訃報です。磯部優美子さんが亡くなられました。
最初に彼女とご主人の、演奏を聴いたのは彼らがドイツから戻ってすぐのときだったと思う。その後仕事で度々お目にかかり、いつのまにかスキー仲間となりよく一緒に遊んでもらった。彼女のスキーは慎重そのもの、絶対に転ばないようにとゆっくり滑る。ある時どのくらいのスピードで滑っているのかと跡をついて行ったら、足が持ちきれなかった。足の筋肉が悲鳴を上げるほどゆっくりと慎重な滑り、スピード命の私は太腿の筋肉がつりそうになった。
その彼女が災難にあったのは、以前古典音楽協会のコントラバスを弾いていた富永岳夫さんたちと一緒に滑ったときだった。よそのグループの引率者の脇見滑降で後ろからぶつかられ転んでしまったのだった。ぐにゃりと曲がったストックから衝突の強さがわかるほどだった。追突した引率者はその時女性しか周りにいなかったので偉そうに振る舞い、舐めてかかるふうだった。
その後私達の仲間の待っている場所まで来てもらって交渉が始まった。その前に私は富永さんに事故の報告をした。「富永さん、あなたサングラスをはずさないでね。交渉は私達がやるから黙ってニコリともしないで立っていて。腕組するといいかも。」引率者は私達のグループのところまで誘導され、そこで白髪で背の高い富永さんが黙って立っていることに気がついた。
実は富永さんは目を見るといかにも優しそうで、サングラスを外すと迫力がないのだ。口をきくときはいつも笑っているし、相手が安心してしまうといけない。しかしサングラスで黙っていると背が高いこともあって非常に迫力があった。
引率者は最初はストックの値段も安く値踏みしていたけれど、同じストックの値段はもっと高かったし、壊れたサングラスも上等でかなりの額の賠償になったけれど、すべて弁償することに一言も文句を言わなかった。傍らでじっと腕組みして無言の白髪長身の男性がよほど怖かったとみえる。
その時の怖い男、実はすごく優しい富永さんも亡くなり、優美子さんのご主人は先に逝ってしまい、彼女は今頃優しいご主人に迎えられて幸せな再会をはたしていることでしょう。
現役時代、彼女は様々な病気に苦しまされた。一番悪かったのは脳内の視神経に腫瘍が巻き付いてしまうことで、度々手術が行われた。それでもついに手術も無理となり視力を失ってしまった。その病気の発症の初期に、仕事が終わったあと彼女が泣き出したことがあった。楽譜の端っこが見えないと。視神経が視野を狭くしていたのだった。何回もの手術に耐えていた。
彼女が入院中で来られなかったスキーツアーで、ご主人がお土産を探していた。「奥さんの探しているの?優しいね」と私が言うと「だって可愛そうじゃない。頭切っちゃって」とご主人。仲の良い御夫婦だった。
数日前、優美子さんの容態が変化し始めたと連絡があって、私とヴィオラのAさんは介護施設にお見舞いに訪れた。彼女はベッドに身動きもせず横たわっていた。こちらから色々呼びかける声は聞こえるらしくかすかに反応があった。しかし私がスキーの話をし始めると急に反応が良くなり、目を半分ほど開きしきりに足を動かし始めた。ああ、ゲレンデで滑っているのかな?と思った。
虹の美しいゲレンデ、雪がつもっているのにお花がいっぱい咲いて、その中をゆうゆうと滑っていたのかもしれない。また一緒に滑ろうね。
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