2017年10月24日火曜日

サンマは目黒でなくても

先日帝国ホテルの和食レストラン「なだ万」でいただいたサンマが、忘れられない。
関東地方を台風が襲った日。

11月半ばにあるイベントの演奏会場の下見をさせてもらった。
主催者のY子さんが、その日の17時だったら会場が空いていて下見が出来る、つきましてはお食事などもご一緒にいかが?と言ってくださったので、ありがたく便乗した。
心配していたけれど、さほど雨脚も風も強くなく、無事到着。
地下鉄を出て歩道を渡ればすぐのところに玄関。
殆ど濡れないでメインロビーへ。

会場は広さも音響も申し分なく、コンシェルジュの行き届いた対応はさすが。
Y子さんのテキパキとした質問にもよどみ無く答え、当日のお食事担当のシェフも交えて打ち合わせ終了。
ここ帝国ホテルは、私が若い頃さんざん仕事をさせてもらったけれど、当時のままの雰囲気がまったく変わらない。
懐かしい。

ホテルの仕事は私たちにとって、とても楽しかった。
若かった私は華やかな雰囲気が好きだった。
それでも帝国ホテルで結婚式というと、時には企業つながりの政略結婚みたいなときもあった。
そういう結婚式では主賓が40分もしゃべったり、乾杯のグラスを掲げているのにそれからの挨拶が長かったり、うんざりすることもあった。
結婚式自体の雰囲気が暗くて、当の新郎のことは一切語らず、お父様が・・・お祖父様がという話ばかりのときもあって、これでいいのかなあなんてことも。

結婚式でこのホテルに来たのは今から数年前のこと。
その時は仕事ではなくゲストとして。
友人の息子さんのハレの日。
400人のゲストで新郎新婦は、はるかかなた。
元総理大臣が主賓だったけれど、私達のテーブルは旧知の間柄の人がいて、堅苦しくなくおおいに楽しんだ。
お肉が美味しかった。
今回のイベントでは、とても美味しいお肉が出るというので、楽しみにしている。

打ち合わせが終わって、和食レストランの「なだ万」へ。
私はいつもは夕食の量が少ない。
あまりたくさん食べると、眠れなくなる。
それで少しで良いのよと言いながら、結局あれとコレと注文したら結構な量になった。
日本酒に前菜の盛り合わせ、豆腐のカニあんかけ、サンマの塩焼き、ご飯、赤だし。
こういうところは上品にほんのすこしの量だからと思っていたら、豆腐はたっぷり、サンマは丸々。
まるで私が横たわっているような。

食べ始めると箸が止まらない。
ここで私は猫になる。
ワタからすっかり頂いて、頭が少しと綺麗に身がなくなった骨だけとなった。
お皿は猫またぎの状態。
このサンマだけど、とても身離れがいい。
箸で簡単にほぐれていくのは、焼く前になにか下調理がしてあるのだろうか。
訊いて見たかったけれど満腹になったら忘れてしまった。

プロの技術は簡単に教えないこともあるけれど、以前帝国ホテルのランチで食べたキノコ料理がとても美味しかったので、調理法を訊いてみた。
一緒に行った友人が、そんなこと教えるわけがないと言うけれど、大きなシェフの帽子をかぶった人がニコニコと教えてくれた。
きのこは火加減が強くないと水分が出てしまうので、ということで、素人の家庭のキッチンではやはり無理なのかもしれない。
家に帰ってやってみたけれど、やはり雲泥の差となってしまった。

ちょとした恥ずかしいこと。
赤坂のプリンスホテルでもよく仕事をした。
ちょうどランチタイム。
仕事の合間にランチをと思って、演奏者4人でレストランへいった。
テーブルに座ってお水を飲んでお手拭きを使ってメニューを開くと・・・
おやおや、ランチにしてはとてもいいお値段。
少し考えてからやめることにした。
ウエイターを呼んで「お水も飲んだしお手拭きも使ってしまったけれど、私達の生活レベルでは少しお値段が高いようなのでやめてもいいでしょうか」と訊いたのは私。
こういうことを言える神経の持ち合わせは、他の人にはないようなので。

嫌な顔をされると思ったらウエイターが「ああ、お気に召すメニューがございませんでしたか。それでは又の機会にぜひどうぞ」と言って、あっさりと無罪放免。
これがもう少しランクの下のレストランだとおもいっきり嫌な顔をされる。
さすが赤プリ。

サンマを食べて日本酒を飲んだら地下鉄で寝込んでしまって、車掌さんに起こされた。
この方がもっと恥ずかしい。





















2017年10月22日日曜日

ホントは今日だった

昨夜来たメール。
「ねえ、覚えてる、私達のコンサート本当は明日だったよね。明日だったら台風で大変だったね。本当に明日でなくて良かった」

11月3日に予定しているコンサートは、今日10月22日の予定だった。
渋谷の会場も予約してあって、その日に向けて練習を始めていた。
練習は、本番に最高潮になるように計画的に持っていかないと、途中で絶好調になってしまって、後は失速。
とか、まだ発展途上だとか、コンディション作りが中々難しい。
少し前にディテールが納得行くようになって、今少しホッとした状態だけれど、これを後10日ばかりで中だるみしないように維持出来るかどうかが勝負のしどころ。
一旦緩むと、緊張がなくなってひどいことになる。
緊張が緩んでしまったところで本番を迎えると、ひどくアガったりすることもある。
本番は常に危険と隣り合わせ。
100%出来上がっていたとしても、油断はできない。

渋谷の会場は良かったのだけれど、ピアノがスタインウエイでなかった。
ピアニストは自分の楽器を持ってこられないから、なるべく普段弾いている楽器と同じメーカーの方が良い。
弘法筆を選ばずと言っても、楽器で音色などが変わってしまうのは気の毒。
少し考えて、都内を諦めて川崎になった次第。
ピアノは自分の楽器が使えないというのはとても気の毒だと思う。
言っておきますが、川崎は決して遠くはありません。
品川から10分かそこいらで到着、会場は駅に隣接だからとても便利。

もう、ずーっと前の話。
オーケストラのアメリカ演奏旅行。
西海岸に沿って南下していくと、時々とんでもないピアノに遭遇した。
その時のソリストは野島稔さん。
野島さんは、毎日わけの分からないピアノを弾かされて少しお冠だった。
ある時「毎日毎日こんなピアノばっかりで、僕もうイヤ!」とおっしゃった。
才能のあるアーティストは、たいてい女性的要素が強い。

話は元に戻って、渋谷の会場は西側に天窓があった。
昼の本番は14時から16時くらいまでだから、西日がさすのが気になった。
音響のことを考えると、カーテンなどの遮音性の高いものはなるべく使いたくない。
西側の窓にカーテンを引くと、床から天井までカーテンで覆われてしまう。
西日を塞がないと、客席が眩しい。
ということが気になったので、キャンセルした。
会場の人はとてもがっかりしていて気の毒だったけれど、自分たちが最良の状態で弾きたいからということで。

今日はこの台風の中投票に行って、その後帝国ホテルへ。
11月半ばに帝国ホテルで知人のお父様のメモリアルイベントがある。
その時にモーツァルトの弦楽三重奏曲の演奏をするので、会場のセッティングや音響の下見にいく。
帝国ホテルは若い頃の私のテリトリーだった。
ここで随分仕事をしていた。
結婚式や様々なイベントでの演奏。
懐かしい。
それでだいたい様子はわかっているけれど、主催者と打ち合わせもあって、うふふ、打ち合わせっていうのは食事のことを言うのだよ、知ってる?
でも食事は台風次第。
風雨がひどくなったら、そそくさと帰ってくるつもり。

もし私達のコンサートが今日だったら、演奏どころかお客さまの帰宅の心配をしなければならないところだった。
そもそもお客様が来てくださるかどうか。























2017年10月21日土曜日

色の話

昨日は11月のコンサートの肝試しに友人二人に、私達の演奏を聴いてもらった。
荻窪の閑静な住宅街の素敵なお宅。

玄関を入れば別世界。
美術品と高価な調度品にかこまれ、外からの音は遮断され、庭を眺めてのお茶タイムは、ゆったりとした時間が流れるようだ。
ブリーダーで繁殖用に飼われていたチワワ。
去年この家に貰われてきたときは、なんとなくやさぐれて顔色も優れなかった。
今までの人生(犬生)はケージに閉じ込められて、子犬を生む道具として扱われてきた。
ところがひと月経ちふた月を越え、すっかり美犬に変身。
きれいなミルクティー色の毛艶も濃くなり、なによりも顔つきが幸せそうになってきた。
こんなに表情が変わるとは思ってもみなかった。
貴婦人のようになってきた。

プログラム全曲弾いてもいいと言われたけれど、流石にそれは迷惑だろうし、私達も疲れるから、モーツァルトとフランクだけ聴いてもらうことにした。
当日、ここに来る前にピアニストの家に寄って練習した。
ふたりともボロボロ音を取りこぼす。
緊張から集中しないこと甚だしい。
やはり友人と言ってもその道のプロフェッショナルだから、単に音が取れていればいいってものではない。
定見を持っていないと見透かされる。

緊張して演奏した。
それでも前に弾いた時よりも良くなったよと、優しいお二人。
本番前だから、いたわられてるのかな。

とにかく終わったその後が楽しい。
ワンちゃんも皆の間を嬉しそうに回ったり、飼い主の腕にまったりとくつろいだり、私たちが思っているのは「この家の犬になりたい」

その日私は珍しくピンクのプルオーバー。
襟と胸に植物の刺繍、前と後ろに可愛いポケットがついている。
なぜピンクを着ているかということを皆さんに説明した。

私はずっとブルー系が好きで、なんでも目に付くのは青い色。
シャツ類もブルーが圧倒的に多い。
ところが、最近急に色の好みが変わった。
しかもその日に着ていった服は買う運命にあったようなのだ。

私の家近くの商店街には、店を持たず時々催し物スペースに出店する常連の人達がいる。
その一つの店に顔をだすと、いきなりピンクの服を勧められた。
ピンクはねえ~・・・イマイチ乗り気ではないけれど、デザインはわるくないと思った。
しかし、私の年齡で着るには少し可愛いすぎる。
なんでこんな服すすめるのかなあ?
次の日も通りかかると、同じように勧められた。
う~ん、可愛いけどねえ、ちょっと若作りじゃない?
お店の人はとても残念そうに諦めてくれた。
それでとても印象に残っていた。

その後ひと月以上たって、品川駅近くの小さなお店を覗いた。
初めて入ったので色々珍しく眺めていたら、なんと、あのピンクの服があった。
しかも又、そこの女性スタッフから強力に勧められることになろうとは。
その上、後から入ってきた女性客まで買え買えと大合唱。
ついに折れた。
これは運命なのだ。
この服は私に着られるために生まれてきたのだ。
買ってみたもののクローゼットのお飾りになっていた。
ここ数日寒い日が続いて、衣替えをする必要に迫られている。
それで一回も袖を通さないでしまうのもバカバカしいから、着ることにした。
驚いたことに、皆が似合うと褒めてくれた。
そのうちの一人はピアノと占いのプロ。

彼女が言うことは、人は節目ごとに他人との関わりや、色の好みなどが変わるのだという。
ある時突然、今まで付き合っていた人が消えたり再会したり、それは星に左右されるのだそうで、私も何回か今までにそういう体験があったから納得した。
気が付くと、長い間お付き合いしていた人が急に疎遠になったり。
若い頃はこういう時期にひどく寂しい思いをしたけれど、最近は、ああ、波がやってきたなと思うようにしている。
ご縁があれば又会えるし私は気が変わらない方だから、再会すればいつでも同じようなお付き合いが出来る。

最近買う服の色が明らかに明るくなっている。
これは本人の気持ちが明るいからではなくて、気分が沈むのを明るい色で元気付けているようだ。
特に最近は今までになく赤いワンピースを買ったり。
年齡不相応の大曲のプログラムを並べて、ヒイヒイ言っている自分をなんとか鼓舞しようと、赤いドレスに助けを求めているようだ。
しかもそういうときには、着ているものが顔色に良く映えるようになるのが不思議。

ひどく落ち込んだ時、デパートで見つけた真っ赤なコート。
後先考えず買ってしまったのは15年ほど前。
もともと赤はあまり好みではないので、2,3回着たら飽きた。
飽きると不思議と似合わなくなる。
友人に赤の似合う人がいたから差し上げてしまった。
今は赤ではなく、ピンク。
赤とは同類かと思うとそうではない。
暖かく優しい色。
好きな曲が弾けて幸せなのかもしれないけれど、気持ちが沈むこともあって、良くわからない。
色っぽい話ならいいけれど・・・





















2017年10月20日金曜日

体に苔・・・ならぬ

以前どこかで見聞きしたのがタモリさんの入浴法。
彼の方法は、浴槽に浸かってゆっくりと温まるだけで体を洗わないというのだ。
じっくりと浸かると体の汚れがとれて、ゴシゴシこすったりもしないという。
聞き間違えだったらタモリさんごめんなさい。
そして結構ネットなどでもこういう入浴法を良しとすることが書いてある。

私の友人が「あなた、一回使ったタオルはすぐに洗う?」と訊くから「そうね」と答えると「神経質すぎ」と言われた。
「髪の毛なんて4,5日洗わなくても大丈夫よ」とも。
へえー、そうなんだ。
頭は毎日洗っていた。
以前、私は顔を石鹸で洗っていたけれど、北里病院の美容外科に行ったら、水だけで洗って決してこすらないようにと言われて驚いた。
毎回石鹸をつけたタオルでガシガシと洗っていたから、水だけというのはなんとも心もとなく不安だったけれど、だんだん慣れていった。
そうだよね、動物は猫以外は顔洗わないものねと思ったら気楽になって、以来そのようにしてきた。

入浴も毎日全身をタオルでこすっていた。
そういう時にタモリさんのことをきいて、それでは試してみようと思った。
それ以来、お風呂は浸かるだけ。
ノンビリ手脚を伸ばしてなにもしないと、とてもゆったりする。
髪の毛もあまり洗わなくなった。

今年の夏、鼻の悪い私でも自分が臭うような気がしてきた。
私の考えでは、もともと人間も動物だから体臭なんてのはある程度あるほうが良い。
人を選別するのに必要じゃないかと。
自分と遺伝子の違う匂いのする男女は惹かれ合うそうなのだ。

自分の匂いを感じた時には、洗濯物が生乾きでそれの匂い?かと。
時々かなり変な匂いがする。
おかしいなと思っていたら、石鹸で洗ったときには臭わないことに気がついた。
臭わないと言っても、私は嗅覚障害があって鼻は敏感ではないから、他の人には臭うかもしれない。
最近皮膚に苔が生えたのではなく、発疹が出ることが続いた。
発疹と言っても針の先でつついた程度の赤み。
気にして触ると痒い。
触らなければなにも感じない。

一旦触るとしばらく痒くて、掻いていると水のような物が出るけれど、注射針の跡位のとても小さなものなので、殆ど目に見えないくらい。
それで皮膚のかゆみをネットで調べたら、まず第一に出たのは糖尿病の皮膚疾患。
沢山の画像を見たら気持ち悪くてパニック。
こんな病気絶対になりたくないから、11月の一連のコンサートが終わったら健康診断に行こう。

それが1ヶ月ほど続いた。
しばらくするとその発疹も石鹸で洗うと、症状が改善されることに気がついた。
あれ、もしかして。
タモリ式入浴法をやめて毎日石鹸で洗い始めたら、発疹はでない。
匂いも消えた(と思う)

私は体脂肪率が体の30%もある。
油もの、バターの類が好き。
だから皮脂もたぶん人一倍出るのではないかと思う。

タモリさんはイグアナだから、皮脂も少なく汗もかかない?
私は大汗っかき。
同じような入浴法では私の場合、毛穴に脂肪が詰まって炎症を起こしていたのではないかと気がついた。
要するに小さなニキビ。
以前はエステに行って全身のケアをしてもらっていたけれど、最近は不精と経済的逼迫でそれもままならない。
たまには命の洗濯にエステに行きたいと切望している。

糖尿病とかダニに噛まれたとか色々心配したけれど、なーんだ。
入浴法もだれもが同じようにしても同じ効果があるわけではないから、人それぞれ。
私の場合はやはり石鹸をつけてタオルで洗うのが1番良い。
石鹸を使い始めて2,3日で発疹はなくなった。
気がつかなかったけれど、悪臭を放って他人に迷惑かけていたかもしれない。
自分の鼻が悪いので、自信はない。
ようするに垢が溜まっていた?ひゃー!ご迷惑をかけたかもしれない皆様ごめんなさい。
皆さん優しいから何も言わないで我慢してくれたのね。
加齢臭なんて案外こういうことなのかもしれない。

ナマケモノの苔ではなく毛穴の詰まりだった。
今はすっかり発疹は消えて平和が訪れた。
人様のやることがその人にとって良くても、自分には合わないということもあるというお話でした。













2017年10月19日木曜日

会場練習

11月3日のコンサートに向けての練習もいよいよ煮詰まってきた。
緊張が続く。
誰がこんなことしようなんて言い出したの?
弾けば弾くほど問題が出てきて、自信がなくなってくる。
肩はバリバリ、目はショボショボ。

会場の響きに慣れるために、ミューザ川崎の音楽工房でリハーサルをしてみた。
音響はとても良い。
お客さんが入ると残響が少なくなるとは思うけれど、気持ちの良い響き方をする。
何よりもピアノがガンガン鳴りすぎないのが助かる。
会場によっては妙に反響して、まるでお風呂場で弾いているような感じになることもあるから、適度な残響時間で良く出来た会場だと思う。
気持ちよくリハーサルを終えると、間もなく本番がくるという緊張感が高まってくる。
本番前の2週間くらいが1番苦しい時期なのだ。

ほとんど絶望的な気分で、毎回音程が気になる。
弾くたびにわけがわからなくなってくる。
ああ、もう嫌だ。
そう言いながら終わればケロッとして、さあ、次は何を弾こうかなんて考える。

同級生から電話があって、彼女もヴァイオリンだけれど「あなた、良くコンサートできるわね。わたしなんかもう立って弾くのが辛くて」と言われた。
先日ピアノの人から、ヴァイオリンは立って弾くから大変ですねと言われたばかり。
まさか立っているのが辛いなんてと笑っていたけれど、ヴァイオリンの人からもそう言われるとは思わなかった。
そうなのか、私は元気なほうなのかと、変なところで納得した。
家で練習するときにも私は座らない。
立っているのはさほど苦にならない。
ステージでは座って弾くような室内楽のパート練習も、立ったままで。

ヴァイオリンを弾くのは全身運動だから、座ってしまうと動きが制約される。
私が健康でいられるのは、毎日ヴァイオリンを弾いているからだと思っている。
仕事に追われていた頃は、時間的、体力的にも練習時間がとれないことが多かった。
今のようにじっくり練習することも出来ず、本番を重ねることによって練習していたようなものだった。
今のように楽譜を根本から読み直し、考え、練り上げていく作業はとても楽しい。
そのかわり今まで気がつかなかったような弱点も見えてくる。
案外自分は神経質なのが分かって、今まで強気で生きてきた人生を振り返ると冷や汗が出る。

フランクのソナタは転調が多くて、調性感を掴むのが難しい。
ヴァイオリンは自分で音程が作れるから、調性が出せる。
それには自分の中での音感がないといけない。
特に指が曲がってきてからは、その作業は年々難しさを増してきている。
音程は指を立てるか寝かせるかだけでも変わってしまう。
本当に0.数ミリの世界のできごと。
青木十郎さんというチェリストがいた。
先年亡くなられたけれど、90歳でリサイタル、晩年に出したバッハのCDがミラクルであると評判を聞いた。
その音程の良さを、私の周りの人達が絶賛していた。
だから歳のせいには出来ないので、私はなにか他の言い訳を見つけようと日々考えているけれど、そんな時間があるなら練習しなさいと言われそう。

関節が曲がって節くれだった自分の手をじっと見ていると、この手が私の幸せの元だったと気付く。
下手くそだったのがよかったのかもしれない。
なまじ上手くてコンクールに通ったりしたら、世界を股にかけて歩くようになる。
そんな苦労は自分には無理。
すぐに押しつぶされて死んでしまう。
ずっとマイペースでいられたから、今こうしてまだ弾いていられるのだと思う。

私はナマケモノ。
あのナマケモノは木にぶら下がっているうちに体に苔が生えてくるって本当かな。

苔と言えば体に・・・あ、その話は又次回。
なんかテレビの番宣みたいだけれど。


















2017年10月16日月曜日

誘蛾灯

ネットのニュースで日本の美脚タレントの表彰式の画像を見た。
自分のことはものすご~い高い棚に載せて言わせてもらうと、膝から下が曲がっていてどの人もあまり美しくない。
それでも私に比べると月とスッポンどころの差ではなく、一般人から見れば惚れ惚れするようなレベルなのだと思う。
いまどきの若い女性は、女優さんも真っ青なくらいきれいな人もいるけど。

最近のマイ・ブームは主にイタリアから輸入のワンピースの通販。

同じヨーロッパでもフランスとイタリアでは微妙に違う。
イタリアものは、遊びが多い。
通販で買うときには画像で見るのでディテールがよくわからない。
膝下丈のスカートかと思ったら、後ろは確かにそうなんだけど、前を見るとミニだったりして、買わなくてよかったとホッと胸をなでおろす。
袖は普通左右2つついていると思うでしょう。
ところが片方袖がなかったり。
色は華やかを通り越して、ぎょっとするほどの新鮮な組み合わせ。
とにかく面白いことが好きなので、こういうのが私好み。
似合うとか似合わないとか関係なく、デザインが面白いとつい買ってしまう悪いクセが出る。

一時期はスペインの女流デザイナーの服に凝っていた。
異素材の組み合わせや色の面白さが気に入っていたけれど、非常に着にくい。
重すぎたり長過ぎたり。
もちろん服が悪いのでは無く、私が標準よりだいぶチビというのがいけない。
こういう面白い服はモデルさんが着たら素敵だろうなと想像するけれど、私が着たらハロウィンのかぼちゃの仮装みたいになってしまう。
それでクローゼットに高価なマントやスカートが数年来ぶら下がっている。
この先着る予定もないのに捨てられない。
普段は洗いざらしのジーパンTシャツ。

今ハマっているのはイタリアのシルクワンピース。
コンサートの衣装にと思って最近買ったのは、身頃は薄いシルク。
襟と袖口と裾が厚手のシルクでカラフル。
届いてからびっくりしたのは、裾の前と後の長さが違う。
説明には膝丈と書いてあるのに、写真を見るとどうしてもロング丈。
どちらにしても私が着れば膝丈はロングになるからと思って注文したら、なんと前は膝下までの丈だった。
襟は着物の半襟みたいなイメージで、これをステージで着るというのもなんだかなあ、というわけで只今絶賛迷想中。

夜中にこの通販サイトへ行くと次々に面白い服が現れる。
敵も心得たもので、広告が絶え間なく現れるからついクリックして誘蛾灯に引っ掛かった蛾みたいになってジタバタ。
1つ買うと止まらない。
先程のドレスを買ったら、次々とあれもこれも、結局あっという間に4着。
お金が飛んで消えていった。
ミニワンピースと説明があったのが、届いたら立派に膝下まであった。
いかにモデルさんたちの足が長いかが、わかるというもの。
そしてそのモデルさんたちの足のきれいなことったら・・・!
やはり日本人はかなりレベルが高くても、欧米人にはかなわない。
と、ここへ持ってきたかったわけで。

デザインが琴線に触れるからお金を使いすぎて、金銭には触れられなくなる。
もう限界だというのに夜な夜な目を光らせてカタログを見る。
不気味ですねえ。
そのうち、イタリア製のシルクドレスを纏ったホームレスが野良猫に囲まれて橋の下に寝ていたら、それは私です。











2017年10月10日火曜日

ナマケモノの赤ちゃん

悶絶するほどの可愛さです。
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昨日はロンドンアンサンブルのピアニスト、松村美智子さんが亡くなってから初めてのお墓参りに行った。
この春、彼女は息を引き取ってしまった。
音楽の才能はもとより、人をひきつけてやまない豊かな感情、繊細でありながら皮肉屋でもあり、その人柄の魅力を一言ではいえないけれど、人生を全力で駆け抜けて行った感がある。
どれほど体が痛くても、コンサートをやめるなどとはつゆ程も思わなかったその忍耐が、体を蝕んでしまった。
一年くらい休んでも誰も忘れはしないのに、それほど責任感が強かったのが仇となった。
休んで直してからでも復帰できるほど、充分若かったのに。
なぜそうしてくれなかったのかと、私たちはくやしい。

わたしが理想とするのはナマケモノ。
美智子さんの夫のリチャードさんはノンビリやさんで、いつも美智子さんに叱られていた。
ある時美智子さんが「あなたとリチャードはいっしょね」と言うから「なぜ?」と訊くと「ふたりとも天然」と言って笑った。
美智子さんが笑うと、赤ちゃんのようなほっぺがぷっくりと可愛らしく膨らんで、とてもチャーミングだった。
私たちは一緒に良く笑った。
本当によく笑った。

昨日美智子さんの同級生だったNさんと、自由が丘駅からお墓まで歩いた。
休日の自由が丘駅前はそこここで野外ステージが組まれていた。
その喧騒を抜けて、10分くらいでお寺に着く。
大木の茂る境内の緑陰にはいると、急にひんやりとして静けさに包まれた。
お墓の掃除をしてお花とお線香をあげると、本当に美智子さんが逝ってしまったのだという実感が湧いてきた。
もう、この下から出てくることはないのだと。
愛情いっぱいに受けて育った彼女を、ご両親が抱きしめているかもしれない。

美智子さんは何事もすべて把握していないと気が済まない性分で、ほんの些細な辻褄の合わなさも許せなかったようだった。
本業のピアノは稀にみる繊細さだった。
一緒に演奏してもらったときには、全身が耳で出来ているのではないかと思うほど、反応が早かった。
人の何倍か生き抜いて、それでもまだまだピアノが弾きたかったと思う。
もう一度一緒に笑って旅行して演奏して、お寿司が食べたかった。
彼女はロンドンでは美味しいお寿司がたべられないと言って、日本に戻るとよくお寿司を食べに行った。
自由が丘のお寿司屋さんがお気に入りで、雪の日に寒さに震えながら食べに行ったこともあった。
手袋をなくして大騒ぎ。
次々に思い出が蘇る。

美智子さんがもう少しナマケモノだったらと、考える。
もう少し長生きしてくれたかもしれない。
それでも私がこの先何十年か生きたとしても、彼女の方が沢山のことを充分やってのけているに違いない。
象は象なりの、ネズミはネズミの人生を全うすると本で読んだことがある。
彼女は疾風のように沢山の出来事を巻き込んで生き、私はしょっちゅう木にぶら下がったまま動かずにぼんやり雲を眺める。
それぞれの時間の密度は、長さとかかわりなく同じなのかなと。













2017年10月8日日曜日

メニューイン

2、3日前の投稿「苦労してます」で絶不調と書いたけれど、主な原因はフランク「ソナタ」で使う楽譜の版をメニューイン版にしたこと。
今までずっと使っていた楽譜がボロボロになり、譜めくりをする時に紙が破れそうになるし、ずっと代わり映えしない弾き方をしていたから、このへんで初心に戻って勉強し直そうと、数種類の楽譜を取り寄せた。
どの楽譜も共通点はあるものの、フィンガリング(左手の指の運び方)、ボウイング(右手の弓の使い方)ともに様々な考え方があって、それぞれの編曲者が自分の個性を打ち出してくる。
学生時代から使っていたのは日本の出版社のもので、それにすっかり慣れてしまっていたから、なんとなく弾ける。
しかし、版が違うとぎょっとするほど弾けなくなる。
もともと知らない曲ならともかく、長い間に自分のやり方で弾いていたので、少しでも変わるとつかえるし、初見で弾くような気がする。

メニューインの版を選んだのは、本当にユニークだったから。
これでなにか掴めて曲想も変わることだろうと思って、練習を始めたのは、もう何ヶ月か前のことだった。
彼の思うことは理解できる。
たしかにこれで弾ければすごく豊かな表情が出るのではないかと、しばらく我慢して練習に励んだ。
けれど、どんどん泥沼にハマっていく。
どんどん音程が不安定になっていく。
しかし、元の自分のやり方で弾くとつまらない。

こういう弾き方で出来れば中々よろしいのではと思う。
しかし敵は天才、私は愚才。
どうやったって敵うわけがない。

自分の音程の悪さに悲鳴を上げるようになった。
先日の練習の時に「あなたねえ、どんどん(両手を視野を遮るように顔の両側に当てて)こういうふうになっていってるわよ」ピアニストに指摘された。
自縄自縛、自分でもそう思う。
中々音程が定まらないので、音を取るのが怖い。
音楽が前に進まない。

それで思い出したのが先日の女子会のときの会話。
「メニューインは音程が良くないのよね」と誰かが言った。
そうか、あのフィンガリングでは彼でも難しいのだろうか。
それとも歳をとってからの話だろうか。
続く「しかも弓がブルブルして大変なのよね」
天才も大変なのだ。
私がこのような状態でも優しい友人たちは「頑張ってね」と言ってくれるけど、メニューインではそうもいかない。
あのハイフェッツが引退したのも、彼のポリシーが「いつでも前回よりも上手く弾かないといけない」ということだったからだと聞いた。
だから引退はかなり早かったようだ。

人間絶好調のときもあれば絶不調のときもある。
それを許さないほどの自己を律する生き方をしないと気が済まない人もいれば、私のようにそのうちなんとかなるだろうと考える輩もいる。
今頃おめおめと、フランクのソナタが難しいなんて言うのは自尊心が許さないほどでなければ、大成しない。

チェコのヴァイオリニストの、スークの引退演奏会を聴いたことがある。
これが日本に来る最後だときいて涙なしには聴けなかったけれど、それだけでは無く本当に演奏が素晴らしくて感動した涙でもあった。
こんなに素晴らしいのになぜ引退してしまうのか、もったいないと思った。
彼らクラスになるとほんのすこしのミスも許されないのだろうというのはわかる。
しかしもったいない!
高みに登ると孤独の罰を受けるとはよく言ったもので、私達の窺い知れないほどの辛さがあるのかなとも思った。

楽譜が変わったから弾けないなんて言ったら、アホかといわれそう。
前回の練習の時に、見るに見かねた相棒がもう一冊の楽譜を見せてくれた。
それは日本でもおなじみのフランスのヴァイオリニスト、プーレさんの編曲。
借りてきて家で弾いてみたら、まあ、なんと明快な洗練された編曲!
泥沼から抜け出したようになって、私は一息ついた。
あと1ヶ月を切ったけれど、今からこちらの楽譜で練習開始。
やれやれ、メニューインのお陰でとんだ道草・・・かと思ったけれど、やはり捨てがたい魅力があるから、次回弾くときにはもっと時間をかけて自分のものにしたい。

ね、長時間立っていることよりも弾くことのほうが大変なことなのよ(笑)
私もしつこい。

























2017年10月7日土曜日

警察官

毎日必ず楽しんでいたパソコンのゲームが突然できなくなった。
Microsoftの陰謀かもしれない。
それで急に手持ち無沙汰になってしまった深夜の時間を、2ちゃんねるで潰すことが多くなった。
そこでの書き込みを読んでいたら、私も同じような体験をしたのを思い出した。
その記事がこちら。
拾ったセカンドバッグを交番に届けたら

千葉県船橋の駅前の電話ボックスで、私はカードケースを見つけた。
前に電話を使った人が置き忘れたものらしい。
カードが沢山入っていて、忘れた人はさぞ困ることだろうとあたりを見回すと交番があった。
覗いてみると、巡回中につき御用の方はこちらへ連絡してくださいという貼り紙。
電話番号が書いてあったから、さっきと同じ電話ボックスから電話した。
まだ携帯が普及するずっと以前のお話。

電話には西千葉(千葉西?)警察署の女性(警官?)が出て応対し始めた。
まず驚いたのはその横柄な口のききかた。
「あー、それで?名前は?」なんていうような、刑事物のドラマに出てくる威張った上官みたいな口調。
はじめは丁寧に状況の説明をしていたけれど、あまりの態度の悪さにムラムラと怒りが湧いてきた。
「ちょっとあなた!その口の利き方はなんなの。私は好意で届けているのに。他の人に代わってちょうだい!」
あまりにも大声だったらしく、その女性の周りが騒然としているのが伝わってくる。

男性が代わって出た。
「今の人はなんなの、名前を教えなさいっ!」「何度同じことを言わせるの、とにかくあの態度はひどいから謝らせなさい」
すると先程の女性が替わって「すみません」
怒るとと全部吐き出すまで気が済まないから「名前をいいなさいっ」
逆上しているから、とどまるところを知らない。
又男性に替わって「謝罪に行きますのでお待ち下さい。駅の上に喫茶室がありますので、そこにいてください」

しばらくすると男性警察官が二人、現れて頭を下げるから「さっきの人は警官なの?」と訊くと「いや、事務のもので」とかなんとか。
嘘おっしゃい。
身内に甘く隠し事ばかりする警察の体質を見た。
カードケースは無事持ち主の手に渡ったようで、丁寧なお礼のハガキをいただいたので、少しは気持ちが落ち着いたけれど、千葉西(西千葉?)警察署!警官は庶民の上役なのか?
どうなの?

これも随分以前の話。
nekotamaにはすでに投稿した記憶があるけれど。
大晦日も近い大混雑の渋谷の交差点で、次の信号で左折するために私は車を1番左の車線に移動して信号待ちをしていた。
すると私の右にいたトラックがしきりと左によってくる。
信号が青に変わった途端、右側のトラックが私の車の右前をこすりながら左折し始めた。
私は慌ててクラクションを鳴らしたけれど、ガリガリとこすりながら進んで、やっと止まった。

唖然とする私。
そのトラックは左折したかったのに、ものすごい渋滞で左の車線に行くことが出来ず、むりやり割り込もうとしたらしい。
もちろん私は激怒。
憤怒の相で睨みつけ、とりあえず二台とも左折して車を止めた。
おあつらえ向きのように、交番の前だったからちょうど良い。

人の良さそうな中年の冴えない警察官が取調べに当たった。
「あー、それで?なんであなたは左車線にいたの?」
私は「はあ?、だって次の信号で左折するから左によっていただけで、あの車線は左折専用じゃないでしょう?だいたい左折したかったら左によっているのが当たり前でしょう」
そのへんからもう怒りモードに切り替わる。
こちらも動いていてぶつかったのならお互い様だけど、停まっているものになぜ頬ずりをするのか。
よほど私の車が魅力的だった?
それともボロだから、少しくらい傷がついてもかまわないと思ったのか。
手際の悪い対応にイライラ、こちらを悪者にしようというのかしら。私に散々怒られてしょんぼりするおっさん警官。

するとそこへやってきたのは、見ただけでバレリーナとわかる女性。
体型、筋肉のつき方、歩き方で一目瞭然。
「財布拾いました」
そしてさっき私からさんざん叱られたおっさんが応対。
「どこで拾いましたか?お名前は?」
「それでお歳は?」
とたんに血相を変えた件の女性。
「あなた!女性に歳を訊くなんて失礼でしょう!」
おっさんはアワアワ。
こちらは可哀想な警察官のお話。

この日の彼は女難の相がでていたのかも。




















2017年10月6日金曜日

苦労してます

只今絶賛大不調中。
9月のたて続けのコンサートが終わって、自分としてはなんとかやり遂げたと思っていたけれど、プロコフィエフのソナタの録音聞いたら、ゲゲゲッ!
1楽章2楽章はまあまあ、3楽章もすこしテンポが速めだけれど、許容範囲内。
うん、まあまあだね。
ところが4楽章ですっかり安心したのか、調子に乗ってはずすことはずすこと、音程が見事にはずれている。
大変楽しく弾いたのでもう少しマシだと思っていたけれど、やはり油断大敵。
だいたい楽しく弾けたというときにはろくなことはない。

この曲を聴いた人が「ヴァイオリンは大変ですねえ」と言ったそうで、それを聞いて私は「分かってくれるかい?」と喜んだけれど・・・
その人はなぜ大変だと思ったかというと「4楽章もある曲を立ちっぱなしで弾くなんて」ということだったらしい。
あはは、そういうことは少しも苦労ではないの。
しかもコンサートは1曲だけでなく、たいてい3曲か4曲弾くから2時間立ちっぱなしになるけれど、それが大変と思ったことはないのです。

なにが大変かというと、音程を自分で作らなければならないこと。
それと右手の微妙なバランスが日によって変わること。
湿度や温度、手の湿り気などが関係して、少しでも条件が違うとあっという間に奈落の底に突き落とされる。
例えば、湿度が高いと、弦が伸びて調弦が狂う、音が伸びなくなる、湿度が低いと弓に張ってある馬の尻尾の毛が張ってしまう。

コンサートホールは常に一定の条件に保たれているけれど、北軽井沢のミュージック・ホールフェスティバルのときは、ひどい湿気に悩まされた。
弦が伸びて音程が下がるから絶えず調弦をしていたために、替えたばかりの新しい弦が自宅に帰った途端に切れた。

ヴァイオリンの部品は値段が高い。
金や銀の値段が弦の値段に反映される。
ガットの外側に細い銀か金の線が巻いてあるから。
それで1本切れるとあっという間に数千円が羽を生えて飛んでいってしまう。
一時期G線1本1万円近くした時期があって、そのときは死活問題だったことも。
弦は古くなると調弦が合わなくなるし音が悪くなるから、そうなると替えないわけにはいかない。

立って弾くのは少しも苦労ではないけれど、年をとって指先の水分が減ると音程に重大な影響がある。
それと体の柔軟性が失われることも大問題。
ということで、最近音程が悪くなったと感じることが多い。
若い時の録音を聴くと、自分でも驚くほどピッタリあっているのに、最近は自分で合っていると思っていたものがすごく低かったりすると、ショックで立ち直れない。
指のせいでもあるけれど、耳のせいでもある。

何回もくどくど言いますが、立っているのは全然苦労ではないですよ。
ヴァイオリンは音程が命。
今日は11月3日のコンサートのための練習でピアノと合わせていたけれど、私があまりにも神経質になっているのでピアニストから注意された。
神経質になりすぎて膠着状態、泥沼にハマって抜け出られない。

出す音がことごとく外れているようで、先に進めない。
たいてい、本番1ヶ月位前から、こういうことが起きる。
一度どん底に落ちないと、先に進めない。
もう一度初心に戻って再構成しないといけない。
これがつらい。
弾けていたはずのものが弾けなくなっているから、最初から組み立て直す。
嫌だなあ、年取ってから苦労するのって、なあんて。
誰に言われたからでもない、自分で始めたことなので仕方がない。

くどいけど・・・立って弾くから辛いのではありません。
面白いなあ、そういう見方があるなんて。



















2017年10月4日水曜日

ドッペルゲンガー

今朝、都内某病院から電話がかかってきた。
「先日いらっしゃってからお加減はいかがですか?」
「はあ?、私がですか?」と私。
もしや知り合いの医師がかけてきたのかと思ったけれど、病院の受付だという。
最近病院へ行ったのは、私の義理の兄が具合悪くなった時で、それ以来行っていない。

話がどうやっても噛み合わない。
その人の話によると、今週の月曜日に私名義の保険証を持った人が診察を受けに来たという。
保険証を見ると2年前に失効しているので、その日は帰ってもらったらしい。
とても具合が悪そうなので気にかかっていた。
しかし、保険証が切れているから受け付けるわけにはいかない。

日をあらためて来るとでも言ったのだろうか。
その後来院しないからどうしているかと。
私はそちらには行って居ないし、その人が来たという日は整体院に行ってマッサージを受けていた。
先生が2人と、あとから来た患者さんが二人いたから私のアリバイは証明される。

病院の受付さんは、少し言い淀んでから「だいぶ認知症の症状も出ているようなので、大丈夫かなあと思っていました」
え、なんだそれ私の事じゃん。

「私は都内在住ではないし、その時間帯はこちらにいましたから」
すると、私の分身がいることになる。
よくよく考えてみると私は、はっきりといつとは言えないけれど、数年前に保険証をなくしたことがある。
それで保険証を再発行してもらった。
そのときに、いとも簡単に再発行してくれたのでビックリした。
こんなに簡単なら、だれでも申請すれば他人の保険証を再発行出来るのではないかと思った。

そのときになくしたものを誰かが手に入れたらしい。
いったいどこでどのようになくしたか記憶がない。
例えば病院の受付窓口に置き忘れたとか、身分証明のために出した時に返還されなかったとか、色々考えられるけれど、もし金融関係などで不正に使われたら困る。
しかし、期限が切れているのでまあ、大丈夫とは思うけれど。
なにかに悪用されないだろうか。
なくしてから再発行までの間に、どう使われたかはわからないから不気味。

とりあえず、病院から警察に届け出をしてもらうということになった。
私の年齢に近い女性で、保険証が持てない理由があって・・・例えば保険金が払えないとか、住所不定であるとか、そんな人が困って他人の保険証を拾って使おうとしたなら、それはそれで気の毒だと思う。
「だいぶひどい状態でしたので心配でお電話してみました」と言う受付さんの言葉が心に引っかかっている。
秋風が吹き始めるこの頃、身寄りも無く体調が悪くて必死で病院へ行っても診てもらえなかったら、辛いことになっているのではと心配するのは大甘ですかね。

どうもこの甘さが近所の野良猫を引きつける要因らしい。

そう言えば思い出したことがもう一つ。
若かりし頃テレビにもよく出ていたけれど、どうも私のそっくりさんがいたらしい。
「今日テレビで見たよ。売れてるねえ」とか言われることも。
「私、その番組には出ていないわよ、人違いじゃない」と言っても「またまた~」なんて往生際が悪いと言わんばかりの対応。
ある時期、何回もそういうことがあった。
世の中広いのに、よりによって私そっくりの人がいるなんて気の毒な。
私に似ているとしたら、人生真っ暗だわねえ。