2011年11月30日水曜日
病院へ
子供の頃から虚弱だったから、病院に行くのは少しも苦にならないけれど、今日はまいった。日本は高齢化社会だから年をとって部品がさび付いてきた人たちがわんさかいる。それで、整形外科はおおはやり。仕事ももうとっくにリタイアして、さして用事があるとは思えない人たちが、診察時間が遅れているといって、大騒ぎをしている。どっちみち家に帰って嫁さんから邪険にあつかわれるより、優しい看護婦さんのいるこの病院にいた方がいいんじゃないの?次から次に呼び止められ、自分の番が来ないと文句を言う人がいるので看護婦さんは大忙し。それでも一人ひとり丁寧に受け答えをしている。えらいなあ。私が看護婦だったらとっくに切れて「うるさいっ」って怒鳴っているところだが。それでも4時間もかかって薬と湿布薬をもらい、コルセット制作の予約をして薬局に向かう頃に疲れ果てた。田辺聖子の「ああ、カモカのおっちゃん」が書庫にあったから借りて読んだので、たいそう愉快に待っていられたけれど、何にもしないでボーっとしていたらたまったもんじゃない。さて診察の結果は以前と同じすべり症。レントゲンの結果を見ると大したことはないので薬とコルセットで様子を見ることになった。薬はたぶん痛み止めと胃薬。それでも足のだるさは耐えがたく、ほんの数分立っているのもつらい。それでお店の中で下の棚を見るふりや、エレヴェーターの中で自分の買い物袋を点検するふりをしてしゃがみ込んで一時しのぎにしていた。カートにもたれかかって足の負担を軽くする。昨日立ってヴァイオリンを弾いたら9分くらいの曲でも大変つらくて、気持ちが足に行くため上半身の力が抜けて、いつもより弾きやすかったのが儲けものだった。良い時にも悪い時にもいつでも、取り柄はあるものだなあ。
2011年11月29日火曜日
腰が・・・
先日から怪しかった腰がどうも言うことをきかなくなった。痛みはなくなったのに立ち上がってしばらくすると足がしびれてくる。あまりのだるさに立っていられなくなる。それでも一昨日までは少し動くと症状が軽くなって動けたのに、昨日から今日はほとんど立てない。それでどうしたらいいかと思ったけれど、良い知恵も浮かばないから、とりあえず寝ることにした。約一昼夜寝て、これでどうだと思ったけれど、立つと足が異常にだるい。5分と立っていられない。たしか以前腰痛の時に作ったコルセットがあったっけ、探すと無い。いつもそこらへんにゴロゴロあったはずが・・・思い出した・・・ゴムが劣化して使い物にならないから捨てたのを。いつも肝心な時に肝心な物が無いのが私の生活。ごみはいくらでもあるのに。立つとしびれるから四つん這いで家の中を移動していたら、今まで見たこともないところに埃がいっぱいある。四つん這いは楽だから雑巾を持って床掃除。腰痛も捨てたもんじゃない。珍しくお掃除なんかしちゃった。一か所きれいになるとほかも気になってくる。特にレッスン室は今度の週末ロンドンから有名なヴァイオリニストがやってくるから、お掃除にも熱がはいる。久しぶりに小ざっぱりした部屋はなんだか冷たい感じになって、いつものひっちらかった部屋の温かみが消えてしまった・・・ように思える。一般の人はこれが普通で気持ちいいと思うのかしら。私は少し散らかっている方が居心地がいい。いつまでも四つん這いで歩いてはいられないから、明日は病院に行ってみようとおもっている。行かれたらだけど。本当は私は猫だからこのままが自然なのかもしれない。それでも最近の動画では喧嘩をして仁王立ちになる猫なんかもいるらしい。せっかく四足で歩くなら可愛い尻尾がほしいな。
2011年11月27日日曜日
お見事
関東学院大学オーケストラの定期演奏会が7回目を迎えた。初めは人数も少なくシンフォニーなど夢だったこのオーケストラがいまや立派にベートーヴェンのシンフォニー7番・・・・おや、奇しくもラッキーセブンがならんでのコンサート。数年前からのお付き合いだが、目を見張るような上達ぶりに舌を巻く。新入生のうちでもここで初めてヴァイオリンを手にしたような学生も、立派に演奏に参加している。指導者がいいのとみんなの努力と指揮者の安東先生のお言葉。それは言える。トレーナーは私たちの古典音楽協会のメンバーのうちの2人。私はエキストラで参加。特に感心したのはシューマンのピアノコンチェルトで、先日の練習に参加した時に全体としてはいいけれど、細かい部分でどうかなと思うことがあって、それをトレーナーのN先生につたえておいたら、今日のステージリハーサルではきっちりなおっていた。なによりもこの学校の校風でしょうか、生徒がとても明るく素直なのがいい。一緒に今回エキストラで参加したヴィオラのFUMIKOさんもビックリ。あまりの礼儀正しさに仰天して、彼女の親友の大学の先生が見学にきたほどだった。来年はブラームスの1番のシンフォニーだそうで、いよいよ大曲に挑み始めている。今日感心したのは管楽器の思い切りの良さ。ベルリオーズのラコッツィーの出だしは秀逸だった。ブラームスのトロンボーンのコラールが今から楽しみ。それとヴァイオリンのソロも大いに期待している。
2011年11月26日土曜日
太りすぎ
先日受けた人間ドックの検査結果が送られてきた。てっきり胃癌が見つかるとおもっていたし、脳は梗塞と縮小が激しいと思っていたのに、なーんにも悪くない。強いていえばコレステロールと血圧がほんのわずか基準値を上回っているだけ。乳がんの検査も白。手術から7年経過。まあまあセーフかも。血圧は白衣性高血圧だと思うし、コレステロールはもう数年はずっと同じ数値。240という値は基準値(220)より高くても、この値の人が一番長生きするそうで、それならいいんじゃない?と思いませんか?善玉が多いから問題なし。ところが心臓の不整脈と腎臓に空洞?があるそうで、心臓は少し気をつけなければいけないけれど、腎臓の空洞は問題ないそうで、それはどんなことなのか。医師の説明はさっぱり要領を得ない。あってもなんら差支えないそうで、でもなぜそんなものがあるのか、はたして臓器への影響はあるのかないのか、その説明もない。あたまから素人に言ってもわからないだろうという態度見え見えでしゃくにさわる。ようするに体の中にむだな空間があるのだから、水や空気が溜まったりして圧迫することはないのだろうか。そのせいで私は太っているかもしれないのに。いつも検査の後で体重と身長のバランスが悪い、一言で言えば太っていると言われる。それなのに中性脂肪は正常。血糖値も正常。それなら別に問題なさそうな気がする。私としては少し体が重いけれど、今の体重が一番スタミナがある。もう3キロもやせると、とたんに体力がなくなる。1キロくらい痩せればベスト。それは腰、ひざへの負担が少なくなるからで、腰痛ひざ痛がなければ今のままで十分。ただすてきな洋服が似合わないのが悩みの種だけど。良いなと思って試着すると、お腹ポッコリであきらめることが多い。ヴァイオリンが弾けなくなったら猛然とダイエットして、スリムな服を着よう。服を着るためにダイエットするより、いい音を出したいから、もうしばらくは無理だなあ。
2011年11月24日木曜日
だんしがしんだ
立川談志の死去を今朝の新聞で知った。思いがけないほど悲しかった。2010年4月にこのブログで談志の悪口を書いている。当時テレビで見た彼のあまりのだらしない様子に憤慨して投稿、次の日に彼の病気が重いと知って同情していることを書いたもの。
談志を寄席に見に行ったのは学生時代。おそらく大学4年生の頃だったと思う。演しものは忘れたが、今の彼ほどは毒舌ではないが切れ味のある颯爽とした風貌が目に焼き付いている。黒い着物の多いなか、鶯色の着物が色白の顔に良く似合っていた。そして、その手の美しさが忘れられない。晩年汚いひげなんか生やしてだらしなく座っていても、手は相変わらずきれいだった。きょうテレビでお子さんたちが会見をしていたけれど、御嬢さんが手を首元にやってちょっと掻くようなしぐさをした時に、あ、お父さんに似ていると思った。うちに談志の落語全集のCDがある。去年仕事も少なくなってヒマになったので、うちでゆっくり聞こうと思って買ったのに、その後また忙しくなってきて聞かずにいたもの。志ん生、志ん朝、小さん、に続いて全集は4人目。志ん生、小さんは時々聞いているが談志はまだ1枚も聞いていない。まだ生きているから寄席で聴くこともあるかと思って、CDはもう少しヒマになってからの楽しみにと思っていたのに。かつて日比谷に飛行館というビルがあって、そこに音楽スタジオがあった。そこで仕事を終えてエレベーターに乗ったら、談志と鉢合わせしたことがあった。憮然とした表情でもう一人の男の人と黙って乗っていた。こちらも「ああ、談志だ」と思っただけだったけれど、今思えばちょっと話しかけてみればよかったと思う。たぶん、無愛想な答えが返ってきただけか、無視されるかどちらかだったと思うけれど。「落語は人間の業の肯定」本質を言い得て妙。惜しい人でも人の命のはかなさには勝てなかった。
談志を寄席に見に行ったのは学生時代。おそらく大学4年生の頃だったと思う。演しものは忘れたが、今の彼ほどは毒舌ではないが切れ味のある颯爽とした風貌が目に焼き付いている。黒い着物の多いなか、鶯色の着物が色白の顔に良く似合っていた。そして、その手の美しさが忘れられない。晩年汚いひげなんか生やしてだらしなく座っていても、手は相変わらずきれいだった。きょうテレビでお子さんたちが会見をしていたけれど、御嬢さんが手を首元にやってちょっと掻くようなしぐさをした時に、あ、お父さんに似ていると思った。うちに談志の落語全集のCDがある。去年仕事も少なくなってヒマになったので、うちでゆっくり聞こうと思って買ったのに、その後また忙しくなってきて聞かずにいたもの。志ん生、志ん朝、小さん、に続いて全集は4人目。志ん生、小さんは時々聞いているが談志はまだ1枚も聞いていない。まだ生きているから寄席で聴くこともあるかと思って、CDはもう少しヒマになってからの楽しみにと思っていたのに。かつて日比谷に飛行館というビルがあって、そこに音楽スタジオがあった。そこで仕事を終えてエレベーターに乗ったら、談志と鉢合わせしたことがあった。憮然とした表情でもう一人の男の人と黙って乗っていた。こちらも「ああ、談志だ」と思っただけだったけれど、今思えばちょっと話しかけてみればよかったと思う。たぶん、無愛想な答えが返ってきただけか、無視されるかどちらかだったと思うけれど。「落語は人間の業の肯定」本質を言い得て妙。惜しい人でも人の命のはかなさには勝てなかった。
2011年11月23日水曜日
腰痛
何年も出なかった腰痛がここ一ヶ月ほど前から起こるようになった。中国整体に行くと「あんまり体動かさないね。体硬いよ」と言われた。そういえば一昨年までは全国を飛び回っていたから、毎日今とは比較にならないほど動いていた。家を出て羽田空港へ行くまでにどのくらい歩くか。目的地に着いてバスに乗りホテルへ。ホテルから食事のために町に出てレストランを探す。面白いところがあればちょっと寄ってみる。次の日の仕事は一日中会場内だけど、控室からステージへ、休憩で控室に戻ってまたステージへを何回も繰り返す。仕事が終われば夜の街にフラフラと出てみんなでお酒を飲んで、次の朝また空港へ、羽田に着けばそこから家まで結構乗り継ぎで動く。よくもこの年であんなに動けたものだと感心する。で、なにを急に考えたかと言うと、今日は新宿御苑駅すぐの小さなスタジオで、先日亡くなった友人のご主人をしのぶ小音楽会で弾くために家を出た。初めはいつものように車で行くことを考えたけれど、音楽会のあとのフランス料理のためにやはり歩いて行くことにした。ボジョレーヌーボーを呑むことになるから、車で行って一口も飲めないのは癪に障る。お料理は絶対ワインに合うから、水やウーロン茶では悲しい。そこで気持ち良く晴れた秋空を楽しみながら、30分くらい先の湘南新宿ラインに乗れる駅まで歩くことにした。途中でそうだ、腰痛だったと思い出しながらトボトボ歩いたが腰はなんでもない。靴はスニーカーでないから少し歩きにくい。荷物も楽器もあるからしんどい。それで以前の旅行のことなども思い出して、そういえばこんな感じでよく歩いたなあなどと、懐旧の念にふけった。コンサートは友人がピアノを弾いて、ご主人のお友達が思い出話をしたり、家族の合奏があったり、終始和やかに進んだ。私はあまりお目にかからなかったけれど、こんなにいいお友達がたくさんいるのは、本人の人柄の賜物に違いない。しめっぽくならず、笑い声がしばしばあがって、まるで当人がそこにいるような雰囲気だった。きっと、一緒にいたのでしょう。帰り道、又往きと同じ道を歩いて帰った。バスも止まっていたけれど、なにか歩きたい気がして歩いてしまった。ヘトヘトになって帰りつき、そういえば今日は腰が痛くないことに気が付いた。そうだ、今日は朝から猫のトイレの掃除のためにずいぶん動いた。猫トイレの周りが汚いので、その辺の掃除もした。私にしては珍しいほど、朝から動き回った。それがよかったのかも。体は動かすためにあるのか。怠け癖のついてしまった体は中々動いてくれないが、これからはこころして動かすようにしようと、絶対に守れない決心をした。明日はどうかな?
2011年11月22日火曜日
練習順位
仕事が錯綜してくると、練習の順序をまちがえるとえらいことになる。今日はこの曲を重点的に練習、そしてカレンダーを見ると、あっ、しまった。明日はこの曲の本番だと飛び上がりそうになる。とくに今回ヴィオラとヴァイオリンが重なって、上手く組み合わせないと、明日はヴァイオリンで本番、次の本番もヴァイオリン、そして次からはヴィオラでリハーサルにはいり、その途中でヴァイオリンの本番があって、またヴィオラに戻り・・・ふうー、練習順を間違えるとすっかりヴィオラの手になったところでヴァイオリンの本番が来たりすると悲惨。やはり弓の圧力や重さ、ヴィブラートの速さ、左手指の間隔など、同じようにみえてもかなりの違いがあるから、そのつもりで練習を上手く組み合わせるようにしなければならない。若いころは無謀にもヴァイオリンとヴィオラを同じコンサートで弾いたりもした。古典音楽協会のプログラムにブランデンブルグ協奏曲5番があると、ヴァイオリンが一人あまり、ヴィオラが一人たりないので、その曲だけ私がヴィオラにまわったりするけれど、普段は私のヴィオラは殆ど眠っている。今回のようにヴィオラの仕事がくるとさあ大変。寝た子を起こさないといけない。寝た子を起こすとうるさいから起こさないようにという意味かもしれないが、ヴィオラの場合は起きて大騒ぎしてくれないと困る。弾き始めは音が出ない。弦を取り替えたり弓をいろいろ試したりしているうちにようやくしぶしぶ鳴ってくる。鳴ってしまえば、ほとんど力を抜いて弾ける。それまではゴリゴリむりやりこすったり、解放絃をむやみに鳴らしたりしてご機嫌をとる。かなり体力を消耗するけれど、楽器が目を醒ますと、急に楽になる。そうなればこっちのもの。適度にさぼっても楽器が勝手に歌ってくれる。弦楽器に限らず管楽器もそうだと思うけれど、楽器対自分がシンクロしてきたときには本当にうれしいもの。いわば人馬一体といったところ。
そう言えば、ずいぶん長いこと馬に乗っていないなあ。バランスが悪くなってきたらしく馬が中々走ってくれなくなってしまった。もう一度モンゴルの大草原を馬で疾走したい。煮詰まってくるとこんな風に逃げ道に行きたくなる。
そう言えば、ずいぶん長いこと馬に乗っていないなあ。バランスが悪くなってきたらしく馬が中々走ってくれなくなってしまった。もう一度モンゴルの大草原を馬で疾走したい。煮詰まってくるとこんな風に逃げ道に行きたくなる。
登録:
投稿 (Atom)