2016年11月25日金曜日

初雪

今日は相棒のピアニストと合わせがある予定だった。
練習場所は各自の家を交互に使うという、暗黙の取り決めになっていた。
今日は私の家での練習の番。
昨日から天気予報は雪。
最近の天気予報は良く当たるので、ひどく降らなければいいと思っていたけれど、朝9時も過ぎると本格的に雪の模様。
朝早く、ノラにエサをやりに出たときにはまだ雨だったのが、今は窓の外に雪がかなり激しく降っている。

相棒からはシンとしてなんの連絡もないけれど、今頃迷っているのかなと思いメールした。
明日早くそちらへ行くから、今日は中止にしてもいいよと送ったら、渡りに船とばかり返信が来た。
私だったらすぐに「今日は行けない」なんて中止するのに、なんたって学生時代からクソ真面目で優等生だったから、おいそれと言い出せなかったのか。
人間、もっといい加減に生きないと肩が凝る。
私の爪の垢を煎じて飲ませてあげよう。

いよいよスキーシーズン到来・・・と言ってもまだ一か月以上先の話だけれど、雪を見ると心が躍る。
かと言って、ゲレンデに出ても真面目に滑るわけでもない。
リフト2、3本滑ってはお茶、ゆっくりと休憩、見かねて仲間からゲレンデに引きずり出され、又2、3本滑れば昼食。
その後も又2、3本。それでおしまい。
自堕落な滑りを長年やってきた。

数年前カナダに行った時も3本滑って休憩していたら、現地ガイドが「せっかくカナダまで来て3本?」とびっくりしていた。
カナダのコースは長い。
日本のコースの3倍くらいあるから、9本滑ったことになる。
だから、それで満足。
疲れて膝がガクガクしてきたら怪我のもと。
怪我をするのが一番怖い。

万一手を怪我したら私の歳では、再起不能になる。
スキーに行くというと友人たちからは、足を怪我しても手は怪我しないようにと送り出される。
少ししか滑らないから、いつでも足も体もほとんど疲れない。
寒い吹雪の中にいると、自分の体の中に温かい血が流れているという実感があって、嬉しさがこみあげてくる。
以前若い女性を山に連れていったら、猛吹雪の中で言う事は「すてきですね、生きている!って思います」
私も「ほんとね、生きてるよね」

シーズンが始まって初すべりの時には「誰がスキーしようなんて誘ったのよ」と重たいスキー靴を履きながら、誰にともなく文句を言う。
来ると決めたのは自分でしょうが。

靴は宅急便の荷物の中で冷え切って、カチンカチンに硬くなっている。
足首を捻挫しそうになりながらやっとのことで履く。
ものすごく非力だから、頼みの綱は自分の体重のみ。
それだけは十分過ぎるほど豊富に蓄えてある。
この日のために・・・ではないけれど。
履くとワゴン車に乗るのが一苦労。
足が短いから車のステップに乗るのもた~いへんなのだ。
滑るし体は重いし力はないし。
ゲレンデに到着、今度は車を降りるのがた~いへんなのだ。

リフトのチケットを買うのも、重たい足を引きずってチケット売り場にいかないといけない。
たいてい、リフト乗り場ではなくて別の場所にあったりするから、靴を引きずりながらよたよたと買いに行く。
お金を出すのに手袋を外したりするのも寒くて億劫。

準備運動をして、さてリフトに乗ろうというところあたりから、段々機嫌が良くなってくる。
「わあ、あの山、今年は雪が少ないね」とか「空が黒いほど青いね」とか「うー、さぶっ」とか他愛もない話をしながら山頂へ。
さて、最初のひと滑り、体が重力を無くして段々スピードが増してくると、喜びが湧き上がってくる。
スキーの楽しさは年をとっても楽しめること。
板の上に乗ってバランスさえ取れれば、あとは勝手に落ちていける。
中年過ぎて登山やっている人を見ると、なんであんな苦労するのかしらと理解できない。
自力で重たい体を上に運んでいくなんて。
スキーなら自力はいらない。
ただ緩斜面は技術がないとうまく滑れない。
ある時、元国体選手を追いかけて滑ったら、急斜面ではなんとかついて行けたのに、緩斜面に来たら一気に引き離された。
技術の差とはこういうものかと思った。
スケーティングでもストックで漕いでも追いつけない。
ヴァイオリンだって早いパッセージはなんとかいっても、ゆっくりしたところでぼろが出る。
基礎的なことが丸見えになる。
単純な曲ほど難しい。

明日は久々のピアニストたちとの「弾き合い」
皆さんシーズン中は忙しくて、やっとメンバー6人全員が集合できることとなった。
スキーに思いを馳せるより、明日の演奏のことを考えないといけない。
こんな雪では家にぬくぬくと居て、ヴァイオリン弾くしかない。
















































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