2016年5月25日水曜日

修道院

ハムレットに言われたわけではないけれど、修道院へ行った。
その修道院は、武蔵野の面影残る静かな場所に建っている。
礼拝堂の玄関を入ると、中から人が出てきて案内された広い集会場がコンサート会場になる。
どこを歩いてもチリ一つなく、清潔で静謐なことに感動した。

95歳になる母親の誕生日のお祝いに、一緒にトリオを弾いて欲しいという依頼が来たのが2ヶ月ほど前。
そしてボストンから来日したピアニストN子さんと2回練習をして、本番の日となった。
15分程前から車いすに乗ったご婦人がホールへ入ってきた。
その方が、このお誕生会の主役。
彼女はかつてピアニストで、今回演奏するN子さんはそのお母様から最初の手ほどきを受けたという。

年齢と出身校(芸大)から、私の知人ともお知り合いではないかと訊いたところ、やはりお友達だと言う。
本当に世の中は狭い。
品の良い物静かな老婦人は、車いすに座って時々笑みをうかべながら、人々の挨拶を受けていた。
かつては厳しい練習に明け暮れ、自分の娘を育てあげ、今人生のたそがれの残照の中で静かに座ってほほえむ姿は美しい。

親族や修道女たちも集まって演奏が始まった。
やはりモーツアルトは究極の難曲。
来月のコンサートの曲は一時中断してモーツアルトを練習したのに、私としてはけっこう真剣に練習したのに、緊張する。
他の2人からも一様に緊張感が伝わってくる。
N子さんのお母様には、とても喜んで頂けたようだ。
N子さんのご主人であるアメリカ人のRさんが、ひときわ嬉しそうに拍手している。

弾き終わるとお茶と御菓子、それとN子さんがボストンから持参した刺繍の施されたリネンを頂いた。
N子さんのご主人のRさんのお母様(N子さんのお姑さん)が刺繍したのだという。
N子さんが刺したものもあるという。
どれもあまりにも繊細で綺麗でずいぶん迷ったけれど、私は白地に白糸で刺繍されたものを選んだ。

それとN子さんがご自分で作ったネックレスを頂いた。
大きめのアンティーク・ビーズを使った素敵な作品。
彼女はこういう仕事もしていて、そのブランドのものだという。
私はアクセサリーはめったに付けない。
普段は全くアクセサリーを付けないのは似合わないから。
猫の首輪だったら似合うかも。

首が太くて短いからマフラーなど巻くと、工務店のおっさんがタオル巻いた風になるし、上等な指輪など買うと瞬く間に紛失する運命にあるらしく、今までどれほどの涙を流したことか。
インドから素敵なサファイアの指輪を買ってきて、それはいまだに行方知れず。
大好きな馬の付いた金の指輪も、行方知れず。
イヤリングもことごとく消え失せ、残っているのはガラクタばかり。
今度こそ失くすまいと必死の思い。

帰りの車の中でも頂いたネックレスをかけたり外したり。
さて夜になってあのネックレスをもう一度見ようと探したら、何処にも見当たらない。
その日持っていったバッグから何から何まで逆さまにひっくり返しても見当たらない。
それでは車に落としたのかと見に行っても、見当たらない。
あまりのショックで茫然。

次の日デスクの抽出を開けたら、あった!
失くすといけないからと、帰宅後すぐにしまったらしい。
柄にもないことをするから大騒ぎになる。
とするとこのネックレスは、やはり身に付けないでしまっておくことになりそう。
宝の持ち腐れ。

修道院の簡素で清潔なことに比べて、私の家のなんとひどい有様。
身辺に物が溢れかえって整理整頓できないのに、目に付いた物はなんでも欲しくなる。
反省に次ぐ反省。


































2 件のコメント:

  1. 95歳で音楽を楽しみ、N子様の旦那様のお母様の刺繍とか、長年積み重ねてきたものがあるって、素晴らしい。
    ところでnekotama様、物をさがしていて、実はニャンコが、「ここだよ、ここ」って教えてくれていたりして。

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  2. あはは、うちのニャンはそんな能力皆無です。N子さんのボストンでの生活が垣間見られたような気がしました。細かい事をおろそかにせず、丁寧に生きることを大切になさっているのだと。粗雑な自分を反省。

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