2016年11月16日水曜日

小休止

この数日何もしなかった。
私が何もしないという事は、必要なこと以外本当になにもしない。
朝起きて寝るまで歩くこと、食べること、ネットを見ることで明け暮れた。
特に3日間ヴァイオリンも弾かず、本も読まず、夜も眠くならないのにあまり不摂生をすると風邪をひきやすくなるから、仕方なく寝るだけ。
ベッドに入って横になればストンと眠れるから無理に眠る必要もないけれど、ただでさえ短すぎる睡眠時間には罪悪感があるので、とにかく寝る。

時々こういう時期がある。
仕事や勉強には意外と生真面目なところがあって、こんなに緊張していなくてもと我ながら思うところもあるけれど、今は丁度次のコンサートへ向けての準備期間に入った。
ちょっとだけ怠けてもいいよと、自分を甘やかす。
私はヴァイオリンを始めるのが他の人より遅かった。
約5年は後れをとっている。
音大には間違って入ってしまったと思えるくらい。
音大を卒業するころになって、やっとスタートラインが一緒になったかならないか。
卒業してからが本当の勉強開始になった。

友人に言われたことがあって、あなたは卒業してからの修業がすごかったのよねと。
私がすごいわけではなく、そのころから周りの人たちの援助がすごかった。
周り中が教育ママ・パパ・フレンド。
本当になにもかも周りの人たちが後押ししてくれた。
それとヴァイオリンを弾いてお金をいただくようになったことも、自分に責任を持つことに拍車がかかった。

そんなわけで、仕事があるうちは常に緊張の中での生活。
それを支えてくれる多くの人たちが、心の支えとなった。
本当に感謝してもしきれない人たちの顔が目に浮かぶ。
なにか始めようと思うと、周りからサッと手が差し伸べられて、とても上手く対処できる。
このブログだって自分一人では書けなかった。
私もお返ししなければと思うけれど、猫だから役立たずの手しか持っていないのが悲しい。
私の飼い猫たちにまで、支えられ続けてきた。
猫は本当に賢くて、私が困っているとそっと手で顔をなでてくれた。
どんなに救われたことかと思う。

健康で安穏と日々が送れていても、私の努力など微々たるもの。
それでも少しは休息してもいいかな?
ほんの3日間だけでも。
今日から練習再開。
さて、来年のコンサートも乞うご期待!
老骨に鞭打って・・・というのは嘘で、鞭打たないけれど最大限の努力をお約束。
私の努力というのはせいぜい、毎日一応ヴァイオリンを練習するという程度だけど。

そういう舌の先から、1月のスキーシーズンには又ちょっと休息。
ずいぶん計画が入っておりまする。
でもその後、来年は怒涛の大曲が。
乗り切れるだろうかと不安は尽きない。

まったりしていたら、先ほど喪中のハガキが届いた。
母・・・と書いてあったから、あの方のお母様はずいぶんご長寿だったのだと思って、差出人の下の名前を見たら・・・お嬢さんからだった。
友人がなくなったのだった。

小学校の同級生で、一年生の時からの仲良し。
小学校を卒業するときに、一年生の時の担任だった優しい先生へ、二人で絵とお話しを書いて贈った。
彼女が絵をかいて私が物語を・・・なぜか登場人物が皆ロシア人の名前だったのは、そのころ生意気にも私はすでにドストエフスキーなんかを読んでいたから。
先生は訝しげに私たちの差し出すノートを受け取った。
恥ずかしいので手渡すとすぐに二人とも逃げるように玄関へ。
校庭を出ようとしたら、先生が窓から大声で「ありがとう」と叫んで手を振った。
彼女はその後デザインの道に進んだ。

小学校時代、その人の家に遊びに行ったことがある。
本がずらりと並んでいた。
お父様はそのころもう亡くなって母子家庭。
沢山の本は亡きお父様のものだという。
文学者だったのと友人が言った。
なんでも村岡花子さんともお知り合いだったとか。
この辺の記憶は曖昧。

わあ、すごい、文学者!
私は幼少から本の虫だったから、文学者という言葉の響きに感動した。
すごいお父さん。
私の父は機械やだったから、文学者はものすごく高尚な職業のように思えた。
私も文学者になりたい!でも今は音楽家のはしくれ。
どこでどう道を誤ったのか。
お嬢さんにお悔やみの手紙を書いていたら、涙が出た。

これは思いがけなかった。
小学校を出てからは一度しか会っていない。
電話で少し話したことがあるだけのお付き合い。
年賀状だけは毎年欠かさなかったけれど、小学校の同級生で思い出すのは彼女だけだった。
それでもこんなに悲しいとは。
なにか特別な存在だったのかと、いまさらのように感じた。
もう一度会っておけば良かったとも。


































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