。
自分の終末を心配していたけれど、最近は好きなことを目一杯やってから、あとのことは考えようという覚悟ができた。
今年後半は11月に2つのコンサート。
苦労でもあり楽しみでもある。
とりあえず来年、もう一度コンサートをやったら気が済むのではないかと思う。
全部モーツアルトのプログラムなんて計画がムラムラと湧いてきて・・・
私の人生にモーツアルトがいてくれて良かった。
彼のお陰で世の中が輝いて見える。
2017年9月16日土曜日
台風
今週末、大型の台風が上陸するかもしれないという。
日曜日は代々木上原のムジカーザで演奏する予定なのに、ちょうどその頃に風雨宴たけなわらしい。
さて、どうしよう。
車で行く予定だったけれど、ムジカーザの駐車場は坂道の途中から地下に降りていく。
そこにゲリラ豪雨が襲ってきて水浸しにならないかしら。
私の出番は遅い午後。
リハーサルは早い午後。
出番までの時間は、元いた渋谷の音楽教室に行ってコーヒーを飲ませてもらうのが毎年のことだったけれど、辞めた講師がノコノコ現れても歓迎してくれる良い教室。
でも今回は猛風雨の中を歩いていくようではずぶ濡れ。
昨日美容院に行って綺麗にカラーを入れてきた甲斐もなく、ザンバラ髪になってしまう。
化粧は剥げ落ち・・・もっとも化粧はほとんどしない。
美貌に自信があるからではなく、なにをしてもどっちみち綺麗にはならないから。
口紅もしょっちゅう行方知れず。
ある時テレビ局に行って、本番前に口紅を忘れたことに気がついて、売店に買いに行った。
化粧品売場の女性に「口紅ください」と言ったら「色はどうします?」
「何でもいいの、ついていれば」と言ったら血相変えて怒られた。
「何でもいいじゃありません」息を弾ませているのでびっくり。
お化粧にこれだけ入れ込める人もいるのかと感心した。
それでも最近のネット動画で化粧で化ける過程を撮ったものを見ると、なるほど。
最初と最後では全く別人になる。
こんなに綺麗になるなら、命がけでお化粧する気持ちもよくわかる。
化粧で騙されて結婚したら、次の朝別人がいたという書き込みも時々見るけれど、動画を見る限り大げさでもなんでもなく、本当のことかなあと思う。
仕事仲間にそれはそれは美しい人がいた。
彼女はテレビ局に来ると、真っ先に洗面所へ直行。
中々出てこない。
たぶん髪の毛の具合、お化粧直しなど入念にチェックしているに違いない。
化粧でごまかすのではなく骨格が綺麗で、いつ見ても完璧!
それでも彼女は単に顔がきれいというだけではなく、廊下などで知り合いに出会ったときにきちんと立ち止まってお辞儀をするという。
私のように通りすがりに「やあ」などとは決して言わない。
そういう礼儀正しさがおじさんたちのハートをギュッと鷲掴みにしているようだ。
ある時、コンサートマスターが楽器のケースをあけて「あ、楽器が入ってない」と間の抜けた声を上げたことがあった。
家を出る直前まで練習をしていて、しまい忘れて出てきたらしい。
私は彼の隣でお腹を抱えて大笑いした。
テレビ局は幸いにもヴァイオリン工房のたくさんあるエリアだったから、楽器屋さんに借りて仕事は事なきを得た。
あとで私はさんざんコンマスに責められた。
礼儀正しく美しい人はSさんというのだけれど「あの時Sさんだったら優しく慰めてくれただろうにnekotamaさんはあんなに笑ってひどい」
「しかもみんなに告げ口したでしょう?休憩時間にロビーに出たらもうみんな知っていて恥をかいた」とも。
言っておきますが、私は休憩時間まで笑っていて、他の人とは口をきいていませんよ。
あの時の彼のなんか気の抜けた声を思い出すと、いまだに笑いがこみ上げてくる。
あらら、台風の話がとんでもない方に逸れてしまって・・・
明日、台風の方が逸れてくれるのを祈るばかり。
日曜日は代々木上原のムジカーザで演奏する予定なのに、ちょうどその頃に風雨宴たけなわらしい。
さて、どうしよう。
車で行く予定だったけれど、ムジカーザの駐車場は坂道の途中から地下に降りていく。
そこにゲリラ豪雨が襲ってきて水浸しにならないかしら。
私の出番は遅い午後。
リハーサルは早い午後。
出番までの時間は、元いた渋谷の音楽教室に行ってコーヒーを飲ませてもらうのが毎年のことだったけれど、辞めた講師がノコノコ現れても歓迎してくれる良い教室。
でも今回は猛風雨の中を歩いていくようではずぶ濡れ。
昨日美容院に行って綺麗にカラーを入れてきた甲斐もなく、ザンバラ髪になってしまう。
化粧は剥げ落ち・・・もっとも化粧はほとんどしない。
美貌に自信があるからではなく、なにをしてもどっちみち綺麗にはならないから。
口紅もしょっちゅう行方知れず。
ある時テレビ局に行って、本番前に口紅を忘れたことに気がついて、売店に買いに行った。
化粧品売場の女性に「口紅ください」と言ったら「色はどうします?」
「何でもいいの、ついていれば」と言ったら血相変えて怒られた。
「何でもいいじゃありません」息を弾ませているのでびっくり。
お化粧にこれだけ入れ込める人もいるのかと感心した。
それでも最近のネット動画で化粧で化ける過程を撮ったものを見ると、なるほど。
最初と最後では全く別人になる。
こんなに綺麗になるなら、命がけでお化粧する気持ちもよくわかる。
化粧で騙されて結婚したら、次の朝別人がいたという書き込みも時々見るけれど、動画を見る限り大げさでもなんでもなく、本当のことかなあと思う。
仕事仲間にそれはそれは美しい人がいた。
彼女はテレビ局に来ると、真っ先に洗面所へ直行。
中々出てこない。
たぶん髪の毛の具合、お化粧直しなど入念にチェックしているに違いない。
化粧でごまかすのではなく骨格が綺麗で、いつ見ても完璧!
それでも彼女は単に顔がきれいというだけではなく、廊下などで知り合いに出会ったときにきちんと立ち止まってお辞儀をするという。
私のように通りすがりに「やあ」などとは決して言わない。
そういう礼儀正しさがおじさんたちのハートをギュッと鷲掴みにしているようだ。
ある時、コンサートマスターが楽器のケースをあけて「あ、楽器が入ってない」と間の抜けた声を上げたことがあった。
家を出る直前まで練習をしていて、しまい忘れて出てきたらしい。
私は彼の隣でお腹を抱えて大笑いした。
テレビ局は幸いにもヴァイオリン工房のたくさんあるエリアだったから、楽器屋さんに借りて仕事は事なきを得た。
あとで私はさんざんコンマスに責められた。
礼儀正しく美しい人はSさんというのだけれど「あの時Sさんだったら優しく慰めてくれただろうにnekotamaさんはあんなに笑ってひどい」
「しかもみんなに告げ口したでしょう?休憩時間にロビーに出たらもうみんな知っていて恥をかいた」とも。
言っておきますが、私は休憩時間まで笑っていて、他の人とは口をきいていませんよ。
あの時の彼のなんか気の抜けた声を思い出すと、いまだに笑いがこみ上げてくる。
あらら、台風の話がとんでもない方に逸れてしまって・・・
明日、台風の方が逸れてくれるのを祈るばかり。
2017年9月12日火曜日
キンチョーの夏・緊張の秋
今どきキンチョーの蚊取り線香でもないけれど、懐かしい夏の定番。
すだれ、打ち水、スイカ・・・縁側の夕涼みなんて、もう殆ど見かけない。
見かけないどころか、縁側のある家は少なくなった。
子供のときに住んでいた家は、近所の悪ガキたちがお化け屋敷と呼ぶような荒れ果てた家だった。
生け垣はところどころ破れ、前庭よりも広い裏庭は竹やぶ、びわの木の林で、戦後の一時期にはどこの誰とも知らない人がテントを張って住み着いていたそうだ。
生け垣の破れは居住者に責任があって、あまりにもだだっ広いから駅から来たら西側の生け垣の隙間から無理やり入る。
それでだんだんとそこが通り道になる。
正式の門は南側にあるけれど、駅の方から帰ってくると遠回りだから生け垣のまばらなところをこじ開ける。
西側の縁側は風の通り道となっていて涼しい上にひと目につかないから、そこで私達姉妹はシュミーズ一枚となってゴロゴロ昼寝をしていた。
もちろんキンチョーの蚊取り線香はいつも燻っていた。
ある日、西側の生け垣の破れ目からおまわりさんが入って来て、驚いた私たちは「ヒエ~!キャー!」と騒いで蜘蛛の子を散らすように逃げた。
おまわりさんも驚いて「あー、逃げないで大丈夫ですよ」
なぜ警察官なのにちゃんとした門から入らないのかと、あとで腹を立てながらも大笑い。
おまわりさんもびっくりしたことだろう。
その後は警戒して、下着で昼寝をすることは避けるようになった。
その西側の廊下は昼寝の場所でもあり、父がなにやら機械の開発をしていて、その実験場所でもあった。
洗濯機の開発をしていた頃は、ゴトゴト音がして、数人の男の人達がなにか相談しながら
器械を動かしていた。
学校の勉強はおよそしたことがなかったけれど、日記をつけ、工作や読書するのもその縁側で。
子供時代の懐かしい夏の思い出。
今は夏中クーラーつけっぱなしで窓を開けないから、蚊も入ってこない。
蚊取り線香の出番はなくなって、日本の夏も随分変わった。
合宿が終わってやれやれと思うと、この9月に本番が2つ。
それで私は非常に緊張している。
もう若者と遊んでいる暇はないのだ。
17日に1つ終わるとその次は21日。
間が4日間しかないのはちょっときつい。
自分でできると思ってそうしたのが、今頃になって心配になってきた。
こんなに緊張していると体にわるいと思うのだけれど、緊張しないでいられるときは、なんだかだるくていけない。
多少ストレスがあったほうが面白い。
これはもう修羅場を好む性格のせいなのか、前世からの因縁なのか。
それでも最近は、もう、ヤダ!そろそろ止めたほうが良い、と毎日考えている。
と言いながら、すでに来年の予定もはいっているのが恐ろしい。
すみませんが、もう私をおだてたり励ましたりしないでくださいな。
おだてりゃすぐに木に登るから。
励まされると頑張らなきゃと、すぐに調子に乗る方なので。
9月17日(日)GROUP"Largo"15時開演 ムジカーザ(代々木上原)
ピアノの芝治子門下生の優秀な若手に混じって、ヨボヨボの私、肩身がせまい。
私の出番は最後だから時間が読めないけれど・・・17時30分過ぎるかも。
9月21日(木)古典音楽協会定期演奏会 19時開演 東京文化会館小ホール
~ドイツの巨匠テレマンとJ.S.バッハ~
テレマン:2つのヴァイオリンの協奏曲
テレマン:オーボエ・ダモーレ協奏曲
テレマン:組曲「ラ・リラ」
J.S.バッハ:チェンバロ協奏曲
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第4番
書いているだけでクラクラする。ああ、しんど!!!
そういえばアルシンドというサッカー選手がいて、私は彼の大ファンだった。
サッカーのファンでもないのに。
すだれ、打ち水、スイカ・・・縁側の夕涼みなんて、もう殆ど見かけない。
見かけないどころか、縁側のある家は少なくなった。
子供のときに住んでいた家は、近所の悪ガキたちがお化け屋敷と呼ぶような荒れ果てた家だった。
生け垣はところどころ破れ、前庭よりも広い裏庭は竹やぶ、びわの木の林で、戦後の一時期にはどこの誰とも知らない人がテントを張って住み着いていたそうだ。
生け垣の破れは居住者に責任があって、あまりにもだだっ広いから駅から来たら西側の生け垣の隙間から無理やり入る。
それでだんだんとそこが通り道になる。
正式の門は南側にあるけれど、駅の方から帰ってくると遠回りだから生け垣のまばらなところをこじ開ける。
西側の縁側は風の通り道となっていて涼しい上にひと目につかないから、そこで私達姉妹はシュミーズ一枚となってゴロゴロ昼寝をしていた。
もちろんキンチョーの蚊取り線香はいつも燻っていた。
ある日、西側の生け垣の破れ目からおまわりさんが入って来て、驚いた私たちは「ヒエ~!キャー!」と騒いで蜘蛛の子を散らすように逃げた。
おまわりさんも驚いて「あー、逃げないで大丈夫ですよ」
なぜ警察官なのにちゃんとした門から入らないのかと、あとで腹を立てながらも大笑い。
おまわりさんもびっくりしたことだろう。
その後は警戒して、下着で昼寝をすることは避けるようになった。
その西側の廊下は昼寝の場所でもあり、父がなにやら機械の開発をしていて、その実験場所でもあった。
洗濯機の開発をしていた頃は、ゴトゴト音がして、数人の男の人達がなにか相談しながら
器械を動かしていた。
学校の勉強はおよそしたことがなかったけれど、日記をつけ、工作や読書するのもその縁側で。
子供時代の懐かしい夏の思い出。
今は夏中クーラーつけっぱなしで窓を開けないから、蚊も入ってこない。
蚊取り線香の出番はなくなって、日本の夏も随分変わった。
合宿が終わってやれやれと思うと、この9月に本番が2つ。
それで私は非常に緊張している。
もう若者と遊んでいる暇はないのだ。
17日に1つ終わるとその次は21日。
間が4日間しかないのはちょっときつい。
自分でできると思ってそうしたのが、今頃になって心配になってきた。
こんなに緊張していると体にわるいと思うのだけれど、緊張しないでいられるときは、なんだかだるくていけない。
多少ストレスがあったほうが面白い。
これはもう修羅場を好む性格のせいなのか、前世からの因縁なのか。
それでも最近は、もう、ヤダ!そろそろ止めたほうが良い、と毎日考えている。
と言いながら、すでに来年の予定もはいっているのが恐ろしい。
すみませんが、もう私をおだてたり励ましたりしないでくださいな。
おだてりゃすぐに木に登るから。
励まされると頑張らなきゃと、すぐに調子に乗る方なので。
9月17日(日)GROUP"Largo"15時開演 ムジカーザ(代々木上原)
ピアノの芝治子門下生の優秀な若手に混じって、ヨボヨボの私、肩身がせまい。
私の出番は最後だから時間が読めないけれど・・・17時30分過ぎるかも。
9月21日(木)古典音楽協会定期演奏会 19時開演 東京文化会館小ホール
~ドイツの巨匠テレマンとJ.S.バッハ~
テレマン:2つのヴァイオリンの協奏曲
テレマン:オーボエ・ダモーレ協奏曲
テレマン:組曲「ラ・リラ」
J.S.バッハ:チェンバロ協奏曲
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第4番
書いているだけでクラクラする。ああ、しんど!!!
そういえばアルシンドというサッカー選手がいて、私は彼の大ファンだった。
サッカーのファンでもないのに。
2017年9月10日日曜日
合宿
音楽教室「ルフォスタ」の弦楽アンサンブルはメンバーも定着して、水準が上がってきた。
今年も合宿。
なんでもそうだけど、長年続けるのが1番難しく、大抵は途中で内輪もめが起きて崩壊するのが常なのだが、今のところこのアンサンブルは非常にうまくいっていて、メンバーが変わらない。
それが最大の強みと言える。
やっとまとまってきたところに誰かがやめて新しい人が入ってくると、最悪最初からやり直しとなるけれど、その点はとても恵まれている。
なにが良いかというと、メンバーそれぞれは強烈な個性を持ちながら、うまくバランスが取れていること。
家族の中で両親、兄弟などがそれぞれの居場所があると同様、この集まりも分担が自然と決まっていて、絶妙に配置されている。
このアンサンブルの生みの親はGさん。
某大学でも最難関の学部の出身なので、頭の良さ・・・特に記憶力に優れ、生真面目でメンバーの信頼を一身に集めて「兄貴」と慕われている。
メンバーの束ね役。
ヴァイオリンとチェロのYサン夫婦は主に宴会に関するまとめ役。
練習後の飲み会の場所の決定、合宿のときに飲むお酒の選定、食物の手配。
いかに場を楽しく盛りたてるかに命がけの二人。
今回も結婚したてのメンバーを喜ばすために、飲み会の演出に奔走した。
新婚さんは満面の笑顔。
コンサートマスターはのんびり屋のSさん。
なにが起ころうと自分のペースを守るから、遅刻の常習犯。
それでも私に毎回チクチクと怒られて、だいぶ遅刻が減った。
彼の1番の特徴は音の美しさ。
これを聴くと私の怒りは静まってしまう。
このメンバーの他は優しく優雅なご婦人たち。
彼女たちが絶妙な緩衝材となって、問題が大ごとにならない。
よくもこれだけうまく人が集まったものだと、感心する。
今回は去年結婚したメンバーに赤ちゃんが出来て、心配したご主人が奥さんのサポートで参加。
家族ぐるみのお付き合いも盛んで、全体がファミリーのような集合体になってきた。
毎年秋の発表会の前に、石打丸山スキー場の中にあるマンションで総仕上げの合宿をするのが恒例となっている。
今年も昨日から今日の昼まで、練習に次ぐ練習。
今年の演しものはチャイコフスキーの弦楽セレナーデからフィナーレ。
チャイコの弦セレと呼ばれるこの曲を弾きたいと言って来たときには、断固拒否した。
まだあなた達には無理!
もう少し易しいものをしっかりまとめた方が基礎的な力がつくから、高望みはしないでと言ったものの、アマチュアのアンサンブルにとってこの曲は、究極の憧れらしい。
結局決定権は彼らにあって、トレーナーはその都度変わるから彼らに任せるしかない。
発表会で全曲弾くことは出来ないから、一つの楽章ずつ、一歩一歩。
今年はついにフィナーレにたどり着いた。
そしてその間の彼らも目に見えて進歩してきた。
アンサンブルを始めた頃は、アンサンブルの何たるかもわからず、ただ集まって一緒に弾いて一緒に終わって、さあ、飲みに行こう。
わーい、楽しいなあ。
そんなノリだった。
練習中におしゃべりをする、練習時間に遅刻するのは当たり前。
全く周りの音を聞かないから、ずれているのにも気がつかない。
注意しようとして止めているのに、それすら気がつかず、いつまでも弾いている。
あんまり頭にきたから「上手いオーケストラと下手クソの違いはね」と話した。
1流は指揮者が棒を振るのをやめると同時に音が止んで指示をまつ、2流は指揮者が棒を振るのをやめても気が付かず弾いている。
3流になると周りが弾くのをやめても気が付かないでいつまでも弾いている。
あなた達はそれよ!
言われてもかれらはどこ吹く風。
いつも楽しそうに集まってくる。
土曜日、越後湯沢駅に集合して釜飯屋さんで昼食。
そこから石打丸山にある巨大なマンションへ向かう。
このマンションは一時期スキー場にニョキニョキと建てられたバブルの遺産。
プール、温泉、コンベンションホール、ヴィップルームなど、広い敷地にゆったりとした間取りで贅沢に設計されている。
9月に入ったので、土日と言っても宿泊客の姿は少なく閑散としている。
ここに居住するNさんはこのアンサンブルのメンバーで、スキーの名手。
スキーを極めたいために早々と仕事をやめ、もっぱら旅行とスキーに明け暮れるという結構なご身分。
世の中にはこういう幸せな人もいるのだと、羨ましく思う。
彼がマンションのヴィップルームを提供してくれるおかげで、毎年の合宿ができる。
なんでもそうだけど、一つのことが極められる人は全てにおいて努力を惜しまない。
アンサンブルではチェロを弾いているけれど、最初の頃は心もとなかった彼が今や堂々たるチェロ弾きに成長。
午後から地獄の特訓が始まって、たっぷりしごかれたメンバーは練習後、駅近くの店に繰り出して乾杯。
練習の後のビールは特別な味がする。
その後は部屋に戻って話が弾む。
ここからが飲み会本番。
夜中いっぱい騒いで飲んで翌朝9時から2日目の練習。
仕上げはとても満足のいく出来栄えで、皆本当にうまくなったものと教師はウルウル。
努力も惜しまないけれど、楽しむこともとことん出来る彼らと一緒にいると、青春が一瞬戻った気がする。
今年も合宿。
なんでもそうだけど、長年続けるのが1番難しく、大抵は途中で内輪もめが起きて崩壊するのが常なのだが、今のところこのアンサンブルは非常にうまくいっていて、メンバーが変わらない。
それが最大の強みと言える。
やっとまとまってきたところに誰かがやめて新しい人が入ってくると、最悪最初からやり直しとなるけれど、その点はとても恵まれている。
なにが良いかというと、メンバーそれぞれは強烈な個性を持ちながら、うまくバランスが取れていること。
家族の中で両親、兄弟などがそれぞれの居場所があると同様、この集まりも分担が自然と決まっていて、絶妙に配置されている。
このアンサンブルの生みの親はGさん。
某大学でも最難関の学部の出身なので、頭の良さ・・・特に記憶力に優れ、生真面目でメンバーの信頼を一身に集めて「兄貴」と慕われている。
メンバーの束ね役。
ヴァイオリンとチェロのYサン夫婦は主に宴会に関するまとめ役。
練習後の飲み会の場所の決定、合宿のときに飲むお酒の選定、食物の手配。
いかに場を楽しく盛りたてるかに命がけの二人。
今回も結婚したてのメンバーを喜ばすために、飲み会の演出に奔走した。
新婚さんは満面の笑顔。
コンサートマスターはのんびり屋のSさん。
なにが起ころうと自分のペースを守るから、遅刻の常習犯。
それでも私に毎回チクチクと怒られて、だいぶ遅刻が減った。
彼の1番の特徴は音の美しさ。
これを聴くと私の怒りは静まってしまう。
このメンバーの他は優しく優雅なご婦人たち。
彼女たちが絶妙な緩衝材となって、問題が大ごとにならない。
よくもこれだけうまく人が集まったものだと、感心する。
今回は去年結婚したメンバーに赤ちゃんが出来て、心配したご主人が奥さんのサポートで参加。
家族ぐるみのお付き合いも盛んで、全体がファミリーのような集合体になってきた。
毎年秋の発表会の前に、石打丸山スキー場の中にあるマンションで総仕上げの合宿をするのが恒例となっている。
今年も昨日から今日の昼まで、練習に次ぐ練習。
今年の演しものはチャイコフスキーの弦楽セレナーデからフィナーレ。
チャイコの弦セレと呼ばれるこの曲を弾きたいと言って来たときには、断固拒否した。
まだあなた達には無理!
もう少し易しいものをしっかりまとめた方が基礎的な力がつくから、高望みはしないでと言ったものの、アマチュアのアンサンブルにとってこの曲は、究極の憧れらしい。
結局決定権は彼らにあって、トレーナーはその都度変わるから彼らに任せるしかない。
発表会で全曲弾くことは出来ないから、一つの楽章ずつ、一歩一歩。
今年はついにフィナーレにたどり着いた。
そしてその間の彼らも目に見えて進歩してきた。
アンサンブルを始めた頃は、アンサンブルの何たるかもわからず、ただ集まって一緒に弾いて一緒に終わって、さあ、飲みに行こう。
わーい、楽しいなあ。
そんなノリだった。
練習中におしゃべりをする、練習時間に遅刻するのは当たり前。
全く周りの音を聞かないから、ずれているのにも気がつかない。
注意しようとして止めているのに、それすら気がつかず、いつまでも弾いている。
あんまり頭にきたから「上手いオーケストラと下手クソの違いはね」と話した。
1流は指揮者が棒を振るのをやめると同時に音が止んで指示をまつ、2流は指揮者が棒を振るのをやめても気が付かず弾いている。
3流になると周りが弾くのをやめても気が付かないでいつまでも弾いている。
あなた達はそれよ!
言われてもかれらはどこ吹く風。
いつも楽しそうに集まってくる。
土曜日、越後湯沢駅に集合して釜飯屋さんで昼食。
そこから石打丸山にある巨大なマンションへ向かう。
このマンションは一時期スキー場にニョキニョキと建てられたバブルの遺産。
プール、温泉、コンベンションホール、ヴィップルームなど、広い敷地にゆったりとした間取りで贅沢に設計されている。
9月に入ったので、土日と言っても宿泊客の姿は少なく閑散としている。
ここに居住するNさんはこのアンサンブルのメンバーで、スキーの名手。
スキーを極めたいために早々と仕事をやめ、もっぱら旅行とスキーに明け暮れるという結構なご身分。
世の中にはこういう幸せな人もいるのだと、羨ましく思う。
彼がマンションのヴィップルームを提供してくれるおかげで、毎年の合宿ができる。
なんでもそうだけど、一つのことが極められる人は全てにおいて努力を惜しまない。
アンサンブルではチェロを弾いているけれど、最初の頃は心もとなかった彼が今や堂々たるチェロ弾きに成長。
午後から地獄の特訓が始まって、たっぷりしごかれたメンバーは練習後、駅近くの店に繰り出して乾杯。
練習の後のビールは特別な味がする。
その後は部屋に戻って話が弾む。
ここからが飲み会本番。
夜中いっぱい騒いで飲んで翌朝9時から2日目の練習。
仕上げはとても満足のいく出来栄えで、皆本当にうまくなったものと教師はウルウル。
努力も惜しまないけれど、楽しむこともとことん出来る彼らと一緒にいると、青春が一瞬戻った気がする。
2017年9月6日水曜日
チラシができました
秋の日のヴィオロンのため息の・・・・
少し早いけれど宣伝です。
川崎駅西口改札を出て左へ。
すぐにミューザ川崎への通路が左手に現れます。
通路の先はコンサートホールを含むミューザ川崎。
建物に入ると目の先に柔らかな光の通路があります。
それを渡りきってエスカレーターで4階へ。
左手はコンサートホール入り口、反対側が音楽工房の入り口。
受付をすぎて中に入るとすぐに左手にあるのが、市民交流室です。
そこでささやかなコンサートを開きます。
大好きなモーツァルト。
そして一番手強いのもモーツァルト。
ヴァイオリンとピアノのソナタの中でも唯一の短調のこの曲は、母親の命の終わりを予感させる緊張感に包まれています。
普段のはじけるような軽やかさは影を潜め、モーツァルトの曲の底に、いつもは隠されている深い悲しみが表に現れています。
2楽章までの短い曲ながら、名曲です。
ヴァイオリン・ソナタと言われますが、ヴァイオリン伴奏付きのピアノソナタとモーツァルトは考えていたらしいです。
ちなみにベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」もベートーヴェンはそのように言っています。
モーツァルトの同類とも言えると私は考えていますが、プロコフィエフは才気煥発。
人を驚かせるのが好きだったと言うのも頷ける、明快洒脱なソナタ。
フルートのために書かれたものを後にD・オイストラフの助言を受けてヴァイオリン用に書き換えたもの。
特にフルートという楽器の持つ伸びやかさが最初のフレーズに感じ取れます。
私はピエール・ランパルの演奏でこの曲を聴きましたが、それ以前にヴァイオリンのレオニード・コーガンの演奏も聴いているので、どちらかと言うとヴァイオリンで演奏したほうが面白いと思っています。(フルーティストの皆さん、ごめんなさい)
これは身びいきかもしれませんが・・・
コーガンの音を聞いたときに、全身鳥肌が経つほどの感動を受けたのが、このソナタ。
思えばまだヴァイオリニストを目指してもいなかった若い頃に、コーガンの音を聴いてしまったのが何かの導きだったかもしれません。
フランクのソナタは、室内楽の頂点とも言えます。
骨組みのしっかりしたドイツ的な構成が当時のフランスでは歓迎されなかったそうで、晩年に書いた弦楽四重奏曲によって初めて高い評価を受けました。
この弦楽四重奏曲はフランク最後の年に書かれたというのだから、こんな名曲を書いた人にしては実に不遇なことだと思います。
今ではあらゆるソナタの最高峰に燦然と君臨しております。
チラシの画像は紅葉。
はじめは枯れ葉をアレンジしたほうがと思ったのですが、製作者が、それではそのものズバリになってしまってあんまりだと、紅葉にしてくれました。
チラシばかり華やかにならないように、頑張ります。
でも、枯れ葉の下には新しい生命の息吹が隠れている。
虫たちが暖かく冬ごもり。
春になれば下に落ちた木の実が芽吹く。
なんかほっこりしますね。
少し早いけれど宣伝です。
川崎駅西口改札を出て左へ。
すぐにミューザ川崎への通路が左手に現れます。
通路の先はコンサートホールを含むミューザ川崎。
建物に入ると目の先に柔らかな光の通路があります。
それを渡りきってエスカレーターで4階へ。
左手はコンサートホール入り口、反対側が音楽工房の入り口。
受付をすぎて中に入るとすぐに左手にあるのが、市民交流室です。
そこでささやかなコンサートを開きます。
大好きなモーツァルト。
そして一番手強いのもモーツァルト。
ヴァイオリンとピアノのソナタの中でも唯一の短調のこの曲は、母親の命の終わりを予感させる緊張感に包まれています。
普段のはじけるような軽やかさは影を潜め、モーツァルトの曲の底に、いつもは隠されている深い悲しみが表に現れています。
2楽章までの短い曲ながら、名曲です。
ヴァイオリン・ソナタと言われますが、ヴァイオリン伴奏付きのピアノソナタとモーツァルトは考えていたらしいです。
ちなみにベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」もベートーヴェンはそのように言っています。
モーツァルトの同類とも言えると私は考えていますが、プロコフィエフは才気煥発。
人を驚かせるのが好きだったと言うのも頷ける、明快洒脱なソナタ。
フルートのために書かれたものを後にD・オイストラフの助言を受けてヴァイオリン用に書き換えたもの。
特にフルートという楽器の持つ伸びやかさが最初のフレーズに感じ取れます。
私はピエール・ランパルの演奏でこの曲を聴きましたが、それ以前にヴァイオリンのレオニード・コーガンの演奏も聴いているので、どちらかと言うとヴァイオリンで演奏したほうが面白いと思っています。(フルーティストの皆さん、ごめんなさい)
これは身びいきかもしれませんが・・・
コーガンの音を聞いたときに、全身鳥肌が経つほどの感動を受けたのが、このソナタ。
思えばまだヴァイオリニストを目指してもいなかった若い頃に、コーガンの音を聴いてしまったのが何かの導きだったかもしれません。
フランクのソナタは、室内楽の頂点とも言えます。
骨組みのしっかりしたドイツ的な構成が当時のフランスでは歓迎されなかったそうで、晩年に書いた弦楽四重奏曲によって初めて高い評価を受けました。
この弦楽四重奏曲はフランク最後の年に書かれたというのだから、こんな名曲を書いた人にしては実に不遇なことだと思います。
今ではあらゆるソナタの最高峰に燦然と君臨しております。
チラシの画像は紅葉。
はじめは枯れ葉をアレンジしたほうがと思ったのですが、製作者が、それではそのものズバリになってしまってあんまりだと、紅葉にしてくれました。
チラシばかり華やかにならないように、頑張ります。
でも、枯れ葉の下には新しい生命の息吹が隠れている。
虫たちが暖かく冬ごもり。
春になれば下に落ちた木の実が芽吹く。
なんかほっこりしますね。
2017年9月4日月曜日
悲しみの連鎖
友人に占い師がいる。
ピアニストだけれど、本格的に占いの修行をして本物になってしまった。
本来有料のはずの占いを、私たちは長年のお付き合いの誼でこっそりと教えてもらう。
ちょっとアドバイスとか今後の運勢を軽く教えてもらう程度でも、大変参考になる。
先日私は彼女から言われた。
あなた!今年は悪いわよ。そうね来年もだわね。
当たってるったら、もうビックリ。
去年から今年にかけて、たくさんの身内とか友人とかを失くした。
この数年、年賀状より喪中のハガキを出すことの方が多い。
今年も、ショックなことに義兄が亡くなって、又喪中のハガキを印刷することになる。
今日は高校からの同級生だった人のお通夜に行ってきた。
元東京フィルハーモニーのメンバーだった藤本利子さん。
病院への御見舞もお通夜お葬式の参列もしてほしくないというのが、本人の希望だった。
しかし、入院を知って御見舞に行かないのは、私的には気が済まない。
どうして来てほしくないかというと、本人がとても周りに気を遣う人だったから。
私なら来たくないと言っても来てほしい。
仕事が忙しい?あなた!私と仕事のどちらが大切なの?なんて逆上しかねない。
でも利子さんは違って、他の人が忙しいのに気を遣わせてはいけないというスタンスだった。
ずっとそうだった。
そんなに気を遣わなくても、そんなに遠慮しなくてもいいんじゃない?
つい先日病院へお見舞いに行った。
ピンク色のパジャマを着てベッドに横たわっていたけれど、顔色も良く元気そうに見えた。
なぜ彼女の入院を私が知ったかというと、毎年北杜市高根町のやまびこホールで開かれる「八ヶ岳音楽祭」の常連だった彼女から、今年は体調を崩して行かれなくなったという電話がかかってきたから。
代わりに行ってもらえないだろうかという問い合わせだった。
引き受けて練習も2回出てしまったのにキャンセルするとは、よくよくのことに違いないと思ったので、私は行かないけれど必ず誰か代わりの人を入れるから、安心して休んで頂戴と返事をしておいた。
そして代わってくれる人が見つかったと連絡しても、返信はなかった。
それで少し遠いところに住んでいる妹さんに連絡。
とにかく安心するようにと伝言した。
いかにも彼女らしいのは、妹さんにも迷惑をかけまいとして病院には来ないようにと言っていたらしい。
そのときに妹さんからむりやり病院を聞き出して、御見舞に行くことにした。
友人と二人で顔を見せると、いやだ、なんで來たのーと言ったものの、嬉しそうだった。
八ヶ岳音楽祭で代わってくれる人が見つかったから安心して、と言うと、パアーッと顔が明るくなってニッコリした。
点滴やパジャマでいる姿を他人に見られたくないのよねと言う。
え、なんで?
すごく身ぎれいにしていて、病人とは見えないくらい。
言葉もはっきりしていて、私たちは安心して帰ったのに・・・
2日後に訃報が届いた。
ほんとうにあっけなかった。
彼女は4年前にご主人をなくしている。
仲の良い夫婦だったから、ご主人が呼びにきたのかな。
彼女はご主人が本当に好きで、頼りにしていた。
だから彼女の方から、あちらに行ってしまったのかもしれない。
彼女はオーケストラではセカンドヴァイオリンのトップを弾くことが多かった。
それはプロに徹した名プレーヤーだったから、メンバーからの信頼は厚く、どんな難しい場面でも落ちないので有名だった。
落ちるというのは楽譜を見誤って、演奏しているところがわからなくなってしまうことで、彼女に限ってそんなことは一度もなかったと思う。
ある時、現代の作曲家のオペラを上演したことがあった。
古典の作品と違って、拍子が変拍子だったりするから数えるのも大変だった。
数を間違えて撃沈なんてこともママある。
しかし、彼女は落ちないで有名な人だから、皆が彼女に注目する。
彼女が出たら一緒にでようと待ち構えていると「いやだー、みんな見ないでよー」
気配を察した彼女が悲鳴を上げた。
ヴァイオリン勢がみんなで注目するから、それは視線を感じるのはあたりまえ。
なにかおもしろい演奏ができるとあれば、どんなところへでも行ったし、ノーギャラでも頼めば引き受けてくれた。
本当に弾くことが好きだった。
去年一昨年の奥州市でのチェロフェスタにも、快く参加してくれた。
どんなきつい練習でも文句は言わない。
誰にも甘えないで毅然と生きた彼女は、最後までその姿勢を貫いた。
とっとと一人で逝ってしまった。
私の大事な友人が続けて亡くなって、私の悲しみは只今無限大。
大切な人が目の前から去っていく。
今年は本当に良くない。
ピアニストだけれど、本格的に占いの修行をして本物になってしまった。
本来有料のはずの占いを、私たちは長年のお付き合いの誼でこっそりと教えてもらう。
ちょっとアドバイスとか今後の運勢を軽く教えてもらう程度でも、大変参考になる。
先日私は彼女から言われた。
あなた!今年は悪いわよ。そうね来年もだわね。
当たってるったら、もうビックリ。
去年から今年にかけて、たくさんの身内とか友人とかを失くした。
この数年、年賀状より喪中のハガキを出すことの方が多い。
今年も、ショックなことに義兄が亡くなって、又喪中のハガキを印刷することになる。
今日は高校からの同級生だった人のお通夜に行ってきた。
元東京フィルハーモニーのメンバーだった藤本利子さん。
病院への御見舞もお通夜お葬式の参列もしてほしくないというのが、本人の希望だった。
しかし、入院を知って御見舞に行かないのは、私的には気が済まない。
どうして来てほしくないかというと、本人がとても周りに気を遣う人だったから。
私なら来たくないと言っても来てほしい。
仕事が忙しい?あなた!私と仕事のどちらが大切なの?なんて逆上しかねない。
でも利子さんは違って、他の人が忙しいのに気を遣わせてはいけないというスタンスだった。
ずっとそうだった。
そんなに気を遣わなくても、そんなに遠慮しなくてもいいんじゃない?
つい先日病院へお見舞いに行った。
ピンク色のパジャマを着てベッドに横たわっていたけれど、顔色も良く元気そうに見えた。
なぜ彼女の入院を私が知ったかというと、毎年北杜市高根町のやまびこホールで開かれる「八ヶ岳音楽祭」の常連だった彼女から、今年は体調を崩して行かれなくなったという電話がかかってきたから。
代わりに行ってもらえないだろうかという問い合わせだった。
引き受けて練習も2回出てしまったのにキャンセルするとは、よくよくのことに違いないと思ったので、私は行かないけれど必ず誰か代わりの人を入れるから、安心して休んで頂戴と返事をしておいた。
そして代わってくれる人が見つかったと連絡しても、返信はなかった。
それで少し遠いところに住んでいる妹さんに連絡。
とにかく安心するようにと伝言した。
いかにも彼女らしいのは、妹さんにも迷惑をかけまいとして病院には来ないようにと言っていたらしい。
そのときに妹さんからむりやり病院を聞き出して、御見舞に行くことにした。
友人と二人で顔を見せると、いやだ、なんで來たのーと言ったものの、嬉しそうだった。
八ヶ岳音楽祭で代わってくれる人が見つかったから安心して、と言うと、パアーッと顔が明るくなってニッコリした。
点滴やパジャマでいる姿を他人に見られたくないのよねと言う。
え、なんで?
すごく身ぎれいにしていて、病人とは見えないくらい。
言葉もはっきりしていて、私たちは安心して帰ったのに・・・
2日後に訃報が届いた。
ほんとうにあっけなかった。
彼女は4年前にご主人をなくしている。
仲の良い夫婦だったから、ご主人が呼びにきたのかな。
彼女はご主人が本当に好きで、頼りにしていた。
だから彼女の方から、あちらに行ってしまったのかもしれない。
彼女はオーケストラではセカンドヴァイオリンのトップを弾くことが多かった。
それはプロに徹した名プレーヤーだったから、メンバーからの信頼は厚く、どんな難しい場面でも落ちないので有名だった。
落ちるというのは楽譜を見誤って、演奏しているところがわからなくなってしまうことで、彼女に限ってそんなことは一度もなかったと思う。
ある時、現代の作曲家のオペラを上演したことがあった。
古典の作品と違って、拍子が変拍子だったりするから数えるのも大変だった。
数を間違えて撃沈なんてこともママある。
しかし、彼女は落ちないで有名な人だから、皆が彼女に注目する。
彼女が出たら一緒にでようと待ち構えていると「いやだー、みんな見ないでよー」
気配を察した彼女が悲鳴を上げた。
ヴァイオリン勢がみんなで注目するから、それは視線を感じるのはあたりまえ。
なにかおもしろい演奏ができるとあれば、どんなところへでも行ったし、ノーギャラでも頼めば引き受けてくれた。
本当に弾くことが好きだった。
去年一昨年の奥州市でのチェロフェスタにも、快く参加してくれた。
どんなきつい練習でも文句は言わない。
誰にも甘えないで毅然と生きた彼女は、最後までその姿勢を貫いた。
とっとと一人で逝ってしまった。
私の大事な友人が続けて亡くなって、私の悲しみは只今無限大。
大切な人が目の前から去っていく。
今年は本当に良くない。
2017年9月3日日曜日
デナリ大滑降に挑むスキーヤー
テレビは殆ど見ない。
どこにチャンネルを合わせても同じ顔同じ大騒ぎ。
騒げば人は面白いと思うと思っているのかしら。
しかし、今日偶々食事をしているときに見たのが「デナリ大滑降」
日本人スキーヤーの佐々木大輔さんが、かつてマッキンリーと呼ばれたデナリに挑戦するドキュメンタリー。
こちらの記事を読んで下さい。
かつてアラスカに行ったとき、帰りの飛行機の窓から見たマッキンリーの真っ白な姿が目に焼き付いている。
あそこに冒険家の植村直己さんが眠っているのかと感無量だった。
私は植村さんのお葬式で、弦楽四重奏を弾いた。
バッハ「アリア」ヘンデル「ラルゴ」グノー「アヴェ・マリア」など。
冒険家らしい簡素なお葬式で、故人の奥様はとても素敵な方だった。
こんな人を置いて亡くなってしまうなんて。
冒険とは生きて帰ること・・・とは彼の言葉。
亡くなるときはさぞ無念だったことだろうと思う。
デナリでの佐々木さんの滑降。
恐ろしくて見ていられないほどの急斜面。
しかも一番狭いところはたったの2mしかない。
そこをどうやってターンをするのか、見ているこちらも息がハアハアした。
斜度は55度、氷点下30度、秒速30m、そして標高は6190m。
どの数字も殆ど理解不能な世界なのだ。
私がチベットへ行ったときに登った山が、5000mを超えていた。
その時の恐ろしい空気の希薄さは一生涯忘れられないと思う。
すぐ目の前、ほんの5m位歩くのに、息が切れて度々立ち止まった。
前日私は高山病で倒れたのに、中国人のガイドが「大丈夫大丈夫」と言って連れて行かれてしまったのだ。
呼吸困難で息が吸えない。
下手すれば死んでいたかもしれない。
出発前に伝染病の予防注射を受けた医師から「日本人は高山病で何人も死んでいるのだから、風邪をひかないよう気を付けなさい」と言われたのに、風邪から高山病になってしまった。
そこを遥かに超える6190m。
どんな世界なのか想像を絶する。
なぜこのように危険に立ち向かうのか。
男の性なのか、理解不能。
そこに山があるから、という名言があった。
佐々木さんは40歳で油が乗り切っているし、この年令をすぎると体力は下降する。
ここでやらなければ後はないとみたのか。
かつて三浦雄一郎さんが最高齢記録でエベレストを滑降。
その後記録を越えられたけれど、又取り返すなど次々に挑戦していた。
私のスキー歴は長いけれど、仕事を優先していたから怪我をしないことが絶対条件だった。
例えば指や腕を怪我したら、完治するまで数ヶ月ヴァイオリンが弾けない。
もはや若くはないから、それでは復帰できる見込みはない。
スキーに出かけるというと友人たちは「足はいいけど手は怪我しないように」と言うけれど、演奏するときには全身を使うから足だって怪我してはいけない。
それで絶対に自分の能力を超えるような危険なところへは、行かないようにしていた。
雪の状態が悪ければ無理せずにやめた。
仲間たちは私を臆病者と考えていたと思う。
もちろん臆病者だけど、それはとても大事なことだった。
ステージに穴を開ける、他人に交代してもらうなどは演奏する者にとっては恥だと思うので。
でも長い年月の中で1度や2度はそういう残念さを味わった。
病気で周りにも迷惑をかけたこともあった。
仕事もだいぶ整理したし、このへんで少しむちゃしても構わないかな。
来年は北海道へ。
サホロへ行く予定が入っている。
少しは無理と思える斜面にも挑戦したい。
涼しくなるとそわそわして、ああ、もう山が呼んでいる。
おっと!その前に幾つかのステージをこなさないといけない。
これが先でしょうが。
どこまでも遊びたいnekotamaなんですが。
それでもなあ、55度とは・・・
蔵王の横倉の壁だって38度だっていうのに。
ある年、今を去るうん十年前、一大決心をして横倉に挑戦しようと思った。
胸はドキドキ。
「私の腕(足?)では無理でしょう?」と言うと無責任な男どもが「大丈夫大丈夫、行こうとと決めれば行けるから」と煽られた。
でも幸いなことに・・・その年は雪が少なくて危険だというので横倉の壁は滑降禁止となって綱がはられていた。
ああ、助かった!
佐々木さんのようなスキーヤーは絶対そんなことは考えないのでしょうね。
「助かった!」なんて。
どこにチャンネルを合わせても同じ顔同じ大騒ぎ。
騒げば人は面白いと思うと思っているのかしら。
しかし、今日偶々食事をしているときに見たのが「デナリ大滑降」
日本人スキーヤーの佐々木大輔さんが、かつてマッキンリーと呼ばれたデナリに挑戦するドキュメンタリー。
こちらの記事を読んで下さい。
かつてアラスカに行ったとき、帰りの飛行機の窓から見たマッキンリーの真っ白な姿が目に焼き付いている。
あそこに冒険家の植村直己さんが眠っているのかと感無量だった。
私は植村さんのお葬式で、弦楽四重奏を弾いた。
バッハ「アリア」ヘンデル「ラルゴ」グノー「アヴェ・マリア」など。
冒険家らしい簡素なお葬式で、故人の奥様はとても素敵な方だった。
こんな人を置いて亡くなってしまうなんて。
冒険とは生きて帰ること・・・とは彼の言葉。
亡くなるときはさぞ無念だったことだろうと思う。
デナリでの佐々木さんの滑降。
恐ろしくて見ていられないほどの急斜面。
しかも一番狭いところはたったの2mしかない。
そこをどうやってターンをするのか、見ているこちらも息がハアハアした。
斜度は55度、氷点下30度、秒速30m、そして標高は6190m。
どの数字も殆ど理解不能な世界なのだ。
私がチベットへ行ったときに登った山が、5000mを超えていた。
その時の恐ろしい空気の希薄さは一生涯忘れられないと思う。
すぐ目の前、ほんの5m位歩くのに、息が切れて度々立ち止まった。
前日私は高山病で倒れたのに、中国人のガイドが「大丈夫大丈夫」と言って連れて行かれてしまったのだ。
呼吸困難で息が吸えない。
下手すれば死んでいたかもしれない。
出発前に伝染病の予防注射を受けた医師から「日本人は高山病で何人も死んでいるのだから、風邪をひかないよう気を付けなさい」と言われたのに、風邪から高山病になってしまった。
そこを遥かに超える6190m。
どんな世界なのか想像を絶する。
なぜこのように危険に立ち向かうのか。
男の性なのか、理解不能。
そこに山があるから、という名言があった。
佐々木さんは40歳で油が乗り切っているし、この年令をすぎると体力は下降する。
ここでやらなければ後はないとみたのか。
かつて三浦雄一郎さんが最高齢記録でエベレストを滑降。
その後記録を越えられたけれど、又取り返すなど次々に挑戦していた。
私のスキー歴は長いけれど、仕事を優先していたから怪我をしないことが絶対条件だった。
例えば指や腕を怪我したら、完治するまで数ヶ月ヴァイオリンが弾けない。
もはや若くはないから、それでは復帰できる見込みはない。
スキーに出かけるというと友人たちは「足はいいけど手は怪我しないように」と言うけれど、演奏するときには全身を使うから足だって怪我してはいけない。
それで絶対に自分の能力を超えるような危険なところへは、行かないようにしていた。
雪の状態が悪ければ無理せずにやめた。
仲間たちは私を臆病者と考えていたと思う。
もちろん臆病者だけど、それはとても大事なことだった。
ステージに穴を開ける、他人に交代してもらうなどは演奏する者にとっては恥だと思うので。
でも長い年月の中で1度や2度はそういう残念さを味わった。
病気で周りにも迷惑をかけたこともあった。
仕事もだいぶ整理したし、このへんで少しむちゃしても構わないかな。
来年は北海道へ。
サホロへ行く予定が入っている。
少しは無理と思える斜面にも挑戦したい。
涼しくなるとそわそわして、ああ、もう山が呼んでいる。
おっと!その前に幾つかのステージをこなさないといけない。
これが先でしょうが。
どこまでも遊びたいnekotamaなんですが。
それでもなあ、55度とは・・・
蔵王の横倉の壁だって38度だっていうのに。
ある年、今を去るうん十年前、一大決心をして横倉に挑戦しようと思った。
胸はドキドキ。
「私の腕(足?)では無理でしょう?」と言うと無責任な男どもが「大丈夫大丈夫、行こうとと決めれば行けるから」と煽られた。
でも幸いなことに・・・その年は雪が少なくて危険だというので横倉の壁は滑降禁止となって綱がはられていた。
ああ、助かった!
佐々木さんのようなスキーヤーは絶対そんなことは考えないのでしょうね。
「助かった!」なんて。
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