2016年4月30日土曜日

北軽井沢はまだ早春

今週初めから北軽井沢に5日間逗留。
人形作家のノンちゃんの別荘で、うだうだと無為な時間を過ごしていた。
連休はまだ始まっていなかったので、スイスイと関越道でノンちゃんと2人、楽しくドライブ。
富岡を過ぎた頃から、桜、レンギョウ、藤の花まで咲いていた。   薄緑色の山の所々が山桜のピンクで彩られ、全体に春霞のように薄いグレーの紗をかけたようで、なんとも言えないのどかさ。
北国の春は美しい。

11時頃関越道に入って、あっという間にノン家に到着。
庭続きに住むお隣の映画制作者のFさん、織物作家のOさんの2人と合流して夕食をご馳走になった。
Oさんは玄人はだしの料理の名手なので、ここへ来ると手の込んだ美味しい物が食べられる。
どれから手をつけて良いか分からないくらい、どれも美味しそうで、お酒が進む。
私はあまりお酒に強い方ではないけれど、お隣さんが酒豪で、それに合った料理が出るのでつい飲み過ぎてしまう。
北軽井沢は山の中なのに、新潟から輸送された新鮮な魚が食べられる。
最初に来た時にはビックリした。
この日の献立は鯛、ホタルイカ、イカ、ミル貝、鮪のトロと赤身の刺身、季節物のぬた、レンコンとゆり根の炒め物などがずらりと並んだ。

ほろ酔い加減ですぐ隣の家に帰るのに、絶対に懐中電灯が必要なくらい真っ暗なのだ。
そのかわり、星空の素晴らしい事!
しばらく寒さを忘れて、ノンちゃんと2人で空を見あげていた。

次の日は最近オーケストラを退職して、追分に別荘を構えたヴィオラのKさんの家に泊りに行く。
Kさんは無類の猫好き。
私の猫好きなどは目ではないくらいの、猫キチ。
今回も5匹の猫を車に乗せてきた。
どの猫も大人しくゆったりとしているのは、彼女の有り余るほどの愛情のお陰だと思う。

少し天候は下り坂だったけれど、十福温泉という真田の里近くの温泉に連れて行ってもらった。
追分から約25キロ。
道中、花が咲き乱れ、桜と水仙が一緒に見られるという楽しみもあって、歓声が上がる。
連休前なので空いているけれど、今年は大河ドラマの影響でこの辺もこれから大賑わいとなるのだろう。

夜は、手際の良いKさんの用意してくれた沢山のお料理で満腹。
毎日こんなに食べて大丈夫なのかしら。
なんて心配するなら食べなきゃいいのに。
次の朝、ヴィオラとヴァイオリンのデュエットを弾いて1時間ほど遊ぶ。
この日はかなりの大降りで、外では遊べないので星野温泉でショッピングとランチ。
そこでKさんとお別れして、又山を登った。

次の日の午後、今年の夏のコンサート会場である「ルオムの森」へ打ち合わせに行った。
去年は会場が古い洋館で、響きの良さに皆満足したのだけれど、今年はその会場がお土産品コーナーになってしまい使えない。
隣の元お土産品売り場が今年の会場になる。
その部屋の外見は去年の会場と似ているけれど、試しにヴァイオリンを弾いてみたら、全く響きが違う。

去年のスコーンと響く心地よさが感じられない。
聞けば木の材質が全く違うらしい。
響きが悪いという訳では無いけれど、去年あまりにも良い音がしたので、期待が粉々になったのが痛い。
気を取り直して、出演者に日程が決ったことをお知らせした。

9月3日(土)午後2時開演。
北軽井沢「ルオムの森」洋館
終演後パーティーあり。
近辺にいらっしゃいましたら、ぜひお立ち寄り下さい。

この日の気温は4度。
猛烈に寒く、明け方氷の様に冷えて目が醒めた。
それで次の日は寝る前からガンガンに布団乾燥機で布団を温めておいたら、今度は暑くて汗をかいてしまう。
この時期、中々温度調節が難しい。

ノンちゃんの家は広い雑木林の中にあり、今頃はまだ木の葉が落ちていて日が射すけれど、夏になると葉が茂って心地よい緑陰に囲まれる。
原生林の自然のままの状態を残すため、この一角は管理会社により厳重に管理されている。
夕方じっと林を眺めていたら、ふと子供の頃、こんな庭のある家で過ごしていたことを懐かしく思い出した。
私の生まれ育った家は敷地が広く、祖父が中々の風流人であったため、表庭には珍しい木や大株の牡丹などが咲き乱れていたけれど、裏庭は全く手入れが行き届かず、雑木林状態。
私はその手入れされていない裏庭が大好きだった。
その景色をずっと眺めていたものだった。
そして今又、同じように木を眺めている自分がいる。

子供に戻って行ってるのかなあ、とボンヤリ考えた。
どうしてノンちゃんの家がこんなに好きなのか、その理由が解明されたような気がした。




















2016年4月21日木曜日

ハトカンさんを囲むランチ

ハトカンさん93歳。
私がオーケストラに入団した時のコンサートマスターだった。
先日電話があって懐かしい声が聞えた。
声の張りも口調も記憶力も全てが変わりなく、驚くほどの健在ぶりを示している。
つい先頃まで沖縄に在住、奥様を亡くされて東京に戻った。
沖縄時代、私たちが遊びに行ったことがあって、その時一緒だったメンバーに声をかけて集まった。

ハトカンさんは足が悪くて歩行困難というので、なるべくお宅の近くのホテルでランチをすることにした。

当日は風も弱く暖かい絶好の散歩日和。
待ち合わせ場所のレストランに近づくと、外の日の射す場所に後ろ向きに座っている白髪頭が見える。
「あれ鳩山さんじゃない?」
その日は暖かいと言うよりも暑い位の、けっこうな日差し。
帽子も被らずこんなところで、熱中症になったら大変なのに。

ほとんどお変わりなく、足以外のどこも私よりずっと達者なのには驚かされた。
記憶力の確かなこと、人の名前や年代などスラスラと出て来る。
最近は住んでいるマンションのコミュ二ティー・ルームでコンサートをしていることなど、楽しそうに話す。
なんでもお世話をしてくれる人がいて、それが元総理大臣の事務所で働いていた有能なひとらしく、マンションの管理人も理解のある人で実現したコンサートらしい。

それやこれ、そしてアメリカでの修業時代、アメリカでもコンサートマスターとして仕事をしていると、ボストンでシャルル・ミュンシュに声をかけられた事など、次々と話しは尽きない。
あっという間の2時間が過ぎた。

足以外のどこも全く90代とは思えない、いやいや、私たちの誰よりもお若い。
私などは、えーっと、あの、ほら、あれ、と言う意味不明な会話が増えたのに、鳩山さんは「**の時は西暦の何年?」なんて訊くから、慌てふためいて計算することになる。

食事が終って皆名残惜しそうに帰って行った。
私はハトカンさんに付き合って、ホテルに隣接したデパートの楽器売り場に行った。
マンションのコンサートで使うキーボードを選びたいと言うので。
楽器店でスタッフと相談している合間、ハトカンさんは展示品のキーボードでスラスラと弾き始めた。
指は驚異的に回る。

「鳩山さん、ピアノもお上手」と言うと「僕はね、2歳の時からオルガン弾いていたんだよ」
神童は出発点が違う。

そのうちマンションのコンサートを聴きにきてくれと言う。
人生の最後の最後まで音楽と共に過ごし、活き活きと生活を自ら切り開く、人生の達人。
音量調節の出来るキーボードがあれば、マンションの自分の部屋で夜中まで弾けると嬉しそうだった。

映画、小津監督「東京物語」でヴァイオリンソロを弾いているのがハトカンさんです。
youtubeで聴けます。
小津安二郎映画音楽集 東京物語で検索。
「東京物語音楽」こちらをクリックして下さい。















2016年4月19日火曜日

伊藤若冲展

生誕300年記念 若冲展のポスター

若冲を初めて見たのは週刊誌の中の写真だった。
殆ど日本画の知識も趣味もなかったので、衝撃だった。
これが日本画?

日本画と言えば物静かなイメージ。
しかしなんとまあ、この絵は陽気で変わっていて、これは大変な絵であるわいと、興味が湧いてきた。
そして周りの絵画好きに「若冲って知ってる?」と尋ねると、なんだ、皆知っているじゃない。
有名だったのだ。

知らなかったのは私だけ?
それからは夢中になった。
構図の面白さ、発色の素晴らしさ、野菜や鶏、はてはゾウまで素材の荒唐無稽さ、ただ者ではない。

どんな人かと思ったら、八百屋さんだったからモデルの野菜には事欠かなかった。
財力にまかせて絵の具も絹布も最高級。
だから少しも色褪せない。

ついに京都まで若冲を追い求め、人に揉まれながら必死で野菜の絵巻物を鑑賞、我ながらあきれたものと思った。
その後は香川県の金刀比羅神社が襖絵を100年目に公開するというので、飛行機で飛んだ。
若冲の花の襖絵。
色々トラブルがあって神社にたどり着いたけれど、襖絵の照明が暗くて、良く見えない。
それでも見たぞー!という達成感のみすごかった。

今度は東京都美術館。
なるべく空いている平日の朝から並ぶか、閉館すれすれにいくか、悩んでいる。

http://jakuchu2016.jp/ 若冲のページはここ。















2016年4月17日日曜日

プログラム作り

6月のコンサートに向けて、綺麗なチラシが出来上がった。
作ってくれたのは、私が以前音楽教室で教えていたDさん。
前は印刷関係の仕事をしていたのでそちらの知識もあるし、デザインセンスもあるので、お願いした。

チラシとチケットは早めに必要だけれど、プログラムは当日会場で配る物だから、ゆっくり作ればいい。
経費節約のため、私が自分で作ってみようと思い立った。
たぶんそういうものを作るためのソフトもあって、それを買えば簡単なのかも知れないけれど、面倒くさがりやの猫はそのソフトをインストールしたりマニュアル読んだりがイヤで、いつも使っているこのブログを使えば良いじゃないかと考えた。
それとEvernoteという、日記や覚え書きなどを書きためておけるサイトがあることを思い出して、開いてみた。
まあ、素晴らしい、ちゃんと私のために登録済みで、いつでもお使い下さいとばかりにページが開いた。

この投稿スペースに入力して印刷、印刷されたものを切り貼りしてコピーすれば良いじゃない。
幸いキーボードを打つのは早い。
ピアノより易しい。
簡単かーんたん!
ところがどっこい、そうはいかなかった。
原稿はなんとかなるけれど、それを上手くレイアウトするのは中々骨だった。

ずいぶん以前、ワープロが家庭でも使えるようになった頃、電気やさんで一台買い求めた。
意気揚々と持ち帰り、やおらマニュアルを取り出した。
その頃はマニュアルを読むのも、さほど苦ではなかったようだ。
フムフム、なるほど。
まだ昼の明るい内に始めて、気が付いたら部屋が真っ暗。
ディスプレーの画面に目が釘付けになっていたので、日がとっぷり暮れたのにも気が付かなかった。

その年の年賀状をやっとこさこしらえて出したら、ひどく評判が悪かった。
某鍵盤楽器奏者などは、あんな器械で書いた年賀状なんて失礼よ!と怒った。
今どき、ワープロ使って書いた年賀状に一々怒っていたら、身が持たないとおもうけど。
不出来だったのは初心者だったから、しかたがないと目を瞑っていただくしかない。

話しがだいぶ脱線したけれど、数時間かけてやっとプログラムの下書きが出来上り、表紙のデザインも考えている最中。
作りながら思ったのは、私はこんなことが案外好きなのかもしれないということ。
なんだかんだ言いながら、もうずいぶん長年パソコンを使っている。
これは、裏で苦労して泣いている強力なサポーターがいるお陰ではあるけれど、好きでなければ永続きはしない。

作っている内に気がついたのはタイトルのティータイム・・・はてな英語でこういう言い方はあったかな?
ティーブレイクと言わないといけないかな。
まあ、いいわ。
和製英語で通してしまおう。
どうですかね、ティーブレイクと言ってピンとくるかしら?
それともアフタヌーン?
それも日本人には馴染みが少ない。
ハイティーに至っては・・・

初めのタイトルは「三茶でお茶を」だった。
ちょうどお茶の時間だし。
それを見せたら殆どの人の反応が「なにこれ?」
三軒茶屋の三茶なんだけど。
語呂合わせが面白いとおもったけれど、撤退。

下書きは出来たけれど、プリントするのが大変。
どんな紙を使えばいいのか、両面プリントしたら裏表が逆さまとか、私がしでかす事は大体予想がつく。
紙によってはインクが滲むものがあるそうで、適切な紙を探さないといけない。
当日会場でそれを見た方は、私が様々な困難を乗り越えたことを想って、涙をこぼすことでしょう。

でも一部の人は、そんなことは印刷やさんに任せて練習しなさい!と言うと思う。
まさに正論!お茶の産地もセイロン。





















2016年4月14日木曜日

他人の歳?

ハリー・ポッターの講読はまだまだ続く。
一回のレッスンで10ページ強を1時間半で読む。
私がつまらない事に頑固に興味を示すので、先生のルースさんは苦労している。
昔「子供電話相談室」というTBSラジオの番組があった。
子供が「空気はどうして見えないの?」とか「犬はどうして4本足なの?」とか訊くから、回答者はどう答えるのか興味しんしんの番組だった。
それに似たり寄ったりの質問が私から出されるので、その答えを出すためにルースさんはイギリスに住むお母さん、お姉さんなど総動員してくれる。

ルースさんが約一ヶ月ほど仕事や旅行で忙しかったので、その間レッスンはお休み。
だから予習する時間はたくさんあった。
一ヶ月も空くから、一気に進んでしまおうと思って、前回のレッスンの後数日は予習にいそしんだ。
そしてすぐにやる気をなくし、まだまだ先の話と決め込んでサボっていたら、すぐに次のレッスンが迫って来る。
このパターンの繰り返し。

今回も数日前から周章てて予習を始めたら、あまりの難しさに音を上げてしまった。
五巻目ともなると作者のローリング女史は、情け容赦なく長い単語と文章と、難しい言い回しを出してくる。
もうすでに、子供向けの読み物ではない。

私の性格の唯一誇れるところは、粘り強さ。
自分が面白いと思って一旦始めたら、途中で投げ出すことは殆どない。
先にルースさんが参ってしまうのではと心配しているけれど、彼女も毎回、私のどんな些細な間違いも許さずちゃんと聴いている。
私の質問に即答できない場合、後で丁寧に調べてメールをしてくれる。
以前習ったアメリカ人の先生は、いい加減に発音してもたいして直されなかった。
あまつさえ質問に答えられなくて「これは自分のホームワークだ」と言って持ち帰った物が、次回に回答があったためしがなかった。
イギリスの習慣などは殆ど分からないらしく、一言「分からない」で済まされたから、やめてしまった。

これを読んだからと言って、なんの役にも立たない。
会話が出来るようになるわけでもない。
ただひたすら面白い。ワクワクする。
ルースさんも一緒にワクワクしてくれる。

中学校の英語の授業も、こういう物を読ませれば良いのではと思う。
面白くて夢中になれば、若い頭脳なら会話も出来るようになると思う。
そのかわり、ハリー・ポッターは魔法界の変な言葉や、ルースさんがとても口に出せないと言う汚い言葉が沢山出てくる。
育ちの良い彼女に私が「これは、うすのろという意味よ」とか教えてあげることもある。

話しはかわりますが・・・
今日レッスンに向かう電車の中に、途中駅から乗ってきたご婦人2人。
「お年は?ご家族は?あら、うちも同じ」などと話しをしているから、サークルかなにかの初対面同士かと思っていた。
1人がすぐに降りてしまうと、もう1人の人が「あの方、76歳で後期高齢者ですって、お若くみえますねえ」と私に話しかけてきた。
「はあ?私見ていませんでしたから」と答えると、私の口調に不快さが表れていたらしく、鼻白んで話しをやめてくれた。
なんでこんな見ず知らずの者に他人のプライバシーを話すのかと、非常に憤慨した。
こんなに見知らぬ人に平気で話しかけるところを見ると、その2人も全く見知らぬ同士だったのかも知れない。
(たぶん)駅のホームで話しかけて、根掘り葉掘り聞き出して、それを他人に話す、その神経がたまらなくイヤだった。
あるいは「あの方お若く見えますねえ」と言われ「そうですね」とでも答えたら「私はいくつくらいに見えます?」なんて言ったかも知れない。
惜しかった!
そう訊かれたら「80代ですか?お元気ですね」と言ってあげたのに。

私の歳を訊いて欲しかった。
「30歳の誕生日は過ぎました」と答えたら、どんな顔するかしら。
服装だけは若造りなので。

















2016年4月12日火曜日

美しい春

季節の好きな順位と言えば、スキーの期待でワクワクする秋から冬への時期。
寒風が吹く頃に元気になる変わり者。
暑い夏に向かう春は、花粉と埃っぽいのとで嫌いだった。
しかも春になると必ず寝込む。
熱を出して喉は腫れ上がって、ロクなことはない。

一番嫌なのが湿度の高い夏。
夏は半分しか生きていないような気がする。

そのあまり好きでない季節の春、どうしたものか今年は特別美しく感じる。
私が車で良く通る道で、好きなところがある。
緩いカーブの上り坂。
両側は真っ直ぐに上に両手を伸ばしたように見える、背の高い木が続く並木道。
その木が芽吹いて新緑の季節を告げていた。
その間には花が終った桜。
まだ天辺の所は残った花びらが付いていて、薄いピンク、そして下の方は柔らかい新芽が薄緑色に芽生えていて、見事なグラデーションとなっている。
ああ、美しい。
こんな美しい春の景色は見た事がない。

自分の周りに透明な膜が張られていて、世の中の汚れから守られているような気がした。
自然と、私の周りの人達の大きな愛情に包まれて。

そこを抜けて幹線道路に出て暫く車を走らせると、都会の近くには珍しいほどの田園風景に行当る。
丘全体が公園になっていて人々が明るい日差しの中を、ゆっくりと歩いている。
そこも新緑が柔らかな色合いを見せている。

芽吹いては枯れ、枯れては芽吹き、大きな宇宙のサイクルは小さな嘆きや喜びを包み込んで、回る。

人も生まれては逝き、巡り会っては別れて、人生のサイクルを生き終焉を迎える。
それも大きな宇宙の中のチリの一つ、なんのことはない。

私は両親や友人達から大きな愛情を注いでもらった。
この恩返しをしていかないと間に合わない。
この美しい春の景色は自然からの恵み。
これにもお返しをしないと。
なにが出来るだろうか。

ゆっくりと車を走らせていると見覚えのある場所に出た。

あ、ここ、前一緒に歩いた遊歩道ね。
そう、あの時、折りたたんでポケットに仕舞えるジャケット着てたでしょう。
あら、良く覚えているのね。そう言えばあのジャケット失くしたの。今必死で探しているけど見つからないの。
又買えば?
同じ物はないわ。(そう、あなたと同じ人はいないように)
友人との会話。

せっかくの美しい春も、私の結末はこんなもの。
いつも捜し物。いつもヘマをして、いつも・・・


















2016年4月10日日曜日

心の痛むこと

私は今年は珍しく春でも元気。
ところが私の周りは病人続出で心配ばかりしている。
頑健なかなり年下の友人がダウンしたというので、きっとこんな顔で寝ているのだろうなと想像して・・すごく心配しているんです。
早くよくなってくださいな。

もう1人は少し年下の人が急病で、その後消息がわからない。
たぶん病院にいるのではと言う、心細い情報が飛び交っている。
その人は美人でちょうどこの子みたい。
もちろん上の人もいつもはとても素敵なんだけど。
上の写真とこの子は同じ猫ですが、寝顔がひどいと評判の美猫さん。

あの人もこの人もと健康不調を噂に聞いて、心痛めている。
私も今年の2月、超絶体調不良の時があって2キロほど痩せて、しめしめと思っていたけれど、じりじりと回復の方向にいっている。
歳なりの故障はあるけれど、今年はまあまあ。

いつも10年おきくらいに大病をすることになっているので、来年辺りが危なそう。
なにしろ自慢じゃないが、三大疾病に始まって、ガンの手術もしているし、もの忘れはひどいし(これは歳のせい)がたがたの身体で突っ走るから、元気そうに見えてもいつなんどきバッタリくるかわからない。
そのわりに呑気なのは、今までの経験からいくら心配しても治るときが来れば治るものだと、ハラをくくれるようになったから。
病気というのは人生をリセットできる、重大なポイントようなもの。
その都度生き方が少しずつ変わった。

それで今はこんな風に、デンと構えていられる。
ええーい!矢でも鉄砲でも持ってこい!なんて。
私の友人の中でも1番深刻なのは、先頃ガンの摘出手術をして抗がん剤治療真っ只中の女性。
髪の毛が抜けたと言うから、綺麗なシフォンのターバンを見つけて持っていってあげた。
さぞグッタリしているだろうと思ったら、ツヤツヤして元気に動き回っている。
お昼ご飯まで作ってくれて、どちらがお見舞いに行ったのかわからない。
良く笑い良くしゃべる。
これでは病気も逃げ出すのでは。

友人達の中にガンの手術を受けた人達が沢山いるけれど、一様にみな肝が据わっていて、平然としている。
私もガン宣言を受けたとき、1週間ほど悩んで死と向かいあってみたら、なんのことはない、全然思い残すことなんて無いことに気がついた。
それにベッドに猫が寄り添ってくれて、優しく肉球で顔を撫でてくれて、涙が出るほどうれしかった。
それが嬉しくて、その時点ですっかり肝が据わった。
動物ってほんとうに人の気持ちがわかるのが神秘的と言える。

私が1番危機的だったのは、10年程前のガン発病の前後。
ガンはまだしも、突然死の危険のほうが大きかった。
あの時に死ななかったから、あと百年は大丈夫かも知れない。
それは恐ろしくはた迷惑だから、切りのいいところで引き上げますが。

私の大切な友人のみなさん、くれぐれもお大事に。
















2016年4月8日金曜日

コンサートのお知らせ

6月12日(日)午後3時から、小さなコンサートを開きます。初めは相棒の芝さんと2人のつもりでしたが、トリオを一曲入れようということになってチェロの奈切さんにお願いしたところ、あ、いいよ!と拍子抜けするくらい簡単に引き受けてくれました。
ああ、ブラームスね、いいよ!なんて。

彼は日本フィルハーモニー交響楽団に入団、同年「奈切弦楽四重奏団」を結成、第100回定期演奏会を機に「東京ベートーヴェンカルテット」に改名、定期演奏会も27回を迎えた。東京荻窪での定期演奏会も418回を越えたという。ベートーヴェン、ショスタコーヴィッチ、モーツァルトの弦楽四重奏曲を全曲演奏達成など、室内楽での活躍。ソリストとしてもリサイタルを重ねNHKのFM放送出演、ことし3月の東京文化会館小ホールでのリサイタルなど活躍。32年間日本フィルのトップチェリストとしての重責を全うし、定年退団、指揮者としても活動中。

芝治子さんは国立音楽大学と大学院の教授として、数多くの優秀なピアニストを世に送り出した。教職の傍ら毎年のようにリサイタルを開き、最近は教え子の卒業生らと共に「ラルゴの会」で演奏を続けている。昨年12月にはモーツァルトの「ピアノ協奏曲20番」を演奏。
コンクールの審査員も務める偉い人なのです。

その彼女が長年に亘り、下手くそなヴァイオリンを弾く猫とデュエットをしているという悪い噂が流れている。
その猫とはnekotamaと称して、あること無いこと綴っているこのブログの主。
芝さんは学生時代は優等生で、猫とデュエットをするなど考えも及ばなかったと思うけれど、どこで人生の歯車が狂ったかこんな事になってしまって、さぞや無念に思っていることと同情しています。あはは。

怖いものみたさに覗いて見てください。
ただ、会場が70人のキャパしかないので、聴いて下さる方は一応電話でお問い合せ下さい。
お待ちしております。











2016年4月7日木曜日

ハトカンさんご健在

電話が鳴った。
受話器を取るとすぐに、誰からかかってきたのかわかった。
懐かしい声だった。
かつての東京交響楽団のコンサートマスター、鳩山寛さん。
通称ハトカン。

私が入団試験を受けたとき、とても褒めていただいた。
その楽器はどこの物ですか?ほう、フレンチ。良い音だねえ、と。
入団するとすぐにお声がかかって、その頃ハトカンさんはハイドンの弦楽四重奏の連続演奏をしていたので、お仲間に入れてもらったり。
アンタ、僕の右腕になりなさい、と言われたのも恐れ多いことだった。

ハトカンさんはアメリカにしばらく留学していた。
かのミルシュタインなんかとも一緒に学んだ間柄。
本当に凄い人だったけれども、あまりにも無頓着な性格なので、オケのメンバーからは敬遠されがちだった。
中にはワケも分からずバカにする人も居て、非常に残念だった。
それでも我関せず、偉そうにすることを嫌い、常に音楽仲間として皆と接していた。
威厳を取り繕うなどということも一切なし。
アメリカ仕込みのビジネスライクな所を嫌がる人がいるようだった。
それはプロとして当然なのに。

私はハトカンさんのアンサンブルの上手さに舌を巻き、シャッポを脱いだ。
ヴァイオリンだけではなくピアノもヴィオラも達者。
弦楽四重奏の内声を弾かせたら、名人だった。
歌のオブリガートなども、歌手が大喜びするくらい上手かった。
小津監督の映画「東京物語」でヴァイオリンを弾いて居るのが、ハトカンさん。

一時期沖縄に行って沖縄芸大で教えていたけれど、奥様を亡くされて「東京に戻ってきたよ」と連絡が来た。
それが1年程前。
私は去年はなにかと気持ちに余裕がなくて、それきり連絡もしなかったらしびれを切らしたらしく、あちらから電話をもらってしまった。
「皆元気かな」と言われると、そうか皆に会いたいのねと察して呼びかけたら、4人すぐに人が集まった。

数年前に沖縄に遊びに行った時、この4人で鳩山家を訪問した。
その時にはまだ奥様はお元気で、鳩山さんよりも奥様の方が大喜び。
東京から沖縄に船で荷物を送った中に、行方が分からなくなっていた猫が潜んでいたこと、1週間も気が付かなくて、か細い声にお嬢さんが気がついて、奇跡の再会を果たしたこと、それが話題となって新聞記事になったことなどを楽しそうに話していた。
そのお元気な奥様が亡くなったと聞いて、私たちはびっくりして本当に悲しかった。

来週ハトカンさんと4人で、鳩山家最寄りの駅で会うことになった。
ハトカンさんは足が悪くなって、手押し車の助けが必要らしい。
それで駅の傍のレストランでランチをする予定。
足が悪くなってもまだヴァイオリンは大丈夫、デイサービスの施設でお年寄りたちの前で演奏しているそうだ。
沖縄のお宅を訪問したときも、玄関を開けるとヴァイオリンの早いパッセージが聞えてきた。
肩の力の抜けたなんの気負いもない演奏で、オペラの仕事の時などは隣で弾いて居ると「今の歌はね、こういう場面なんだよ」と解説してくれた。

まるで気負わず、威張らず、本当ならもう少し偉そうにしていたら世間もそういう人だと思ったのにと歯がゆいところもあった。
あるとき澁谷で、道の向こう側から黄色いアロハシャツにストローハットのおじさんが手を振っている。
誰かと思ったらハトカンさん。
ああ、もう少しりゅうとした身なりをすれば偉い人ってわかるのになあと、ため息が出た。
























2016年4月6日水曜日

へまをして。

桜の写真をアップしたら、同じ物を2枚出してしまいました。
これをどうやって削除して良いかわからないから、当分恥を晒すことになりましたが、nekoはいつもこんなものです。
今更出来る猫を装っても、仲間内ではバレバレ。
耳の後ろ掻いてごまかそう!

又一枚

もう一枚

桜をお裾分け

これがうちの(?)桜。綺麗でしょう。今年は特に見事です。

2016年4月4日月曜日

完璧

今年も恒例の花見大会。
我が家にはゾロゾロと大勢の人が集まって来た。
特に私からお知らせはしないけれど「雪雀連」の会長が皆さんにご案内してくれる。
ところが会長も大変忙しい身になって、夜の11時に集まるようにと皆さんに案内を出したので、大混乱。
それでもなんとか収集がついて、午後から三々五々、満面の笑顔と美味しい物が集まってきた。

特に参加の返事はしていないけど今から行ってもいいですか?と言う人も出てきた。
この連は自主的な参加で、来たければ来る、来たくなければ来ない、お知らせがなくても、どこかで情報を聞いて自主的に参加する。
お誘いもしなければ拒否もしない。
実に大人の集まりなのが良い。
実際は蓋を開けてみないと、何人参加なのか把握出来ない。
食べ物は少し多めに用意して、余れば私がその後1週間くらい食べ続けることになる。
持ち帰りたいものがあれば各自、持ち帰る。
長年の間に自然とルールが出来上がった。

今年は完璧な開花で、数十年もの間お花見を継続しているけれど、こんなに素晴らしい花は初めて。
今朝電話があって、あんなに遠くまで並木が続いているのねと、初めて見たような事を言う人がいた。
彼女は毎年の常連さんだったけれど、ここ2年ほどお子さん達との旅行で来られなかった。
でも今年は何としてでも行きますと連絡をくれた。
来年も行きますと、嬉しい電話だった。

昨日まで花はひとひらも散っていなかったのに、今朝はもう花びらが地面に落ちている。
本当に昨日が花のピークだったわけで、今年の花見は殊の外盛り上がった。
我家の上の階に住んでいる奥さんも、初めての参加ですぐに皆と溶け込んで、楽しんでいた。
宴たけなわの頃には、日本の歌「花」「早春賦」などの春の歌を合唱したり、クラリネットの演奏があったり、音楽も盛り沢山。

クラリネットは去年まで務めていた音楽教室の同僚のYさん。
この部屋でストラビンスキー「兵士の物語」を一緒に演奏した。
落語「寝床」のように、「雪雀連」に招集をかけて「飲ませるから聞いてよ」と無理矢理招集。
その時に「雪雀連」の副会長のアオちゃんと意気投合、落語談義に花が咲いて今回も参加の運びとなった。
羊羹とお茶はなかったけれど皆さん集まってくれて、わけの分からない曲を辛抱強く聴いてもらった。

会長はいままで全部のイベントのお知らせを1人で引き受けていたけれど、最近はひどく忙しいので、これからは私が自分でお花見の責任を持つこととなった。
夜中の11時からのお花見も笑ってしまうけれど、私がお知らせを出したら、どんな手違いが生じるか・・・
沢山ご馳走を用意していたら、誰も来なかったり、その逆に、なんの用意もしていないのに沢山人が集まったり・・・
考えるだけで恐ろしい事態になりかねない。

さすがに1ヶ月違いはやらないにしても、1週間くらいは軽く間違えそうで怖い。
それでも面白がって語りぐさにしてくれるほど「雪雀連」の皆さんは洒落っ気があるけれど。