2016年7月27日水曜日

カール・セーガン

今から何十年か前のこと、カール・セーガン博士監修の「コスモス」というテレビ映像を見て、広大な宇宙の仕組みやバランス、美しさなどに心を奪われた。
ずいぶん前のことなので記憶が定かではないけれど、コスモスという言葉が宇宙を表す言葉で、私の1番好きな花がコスモスでもあったので、毎回うれしくドキドキワクワクしながら見ていた。
内容はもちろんすっかり頭から抜け落ちていたけれど、このように難しい宇宙のことを易しく説明してくれるカール・セーガン博士は、あこがれの的だった。
尊敬すべき人物だった・・・・

あるとき彼が日本の捕鯨に反対しているということを聞いた。
動物を愛護する心優しい人だと思ったら・・・捕鯨に反対する理由を聞いて愕然とした。

「鯨は本当に知能の高い動物である。あのように知能の高い動物を殺すのはけしからん」
え、っと私は思った。

知能が高いから?
それでは低い動物にはなにをしてもいいの?
彼自身は世界の頂点に立つような頭脳の持ち主であることは、自他共に認めた上での発言とみた。
牛やブタを食用にするのは、知能が低いから?

人は太古の昔から命がけで鯨と戦い、食用として、又、照明のための油をとったり、その全てを有り難く頂戴してきた。
鯨のヒゲは文楽人形の操作のために必要。
なにもかも全部余すところなく使ってきた。
ところが他の国の人々は、鯨は脂を採ったらおしまい。
肉やヒゲなど捨ててしまう。
そうやって乱獲して数が減ったのを、日本のせいにしている。    

昨日起きた養護施設での大量殺人事件の恐ろしいニュースを見て、セーガン博士の言葉を思い出した。
知能の高さで存在意義が問われるなら、私なんぞはアッという間に宇宙の外に放り出されてしまう。
セーガン氏は悪意があって言ったわけではないかも知れないけれど、それ以来私は彼への尊敬が多少薄れてしまった。

この世界の中での存在意義は、知能や運動能力の高さだけによって左右されるものなのか。
勿論そういう人が生き延びていかれる率が高いかもしれないし、その人達の子孫も又すぐれた能力の継承者だとは思うけれど、知能の差だけで人の命に差をつけることはできない。
どこで人の命に必要不必要の線を引くのか。
そもそも人間に差はないはず。
人種差別は、白猫が黒猫を笑うようなもの。
決して同等ではないけれど、平等であるはず。

人を襲ったライオンに「人間は知能が高いから襲って食べてはいけない」なんて言う?
ライオンは食料がたまたまそこに居たから喰っただけの話し。

役に立つかたたないかと言われれば、わたしなどは役立たずだけれど、少なくとも近所のノラ猫たちには命綱となっている。
重度知的障害者の家族の大変さは並大抵の物ではない。
現に私の知人の家は、夜中に騒ぎ立てる息子さんのせいで近所にも遠慮して、大変な思いをしていることもずっと見てきた。
それでもその母親は、いつも愛おしそうに息子さんのことを話す。
彼の話をするときの奥さんの顔は、慈愛に満ちている。

養護施設大量殺人事件の犯人は、自分の存在を誰かに認めてもらいたいけれど、誰も彼を愛していないことにいらついたのか。
自分の希望が叶えられなかったのを他人のせいにして、目の前にいる障害者たちに絶望をぶつけていったのか。
それなら自分だけに向かえばいいものをと、冷たく思ってしまった。

本当の事を言えば、重度障害児を持った親御さんは、この子が消えてくれればと願うこともあったかもしれない。
けれど、それは本心ではなくて過労の末の気の迷い。
健常の子よりもなお愛おしいのではと思う。
限られた能力の中で生きるとき、1番辛いのは本人。

それを排除しようというバカモノに、どんな権利があるのか。
それなら自分を排除すればいいこと。
危険で思い上がった人間は檻に入れておくべきだわ。
胸くそ悪くなる事件と世界的な学者と比べるのは大変失礼だけれど、それでも当時私の中で芽生えた違和感が時を経ても消えない。
セーガン先生、失言だったと思っていらっしゃるでしょうか?
私がもし天国へ行けたら訊いてみたい。

天国のような崇高な所は私には不釣り合いなので、そのもっと下の太平楽あたりでお目にかかれたらと思っております。























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