昨夜からずっとレオニード・コーガンのことを思い出していたのだけれど、もう一つ思い出したのはもっと後で聞いたこともあったこと。
多分 私がもう音大を卒業したての頃かと。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聞きました。オーケストラはNHK交響楽団、それは横浜でなく都内のコンサートホールでいくらなんでも日比谷公会堂ではなく、NHKホール、または上野の東京文化会館でした。
ベートーヴェンの協奏曲といえばあの長い前奏で、ソリストは辛いだろうといつも思っていたけれど、彼はずっとオーケストラのほうを向いて彼らが演奏するのをじっと見ていた。見られた方は生きた心地がしなかったかどうか、いやいや、天下のN響ならたとえコーガンであろうとビビリはしなかったかそのへんはわからない。とにかく私だったら震えちまうと思っていた。
コーガン氏は思ったより小柄な方で、それでも一本筋の通った真っ直ぐな立ち姿に威厳を感じた。子どものころ見たときとあまり印象は変わらず、当時もう仕事をしていた私達にもそう遠い人ではなくなっていた。と、いうのは、社会に出て仕事を始めた人たちの中で、ホテルで演奏していたら彼コーガンがちょうど宿泊していて、レストランで自分たちの演奏を聞かれてしまったと騒いでいるという噂も聞いていたから。
私達もオーケストラだけでは収入が少ないのでホテルやレストランで稼いでいた。そういうときに誰が聞いているかわからないので思いがけないことが起こる。オーケストラで大町陽一郎氏の指揮でリハーサルがあった。彼は指揮台に乗ると目の前にいる女性団員を見て「あ、あなた、この前三越のエスカレーターの前でカルテット弾いてましたよね」見つかってしまった女性は「やだー」と照れていたけど、そんなこともありました。大町氏はニコニコして嬉しそうだったけれど。
銀座のソニービルの前でのことは私達の仕事の時。銀座のど真ん中でカルテットを弾いていたらヴィオラのメンバーに向かって「先生」と声をかけた人が。なんとヴィオラ奏者のお弟子さんだった。その後風が強いので屋内に入ったような記憶があるけれど。箱根の森美術館の庭園で演奏したときも、あまりにも風が強く、楽譜が一枚譜面台からピューッと飛んでいってしまったことがあった。
私がとっさにマイクを持って「いま夕星が流れ星になってしまいました」といったらメンバーたちから大受けだったことも。その曲は「夕星の歌」の楽譜だったので。理由がわからないないお客さんたちは、ぽかんとしていた。記憶というのは嬉しいものですね。今となっては、はるか昔のことは少しぼやけてきているけれど。
戦後のオーケストラ受難の歴史を今思い出すと感無量。そうやってなんとかして崩れそうな貧乏オーケストラの建て直しに苦労したことも。でも今思うとあの頃が一番おもしろかった。若く希望に満ちて、毎日泣き笑い。幸せな人生だったと。
それでどなたか教えていただけないでしょうか。レオニード・コーガンの横浜県立音楽堂でのリサイタルで「プロコフィエフのソナタ2番」を演奏したかどうか。もしくは都内の他の会場での演奏と間違えていないかとも、ご存知なら教えていただけると嬉しいです。
0 件のコメント:
コメントを投稿