2016年11月27日日曜日

ブラヴォー!マエストロ・ヤルヴィ

みなとみらいホール

シューマン:歌劇 ゲノフェーファ序曲
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲  ヴァイオリン 樫本大進
ブラームス:交響曲第1番

パーヴォ・ヤルヴィ指揮
ドイツ・カンマ―フィルハーモニー管弦楽団

ヤルヴィさんの指揮を生で聴くのは初めてだったので、衝撃を受けた。
今まで素晴らしい指揮者の演奏をたびたび聴いてそれぞれ感激をしたけれど、それらを超えた驚くべき指揮者だと思った。
まるでスコアがそのまま音を出しているような・・なんと言ったら理解してもらえるのかしら。
すべてのパートがすべて生かされていて、それは当然だと言ってしまえばそれまでだけれど、あまりにもクリアでいてまるでスコアをのぞき込んでいるような。

いやー、オーケストラってこういうものだったのかと原点に返る思いがした。
作曲家が生きていてこれを聴いたら、感涙にむせぶと思う。
特にブラームスの3楽章から4楽章に移る部分の美しさったら。
たいていの指揮者は非常に緊張感を持たせるけれど、ヤルヴィさんはひたすら美しく整った表現をした。
淡々としているようで、構成はがっちり。
細部に至るまで綿密にそれぞれのパートを生かして、今まで聞こえてこなかったような音を浮き出たせたり、新鮮な驚きで聴いた。

ヴァイオリン協奏曲の樫本大進のソロも、美しくて陶酔した。
一緒に聞いていたピアニストが「ベートーヴェンって本当に優しい人だったと思わない?」と訊いてきた。
デリケートで崇高で、名曲中の名曲が脈々と現代に生きていられるのは、こうした優れた指揮者とソリストがいるおかげ。
澄み切った宇宙の中で揺蕩っているような、心地よさ。
それだけではなくて、音楽の中に理性とか知性とかがゆったりと居座っている。
うーん、物書きではないので、どう表現したらいいのかわからない。

私は今年オーケストラを捨てて、今はソロと室内楽に専念しているけれど、もう一度生まれ変わったら、やはりオーケストラを弾きたい。
だから早く生まれ変わらないといけないのだけれど、生まれ変わるには1度死なないといけない。
憎まれっ子なんとやらで、中々死ねないのが残念なところ。
そう言ってもいつ何時コロッといくかもしれないから、そうなったらさっさと生まれ変わって、来世では3歳からヴァイオリンを始めよう。
現世では人より5年くらい遅くヴァイオリンを始めたので、そのハンデは中々埋められなかった。
5年の差は大変なもので、その間せっせと練習していたら今よりずっと上手くなっていたと・・・ほんとうかな?
とにかくもう少しはましになっていたと思う。

あまり早く生まれ変わると、人間になれなくて動物になってしまうと、以前聞いたことがある。
できるなら猫とか馬になりたいけれど、馬では蹄が邪魔で弾けない。
サルはいやだし困った。
ライオンでもいいか・・・なんて話が逸れていますが。

オーケストラっていいなあ。
私は子供のころオーケストラの演奏を聴いて、このオーケストラに入りたいと思ったら、夢が実現してしまった。
それが良かったかどうかはわからない。
それを聴かなかったら、ほかの道で活躍していたかもしれない。
でももう一度生きられるとしたら、同じ道を行きたいと思う。

終演後、いつもならイタリアンとかフレンチとかおしゃれなお店に行くのだけれど、今日はチケットを手配してくださったMさんご夫妻に連れられて、野毛の飲み屋街へ。
中華料理の小さなお店。
Mさんのご主人の会社が近いのでよく行くのだそうで、行ってみたらものすごい混みかた。
日曜日の夜なのに人でいっぱいで、おそろしく賑やかなのでびっくり。
うるさかったけれどすてきに美味しかったし安かった。
せっかくの余韻が消えると思ったら、そんなことはなく、自宅に戻るとやはり心の中にコンサートの感激がしっかりと居座っていた。






































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