2020年11月29日日曜日

電子ピアノ到着

配送業者から電話で、明日、申し訳ないけれど朝9時ころ伺いますと。申し訳ないどころかおおいに歓迎。私はだいたい5時起きの毎日だから。待機していたら8時30分頃、すでに到着したと電話があって、複雑な森の中の道は説明の仕様がないから、真っ黄色のパパゲーノでお迎えに行くことにした。コンビニの駐車場にいますというからすぐに駆けつけて誘導。家の中はソファーや小さなテーブルやらで混み合っている。このテーブルとソファーの貰い手を探している。前の住人のノンちゃんのことだから、すごく上等なものなので捨てるのには惜しい。けれど、私は自分が使わないものは置きたくない。部屋の広さに余裕があるなら話は別だけど。

運び込まれた電子ピアノは、普段ピアニストの友人宅で見るような立派なものではない。可愛らしく安っぽく見える。それはスタインウエイなんかと比べたら月とスッポン。楽器とも思えない程だけれど、ここでピアノの練習ができるのはありがたい。近所が留守なら夜中でも気兼ねなしで音が出せる。消音もできるかもしれないけれど、なるべくヘッドホンは使いたくない。フィリピン沖で台風に遭遇して苦労した可愛そうなピアノちゃん。船酔いしたのか、音はいまいち。でもソファーが置いてあるよりずっと幸せ感がある。

ノンちゃんのスタイルに反して物がだんだん安っぽくなっていく。まず、立派すぎる食器棚を取り除いてニトリのペカペカ光る安物の食器棚に変わった。これだけでも家具に威圧されている感が消えた。ピアノも本物ではない。食器も軽井沢のアウトレットなどで安上がりに。でも空気の通りは格段に良くなった。物に押しつぶされそうだった部屋が明るくなった。動かない家具が可動になった。

この湿度の多い森の中では本物のピアノは置けない。ヴァイオリンを持っていくときにはエアコンをフル稼働するけれど、私がいない間は切ってしまうから。と、それは口実で本当はピアノが買えるほどお金持ちではないし部屋も狭すぎる。これで我慢するしかない。

ピアノは居心地良さそうに部屋の片隅に納まった。これでベランダの工事がすめばすべての改装はおしまい。軽井沢と追分に心強い手助け人がいて、なにかと助けてもらった。初めての土地で家具店やホームセンターがどこにあるかもわからない。車で連れて行ったもらったり工務店を紹介してもらったり実際に家の片付けをしてもらったり。私は非力で手にほとんど力が入らない。小柄だから高いところに手が届かない。それに生まれついての怠け者。自分の好きなことはせっせとするけれど、そうでないことは気が付きもしない。2年経ってようやく家に馴染んできた。なるべく明るく風が通る家であってほしい。

今朝は早くから目が覚めた。夜明けが待ち遠しい。シャッターを開けるとまだ真っ暗。ようやく薄明かりがさしてきたら、上の方は雲があるのにその下から朝日が登ってきて、息を呑むほど美しい。しばらく経ってから外に出ると、少し高く登ったお日様が木々のてっぺんを明るく光らせている。下の幹はシルエットになって、とても変わったクリスマスの飾りのように。毎日夜明けの光を見ていると、一日として同じ景色はない。毎日が感激の連続なのだ。

すべての照明をLEDに替えたので、私がいる間に故障することはないと思う。こんなに手を入れたのにあと数年通えるかどうか。最後の贅沢をした気がする。ピアノが収まったのですぐに帰宅することにした。日曜日だから午後になると交通渋滞が始まる。それを避けるにはグズグズしてはいられない。嫌がってグズる猫をキャリーバッグに放り込んで、出発。間もなく峠を降りる急カーブが始まった。するとすぐに凍結箇所が数箇所、昨日はここで大渋滞だったのかと納得した。右手に見える浅間山はもう真っ白に雪に覆われていた。管理業者が早く水抜きをと急かすのも無理はない。

予定では明日帰るはずだったけれど、色々考えるとやはり今日のうちに帰ったほうがよいかと。やはりそれは正解だったようで、安定した天気とガラガラに空いた高速道路、その先の環状八号線もほとんど混雑はなくらくらくの運転、いつもこうならいいのに。

これから4ヶ月、4月になったらまた森の中の生活ができる。それまでコロナを避けてじっと家で過ごす日々。雪道の運転さえできれば住み着けるのにと残念に思う。やってみれば案外できるかもしれないけれど、もう自信はない。特に峠越えの急カーブは恐怖でしかない。






2020年11月28日土曜日

雪が降る

 昨日午後慌てて家を出たのは雪の情報があったため。北軽井沢付近の天気予報を見ていたら今朝は雪と出ていた。それは大変。雪道は運転したことがないけれど、私の運転は急加速急ブレーキはめったにしないから、たぶん心穏やかに走っていれば大丈夫だと思う。軽井沢から千ヶ滝を超えたあたりから北軽井沢への山道はいいお天気でも急カーブできつい。まして雪が降ったり凍結したりすれば恐怖そのもの。

今朝は先日入れた食器棚の電気配線をつないでもらうために電気屋さんが来る予定だった。しかし、朝こちらに向かっていいるという電気屋さんから電話があって、いま途中まで来ているけれど大渋滞です。上の方が凍結してつるつるらしく事故があったようなので、配線工事は来春に行きますと。まだ食器棚の固定ができていないからあわよくば電気屋さんにお願いしてみようと思っていたので、あてが外れてがっかり。ま、いいわ、来年誰かがやってくれるから と儚い望み。

明日ピアノが届けばもう冬中来ることはないけれど、どうしても冬の森での生活もしてみたい。都心では最近またコロナがすごいことになっているらしいので、ここにいたほうが安全だと思うけれど、雪のある生活は年取ってから初めてでは無理だと思う。ピアノの配送業者から電話があって、雪がふりそうと言ったらぎょっとしていた。だんだん空が鈍色になってきたので、まもなく雪が落ちてくる気配がする。この森で雪が降るのを見るのは初めてで、それは素敵だと思うけれど、こうしてのんきにしていられるにはいつまでだろう。明日は天気が回復してくるらしいけれど。

今日は電気屋さんが来なくなって暇になってしまった。散歩に出たらすぐに足が痛くなってしまって、ヨロヨロと帰ってきた。本当にだらしなくなってしまった。昨日までは足は絶好調、もうすでに治ったものかと思えたけれど、今朝はぶり返して少しも歩けない。考えたのは、足の運動は歩くだけだとうまく行かないということ。ずっと同じ動作を繰り返すのがいけないのではないかと。その証拠に家の中で忙しく動いて家事をしているときにはあまり痛くない。それは様々な動作の組み合わせだから、ずっと同じ筋肉を使っているわけではない。総合的に体を動かすことがいいのでは?

予定が狂ったのでさて、なにをしようか。そういえばここのお風呂にお湯をいっぱい張って入ったことがない。あまりの寒さで溜めるそばから温度が下がってしまう。満杯になるころにはぬるくなっているし、待ちきれなくて半分もいかないうちに入ってしまう。一度でいいからたっぷりで熱々のお湯に浸かりたい。今日がそのチャンス!

温度設定はいつもは45度。あつすぎると思うでしょうが、タイルの冷たさと気温の低さでお湯が溜まる頃には冷めている。今日は温度設定49度、お湯を出し始めてからゴミ捨て場にダンボールを出しに行ったり気を紛らせながら待機。ごみ捨てから戻ったらお湯がたっぷり溜まっていた。手を入れると熱いくらいだけれどすぐに冷めるからと思って入ることにした。アチチアチチ、流石に熱いけれど入れないほどではない。なによりもこのお風呂でこんなに温まったのは初めてだから感激した。

最近は浮世離れの生活だから、なんでも感心感激する。今朝の日の出の景色は素晴らしかった。落葉樹の林はすっかり木の葉が落ちて、淡いピンク色の雲と青空を背景に裸の木々がシルエットで浮かび上がっていた。晴天ではないからすべての色調が柔らかい。毎朝無事で景色を眺める幸せ、コロナ感染拡大の非常時に穏やかでいられることがどれほどありがたいことか。とりたてて贅沢をしない、一流のレストランにも行かない、ブランド品を買うでもなく海外旅行もご無沙汰、それでも普通でいることのしあわせ。雪の予報を裏切って、すっかり晴れ渡ってきた。

少女時代には私はずっと雲を眺めている子供だった。蜘蛛が巣を張るのをずっと見ている子供だった。今またその時代に戻ったような気がする。





2020年11月27日金曜日

おお、寒い!

 今朝午前中にレッスンをしてから、12時30分ころ家を出た。早く到着しないと北軽井沢の森は真っ暗になる。この時期別荘に住む人達は家を閉める。水道の水抜きをしておかないと水道管が凍ってしまい大変なことになるらしい。だから今は森の中はほとんど人がいない。けれど、今年は特別なのかどうか、やはりコロナのせいか、まだ数軒の家に明かりが灯っている。

猫はといえば、つい先ごろ体調を崩したので心配だった。獣医さんに預けてこようかと考えたけれど、それも彼女にとっては大変なストレスになるから因果を含めて連れてきた。けれど全く心配なく、森の中に入った途端食欲全開、むしゃむしゃと餌を平らげた。なにが違うのかしら、やはり空気が美味しいのか。

暗くなると本当にバックライトの明るさでは車を入れることができない。センサーすら作動しない。先日真っ暗な中、いい加減にバックで停めたらアプローチの両側にある浅間山の溶岩をこすって、車の左側前方にかすり傷をつけてしまった。もちろんハイテクの最近の車は警告音を出すけれど、しょっちゅう出しすぎるので無視。おかげでパパゲーノは早くも中古車の風格となる。しかし、今回は生徒さんに断ってレッスンを端折って家を飛び出してきたから、午後4時前の明るいうちに到着できた。明るいうちにいろいろやっておかないと、手元すら見えない真の闇になる。ドアの鍵を開けるのもままならないほど。懐中電灯は必須なのだ。

寒い!とにかく寒い!猫を家に入れる前に石油ファンヒーターを点火、寝室のオイルヒーターとベッドの電気敷き毛布、ペット用ヒーター、エアコンとあらゆる暖房を一斉に作動させた。やはり大型の石油ファンヒーターの威力はバツグンで、ぶ格好に大きすぎると悪評のほまれ高いファンヒーターは大活躍。エアコンは夏用だから今回は使わないことにした。家が温まって猫も所定の位置でくつろいで、私はホットウイスキーを飲んでいる。

川を挟んだお向かいの家に明かりが灯っている。なんだか安心する。3年ほど前、この森にん人っ子一人いないときに来たことがある。森の中でたった一人は本当に寂しい。それでも人は生まれるときも死ぬときも一人ぼっちなのだから、なれておかないとね。朝の光がさすともう寂しくはない。今は落葉樹が葉を落とし、朝日がよく見える。庭の下を流れる清流を見ることができる。この季節にならないと木の葉が邪魔をして見ることができない。水源地として守られている保護林から湧き出る水は、勢いよく水音をたてて、時には雨が降っているのかと錯覚されるほど。厳格に伐採が管理されていて、許可がなければ自宅の庭の木を切ることはできない。細い下枝以外は管理者の許可が必要になる。

家の中に入ると、先日運び込まれた新しい食器棚が梱包されたままの状態で置かれていた。来るつもりだった配送日の前夜、猫が突然痙攣して大騒ぎ。結局別荘の管理人と追分けに住んでいる友人が立ち会って運び入れてもらった。けれど、本人がいないところで梱包を解いてはいけないという会社の決まりがあるらしく、私は構わないから梱包を解いておいてと頼んでも、配送業者は頑として受け付けない。うーん、全く面倒な。先程到着して梱包を解くと、まあたくさんのゴミが。これを捨てる手間が面倒な。

目の前に立ちはだかっていた不細工な食器戸棚がなくなってすっきり!と思ったら今度は台所が丸見え。すると水回りは常にきれいにしておかないと見栄えが悪い。うまくいかないものだわね。

やっと体が温まってきた。普通ならお風呂で温まればいいのだけれど、この家の湯船は巨大でなかなかお湯がたまらない。湯船はタイルが貼られているのですぐにお湯が冷めてしまう。お湯が溜まった頃にはぬるくなってしまい、しかもタイルはなかなか温まらないから背中がつこうものなら、ヒヤッとして飛び上がりそうになる。この湯船を改造しようと思っているけれど、水場はお金がかかる。しかも家が変形だから湯船を改造するのも難しい。工務店さんに相談したけれど、まだ結論は出ていない。なんたって、そこの社長が放った第一声は「うーん、こりゃあひどい」だったので。ノンちゃんの素敵な家の弱点なんです。










冬の到来

 早く家を閉めないといけないとは思っていたけれど、未だに家具類が収まっていない。まもなく北軽井沢の寒い冬、その寒さったら・・・

水道が凍るといけないから早く早くと管理の工務店さんから催促が来るけれど、あと一つ、電子ピアノの搬入が遅れている。なにも家を閉めるこの時期に買わなくてもいいのに何事も思いつきで行動するものだから、先日楽器屋さんでキャンペーン中で大幅割引、搬送費ただと聞いてつい買ってしまった。冬には家を閉めるからと言って一旦は春になったらと断ったものの、今や電子ピアノは大人気で納品が遅れがちと聞いて買うことにしたのが間違いのもと、もうすでに雪の天気予報が出ているこの週末に北軽井沢まで出かけなければならなくなった。なんでもフィリピン沖で台風が発生して船便が遅くなり、この時期でないと届けられないという。そちらで預かってくださいと言うと、それは困ると。本当なら先週の温かい頃にお願いしてあったのに。

猫は先日の痙攣があったので大変迷ったけれど、やはり連れて行くことにした。最近彼女は夜中に大泣きする。どの猫も大抵そうだけれど、やはり多少ボケ症状?私もまもなく夜中に大騒ぎするようになるかも。私の両親は最後まで頭がはっきりしていたから、私もそうであってほしいとは思うけれど。

自分の歳を考えると、厳しい環境の山の家はそのうち負担になってくるだろうと思う。のんちゃんは90歳近くまでこの家に住んでいた。彼女は心身ともに健康だったのだと思う。私は足が痛くて今歩けない。姉はちょうど私の年齢の頃、歩けないからと言って私の家に来なくなった時期があった。私の家は2階でエレベータなどという文明の利器はないから、階段が登れないと言って猫の世話をしてもらえなくなった。最近また世話を頼めるようになったので訊いたら、とにかく歩くことにして毎日体を動かしていたのが良かったらしく、だんだん元気になったという。私のこの足の痛みも、怠け病かもしれない。コロナ発生以来ますます痛くなったのだから。

スキーのお誘いが来る。シーズン中に是非一度は行きたい。平日のホテルにシングルで泊まれば、スキー宿のクラスターを避けられるというわけで、実際そうしている人がいる。毎年絶対に滑ることを自分に課していたので、今年もひっそりとシングルで滑ることにした。毎年のグループでのレッスンは中止、あとは混んだバスなどに乗らずなるべくタクシーとなると、ちょっと懐は痛い。けれどあと何シーズン滑れるかと考えると、多少のことがあっても無理しても行きたい。

じつは北軽井沢の家のそばに小さなスキー場があるらしい。気がついたのは今年秋。ノンちゃんもお隣さんもスキーは卒業していたから、そのことは話題に上らなかった。ただし、この家に来るには急な上り坂を登ってこないといけない。普通でも運転が大変なのに、これが凍ったらと思うと恐ろしい。先日工事をお願いした電気やさんに訊いたら、スタッドレスを履いていれば大丈夫ですよ、でも下から上がって来るのが大変だなあ、と。でも自分の庭みたいなところに初心者用のゲレンデがあるってのは素敵!だれか運転してくれる人がいれば毎日1時間位軽く滑ることができる。送迎してくれる人はいないかなあ。冬は農家も暇そうだし、真剣に探せばいるかもしれない。

今年は家を整えるのにたいそう時間がかかった。工事や家具探しに追われた。もう少し若ければこの先数十年住めるけれど、もう数年しか来られないだろうと思うと、次なる住人を探そうかと思っている。この家を大事にしてくれる人、できれば音楽が好きな、あるいは演奏する人、あるいは学問の好きな人、あるいは動物をかわいがってくれる人。ノンちゃんの遺志が継承されていければ嬉しい。

数年前、私は悲しみのどん底にいた。最後にノンちゃんまで失って呆然としていた。それがこの家を受け継いで自分の思い通りの形にしているうちに、いつの間にか癒やされていた。いわば、この家は私のカウンセラーだった。自宅にいても、毎日北軽井沢の森の景色が目に浮かんだ。ここに来るたびに、森は毎回違う顔で出迎えてくれた。あるときには新緑、今頃は落ち葉と紅葉、ときに激しい雷や夕暮れの優しい陽の光に包まれる。

森と対面していると何もしなくても豊かな心になれる。コロナがはるか遠い国の出来事のように思える。自宅に戻ると現実が待っていて、毎日の感染者数が確実に増えているのを知らされる。森の家にはテレビがないから、世間の出来事は全くわからない。政治家のおじさんたちが否定するけれど、go toキャンペーンは絶対に今の感染拡大につながっていると思う。もう少し待てばよかったのに。緊急事態宣言を撤回してもgo toなんかしなければよかったのに。今は誰でも本当に大変な時というのはよく分かるけれど、なにもわざわざ感染拡大に手を貸すことはないのに。拡大が収まらなければいつまで待っても経済は良くならないのがどうしてわからないのか、このスットコドッコイ共!

私も大勢の仲間達とスキーを楽しみたい。毎年お正月、天元台に40人とか集まって、それはそれはにぎやかだった頃が懐かしい。ピアノが来たらピアノ弾きにも来てもらえる。弦楽器奏者はいつでも集まれる、ここに毎日音楽が響くようにしたい。春が待ち遠しい。

とりあえず今日午後、北軽井沢に向かって出発!日が落ちる前に着かないと、車をバックで入れられない(バックライトが役に立たない)ほどの真の闇だから慎重かつスピーディーに。本当に暗いのですよ。








2020年11月16日月曜日

コチャの秘密

コチャは推定年齢19才。拾われて不妊手術をしたのが18年前だから、少なくともその数ヶ月前に生まれているわけで。近所を散歩していたときに目の前を横切った若猫、いきなり私の足元にゴロンと倒れ込んできた。仰天して慌てて家に連れ帰り、その日から飼い猫になった。

当時うちでは3~4匹の猫が常時いる環境で、時には5匹超え、最後に拾われた彼女はいつもミソッカス、唯一の雄猫の玉三郎が私にベッタリと張り付き、すごい噛み癖のあるジャコと陽気で人懐こいナツメと賢く優しいモヤの3匹のメス猫もいたのに誰ともつるむことなく、孤独で気難しく一人押し入れに隠れて生活してきた。目立たず騒がず孤高の猫の立場を貫いていたので、私もあまり干渉しないでいた。

数匹の猫はほとんど同じ時期に拾ったものだから、最近次々と時期を同じくして死んでしまった。そして最後に残ったのがコチャだった。それまでほとんど構ってもらえなかったから接し方がわからない。で、私は今まで構わなかった分、思い切りかわいがった。最初は戸惑っていて抱っこしても体を固くして突っ張っていたのが、だんだん力が抜けてきた。今では私の姿が見えないと探し回って鳴く。家中と言っても全く広くないから私がいるのは気配でわかりそうなのに、傍に行ってやらないといつまでも呼んでいる。目が少し悪くなっているかもしれない。

そのコチャが突然痙攣を起こしたのが数日前の午前2時ころ。いままで飼った猫たちは全くそういうことはなかったのでびっくり仰天して、夜間の救急病院へ連れて行った。検査の結果はどこと言って悪いところはない。しかも病院についたときには発作はすでに治まっていていつもの鳴き声で抗議している。獣医師が言うには、内臓はどこと言って問題はないけれど、脳腫瘍や脳炎の疑いがあるから検査入院させましょう。そこまでの検査ですでに高額な治療費がかかっていたので、お断りした。猫にそれほど高い治療費をかける気はない。自分にだってかける気はない。

コチャはというともう普段と変わらず早く帰ろうと私を急かす。そうだね帰ろうね。

家に帰ったコチャはむしゃむしゃと餌を食べ、いつもの3倍位の食欲で出すもの全部平らげた。はてな?いつもこんなに食べないのに・・・月曜日になるのを待ってかかりつけの動物病院へ相談に行った。

そこは古くからの知り合いの病院で、先々代の先生からうちの猫たちはお世話になっている。おじいちゃん先生、長男先生と次男先生、今は長男先生の息子さんとそのお嫁さん先生。いったい何匹の猫がここで治療を受けたか数えられないほどだった。

痙攣を起こして救急病院へ行ったことを話し、もらってきたデータを見せると「別に悪いとこないよね、あっ、膀胱穿刺してる」と先生。おしっこの検査をするために採取したらしいけど、押せば出るのにとも言う。痛かったでしょうねかわいそうに。これでいくらかかったの?治療費の金額を聞いて笑っていた。今度からここへ行きなさいと渡されたパンフレットは以前にも紹介された夜間動物病院。今回そこへ行かなかったのは、コチャが痙攣しているのを見て命に関わると思ったから。一刻も早く治療をしてもらうためだった。

痙攣している時間を訊かれたから5分くらいと言ったら笑われた。そんなわけないよ、せいぜい30秒くらいでしょう。でも私にはとても長い時間に思えたのだ。5分も続いたら死んじゃうよ・・・だそうで。

その次の日にはコチャはいつもよりずっとたくさん餌を欲しがった。いつもは食が細くレトルトの少量の餌も半分残すほど。それをぺろりと3個平らげカリカリもかなりの量を食べた。それはやはり痙攣して体力をたくさん使ったからで、痙攣が終わってから床に置くとぐるぐる回るのは目が回って一時的に平衡感覚が損なわれるからだそうなのだ。回転するのは平衡感覚を取り戻すためだと。

脳波の検査やMRI検査などは、次にもし発作が起きてからでいいでしょう。今元気ならそれほど心配はいらないと言われて胸をなでおろした。

今まで発作を起こしたことはなかったの?と訊かれ返答に詰まった。そういえばコチャのことはほとんどわかっていなかった。いつも押入れに隠れていたし、他の猫は必ず部屋のどこかにいて私の目が届いていたのに、彼女だけはたまに餌を食べに出てくるだけ。密かに私の目の届かないところで痙攣していたかもしれないと考えると、不憫な思いがこみ上げる。最初の出会いがそもそも、私の目の前でゴロンと地面にひっくり返ったのだって、もしかしたらそういうことだったのかもしれない。

彼女は私の愛情を独り占めしている今が一番幸せなのかもしれない。人間で言えば今92歳だそうで今まで目をかけられなかった分、目一杯可愛がってあげよう。長いこと押入れの中で一体何を考えていたのかしら。体調不良になると押し入れに隠れてしまうので、よくわからなかった。コチャ!はっきりものを言いなさい。気分が悪かったり寂しかったら玉三郎みたいにうるさくつきまとっていいから。







2020年11月15日日曜日

go toのせい?

以前にもましてコロナ感染者が増加しているという。これってgo toのせいではないの?

少し感染者が減ったからと言って一気に旅行させるように仕向けたのはだれ? 考えただけでもわかるでしょう。浮かれて騒いで飲んだらマスクなんか邪魔だからとってしまう。これで感染が収まるわけはない。頭の悪そうなおっさんが観光業界を救うために打ち上げた花火。その政治家は観光業界に属している。実は自分たちのためだけしか考えていない。けしからん。

しかし、それに乗る方も乗る方。少しばかり安くなるからと言って、家族揃って浮かれて出かける。助成金が出るから使わないと損した気分になるらしい。本当のこと言えば、自分が汗流して働いたお金で行くほうがよほど気分がいい。誰かにお金もらっていくのって嫌じゃないですか。しかもそれは政治家がポケットマネー出すのではなくて、みんなが納た税金でとなると、私はあまりいい気分にはなれない。それも政治家たちの身内を潤すだけで、本当に困っている中小企業や自営業の人たちには恩恵が少ないような気がするけれど。

どこかへ行かないと面白くない?うちで静かにしているのは面白くない?私だって無類の旅行好き。だけどこういうときに出かけるのは馬鹿だと思っている。言い方わるいけど、自分の頭の中で楽しむことを知らない人たち。こういうときは知的に遊びましょう。疒付きでない知的ね。痴的ではなく。ホストクラブやキャバクラなんて行かないで。だいたいああいうところへ行かないとちやほやされないのは、あなたに魅力がないからなのよ。

「お前さんにゃ言われたくない」と言う声がしたような。空耳かな?

そういう所に行かなくても思いもかけないところで感染することは十分考えられる。今日は買い物に出て途中で足が痛くなった。公園内では石垣やベンチに座って足を休めるけれど、商店街ではおいそれと座れるところはないから、コーヒーショップに入った。隣の席との距離は数十センチ。この店では座席の数を減らしていないから、客同士は近い。足が休まったのでそそくさと出てきたけれど、この間10分と経っていなくても、とりつかれたかもしれない。もちろん帰宅してマスクと手をしっかり洗ったけれど、気休めかもしれない。一番いいのは北軽井沢の森の中でじっとしていることなのだ。

本当のコロナの怖さはこれからわかるかもしれない。爆発的に感染者が増えている欧米は再びロックダウンが始まっている。とにかくこの病気が収まらない限り経済は絶望的なのだから、まずどんなことをしても病気を治さないといけない。こうなったら何がなんでもコロナ退治をしないといけない。go toはその後でないといけなかったのに。心配したとおりになってしまった。

カツカツの生活ができれば良しとしないと、以前のように豊かに暮らそうと思わないことにした。私が若い頃は貯蓄は底をつき家中探しても出てきたお金は五百円。それでも何も辛いことはなかった。もう笑うっきゃない。恥じることなんて全然ない。胸を張って生きてきた。お金はあれば素敵、なくても他に素敵なことはいくらでもある。私の食費は猫より少ないと思う。猫は贅沢で、あれは嫌これはまずいと食べない。私は多分ホームレスしても生きていけるくらい好き嫌いなくなんでも美味しく食べる。今どきのホームレスさんは口が肥えていると聞く。銀座の一流店の残り物をもらって「あそこは最近味が落ちた」なんて言っているらしい。私は一流店なんてめったに行かないからわからない。

山あり谷ありの人生、こういう時期もあるさ。いちいち反応せずトータルで考えれば、こんな平和な日本に生きて底辺とはいえ餓えもせず、ちゃんとした教育を受けさせてもらって健康で生きていられるならなにも問題はない。私が一番必死で働いたのは60才過ぎてから。当時父親がなくなって家のローンがドサッとのしかかってきた。その額たるや身震いが出るほどだった。毎日預金通帳をベッドの上に並べてため息をついていた。睡眠時間は2~3時間、耳鳴りが収まらなかった。明日は目が覚めないかもしれないと本気で考えていた。突然死の言葉が脳裏を過る。ようやく危機を乗り越えたときには心底ホッとした。その後はすこぶる健康。

その一番大切な健康が今コロナの脅威にさらされている。これが最大の問題。そのために何をしなければならないか、よく考えれば忍耐しかないということ。昔、竹槍訓練しながら唱えたでしょう、欲しがりません勝つまでは、って。

え、知らない?おかしいな。










コチャの一大事

 うちの大切なお姫様コチャは人付き合いの悪い気難しい性格。せっかくそばにフカフカの柔らかい布団があるのに、好き好んでクローゼットの巣穴に隠れ住んでいる。家具の配送を頼んであった北軽井沢に行くために、今朝の2時ころから準備を始めた。3時に出れば夜明けに着いて、家具が受け取れる。受け取ったらKさんと山を降りたところにあるハルニレテラスに行くつもりだった。クリスマスの飾り付けが始まっているのでそれを見ようという約束だった。

2時前後、なにか大きな音がした。コチャのいるクローゼット付近。なにか落としたかな?すぐには静かにならないから何事かと行ってみたら、ぶら下がった衣類にコチャが爪を引っ掛けてもがいている。彼女は爪切りが大嫌いで、切ろうとするとうねうねと体を動かして、どうしても切らせない。特に親指の爪は伸びると肉球に食い込んで痛そうで、何回も挑戦するけれどなかなかきれない。獣医さんの前でガチガチに緊張しているときしか言うことをきかない。

その伸びた爪のせいでもがいているのかと思ったら、どうも様子がおかしい。目がギラギラして変な鳴き声。口からよだれが垂れている。2日ほど前からお腹を下したり吐いたりして、調子が悪かった。そのせいで出発が遅れてギリギリ今朝早くになってしまったのだ。どうも尋常ではないから抱き上げて抱きしめると少し落ち着くようだけれど、床に下ろすとぐるぐるその場で回っている。こんなことは長年多頭飼いで数え切れないほどの猫を見てきたけれど、初めてのことだった。私もパニックになって声も出ない。しかし今が爪切りのチャンス、抵抗なく爪が切れた。本人は爪を切られていることすら気が付かないようだ。

落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせる。この夜中に開いている病院は近所の救急動物センター。ものすごく高額な診療代金を取るので有名。うちの猫たちもやむを得ずそこのお世話になったときには、目玉が飛び出るほどの診療費、例えば他の夜間動物病院などの2倍以上の診療費を請求された。わかっているけれど、一番近いのはそこで、一刻を争うような病状なら仕方がない。とりあえず、行こう。

受付の後で費用の提示があって、切羽詰まっているから涙を飲んだ。しかし症状はすでに収まっているらしく、鳴き声はいつものトーン。本人を見せてくれないから様子がわからない。検査の結果は取り立てて悪いところはなくて、もう少し検査をすれば神経系統、あるいは脳腫瘍などの疑いがあるという。しかし、ずっと昔猫を飼い始めた頃この病院で、なおこちゃんという子が脳腫瘍を手術して結局帰らぬ猫になった記憶が蘇った。その時の可哀想さは今でも胸が痛む。余計な治療をするのではなかったと。なおこちゃんは本当に家から一歩も出ない箱入り娘。それが医療器具の光った病院でどれほど怖い思いをしたかと思うと、自分を殴りたくなる。そっと送ってあげればよかったのに。

それ以来猫たちは、自然に衰えていくのを見守ることにしていたのに、パニックになってまたこんなところへ連れてきてしまった。このまま入院させるようにという獣医師のすすめを振り切って連れ帰ってきた。いつものやさしい獣医さんに診てもらおう。猫のことになると私はうろたえてばかり。いつもの呑ん気さは影を潜める。彼らは言葉ができないから、今どんな具合なのかわからない。今は大きな声で鳴いているから、命に別状はなさそうだし、声も普段どおりの声になってきた。とにかくこの金儲け主義の病院を脱出しよう。

ここの病院は獣医師たちの間でも呆れるほどの高額の治療費で、それに呆れた複数の獣医師たちが集まって夜間診療を行う病院が他にできた。そこは私の家からは少し遠い。一刻を争うと思ったから、また来てしまった。かかりつけの獣医さんは私がここへ行ったと聞いたら、呆れると思う。検査のデータをもらって明日からはいつもの病院へ行こう。帰宅したのが午前5時ころ、それから今日家具を配送してくれる業者に連絡、別荘地の管理会社に連絡、一緒に遊ぶ予定だったKさんに連絡。なにをどうしていいかわからないけれど、とりあえず皆にメールを送った。やっと眠った。

目が覚めると8時、配送センターからの連絡に事情を説明して、自分は行かれないこと、別荘地の管理人に立ち会ってもらい荷物を家に運び込んでもらうなど依頼。管理人からも承知した旨のメールがあってホッとした。追分のKさんから私の家に行って業者さんの運び込みや家具の配置のことなども手伝ってくれるという。みなさんありがとう。だれもが親切で協力してくれるのだ。パニクっている私のシドロモドロの説明もなんとかわかってもらえた。

ああ、疲れた!コチャはもう普段どおり、あれは一体なんだったの?突発的な発作だったのか。今日は日曜日でかかりつけの獣医さんはお休みのようで電話に出ない。明日一番で診察をうけるけれど、大勢の人を巻き込んだ騒ぎにもコチャは知らん顔。全く猫ってやつは!

実は業者さんや管理人さんたちには急病人が出てと言ってあるけれど、急病にゃんとは言ってないので、どうかご内密に。











2020年11月14日土曜日

冬支度

 北軽井沢の家はそろそろ閉めることにした。寒冷地仕様の温かい家だけれど、道が凍る、雪が降るでは車の運転が心配。本当に若い頃から雪道を運転しておけばよかったと思う。今の私の筋力ではなにかあっても自分一人ならともかく、猫とヴァイオリンをかついで避難できない。チェーンを巻くということも不可能。案外と臆病なので今まで雪道の運転をしたことはなかった。日産の担当者からJAFの講習受けたら?と随分前に言われたことがある。そうね、そのときは超絶忙しく仕事をしていたので、気持ちはあっても暇はなかった。今はひまなのにJAFの講習はもうなくなってしまったそうなのだ。思い立ったらすぐにやるべきとわかっているけれど。

撤去してしまった食器棚の代理品が北軽井沢の家に明日届くので、昨日の夜か今朝早く出かけるつもりでいたら猫が体調を崩した。ひどく吐いておまけにお腹を壊してトイレに通いつめている。時々この猫はこういうことがあって、以前にもこのまま天国かと思っていたら獣医さんの点滴で回復したことがあった。その都度獣医さんのお世話になっている。今回も昨日の朝点滴をしてもらった。なぜかひどく猫の機嫌が悪く、珍しく獣医師に吠えたようだ。なんか怒ってるよと先生。いつもは猫かぶっているのに、私にも目をランランとしてフーフー言う。どうやら外猫のノラがうちのベランダまで遊びに来たのが気に食わなかったらしい。しばらくご機嫌取りに大童だった。

一回で治るかもしれないけれど違う環境で悪化すると困るから、念のためにもう一度点滴をしてから出かけることにした。今朝治療してもらい、さて出かけようとして高速道路の情報を見たら、鶴ヶ島付近がずっと渋滞。故障車が居座っているようだ。点滴をすると大量の液体が体に入るので、猫はトイレを我慢できないかもしれない。トイレが済んだら出かけよう。数時間待ってもう一度情報を見ると、ますます渋滞が延びている。もう行く気は失せた。それなら明日早朝に出ることにしよう。

いつも真夜中に目が覚める。本当に寝起きがいい。でも世の中は午前2時。音を立てるのもはばかられる。外を徘徊していたら保護されそう。だからそこが一番余裕のある時間帯で、2時は無理として3時に出れば6時過ぎに到着する。これが一番効率的、ただし霧が出なければのことで、時々朝霧に悩まされることもある。暗い時間に車を出すのはちょっとまわりを伺ってしまう。あのうちはとうとう夜逃げかしらなんて・・まだ今日中に出かけるのぞみを捨てていないから、道路情報を見ている。あと1時間位で渋滞が解消すれば、本当は今日中に着きたい。でも、もうモチベーションが下がってきた。休息モードに入ってしまった。

明日の午前中10時過ぎに食器棚が届くと、家具やさんから連絡が来た。毎日夜中の2時に目が覚めるのに明日に限って寝過ごしたらどうしよう。案外と気が小さくて心配性なので、長年の仕事で自分が原因の遅刻はしたことがない。あれほど忙しかったのに、この氣の小ささが幸いした。それで、旅の仕事はできる限り前日に現地入りする。

食器棚が届いたら次は26日に電子ピアノが来る。ノンちゃんが待ち望んでいた、このうちでコンサートがしたいというのぞみが叶うのに。生きていてほしかった。聴いてほしかった。ピアノは先日河合楽器に行ったら、キャンペーンやってますと言われて大幅割引と配送料タダというのにつられて衝動買い。この家に関することは、もうこれで全部の準備ができた。あとはひたすらコロナ感染が鎮まって春が来るのを待つ。聴いてくれる人がいなければコンサートにならない。

毎回北軽井沢に行くたびに、ノンちゃんの好きだった庭の大木の下に花の苗を植えている。木の下にはノンちゃんも眠っている。毎朝起きるとおはよう、時々、この家を残してくれてありがとう、夕方、おやすみなさいと語りかける。そのたびにあのおおらかな太陽のような笑顔が目に浮かぶ。今年はこれでそろそろ店じまい。来年もなるべく早く来ますね。いつも「ねえ、nekotamaさん、いつ来るの?」と言っていたっけ。

誰にも弾いてもらえずに寒いところに一人でぽつんといるピアノが哀れ。家をしめるのはもう少し後でとも思うけれど、水道管が破裂したらあとがおおごと。やはり管理人の言うとおりにしないといけないかなあ。春が待ち遠しい。






元気になりました

 コロナのせいで長いブランクがあって、もうヴァイオリンでステージに立つことはかなわないと思っていたけれど、来年の予定が一つはいったらもう元気百倍。現金なものです。

やはり私達はステージが命、アンサンブル好きがこうじてプロになってしまったのだから、大げさに言えば生きる源、3度の飯が食えなくとも弾いていたい。いえ、食わないと死んじゃう。でも私がプロになった頃には食べていけないほどの貧乏オーケストラ、若かった当時は意気軒昂たるもので自分がいなけりゃこのオーケストラは潰れるくらいの意気込みだった。経済的には本当に無駄なことだったとは思うけれど、その御蔭で少しくらいの貧乏は全く意に介さなくなった。

強い人になれました。これほど強いと人を食って生きていける。叩かれ強いと他人から言われる。何を言われても柳に風と流せる。

ひとつ後悔することは、やはり留学すればよかったということ。今からでも遅くはないといわれるけれど、例えばひどく寒いベルリンとかパリとかで足が痛くなって野垂れ死にしそうなときに、果たして言葉がわからなくても死なないだろうか。ある指揮者が冬の夜、迷子になって危うく凍死寸前だったとか、ヴァイオリン製作者がクリスマス休暇中のパリはお店が休みで餓死寸前だったとか聞かされると、日本のように夜中までコンビニが開いている国は天国だと思える。フランス人はマスクをしない。ニューヨークでもマスクをしない権利とか言う人が多いとか、やはり私はそういうことが生理的にだめ。そんなことを言っているからいつまでも日本から離れられない。若ければまだしも、この歳でねえ。もうすぐ天国という留学先が待っているのに苦労したくないというのが本音。日本にいても随分本場の人たちと彈くことができたから、良しとするか。

最近ピアノの生徒が来るようになった。私とモーツァルトのソナタを合わせてほしいというわけで、彼女は月イチで通ってくる。最初驚いたのは、あまりにも雑な音の出し方。バチンバチンと鍵盤を引っ叩く。あのねえ、鍛冶屋さんじゃないから、鍵盤を叩かないでというとキョトンとしている。彼女は大学の音楽学部出身。今はYou Tubeでいつでも演奏家の動画が見られるから、名人の動画を見てご覧、そんな叩きつける彈き方している人はいないでしょう、手の動きを観察してと言うと次のレッスンのときになるほどそうですねと言う。初めてそんな事言われましたって・・・・・助けて~

椅子の高さ、座り方、手と鍵盤の関係など、いちから説明を始めた。私はピアニストでもないのになにを偉そうにと自分でも思うけれど、なんでも運動の理屈は同じ。なにをやってもフォームが良くないといい結果はでない。理にかなった運動が必要なのだ。鍵盤は叩かないで。叩くことがあればそれは表現が要求するときだけ。普段は置いた指を下げればいい。響きを止めるような馬鹿力はいらない。

いつもしっかり彈きなさいと言われていましたと。強い音を出して遠くに届くようにとも言われたそうで、遠くに届く音は響きであって打鍵音ではないと説明。あ~あ、こういう教え方をしていて高い月謝がもらえるっていいなあ。私も先生稼業すれば今頃は自家用機で旅行して歩けるさ。トランプ「もと」大統領のようにコロナにかかっても退院するときに凱旋将軍のように振る舞える。それにしてもあのひとはどこまで我をつらぬくのか、普通なら恥ずかしくて当然の振る舞いを平気でするあの神経、爪の垢でも煎じて飲みたい。おや、だれか?煎じて飲まなくてももう十分と言ったわね。

アルゲリッチの弾き方見ているとかなり叩いているように見えても彼女の手は柔軟で、ある一定の限界を超えないギリギリの線でけっして響きを止めていない。そのために表現が大きく豊か。天才だからと片付けてしまってはお終いで、非常にバランスがとれていると思う。あの上辺の形だけ見て真似するのは危険。日本のかつてのヴァイオリン界の教え方がそうだった。外側から見た形を教えられたので、私達は随分無駄なことをさせられた。先生方を恨むじゃないが、もったいない時間だったなあと思う。先生たちも試行錯誤だったのではと思う。スポーツ界だってそういうこといっぱいあったと思う。マラソンで水飲むなとか。発展途上で色々あっても技術は日々進歩している。まず力まない。体の関節を柔らかく。

前述の彼女、最近音が変わり始めた。時々だけれどヴァイオリンとハモる。ほらね、アンサンブルはね、楽器同士が響かないといけないのよ。あなたはあなた、私は私ではなくて一緒に作り上げていくものだから、長い年月をかければかけるほどよい音になる。楽器だってお酒だって一緒なのだ。

結婚生活とよく似ている。全く違う人生を歩んできた同士が一緒に住む。これは絶対に軋轢があるに決まっている。最近の若者達は(これはお決まりの年寄のセリフだけれど)そこの我慢ができない。お互いにそれを乗り越えられるだけの愛情が必要なのに、愛されることばかり考えて愛することをしない人のなんと多いことか。自分のやり方に相手をはめようと躍起になる。それではだめ。二人で新しい人生を築くことが目的なのに。

全く違う世界、それはアンサンブルとよく似ている。一人では50しかできないことが、二人だと100になる。どちらが主導権を握るかは、それぞれの場面による。あるときは自分がメロディーを、あるときは伴奏を、あるいは全員で同時に歌い上げる、人生のアンサンブル。

私の家庭生活は概ね幸せだった。それは夫の犠牲のもとにと友人たちは言うけれど、私だって非常に努力した。傍目には私が主導権を握っているように見えても、実際は頑固な夫の柔和な外面に騙されていたのも知らないでね。彼はなくなる直前は毎食「これおいしいね」と言ってくれた。雑な料理だったのに。その優しさが涙を誘う。他の欠点が見えなくなるコツ。そう言われたら本当に美味しく作ろうって気になるじゃない。彼が居なくなって私はずっと体半分なくしたような喪失感に襲われていたけれど、そろそろ大丈夫になろう。一人で暮らす覚悟はできた。









2020年11月7日土曜日

やせ我慢

私は超薄着。真冬のスキー場のゲレンデでも着ているものはタンクトップと薄いウールのセーターとダウンのヤッケのみ。最近は時々下着のシャツを着るようになった。

足が痛くて気がついた。未だに夏用のダウンの肌掛け布団を使用していることを。これじゃ冷えるわ。野蛮人ここに極まれり!私の家は奇人変人の巣窟、遠いご先祖から私の兄まで変な人揃い。兄だけでなくもちろん私も少し変。兄は温かい日にコートを着ていることを母から注意されたら、次の日から寒くてもコートを着ない。頭の中は数学だらけで寒暖に対する神経が抜けているらしい。私も同様、春が来て暖かくなっても冬の厚手のコートで高校に行ったら、友人が暑苦しいと言って怒るまで暑いことに気が付かなかったということもあった。私達兄妹は変!

どこの整形外科に行っても同じ診断、同じ処方箋、それで今日は四谷の血管クリニックに行ってみた。インターネットでヒットした足の専門医。足の血管の血流が悪くなって、静脈瘤ができる・・その方の専門らしい。私の場合静脈はまだ浮き出ていないけれど、その前触れとなるしびれや足攣りなどが現れているから、もしやと思って予約を入れた。けれど、血流は静脈・動脈ともに優等生。どこも悪くなくて痛みやしびれが出るとは思えないけれど、今のところ原因はまだつかめない。そして、またしても同じ薬が処方された。少し違ったのは、そこで弾性ストッキングを勧められたこと。

弾性ストッキングと最初に聞いたとき、男性用のストッキングかと思った。なんじゃそれは?看護師が履かせてくれた。非常に弾力があって履くのが大変。履き方にコツがあって数回練習してなんとか履けるようになった。だから脱ぐのも大変。

帰宅して昼食を摂るとすぐに眠くなって、そのストッキングを履いたまま寝てしまった。夕方目が覚めて説明書を読んだら、履いたまま寝てはいけないと書いてあった。やれやれ、失敗した!その頃まではなんの変化もなかった。しばらくして気がついたのは、椅子からすぐに立ち上がれたこと。いつもなら、立ち上がってから少し準備して歩くことを自分に言い聞かせないとあるき出せない。でも今日はそのことをすっかり忘れてしまうくらい、すぐに歩けるようになった。やはり運動不足で、自分では気がつかないけれど、血の巡りがわるかったのかもしれない。今日から冬用のかけ布団に切り替える。世の中の人はとっくにそうしているに違いない。

しかし、明日散歩に出てからでないと、弾性ストッキングの効用は確認できない。果たして効き目はあるのかどうか。結局内科と整形外科と血管専門医とかかって、同じ薬をもらってきた。原因は果たしてなんなのかは未だに不明。患者が少なく空いていたからプラセンタの注射をしてもらってきたので、明日は美しくなっているかも。乞うご期待。

帰宅して郵便ポストを見たら、ステージドレス専門店「メイミイ」からのはがきが届いていた。私はこの店は開店当時からの客だった。18年目にコンサート用のドレスを選びに行ったら、オーナーのめいみさんが「nekotamaさんは18年もずっと来てくださって」とお礼を言われたことがあった。それからまた6年たった。

ある時「nekotamaさんは招き猫なのよ」と言われたこともあった。私がそこへ行くと必ず他の人達が入ってくると。自分では全く気がつかなかった。「ほらね」階段を降りてくる足音がして、ほんとだ、ぞろぞろ入ってくる。いつもそうだった。

悲しいことにコロナの影響でこの店も閉店するという知らせだった。いつも大事なコンサートではこの店のドレスを着た。めいみさんが選んでくれたものは着易くて着映えがして、演奏家のためのドレスそのものだった。演奏会は演奏する人、会場の裏方さん、マネージャー、そしてこういうドレスの専門家などがいて初めて完成する。裏で支えられてきた歳月をしみじみと振り返っていたら涙がこぼれた。

行きたいけれど、悲しくてやりきれない。それにあの素敵なドレスを着るには、私の身長が足りない。足に問題がなければ高いヒールの靴でなんとか着こなしたけれど、今の足では低い靴しか履けない。もし足が良くなったら行ってみよう。




2020年11月5日木曜日

選手交代

自宅前は川 、桜並木が続いていて春は絶好のお花見ポイント。実に素敵なのだが、秋の今頃にはたくさんの落ち葉が舞い散る。早朝、近所の90歳の元気なお年寄り(自分のことは棚に上げる)がせっせと掃いてくれる。もともとは私が掃いていたのが、ある日掃こうと思ったらすでに誰かがきれいにしてくれていた。それから毎日、いつ行ってもきれいになっている。よほど早起きとみえてその姿を見ることはなかった。

やっと私も早起きできたときにその正体を見たら、太いしっぽの生えた狐が・・・ではなく、元気な高齢女性がせっせと掃いていた。声も大きい、体も大きい。掃き終わると、どこからともなく現れる爺さんが二人。待ち合わせて散歩に出かけるというシステムになっていた。90才なのに卓球をやっているという。私も誘われたけれど、とても敵いそうもないからお断りした。

時々先手を取ってヤッターと思ってせっせと掃いていると、あとから現れてものすごいパワーでみるみるうちにきれいに掃いてくる。力も強そうで、その完璧な仕事ぶりにはシャッポを脱ぐ。終わったあとにチリ一つ残さない。私はなまくらな箒のせいで、アチラコチラ落ち葉が残っているという体たらく。

ところがこのところ異変が・・・いつもの女性でなく見知らぬおじさんが。あら、どうしたのかしら、風邪でもひいたかな?入院するようなことでも起きたのかしら。そのおじさんも3日坊主、見ていると簡単そうに思えるけれど落ち葉掃きはかなりの労働で、2ブロック分の距離を掃くのだから、終わる頃には腰が痛くなる。たった数日で音を上げたとみえる。

それで掃き手のいなくなった道は落ち葉だらけ。私の出番が戻ってきた。ゴソゴソと頼りなげに掃いていると、その人が男性二人従えて歩いてくるのが見えた。あら、お元気だったのだ。近くに来ると、私ねえ~と話しかけてきた。

実はコロナのせいで卓球場が閉鎖されて、もう半年以上卓球をやっていないのよ。そうしたらね、運動不足で五十肩になって手が上がらなくなって掃けなくなっちゃったの。

90歳で50肩、40歳も若いのね。

もともとは私がやっていた事だったから別に頼まれなくてもやるけれど、偉そうに私20年も毎日掃いたからと言われると少しカチンと来る。私はその前、数十年掃いていた。運動のためにやっているのよと言われたから手を引いたのに、なんかお前さんがやって当然みたいなことを言われるとねえ。

その人が掃かなくなって、時々お隣の人が掃いている。しかし2階からこっそり見ていると、自分の家の前だけ。私の家の前に来るとやめてしまう。私はずっとお隣の家の先まで掃いていたのに。そう思いながらこっそり覗き見する自分がいじましくて嫌味だなあと思っている。暇になるとご近所さんのあら捜し。それにこれは公共の道だから、誰がやらなくてはいけないということはない。

お向かいさんはその点あっけらかん。その家の前を掃除していても「おはようございまーす」と元気に挨拶するのみ。これは明るくていい。絶対に「これからはうちでやりますから」なんて言わない。そこがいい。若者は仕事を懸命にやっている。道を掃いている暇なんかないのだ。実際私もそうだったから。死ぬほど働いていた。毎日、明日はきっと私は目が覚めないだろうと覚悟して眠った。

隣人が自分の家の前だけしか掃かないなんて言うような嫌味な婆さんになってはいけない。

コロナのせいで腕が上がらなくなった落ち葉掃き前任者。私もまた、コロナのせいで足が不自由になった。電車が怖いからどこへでも車で行く。外出の機会が減った。歩かなくなる。血流が滞る。そして今右足が非常に痛い。10分も歩くと痛みでうめきたくなる。明日足の血管の専門医に診てもらいに行くことにした。どこの整形外科でも、いつも同じことを言われて根本的な治療にならない。何科に行っていいかわからないのでネットで調べたらヒットした血管の専門医があった。さて、それがラッキーかアンラッキーか、どう出ますかお楽しみに。













2020年11月4日水曜日

コロナは続くーよ、どーこまーでもー

 いつまで経っても感染はおさまらない。久しぶりに電車に乗ったら、全員マスク。もうマスクをしないと裸同然で歩いているようで恥ずかしい。そのうち衣類を着けずにマスクだけして歩くなんてこともやりかねない。それほどマスクは最も重要な衣類の一つになってしまったのだ。マスクを忘れて表に出ようものなら、慌てて引き返す。

私は今までインフルエンザのワクチンも肺炎のワクチンも受けたことがない。以前から割合にマスク党なので、感染しなかったのかもしれない。ただ一つ受けたワクチンが狂犬病。チベットに行くときに受けたら、そのあと高熱を出して寝込んでしまったから、それ以来ワクチンが怖い。狂犬病は日本ではもう見られないけれど、まだまだ世界中では安全ではない。特に百パーセント死に至るそうだから、チベタンマスチフにガブリとやられたら天国でお会いしましょうとなる。

今年はインフルエンザのワクチンを受けようかと思っているけれど、又副作用で熱を出すのではないかと心配している。野蛮人だから薬や注射がえらく効いてしまう。踝から足に掛けて痺れや痛みがあるから病院へ行ったら、薬をくれた。ビタミン剤と痛み止めと胃の薬。なにこれ?と言いたい。結局薬で症状を和らげるだけで、根本的に治そうという姿勢がないのだ。痛み止めは効きすぎて胃が荒れて気分が悪い。

強気の私も足の痛みには流石にまいった。筋肉をつけるために多少のストレッチとか散歩とか。それらの効果は甚だ薄い。特に散歩は以前の4分の1ほど歩くと、もう痛みに襲われて歩けなくなる。最近は石垣とか他人の家のちょとした建造物にでも、お構いなく座らせてもらうことにしている。とくに荷物が重いともういけません。羞恥心が薄いからどこへでもドサリと置いて、ぼんやりと雲を眺める。最近猫との会話が出来ない。どこの猫も警戒心が強くて、手懐ける自信満々だった私も腕が落ちたようだ。猫をダシに休憩が出来ないのが残念。

人混みでマスクを着けない人がいる。それはその人の自由だけれど、人にうつすか人にうつされるかの心配がなければいい。でも絶対に可能性が無いとは言い切れないから、してほしい。特に若い女性、半分顔が隠れるのがいやなのか。半分隠したほうが美人に見えますよと言ったら殺されそう。

この秋、北軽井沢と自宅を週替りで行ったり来たりしていたら、すごく疲れた。そこへ持ってきて急に寒くなったから鼻水が垂れる。家の前の道路を掃き清めていたら鼻水がツツーっと落ちてきた。マスクでしっかり受け止めたけれど、これはもしかしたら風邪ではなく花粉症かもしれない。

これからの季節は乾燥するから流行が拡大するかもしれないといわれる。例年ならば、冬はとても楽しい季節だった。雪が降った?どこで?志賀高原に?うれしい!となる。今年の12月に志賀高原に行きませんかと誘われていたけれど、団体のスキー宿でシングルに泊まるのはほとんど不可能。無理にそうしてもなにかわびしい。今までの私の人生の経過から見ると、これはそろそろスキーをやめさせようという天の啓示かもしれない。怪我をしないうちにゲートボールとかお手玉に鞍替えしようと導かれているのかも。いやいや、もう最後まで滑りますとも。私達の仲間がそうしたように。