私はいまや一人暮らし。猫が友達。古びてよれよれながら時々素敵に嬉しいことがある。
今から15年ほど前まで勤めていた音楽教室の弦楽アンサンブルのメンバーと毎年一回、発表会のための練習の指導をする。ヴァイオリンの個人指導はやめたけれど、それだけは毎年声をかけていただけるので夏場だけ出ていく。納涼大会のおばけだね、こりゃあ。そういえば、だんだん奇っ怪な風貌になってきたかも。むふふ
私が初めて音楽教室の指導をするようになったのがほぼ30年前、15年目に自由になっても良い関係はずっと保たれていたのでありがたいことだと思っている。最初のオーナーの小田部ひろのさんとは二人三脚でああでもないこうでもない、時にはというよりしょっちゅう大喧嘩、それでもずっと一緒にアマチュアオーケストラを立ち上げたりしていた。それこそ彼女が息を引き取ったその瞬間まで一緒にいたのだった。あとにも先にも彼女ほど本音で付き合えた人はいない。いまでも思い出すと慟哭しそうになる。
彼女がなくなって私はすっかり気落ちしてしまった。その後しばらくして教室のレギュラーはやめさせていただいたけれど。
私が目指したレッスンはひろのさんが理想とした「疲れたおじさんたちがほっと息がつけるオアシス」だった。あっという間に教室は楽しく学ぶ人達が増えて、毎日笑いが絶えない日々。そして私達二人の喧嘩も賑やかになり、まるで本当の姉妹のようだった。楽しかった。喧嘩しては次の日ケロリと笑える、そんな仲だった。
今年も夏がやってきた。とんでもなく暑い夏が。そしてまた私の大切なチルドレンがニコニコして集まってきた。彼らはホッとするというよりもずっとハードな練習に耐えて年々個人的な楽器の技術も上がり、アンサンブルの経験も長くなり、最初の頃の私の悪口雑言はもはや影を潜められた。「この世のものとも思えない奇っ怪な音」何度も私は彼らにそう言った。どうしてこんな音を出して我慢できるのか。
個人的な事情で時々メンバーは交代するけれど、ほとんどの人がやめないでいるのはアンサンブルの宝になる。継続の力がこれほど大事なことであるのは音に現れる。それにしてもメンバーのほとんどが若々しさを保ち続けている。しかも今回はメンバーのお子さんが参加してくれた。演奏レベルの引き上げをしてくれる音大附属高校生。私はどんどん老いてゆくというのに。いまやどちらが面倒を見ているのか見られているのかわからない。それでも私は彼らと合うと、背筋を伸ばさないといけないような気分になる。
これはすごく大事なことで、演奏の引退宣言をしてしまった頃から体の中心がズレてきたような気がしていた。一年足らずでも楽器をケースにしまったままだったから、生きる目的もなくなっていた。けれど、こうして時々若い人たちと会ったり昔の友人達と合わせたりしていると背骨がつながっていくようなシャンとした気分になるのに驚く。
アンサンブルの練習後、居酒屋で飲み会にも付き合えた。ノンアルコールで我慢したけれど、こんな気分はここ数年久しくなかったこと。私が彼らに引きずられて年齢が巻き戻されたような気分になった。やっと私は復活できそうになってきた。少しずつではあるけれど、前に進んでいる。音楽は本当に素晴らしい。
それにしても、もう少しなんとか涼しくなってもらえないものかしら。
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