認知症機能検査の結果が郵送されてきた。
やったー!百点満点。
ということは、今何時ころですか?という質問もクリアしたということなのだ。
テスト会場に入ったのが集合時間の30分後、会場でテストに関する注意点をきかされた時間が、たぶん15分位だと思ったので現在45分過ぎと書いたのがあたった。
まあ、それほど厳密な採点ではないとしても、教室に入る時間を確かめなければたぶん、わからない。
あまり待たされたのでずっと時計を見ていた。
ほら、もう15分過ぎた。あれ、もう25分だけど・・・
せっかちが良い方にころんだらしい。
いつもせっかちでいらいらしているのは、オーケストラ時代、ぜったいに遅刻してはいけないという教えを骨の髄まで染み込ませたからだと思う。
オーケストラはたった一人いなくても成り立たない。
ヴァイオリンみたいな大勢様でも、一人遅刻すると他の人に大迷惑となる。
まず、二人一組で座っているから、座席がずれると楽譜も違うものを見るはめになる。
自分の癖というものがあって、鉛筆の書き込みが違うとえ、え、えっとなることも。
まして、管楽器だったら、昨日までセカンドホルンを練習していたのに、本番でいきなりファーストホルンを吹くはめになったら、気が狂いそうになるでしょう。
緊張がオーケストラ全体に染み渡り、誰かがトチると皆トチる・・・そこまででなくても、皆が緊張する。
結果が良い事もあれば、たいていは惨憺たる結果になる。
ヴァイオリンは大勢いるから一人くらいトチってもという甘い考えは、捨てないといけない。
同じ音符を大勢で弾くから、誰かが少しでも間違えればその影響は末席にまで届く。
一人だけ弓の上げ下げを間違えれば、目にも見える。
あの集団は巨大な緊張の塊なのだ。
いわばブラックホール。
その緊張がなければ、聴衆を惹きつけられない。
昨日友人のY子さんと話をしていたら、彼女のご両親がかつて私が所属していた頃の東京交響楽団の演奏を度々聴いてくださっていたということが判明した。
お父様の遺品の整理をしていたら古いプログラムが出てきて、団員の名前にnekotamaとあってびっくりしたというので、こちらもびっくり!!!!
それはそれは・・・秋山和慶、小林研一郎、堤俊作と言った、かつての若々しい指揮者の名前。
いま彼らはベテラン、海外でも活躍、堤さんは残念ながらお亡くなりになった。
私と秋山さんは同時期に東響に入った。
アルビド・ヤンソンス、ズデニェーク・コシュラーなど海外の名指揮者が名誉指揮者として名を連ねているそうだ。
Y子さんと知り合ったのも、このブログがきっかけだった。
彼女は幼少の頃ピアノを習っていた。
発表会のステージの袖で、子どもたちが緊張していると「いってらっしゃい」と優しく背中を押してくれるおにいさんがいた。
そのおにいさんは調律師で名前を山田さんという。
そう、私達の雪雀連の会長山田宏さんにほかならない。
彼女は自宅のピアノの調整をしたいので、調律師を探していた。
山田宏さんをネット検索したところ、このnekotamaにたどり着いた。
そこから彼女と私の親交が始まった。
そしてもっと驚くべきことに、なんと山田宏さんはかつて彼女の家のピアノも調律したことが判明した。
ピアノ内部に調律師のサインが貼ってあって、そこに山田宏のサインが!
それを見つけたY子さんは喜んだ。
私と山田さんは彼女のお父様のお誕生日などに、ご自宅にお招きいただいた。
帝国ホテルでの想い出の会にも出席した。
お父様は私達が演奏すると、ご高齢にもかかわらず長時間じっと座って耳を傾けて、本当に音楽がお好きなのだと思った。
その方が、かつて若かった私のステージもご覧になっていたとは!
赤い糸で結ばれていたと思いたいけれど、傍らにはいつも奥様がご一緒。
テレビの題名のない音楽会を欠かさず見ていらしたとは!
あの番組では司会者の側に座っていたので、私のアップ画像がやたら多かった。
福山の旅館で「あなたテレビに出ていますね」とか近所の人から「歌のない音楽会」いつも見ていますとかよく言われた。
エッ、エッ、歌ではありません、題名なんですけど・・・
ああ、もう少し前にそのことがわかったら、お父様はどんなに喜ばれたか。
しかし、毎回見ていた顔が目の前にいるのに気がつかないとは、私の変貌ぶりが恐ろしいことになっている証拠。
やれやれ。
最近白髪と遅刻まで多くなって・・・・わかってもらえるわけないよな。
2019年2月24日日曜日
本番当日
本番の日のリハーサルは午前10時から。
こちらに来る前に私の家で2回の練習。
昨日現地での練習。
当日の練習と、計4回練習しても常に不安は残る。
ベテラン揃いだからいざという時の危機回避の能力は高いけれど、なるべくなら危険は無いほうが良い。
ゲネプロのはずが又しつこく練習するはめに。
パイプ椅子を並べて客席はまあまあの入りで、昨夜お風呂に入れてもらった地蔵川温泉のあの女の子も来てくれて、おとなしく座っていた。
その横の男の子は声は出さないけれど、腕を振り回したりじっとしていない。
速い曲になると一緒に弓を動かすような動作をする。
子供がいるのはとても良い。
このくらいの年から音楽会場に来て、生の音楽会の楽しさを知ってもらいたい。
声さえ出さなければ、踊ってもらっても良い。
去年もその前の年も、ミュージックホールの客席で踊る子供がいた。
声を出さないきちんと躾けられた子供だったので、それも嬉しいことだった。
冷や汗モノのブランデンブルク協奏曲第3番。
この曲は元々もう少し大きな編成のために書かれたものなので、私達5人で弾くと他のパートの分まで弾かないと穴があいてしまう。
他のパートの分が本来の楽譜の上に書き入れられて、楽譜はいよいよ見えにくくなって、目がよく見えない世代にはつらい。
特にバッハは緻密に組み合わされた構築物のようなものなので、一箇所がこけるとみなこける。
いつもなら自分のパートが終われば涼しい顔をしていられるのに、終わった途端他のパートを続けて弾かなければならない。
普段と違うので、油断も隙もない。
冷や汗ものだけれど、まあまあ上手くいったと思う。
このメンバーでのコンサートでは、いつもヴィオラとコントラバスの二重奏をひいてもらい、楽器の珍しい組み合わせをお届けしている。
ピアノ伴奏付きというか、もしかしたらピアノ・トリオ?なのかな。
作曲者不明のエキゾチックな曲で、私がこれが好きなのでいつもお願いする。
何回か弾き込んでいるから、それぞれが自由に演奏しながらも寄り添い合って、音も練れてきた。
これが当店の目玉商品。
第2部は冬から春へというテーマにしてみた。
北軽井沢の春は遅い。
毎年「もう新芽は出た?」とノンちゃんに電話すると、この時期には「まだまだ」と言う返事が返ってくるのが常だった。
5月になって「もうそろそろ?」と訊いてもまだ。
待ちきれなくなって車を飛ばして行くと、本当に枯れた枝ばかり。
その後、一斉に芽吹くと、薄緑の霞が枝にまといついているような美しさ。
一日窓の外を見ていても飽きない。
ヴィヴァルディの「冬」はヴァイオリン協奏曲。
そのあとはピアノ曲が続いた。
チャイコフスキーの「トロイカ」
そして春に向かって、メンデルスゾーンの「春の歌」
グリーグの「春に寄す」
会場にピアノがないため、可哀想なOさんはキーボードで弾くはめになった。
ピアノとキーボードではタッチが全く違うので、非常に苦労すると言う。
苦労しながらも全力投球で熱演してくれた。
その後はウインナーワルツの「春の声」
そしてアンコールは同じシュトラウスの「トゥリッチ・トゥラッチ・ポルカ」
最後は曲に合わせて手拍子が始まった。
これはうれしい。
コンサートは無事終了。
会場近くの箱庭食堂で食事をした後、庭続きのお隣の、OさんとFさんからコーヒーのお誘い。
夜もふけて外に出ると、都会では見られない輝く星空。
しばらく寒さを忘れて見とれた。
庭続きのお隣さんと言っても家から数歩外に出れば、懐中電灯なしでは足元も見えないほどの闇が広がる。
人はこういうところで、本来の人間に戻れるのではないかと思う。
こちらに来る前に私の家で2回の練習。
昨日現地での練習。
当日の練習と、計4回練習しても常に不安は残る。
ベテラン揃いだからいざという時の危機回避の能力は高いけれど、なるべくなら危険は無いほうが良い。
ゲネプロのはずが又しつこく練習するはめに。
パイプ椅子を並べて客席はまあまあの入りで、昨夜お風呂に入れてもらった地蔵川温泉のあの女の子も来てくれて、おとなしく座っていた。
その横の男の子は声は出さないけれど、腕を振り回したりじっとしていない。
速い曲になると一緒に弓を動かすような動作をする。
子供がいるのはとても良い。
このくらいの年から音楽会場に来て、生の音楽会の楽しさを知ってもらいたい。
声さえ出さなければ、踊ってもらっても良い。
去年もその前の年も、ミュージックホールの客席で踊る子供がいた。
声を出さないきちんと躾けられた子供だったので、それも嬉しいことだった。
冷や汗モノのブランデンブルク協奏曲第3番。
この曲は元々もう少し大きな編成のために書かれたものなので、私達5人で弾くと他のパートの分まで弾かないと穴があいてしまう。
他のパートの分が本来の楽譜の上に書き入れられて、楽譜はいよいよ見えにくくなって、目がよく見えない世代にはつらい。
特にバッハは緻密に組み合わされた構築物のようなものなので、一箇所がこけるとみなこける。
いつもなら自分のパートが終われば涼しい顔をしていられるのに、終わった途端他のパートを続けて弾かなければならない。
普段と違うので、油断も隙もない。
冷や汗ものだけれど、まあまあ上手くいったと思う。
このメンバーでのコンサートでは、いつもヴィオラとコントラバスの二重奏をひいてもらい、楽器の珍しい組み合わせをお届けしている。
ピアノ伴奏付きというか、もしかしたらピアノ・トリオ?なのかな。
作曲者不明のエキゾチックな曲で、私がこれが好きなのでいつもお願いする。
何回か弾き込んでいるから、それぞれが自由に演奏しながらも寄り添い合って、音も練れてきた。
これが当店の目玉商品。
第2部は冬から春へというテーマにしてみた。
北軽井沢の春は遅い。
毎年「もう新芽は出た?」とノンちゃんに電話すると、この時期には「まだまだ」と言う返事が返ってくるのが常だった。
5月になって「もうそろそろ?」と訊いてもまだ。
待ちきれなくなって車を飛ばして行くと、本当に枯れた枝ばかり。
その後、一斉に芽吹くと、薄緑の霞が枝にまといついているような美しさ。
一日窓の外を見ていても飽きない。
ヴィヴァルディの「冬」はヴァイオリン協奏曲。
そのあとはピアノ曲が続いた。
チャイコフスキーの「トロイカ」
そして春に向かって、メンデルスゾーンの「春の歌」
グリーグの「春に寄す」
会場にピアノがないため、可哀想なOさんはキーボードで弾くはめになった。
ピアノとキーボードではタッチが全く違うので、非常に苦労すると言う。
苦労しながらも全力投球で熱演してくれた。
その後はウインナーワルツの「春の声」
そしてアンコールは同じシュトラウスの「トゥリッチ・トゥラッチ・ポルカ」
最後は曲に合わせて手拍子が始まった。
これはうれしい。
コンサートは無事終了。
会場近くの箱庭食堂で食事をした後、庭続きのお隣の、OさんとFさんからコーヒーのお誘い。
夜もふけて外に出ると、都会では見られない輝く星空。
しばらく寒さを忘れて見とれた。
庭続きのお隣さんと言っても家から数歩外に出れば、懐中電灯なしでは足元も見えないほどの闇が広がる。
人はこういうところで、本来の人間に戻れるのではないかと思う。
北軽井沢コンサートリハーサル
渋谷から北軽井沢へのバスの便があると知ったのはつい最近のこと。
渋谷マークシティの4階バス乗り場から出ている。
前日渋谷へ行ってチケットを買った。
私は毎朝5時ころ起床する。
だから午前中は比較的ゆっくりと過ごせる。
ゆっくり朝ごはんを食べてコーヒーをのんで、さて出かけようと思ったらいろいろ気になることが出てきた。
楽譜は入れた?メガネは?チケットは財布の中?それともバッグのポケット?
確かめ始めるとぜんぶ確認しないと気がすまない。
前夜は完璧な荷造りとおもっていたのに。
予定の時間ギリギリまでチェックが終わらない。
朝のラッシュに電車に乗ることは、めったにない。
マークシティに行くには電車の最前部に乗るほうが近いけれど、混み合うのがいやで電車の最後尾に乗った。
ラッシュ時には遅れが出ることを予想していたにもかかわらず、更に時間がかかってしまった。
渋谷駅到着はバス発車の20分前。
でもマークシティには10分とはかからないとおもったのも大いに誤算だった。
たしかにビルに入ったのは10分前。
前日道順を確かめたにもかかわらず、バス乗り場がない。
はて、昨日は引っ越しする様子もなかったのに夜逃げでもしたか・・
何回も迷って乗り場に息せき切って滑り込んだときにはバスは姿も見えなかった。
ああ、行ってしまったのか。
なんてこった、此の後1時間待たないと次のバスは出ない。
ハアハア喘ぎながらバス乗り場の人に訊いた。
「ふううにゃあ、あの、北軽いニャわ行きのバスにゃどこ?もう行ってしまいにゃしたか?」
口が回らない上に息を弾ませているから、おじさんは何回も聞き直す。
え、え、どこ?ああ、北軽井沢ゆきのバスはまだ到着してないよ。待合室にいてください。
よかった!
その後は快適な高速バスで居眠りをしながら北軽井沢へ。
おなじみの、かつて鉄道の駅だった場所に到着した。
今回の会場の北軽井沢住民センターはその直ぐ側。
そこから今回の主宰者の女性の車で家まで送ってもらった。
のんちゃんの家の鍵を開けると、懐かしい部屋は黙って迎えてくれた。
いつもならのんちゃんが満面の優しい笑みで迎えてくれたのに。
しばらく玄関で涙にくれてしまった。
暗い部屋はシャッターを上げると、一斉に日差しが入って、いつもの雑木林が目にとびこんでくる。
電灯は点いたし、キッチンのお湯も出るけれど、おかしいな、1週間前から入っているはずの床暖房が効いていない。
あちらこちらへ電話して判明したことは、此の家は電気系統が複雑で、30アンペアと60アンペアの2つの契約がしてある。
暖房と浴室は60アンペア系統。
照明とキッチンは30アンペア系。
その60アンペアの系統が切られていた。
しかも浴室にお湯を供給するタンクは、給水しないと始まらないのに水も出ない。
それで今回お風呂に給湯することが出来ない。
なんてこった。
ここを設計したのは北海道の建築士。
自分の最高傑作だと自画自賛するこの家は、とんでもない女性泣かせの家だった。
電源を入れるスイッチは物置の奥の高い所にあって、脚立をつかわないと手がとどかない。
85才にもなったのんちゃんは、どうやってこんな面倒な操作をしていたのだろうか。
頭がよく体力もあったのんちゃんでも、これはとてもきつかったと思う。
そのことを私に告げる間もなく、亡くなってしまったので私はなにをどうして良いかわからない。
とりあえず暖炉に薪をくべて暖を取ることにした。
勢いよく火が上がりパチパチと薪の弾ける音が陽気に聞こえ始め、部屋中がほんわかと温まった頃、後続の車が到着。
夕飯の支度のためにスーパーマーケットで買い物をするついでに、私のお昼ご飯まで買ってきてくれた。
こんな山の中で野菜が美味しいのはもちろんのこと、魚まで美味しいのは解せないけれど、新潟から送られてくると聞いて納得。
ぺちゃくちゃおしゃべりは夜中まで続いた。
次の朝私はいつものとおり5時起き。
どんなに遅く寝ても次の朝は同じ時間に起きる。
昼ご飯を食べて、リハーサル会場へ。
車はコントラバスとか譜面台とか、ぎっしりと荷物を載せているので体を斜めにしないと座れない。
時間になると次々とメンバーが集って、午後2時、リハーサルが始まった。
会場ではすでに今回のお世話をしてくれるサポーターズが忙しく働いていた。
壁面には絵や造花が飾られ、背後には淡い色の照明が。
コンサートだけではなく、総合的な舞台にしようという意気込みが感じられる。
会場の音響は、音楽会場として作られた場所ではないので贅沢は言えないけれど、
天井が低いので期待は出来ない。
その上、最近の極度の乾燥で、私の楽器は鼻風邪をひいたような音しか出ない。
しかも現場にピアノがないので、ピアノの曲はキーボードでの演奏となり、いま1つ響きがわるい。
沢山の困難が待っている中、それでも目一杯の努力が続けられた。
練習が終わって、近所の地蔵川温泉でお風呂に入らせてもらう。
朝のうちにルオムの森のオーナーのAさんが連絡してくれて、由緒正しげな温泉宿にお邪魔した。
竹久夢二の絵葉書などが置いてあるから縁の地ですか?と訊いたら、それほどの縁はなさそうだけれど、品の良い女将がいかにも夢二風で、古風なこの宿にしっくり来る。
側にはお孫さんだろうか、人懐こい女の子がおとなしく控えていた。
渋谷マークシティの4階バス乗り場から出ている。
前日渋谷へ行ってチケットを買った。
私は毎朝5時ころ起床する。
だから午前中は比較的ゆっくりと過ごせる。
ゆっくり朝ごはんを食べてコーヒーをのんで、さて出かけようと思ったらいろいろ気になることが出てきた。
楽譜は入れた?メガネは?チケットは財布の中?それともバッグのポケット?
確かめ始めるとぜんぶ確認しないと気がすまない。
前夜は完璧な荷造りとおもっていたのに。
予定の時間ギリギリまでチェックが終わらない。
朝のラッシュに電車に乗ることは、めったにない。
マークシティに行くには電車の最前部に乗るほうが近いけれど、混み合うのがいやで電車の最後尾に乗った。
ラッシュ時には遅れが出ることを予想していたにもかかわらず、更に時間がかかってしまった。
渋谷駅到着はバス発車の20分前。
でもマークシティには10分とはかからないとおもったのも大いに誤算だった。
たしかにビルに入ったのは10分前。
前日道順を確かめたにもかかわらず、バス乗り場がない。
はて、昨日は引っ越しする様子もなかったのに夜逃げでもしたか・・
何回も迷って乗り場に息せき切って滑り込んだときにはバスは姿も見えなかった。
ああ、行ってしまったのか。
なんてこった、此の後1時間待たないと次のバスは出ない。
ハアハア喘ぎながらバス乗り場の人に訊いた。
「ふううにゃあ、あの、北軽いニャわ行きのバスにゃどこ?もう行ってしまいにゃしたか?」
口が回らない上に息を弾ませているから、おじさんは何回も聞き直す。
え、え、どこ?ああ、北軽井沢ゆきのバスはまだ到着してないよ。待合室にいてください。
よかった!
その後は快適な高速バスで居眠りをしながら北軽井沢へ。
おなじみの、かつて鉄道の駅だった場所に到着した。
今回の会場の北軽井沢住民センターはその直ぐ側。
そこから今回の主宰者の女性の車で家まで送ってもらった。
のんちゃんの家の鍵を開けると、懐かしい部屋は黙って迎えてくれた。
いつもならのんちゃんが満面の優しい笑みで迎えてくれたのに。
しばらく玄関で涙にくれてしまった。
暗い部屋はシャッターを上げると、一斉に日差しが入って、いつもの雑木林が目にとびこんでくる。
電灯は点いたし、キッチンのお湯も出るけれど、おかしいな、1週間前から入っているはずの床暖房が効いていない。
あちらこちらへ電話して判明したことは、此の家は電気系統が複雑で、30アンペアと60アンペアの2つの契約がしてある。
暖房と浴室は60アンペア系統。
照明とキッチンは30アンペア系。
その60アンペアの系統が切られていた。
しかも浴室にお湯を供給するタンクは、給水しないと始まらないのに水も出ない。
それで今回お風呂に給湯することが出来ない。
なんてこった。
ここを設計したのは北海道の建築士。
自分の最高傑作だと自画自賛するこの家は、とんでもない女性泣かせの家だった。
電源を入れるスイッチは物置の奥の高い所にあって、脚立をつかわないと手がとどかない。
85才にもなったのんちゃんは、どうやってこんな面倒な操作をしていたのだろうか。
頭がよく体力もあったのんちゃんでも、これはとてもきつかったと思う。
そのことを私に告げる間もなく、亡くなってしまったので私はなにをどうして良いかわからない。
とりあえず暖炉に薪をくべて暖を取ることにした。
勢いよく火が上がりパチパチと薪の弾ける音が陽気に聞こえ始め、部屋中がほんわかと温まった頃、後続の車が到着。
夕飯の支度のためにスーパーマーケットで買い物をするついでに、私のお昼ご飯まで買ってきてくれた。
こんな山の中で野菜が美味しいのはもちろんのこと、魚まで美味しいのは解せないけれど、新潟から送られてくると聞いて納得。
ぺちゃくちゃおしゃべりは夜中まで続いた。
次の朝私はいつものとおり5時起き。
どんなに遅く寝ても次の朝は同じ時間に起きる。
昼ご飯を食べて、リハーサル会場へ。
車はコントラバスとか譜面台とか、ぎっしりと荷物を載せているので体を斜めにしないと座れない。
時間になると次々とメンバーが集って、午後2時、リハーサルが始まった。
会場ではすでに今回のお世話をしてくれるサポーターズが忙しく働いていた。
壁面には絵や造花が飾られ、背後には淡い色の照明が。
コンサートだけではなく、総合的な舞台にしようという意気込みが感じられる。
会場の音響は、音楽会場として作られた場所ではないので贅沢は言えないけれど、
天井が低いので期待は出来ない。
その上、最近の極度の乾燥で、私の楽器は鼻風邪をひいたような音しか出ない。
しかも現場にピアノがないので、ピアノの曲はキーボードでの演奏となり、いま1つ響きがわるい。
沢山の困難が待っている中、それでも目一杯の努力が続けられた。
練習が終わって、近所の地蔵川温泉でお風呂に入らせてもらう。
朝のうちにルオムの森のオーナーのAさんが連絡してくれて、由緒正しげな温泉宿にお邪魔した。
竹久夢二の絵葉書などが置いてあるから縁の地ですか?と訊いたら、それほどの縁はなさそうだけれど、品の良い女将がいかにも夢二風で、古風なこの宿にしっくり来る。
側にはお孫さんだろうか、人懐こい女の子がおとなしく控えていた。
2019年2月20日水曜日
北軽井沢冬のコンサート
人形作家のノンちゃんは、北軽井沢の林の中のおとぎ話に出てくるような可愛い山荘で、春から秋まで過ごしていた。
私はしょっちゅうここを訪れて、自分の家のように過ごしていた。
とくに私がこの家でヴァイオリンを弾くと、ノンちゃんはとても喜んでくれた。
ここでコンサートが開けないかしら?彼女はよくそう言っていた。
彼女はいつの間にか私をここの家の後継ぎと決めて、決めたら後に退かない人だから、私もその気になっていた。
コンサートを実現できなかったのが悔やまれるけれど。
最近私の連れ合いが亡くなって、私はそれならノンちゃんのお世話をしようと覚悟を決めていたら、ノンちゃんはそれからすぐ、あっという間に亡くなってしまった。
身近な人が二人立て続けに亡くなって呆然としていたけれど、のんちゃんの遺志をついで、ここで生活をしようと思っている。
冬の北軽井沢はどれほど寒いか想像もつかない。
夏でも東京とは10度ほどの温度差。
真冬は身を切るような寒さと、音の消えた世界だと思う。
林の中はきっとものすごく寂しいことだと思う。
今回その冬にコンサートを開かないかと、北軽井沢のミュージックホールサポーターズから連絡が入った。
今度行くのがチャンスだから、冬を実際に体験することにした。
去年夏のコンサートに参加して湿度に悩まされたけれど、今度は寒さとの戦い。
ただし今回の会場は北軽井沢バス停すぐ側の、きれいな新しい会館。
暖房は多分暑いくらいですとのこと。
一昨年その話が出たときには車の運転が難しいからとお断りをしたけれど、今回仲間に相談したら「やりましょう」
私より10才ほど若い人たちは冒険心を失っていない。
私は雪の道で立ち往生して、チェーンをまくなんてことはもはや出来ない。
側溝に落ちたり、滑って横向いてしまったり、怖いことはもう沢山。
でも皆さん、元気で勇気満々。
それではとゴーサインを出して練習に入った。
「なんだかワクワクするの」と、コントラバス奏者のHさん。
雪道の運転は大丈夫?と訊くと、四駆でスノータイヤ履いているから大丈夫と頼もしいヴィオラ奏者のKさん。
ヴァイオリンのIさん、ピアノのOさんは共に寒冷地育ち。
長野県、北海道とくれば寒さにもめっぽう強い。
となると、からきしだらしないのは私。
怖いから新幹線で行くから軽井沢まで迎えに来てと、北軽井沢のサポーターズにお願いした。
でもあまりにもだらしないから、軽井沢からバスで自分で行くことにした。
バスで30分ほどで到着する。
のんちゃんの山荘は、冬に備えて水道は水抜き、電気は全く止めてしまってあるから、早めに電源を入れて床暖房をつけておかないと、全員凍えて雪山でテントに入っているような具合になる。
それはルオムの森のオーナーのAさんにお願いしてやってもらうことに。
荷物を送るならルオムの森の事務所の方に送っても良いと、至れり尽くせり。
本番は2月23日(土)14時開演 北軽井沢バス停近くの町営の会館にて
パッヘルベル:カノン
バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番
作曲者不明:ヴィオラとコントラバス二重奏曲
~休憩~
ヴィヴァルディ:四季より「冬」
チャイコフスキー:トロイカ
メンデルスゾーン:無言歌より「春の歌」
ヨハン・シュトラウス:春の声 etc.
ご覧になっておわかりでしょう。
後半は冬から春へ季節の移り変わりがテーマ。
前日から会場練習をさせてもらって、のんちゃんの山荘に泊まる。
寂しい冬を体験したいと思ったけれど、陽気な女性5人ではさぞ賑やかな夜になって、静寂もへったくれもなくなりそう。
今後は年の半分くらいは北軽井沢に住むようにしたいので、現地の人たちとの交流がありがたい。
こちらが一方的にお世話にならないで、地元の文化面でのお手伝いができれば嬉しい。
北軽井沢の魅力は美しい雑木林。
広い雑木林の中で暮らしていると、いつの間にか体が元気になっている。
嬬恋のキャベツがおいしい。
ところで吾妻郡の由来を先日テレビで解説していた。
大元は倭健命(大和武尊)の話らしい。
子供の頃、倭健命の話を本で読んで、非常に憧れていた。
女装して踊り、油断した熊襲を退治した美しく勇猛な王子
海が荒れ難破しそうになったとき、荒ぶる神の生贄として自ら海に飛び込んで波を沈めた妻の弟橘姫。
倭健命がたどり着いた地で亡き妻を思い「あずまはや」と嘆く。
その地が嬬恋のあたり。
私はめっぽう涙もろいので、そこでホロリ。
吾妻郡の名が倭健命から来ているとは知らなかった。
父王から次々に難題を命じられ疲れ果てる倭健命。
たどり着いた西の地で、足も萎えて疲れ果て、白鳥になって天駆ける倭健命。
そこで大泣き。
日本にもこんな壮大な話があるなんて。
話は素敵だけれど、問題はうちの気難しい猫。
果たしてこの家を気に入ってくれるだろうか。
しばらく大騒ぎなんだろうなあ。
新幹線で軽井沢へ、そこからバスで30分。
渋谷からはバスが出ていて、北軽井沢まで直行、約4時間で到着する。
運賃は3500円くらい。
経済的にも時間的にもバスが最適かもしれない。
まさかとは思いますが、お近くにいらっしゃるようでしたら、町民会館へ足をお運びくださいませ。
私はしょっちゅうここを訪れて、自分の家のように過ごしていた。
とくに私がこの家でヴァイオリンを弾くと、ノンちゃんはとても喜んでくれた。
ここでコンサートが開けないかしら?彼女はよくそう言っていた。
彼女はいつの間にか私をここの家の後継ぎと決めて、決めたら後に退かない人だから、私もその気になっていた。
コンサートを実現できなかったのが悔やまれるけれど。
最近私の連れ合いが亡くなって、私はそれならノンちゃんのお世話をしようと覚悟を決めていたら、ノンちゃんはそれからすぐ、あっという間に亡くなってしまった。
身近な人が二人立て続けに亡くなって呆然としていたけれど、のんちゃんの遺志をついで、ここで生活をしようと思っている。
冬の北軽井沢はどれほど寒いか想像もつかない。
夏でも東京とは10度ほどの温度差。
真冬は身を切るような寒さと、音の消えた世界だと思う。
林の中はきっとものすごく寂しいことだと思う。
今回その冬にコンサートを開かないかと、北軽井沢のミュージックホールサポーターズから連絡が入った。
今度行くのがチャンスだから、冬を実際に体験することにした。
去年夏のコンサートに参加して湿度に悩まされたけれど、今度は寒さとの戦い。
ただし今回の会場は北軽井沢バス停すぐ側の、きれいな新しい会館。
暖房は多分暑いくらいですとのこと。
一昨年その話が出たときには車の運転が難しいからとお断りをしたけれど、今回仲間に相談したら「やりましょう」
私より10才ほど若い人たちは冒険心を失っていない。
私は雪の道で立ち往生して、チェーンをまくなんてことはもはや出来ない。
側溝に落ちたり、滑って横向いてしまったり、怖いことはもう沢山。
でも皆さん、元気で勇気満々。
それではとゴーサインを出して練習に入った。
「なんだかワクワクするの」と、コントラバス奏者のHさん。
雪道の運転は大丈夫?と訊くと、四駆でスノータイヤ履いているから大丈夫と頼もしいヴィオラ奏者のKさん。
ヴァイオリンのIさん、ピアノのOさんは共に寒冷地育ち。
長野県、北海道とくれば寒さにもめっぽう強い。
となると、からきしだらしないのは私。
怖いから新幹線で行くから軽井沢まで迎えに来てと、北軽井沢のサポーターズにお願いした。
でもあまりにもだらしないから、軽井沢からバスで自分で行くことにした。
バスで30分ほどで到着する。
のんちゃんの山荘は、冬に備えて水道は水抜き、電気は全く止めてしまってあるから、早めに電源を入れて床暖房をつけておかないと、全員凍えて雪山でテントに入っているような具合になる。
それはルオムの森のオーナーのAさんにお願いしてやってもらうことに。
荷物を送るならルオムの森の事務所の方に送っても良いと、至れり尽くせり。
本番は2月23日(土)14時開演 北軽井沢バス停近くの町営の会館にて
パッヘルベル:カノン
バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番
作曲者不明:ヴィオラとコントラバス二重奏曲
~休憩~
ヴィヴァルディ:四季より「冬」
チャイコフスキー:トロイカ
メンデルスゾーン:無言歌より「春の歌」
ヨハン・シュトラウス:春の声 etc.
ご覧になっておわかりでしょう。
後半は冬から春へ季節の移り変わりがテーマ。
前日から会場練習をさせてもらって、のんちゃんの山荘に泊まる。
寂しい冬を体験したいと思ったけれど、陽気な女性5人ではさぞ賑やかな夜になって、静寂もへったくれもなくなりそう。
今後は年の半分くらいは北軽井沢に住むようにしたいので、現地の人たちとの交流がありがたい。
こちらが一方的にお世話にならないで、地元の文化面でのお手伝いができれば嬉しい。
北軽井沢の魅力は美しい雑木林。
広い雑木林の中で暮らしていると、いつの間にか体が元気になっている。
嬬恋のキャベツがおいしい。
ところで吾妻郡の由来を先日テレビで解説していた。
大元は倭健命(大和武尊)の話らしい。
子供の頃、倭健命の話を本で読んで、非常に憧れていた。
女装して踊り、油断した熊襲を退治した美しく勇猛な王子
海が荒れ難破しそうになったとき、荒ぶる神の生贄として自ら海に飛び込んで波を沈めた妻の弟橘姫。
倭健命がたどり着いた地で亡き妻を思い「あずまはや」と嘆く。
その地が嬬恋のあたり。
私はめっぽう涙もろいので、そこでホロリ。
吾妻郡の名が倭健命から来ているとは知らなかった。
父王から次々に難題を命じられ疲れ果てる倭健命。
たどり着いた西の地で、足も萎えて疲れ果て、白鳥になって天駆ける倭健命。
そこで大泣き。
日本にもこんな壮大な話があるなんて。
話は素敵だけれど、問題はうちの気難しい猫。
果たしてこの家を気に入ってくれるだろうか。
しばらく大騒ぎなんだろうなあ。
新幹線で軽井沢へ、そこからバスで30分。
渋谷からはバスが出ていて、北軽井沢まで直行、約4時間で到着する。
運賃は3500円くらい。
経済的にも時間的にもバスが最適かもしれない。
まさかとは思いますが、お近くにいらっしゃるようでしたら、町民会館へ足をお運びくださいませ。
2019年2月13日水曜日
認知機能検査
ついに運転免許更新に、いらぬ検査までついてくるようになった。
本当はお断りしたいのに、これを受けないと免許の更新ができない。
更新ができないと、これから田舎暮らししようと思っているのが不可能になる。
それで近くの自動車学校に検査を受けにでかけた。
開始時間の指定があるにもかかわらず、受付が終わっても中々始まらない。
こんなに待たせるのでは終わったら文句か嫌味の1つも言わないといけないと、いつもの猫ではなくライオンになった気分の私は考えた。
小さいおとなしい猫だと思ったら大違いだぞ。
30分ほど過ぎた頃やっと太ったおじさんが現れて、試験場へ。
検査を受けるのは男性4人と女性3人。
この日の予約を取るのにえらい待たされたのはどうして?
もう少し一回の人数を増やせば、もっと早く受けられたのに。
知らせのはがきが来てから2ヶ月強待たされた。
早く認知機能検査だけでも受けさせればいいのに。
実技の検査だと車の空き具合とか、試験官の確保とかに時間がかかるのはわかるけれど、ペーパーテストだから受ける人が多くても差しさわりはないのに。
と、いついものブツブツ文句。
試験が始まってもイライラ。
この試験官がいかにも鈍臭い。
説明が遅くて声が汚い。
わかりきったことをくどくど。
なにかわざと開始を引き伸ばしているような。
やっとテスト用紙を渡されても、指定があるまでめくってはいけない。
最初に日付や名前などの質問の後に、16通りの絵を見せられた。
動物や楽器、果物、野菜、乗り物などの絵。
なんと古めかしいテレビなのか。
このテストの歴史がわかるようなブラウン管の室内アンテナ付きの昔のテレビ。
これを見て今の若い人はなにかわかるかしら?
彼らは今検査を受ける必要がなくても、この先受ける時に、これがテレビだとわかるかなあ。
その頃には絵を薄型に変えてほしい。
絵を見たあとで他の質問を挟んでから、なんの絵だったか訊かれる。
集中している時に携帯電話の着信音。
一人の女性の携帯の電源がオフになっていなかった。
最初の受付の時に携帯の電源をオフにするようにと注意があったのにもかかわらず、その後何回も着信があって、その都度試験官に注意をされても切らない。
挙句の果て、だってむりやり持たされたんだから切り方なんて知らないわと逆ギレ。
最後に時計の絵を描かされて、指定の時間を書き入れる時に質問を聞いていなくて、何回も訊き直す。
あああ~!だから女は駄目だと男どもから言われるのだ。
女だからいけないのではなくて、個人差だと思うけれど。
今何時ころかという質問があって、時間をわざと遅らすようなことをしたのはこのことなのだと思った。
受付ロビーで吠えなくてよかった。
ぼんやり待っていると、時間の経過がわからなくなる。
私はジリジリ待っていたから、始める時に受付の時計を見た。
約30分遅れで始まった。
試験場には時計はないけれど、それからだいたい15分位?経過しているから、45分過ぎの時間を書き入れた。
「間違ってもいいですよ、大体で」と試験官は言うけれど、これも注意力のうちに採点されるのかもしれない。
検査が終わってほぼ出来たと思ったけれど、1つ決定的な間違えがあった。
時計の絵に時間を書き込む問題で、書くように言われたのは2時45分。
45分だから短針が3時に近くないといけない。
私は短針を2時のところに書いてしまった。
気がついたけれどボールペンの書き込みなので、線を引いて直すととても汚くなるから書き直さなかった。
それも採点に響くのかどうか。
それさえなければ完璧だったのに・・・とは本人の希望的採点。
認知機能検査はクリア!と思っているのは本人だけで、それが大きな間違いで認知症の始まりだったら、どうしよう。
本当はお断りしたいのに、これを受けないと免許の更新ができない。
更新ができないと、これから田舎暮らししようと思っているのが不可能になる。
それで近くの自動車学校に検査を受けにでかけた。
開始時間の指定があるにもかかわらず、受付が終わっても中々始まらない。
こんなに待たせるのでは終わったら文句か嫌味の1つも言わないといけないと、いつもの猫ではなくライオンになった気分の私は考えた。
小さいおとなしい猫だと思ったら大違いだぞ。
30分ほど過ぎた頃やっと太ったおじさんが現れて、試験場へ。
検査を受けるのは男性4人と女性3人。
この日の予約を取るのにえらい待たされたのはどうして?
もう少し一回の人数を増やせば、もっと早く受けられたのに。
知らせのはがきが来てから2ヶ月強待たされた。
早く認知機能検査だけでも受けさせればいいのに。
実技の検査だと車の空き具合とか、試験官の確保とかに時間がかかるのはわかるけれど、ペーパーテストだから受ける人が多くても差しさわりはないのに。
と、いついものブツブツ文句。
試験が始まってもイライラ。
この試験官がいかにも鈍臭い。
説明が遅くて声が汚い。
わかりきったことをくどくど。
なにかわざと開始を引き伸ばしているような。
やっとテスト用紙を渡されても、指定があるまでめくってはいけない。
最初に日付や名前などの質問の後に、16通りの絵を見せられた。
動物や楽器、果物、野菜、乗り物などの絵。
なんと古めかしいテレビなのか。
このテストの歴史がわかるようなブラウン管の室内アンテナ付きの昔のテレビ。
これを見て今の若い人はなにかわかるかしら?
彼らは今検査を受ける必要がなくても、この先受ける時に、これがテレビだとわかるかなあ。
その頃には絵を薄型に変えてほしい。
絵を見たあとで他の質問を挟んでから、なんの絵だったか訊かれる。
集中している時に携帯電話の着信音。
一人の女性の携帯の電源がオフになっていなかった。
最初の受付の時に携帯の電源をオフにするようにと注意があったのにもかかわらず、その後何回も着信があって、その都度試験官に注意をされても切らない。
挙句の果て、だってむりやり持たされたんだから切り方なんて知らないわと逆ギレ。
最後に時計の絵を描かされて、指定の時間を書き入れる時に質問を聞いていなくて、何回も訊き直す。
あああ~!だから女は駄目だと男どもから言われるのだ。
女だからいけないのではなくて、個人差だと思うけれど。
今何時ころかという質問があって、時間をわざと遅らすようなことをしたのはこのことなのだと思った。
受付ロビーで吠えなくてよかった。
ぼんやり待っていると、時間の経過がわからなくなる。
私はジリジリ待っていたから、始める時に受付の時計を見た。
約30分遅れで始まった。
試験場には時計はないけれど、それからだいたい15分位?経過しているから、45分過ぎの時間を書き入れた。
「間違ってもいいですよ、大体で」と試験官は言うけれど、これも注意力のうちに採点されるのかもしれない。
検査が終わってほぼ出来たと思ったけれど、1つ決定的な間違えがあった。
時計の絵に時間を書き込む問題で、書くように言われたのは2時45分。
45分だから短針が3時に近くないといけない。
私は短針を2時のところに書いてしまった。
気がついたけれどボールペンの書き込みなので、線を引いて直すととても汚くなるから書き直さなかった。
それも採点に響くのかどうか。
それさえなければ完璧だったのに・・・とは本人の希望的採点。
認知機能検査はクリア!と思っているのは本人だけで、それが大きな間違いで認知症の始まりだったら、どうしよう。
2019年2月11日月曜日
YMO
都内某所の某楽器店。
数日前、弦を買いに行ったとき見つけたたチラシ。
私の旧友のチェリストM氏のコンサートがこの楽器店で行われるという。
日付を見たら日曜日の午後で、その日私は午前中のレッスンを終えると後はフリーの予定だった。
その日の生徒も、時間が空いていたら一緒に来るかもしれないと思い誘ってみた。
二つ返事が返ってきたから、レッスンが終わると二人ででかけた。
早めに行って席を確保してから、昼ごはんを食べよう。
会場に着いて見ると、いつもの楽器が飾られているショウケースはどこかへ移動されて、そこにパイプ椅子が50脚ほど並んでいる。
店長さんが何でも良いから椅子において席を確保していいと言うから、きたない帽子で席取り終了。
隣の喫茶店で簡単に食事を済ませた。
開演間近、席はすっかり埋まって臨時の丸椅子が動員される盛況だった。
演奏者とはここ数年会っていない。
出てきたとき、こんな顔の人だったかしらと一瞬訝った。
どうも以前と様子が違う。
しばらく考えて、ああ、ひげを伸ばしたのか。
でもそれだけではない。
こんなに目が大きかったかしら。
すっかりグレイヘアになった長身の彼は、全身黒でビシッと身を固めている。
もちろん猫の毛なんか一本たりとも、チリの1つも付いていない。
こうしてみると中々ハンサム、女性ファンが多いのもよく分かる。
でもなにか以前と印象が違う。
ずっと以前だけれど、彼とはほぼ7年間に亘り、ピアノトリオを組んで演奏活動をしていた。
そのトリオが自然消滅をしたのは、彼の結婚が機になった。
トリオのメンバーは、彼がチェロ、ピアニストOさんと私は女性で既婚。
彼は当時40歳になった頃で独身だった。
コンサートを開いたり、ピュイグ・ロジェ女史のレッスンを受けに行ったり、仲良く活動していた。
いつもピアニストのOさんの家で練習をしていたから、彼女のご主人ともよくお目にかかった。
ある時トリオの名前を決めようと相談していたら、Oさんのご主人が「YMOトリオ」または「Mさんを巡る2人の人妻」はどうかと提案した。
一世を風靡した「YMO」
はてどうして?と思ったら、私達の3人の頭文字がY・M・Oだったから。
あの有名な「YMO」と間違えてチケットを買ってくれる人がいるかもしれないというのが、Oさんのご主人の言い分で大笑い。
結局怪しげな提案は却下され、名無しで通した。
練習のとき、二人の人妻はよく連れ合いに対する愚痴をこぼしていた。
ある日いつものように夫の悪口を言い合っていたら、Mさんがポツリと言った。
「やっぱり結婚はやめようかな」
二人の人妻は仰天して「そんなことないわよ、結婚は良いものよ」と嘘くさいけど慌ててフォローした。
二人とも彼に結婚話がある事を、その時初めて知った。
そのあと彼を攻め立てて告白させたところによれば、20才ほども年下のピアニストがお相手だという。
家に帰って「Mさんが結婚するらしい」と告げると、いつも私の悪口のターゲットであったうちの宿六が「そうか、ちゃんとお祝いしてあげるんだぞ」と、さも物分り良さげに言う。
「二十歳くらいの人ですって」と言うと突然亭主は怒り出した。
「なんだそれは!そんなやつにお祝いなんてしなくていいぞ」
アハハ、いったいこの人何怒ってるんだろう。
男性の女性に対する年齢信仰はすさまじい。
歯ぎしりせんばかりに猛り狂ううちの宿六の思いも虚しく、彼らは松濤にある素敵なレストランで結婚披露パーティー。
桜の花の様な美しい奥さんだった。
その後招待されて新婚家庭に行ったら、玄関に大きな猫の置物が。
たまたま私の手土産も陶器の猫で、同じくらいの大きさのもの。
奥様が何種類ものスパイスをブレンドした本格的なカレーを、ごちそうになった。
帰りがけには玄関の猫は2匹になっていた。
女2人が亭主の悪口を言ってもMさんは気にもとめなかった。
けれどある時、夫の燕尾服をクリーニングに出すのを忘れて、カビを生やしてしまったことがあった。
私の失敗としてそのことを話したら、Mさんが突然怒り出した。
「そんなことまで貴女がする必要はない。自分のことは自分でやらせないと」と。
自分のことを自分でやれる亭主なら、苦労はしない。
その後Mさんは、奥さんとの共演で忙しくなって、トリオは自然消滅した。
終演後ファンに囲まれているMさんに挨拶をすると、とても喜んでくれた。
近くで顔を見て、どうして顔の印象が違ったのかやっと気がついた。
メガネをやめてコンタクトにしたのだ。
連れて行った私の生徒は若い女性。
Mさんが素敵だと何回も言う。
若い女性は頼りになる年上の男性が好き。
男性は年若い女性が好き。
だから、それがどうした!私の居場所はどこ?
数日前、弦を買いに行ったとき見つけたたチラシ。
私の旧友のチェリストM氏のコンサートがこの楽器店で行われるという。
日付を見たら日曜日の午後で、その日私は午前中のレッスンを終えると後はフリーの予定だった。
その日の生徒も、時間が空いていたら一緒に来るかもしれないと思い誘ってみた。
二つ返事が返ってきたから、レッスンが終わると二人ででかけた。
早めに行って席を確保してから、昼ごはんを食べよう。
会場に着いて見ると、いつもの楽器が飾られているショウケースはどこかへ移動されて、そこにパイプ椅子が50脚ほど並んでいる。
店長さんが何でも良いから椅子において席を確保していいと言うから、きたない帽子で席取り終了。
隣の喫茶店で簡単に食事を済ませた。
開演間近、席はすっかり埋まって臨時の丸椅子が動員される盛況だった。
演奏者とはここ数年会っていない。
出てきたとき、こんな顔の人だったかしらと一瞬訝った。
どうも以前と様子が違う。
しばらく考えて、ああ、ひげを伸ばしたのか。
でもそれだけではない。
こんなに目が大きかったかしら。
すっかりグレイヘアになった長身の彼は、全身黒でビシッと身を固めている。
もちろん猫の毛なんか一本たりとも、チリの1つも付いていない。
こうしてみると中々ハンサム、女性ファンが多いのもよく分かる。
でもなにか以前と印象が違う。
ずっと以前だけれど、彼とはほぼ7年間に亘り、ピアノトリオを組んで演奏活動をしていた。
そのトリオが自然消滅をしたのは、彼の結婚が機になった。
トリオのメンバーは、彼がチェロ、ピアニストOさんと私は女性で既婚。
彼は当時40歳になった頃で独身だった。
コンサートを開いたり、ピュイグ・ロジェ女史のレッスンを受けに行ったり、仲良く活動していた。
いつもピアニストのOさんの家で練習をしていたから、彼女のご主人ともよくお目にかかった。
ある時トリオの名前を決めようと相談していたら、Oさんのご主人が「YMOトリオ」または「Mさんを巡る2人の人妻」はどうかと提案した。
一世を風靡した「YMO」
はてどうして?と思ったら、私達の3人の頭文字がY・M・Oだったから。
あの有名な「YMO」と間違えてチケットを買ってくれる人がいるかもしれないというのが、Oさんのご主人の言い分で大笑い。
結局怪しげな提案は却下され、名無しで通した。
練習のとき、二人の人妻はよく連れ合いに対する愚痴をこぼしていた。
ある日いつものように夫の悪口を言い合っていたら、Mさんがポツリと言った。
「やっぱり結婚はやめようかな」
二人の人妻は仰天して「そんなことないわよ、結婚は良いものよ」と嘘くさいけど慌ててフォローした。
二人とも彼に結婚話がある事を、その時初めて知った。
そのあと彼を攻め立てて告白させたところによれば、20才ほども年下のピアニストがお相手だという。
家に帰って「Mさんが結婚するらしい」と告げると、いつも私の悪口のターゲットであったうちの宿六が「そうか、ちゃんとお祝いしてあげるんだぞ」と、さも物分り良さげに言う。
「二十歳くらいの人ですって」と言うと突然亭主は怒り出した。
「なんだそれは!そんなやつにお祝いなんてしなくていいぞ」
アハハ、いったいこの人何怒ってるんだろう。
男性の女性に対する年齢信仰はすさまじい。
歯ぎしりせんばかりに猛り狂ううちの宿六の思いも虚しく、彼らは松濤にある素敵なレストランで結婚披露パーティー。
桜の花の様な美しい奥さんだった。
その後招待されて新婚家庭に行ったら、玄関に大きな猫の置物が。
たまたま私の手土産も陶器の猫で、同じくらいの大きさのもの。
奥様が何種類ものスパイスをブレンドした本格的なカレーを、ごちそうになった。
帰りがけには玄関の猫は2匹になっていた。
女2人が亭主の悪口を言ってもMさんは気にもとめなかった。
けれどある時、夫の燕尾服をクリーニングに出すのを忘れて、カビを生やしてしまったことがあった。
私の失敗としてそのことを話したら、Mさんが突然怒り出した。
「そんなことまで貴女がする必要はない。自分のことは自分でやらせないと」と。
自分のことを自分でやれる亭主なら、苦労はしない。
その後Mさんは、奥さんとの共演で忙しくなって、トリオは自然消滅した。
終演後ファンに囲まれているMさんに挨拶をすると、とても喜んでくれた。
近くで顔を見て、どうして顔の印象が違ったのかやっと気がついた。
メガネをやめてコンタクトにしたのだ。
連れて行った私の生徒は若い女性。
Mさんが素敵だと何回も言う。
若い女性は頼りになる年上の男性が好き。
男性は年若い女性が好き。
だから、それがどうした!私の居場所はどこ?
2019年2月10日日曜日
Violaは嘆く
3月の古典音楽協会の定期演奏会のプログラムに、バッハのブランデンブルク協奏曲第3番が入っている。
この曲は、それぞれのパートが3部に分かれて、華やかに活躍できる大変楽しい曲。
しかし「古典」にはヴィオラ奏者は2人しかいない。
エキストラを雇うだけの経済的な余裕はない。
ヴァイオリンはそれぞれのパートを二人ずつで弾くと、一人余る。
だからその余った一人がヴィオラに回って、第3ヴィオラを弾けば良い。
その余り物が私。
余り物には福があるというけれど、この福は性格獰猛につき要注意。
すぐ人に噛み付く。
ヴィオラ大好きだから弾くことに些かも異存はないけれど、同じステージでヴァイオリン・ヴィオラの持ち替えは、時には波乱に富むこともある。
調子記号が違うから、楽器を持ち替えた途端、モードスイッチをパチンと切り替えないといけない。
ヴァイオリンからヴィオラのスイッチは上手くいくのに、なぜかヴィオラからヴァイオリンに戻るときが危険なのだ。
普段ヴィオラはめったに弾かないから、少しだけ頭を沢山働かせないといけない。
その緊張が中々解けなくて、ヴァイオリンに戻るのに時間がかかるらしい。
ただし、ヴィオラのほうが楽譜は単純、曲にもよるけれど。
ブランデンブルク協奏曲は今回のコンサートの最後の曲だから、終了すればヴァイオリンに戻らなくてもいいけれど、その前に舞台稽古がある。
そこでヴィオラ頭になってしまうと、本番までの時間にヴァイオリン頭に戻す作業が上手くいくかどうか。
物事を簡単に考える方だから、今まではなんなくこういうことをやってきた。
持っている楽器に対して自然に頭が反応した。
しかし最近は何かにつけて頭の回転が遅いので、果たして大丈夫だろうか。
何年ぶりかでヴィオラを出して手慣らし。
思ったよりは簡単に譜読みができる。
ヴァイオリンに戻るのも大丈夫。
しかし、何年もの間クローゼットに押し込められていたヴィオラは、言うことをきかない。
「なによ、長いことほったらかしにして、いい音なんか出るわけ無いでしょ」
プリプリ怒っている。
ちなみにヴィオラは女性。
楽器店に行ってヴァイオリンとヴィオラの弦を3セット買った。
ヴァイオリンが高価なのはよく知られているけれど、消耗品も高価。
弦を張り替えるのも弓の毛を張り替えるのも家計を逼迫するから、貧乏音楽家は四苦八苦する。
修理代や消耗品代でお金はあっという間に消えていく。
こんな身分不相応な楽器を始めた自分がわるいのだけれど、まさかプロになるとは思わなかったからいまさら嘆いても仕方がない。
数年前まで、ロンドンアンサンブルが毎年来日していた。
演奏者の都合で、最後の小田原公演だけ毎回ヴィオリストが帰国してしまう。
その代りに私が演奏させてもらっていた。
だから毎年一回はヴィオラを弾く機会があったけれど、ピアニストが亡くなったので、彼らはもう来なくなってしまった。
オーケストラの曲をアレンジするので、オリジナルのヴィオラパートよりも数段難しい。
なんたって、たった5人でオーケストラのすべてのパートを弾くのだから、呑気に構えていられない。
特にヴィオラはクラリネットやファゴットなどの管楽器の代わりをするはめになる。
ソロもたくさん出てくる。
普段ヴィオラという楽器は縁の下の力持ちだけれど、ロンドンアンサンブルでは休む間もなくこき使われる。
しかし名手たちに混じって弾くのは至福のときだった。
ちょうど今頃の季節、このアンサンブルのピアニストの美智子さんは病魔と戦っていた。
そして春たけなわ、天国に行ってしまった。
ヴィオラを弾くと必ず思い出す。
この曲は、それぞれのパートが3部に分かれて、華やかに活躍できる大変楽しい曲。
しかし「古典」にはヴィオラ奏者は2人しかいない。
エキストラを雇うだけの経済的な余裕はない。
ヴァイオリンはそれぞれのパートを二人ずつで弾くと、一人余る。
だからその余った一人がヴィオラに回って、第3ヴィオラを弾けば良い。
その余り物が私。
余り物には福があるというけれど、この福は性格獰猛につき要注意。
すぐ人に噛み付く。
ヴィオラ大好きだから弾くことに些かも異存はないけれど、同じステージでヴァイオリン・ヴィオラの持ち替えは、時には波乱に富むこともある。
調子記号が違うから、楽器を持ち替えた途端、モードスイッチをパチンと切り替えないといけない。
ヴァイオリンからヴィオラのスイッチは上手くいくのに、なぜかヴィオラからヴァイオリンに戻るときが危険なのだ。
普段ヴィオラはめったに弾かないから、少しだけ頭を沢山働かせないといけない。
その緊張が中々解けなくて、ヴァイオリンに戻るのに時間がかかるらしい。
ただし、ヴィオラのほうが楽譜は単純、曲にもよるけれど。
ブランデンブルク協奏曲は今回のコンサートの最後の曲だから、終了すればヴァイオリンに戻らなくてもいいけれど、その前に舞台稽古がある。
そこでヴィオラ頭になってしまうと、本番までの時間にヴァイオリン頭に戻す作業が上手くいくかどうか。
物事を簡単に考える方だから、今まではなんなくこういうことをやってきた。
持っている楽器に対して自然に頭が反応した。
しかし最近は何かにつけて頭の回転が遅いので、果たして大丈夫だろうか。
何年ぶりかでヴィオラを出して手慣らし。
思ったよりは簡単に譜読みができる。
ヴァイオリンに戻るのも大丈夫。
しかし、何年もの間クローゼットに押し込められていたヴィオラは、言うことをきかない。
「なによ、長いことほったらかしにして、いい音なんか出るわけ無いでしょ」
プリプリ怒っている。
ちなみにヴィオラは女性。
楽器店に行ってヴァイオリンとヴィオラの弦を3セット買った。
ヴァイオリンが高価なのはよく知られているけれど、消耗品も高価。
弦を張り替えるのも弓の毛を張り替えるのも家計を逼迫するから、貧乏音楽家は四苦八苦する。
修理代や消耗品代でお金はあっという間に消えていく。
こんな身分不相応な楽器を始めた自分がわるいのだけれど、まさかプロになるとは思わなかったからいまさら嘆いても仕方がない。
数年前まで、ロンドンアンサンブルが毎年来日していた。
演奏者の都合で、最後の小田原公演だけ毎回ヴィオリストが帰国してしまう。
その代りに私が演奏させてもらっていた。
だから毎年一回はヴィオラを弾く機会があったけれど、ピアニストが亡くなったので、彼らはもう来なくなってしまった。
オーケストラの曲をアレンジするので、オリジナルのヴィオラパートよりも数段難しい。
なんたって、たった5人でオーケストラのすべてのパートを弾くのだから、呑気に構えていられない。
特にヴィオラはクラリネットやファゴットなどの管楽器の代わりをするはめになる。
ソロもたくさん出てくる。
普段ヴィオラという楽器は縁の下の力持ちだけれど、ロンドンアンサンブルでは休む間もなくこき使われる。
しかし名手たちに混じって弾くのは至福のときだった。
ちょうど今頃の季節、このアンサンブルのピアニストの美智子さんは病魔と戦っていた。
そして春たけなわ、天国に行ってしまった。
ヴィオラを弾くと必ず思い出す。
2019年2月9日土曜日
郵便配達人は2度ベルを鳴らす
詐欺氏からの郵便書留はついに届かなかった。
こんなぼんやりした人を相手にしてもラチがあかないと思ったらしい。
そんな題名の小説があった。
なぜ2度ベルを鳴らすのか調べたら、実際の郵便配達人もそうなんだけど、殺人犯は被害者が本当に死んだかどうか確かめるために2度殺すのだそうで、たいそう物騒な意味なのだと知ったのが今日の収穫だった。
しかし、よくこんなことを知っている人がいるものだ感心した。
なぜ郵便配達人が2度ベルを鳴らすのかと言うと、1度で聞こえなかった可能性もあるので2度鳴らすのだそうで、それにも感心した。
なるほど。
先程から通販で買った品物が配達されるのを待っている。
こちらで指定しておいてその時間にいないと2度手間させて気の毒だから、家にいるけれど、待ち遠しい。
時々ヴァイオリンを弾いていると、チャイムの音と自分の音が混じって気が付かないことがある。
なにか共鳴しているなあと思って弾くのをやめると、インターホンの音がしている。
そんなことがあるから配達する人は2度鳴らさないと、あとで家にいたのに届かなかったと文句を言われるのだろう。
私が詐欺に狙われたことを友人がいたく心配していて、今朝もメールが届いた。
大丈夫だった?と。
例の4億円をもらえるというメールが送られて迷惑している人。
いくら私でもそこまで騙されやすいとは思えないけれど、絶対自分は大丈夫と言っている人が案外コロリと騙されるようなのだ。
ところで不審な電話がかかってきたら警察に届けるようにと言うのはなぜ?
何回か警察に通報したけれど、その度に腹が立つ。
特に婦人警官は態度が悪い。
報告すると「ああ、そうですか」とけんもほろろ。
それなら通報するようになんて言わなければいいのに。
ものすごく偉そうにするから、その都度腹を立てて噛み付く。
なんであんなに横柄なのか一度訊いてみようと思っている。
こんなぼんやりした人を相手にしてもラチがあかないと思ったらしい。
そんな題名の小説があった。
なぜ2度ベルを鳴らすのか調べたら、実際の郵便配達人もそうなんだけど、殺人犯は被害者が本当に死んだかどうか確かめるために2度殺すのだそうで、たいそう物騒な意味なのだと知ったのが今日の収穫だった。
しかし、よくこんなことを知っている人がいるものだ感心した。
なぜ郵便配達人が2度ベルを鳴らすのかと言うと、1度で聞こえなかった可能性もあるので2度鳴らすのだそうで、それにも感心した。
なるほど。
先程から通販で買った品物が配達されるのを待っている。
こちらで指定しておいてその時間にいないと2度手間させて気の毒だから、家にいるけれど、待ち遠しい。
時々ヴァイオリンを弾いていると、チャイムの音と自分の音が混じって気が付かないことがある。
なにか共鳴しているなあと思って弾くのをやめると、インターホンの音がしている。
そんなことがあるから配達する人は2度鳴らさないと、あとで家にいたのに届かなかったと文句を言われるのだろう。
私が詐欺に狙われたことを友人がいたく心配していて、今朝もメールが届いた。
大丈夫だった?と。
例の4億円をもらえるというメールが送られて迷惑している人。
いくら私でもそこまで騙されやすいとは思えないけれど、絶対自分は大丈夫と言っている人が案外コロリと騙されるようなのだ。
ところで不審な電話がかかってきたら警察に届けるようにと言うのはなぜ?
何回か警察に通報したけれど、その度に腹が立つ。
特に婦人警官は態度が悪い。
報告すると「ああ、そうですか」とけんもほろろ。
それなら通報するようになんて言わなければいいのに。
ものすごく偉そうにするから、その都度腹を立てて噛み付く。
なんであんなに横柄なのか一度訊いてみようと思っている。
薄紙が剥がれるように事が済んでいく
ようやく様々な手続きが最終段階となり、相続関係もあと一人の捺印が来週の予定となった。
この半年間の焦燥感や不安やらから解き放たれて(実際は最後まで予断をゆるさないけれど)久しぶりにノンビリと散歩した。
なぜ最後まで安心できないかと言うと、相続協議書が出来上がってきたのが去年12月半ば。
さっそく一番上の義兄の実印を貰おうと電話したら、初めて聞く声が応答した。
義兄の子、私の義理の甥だった。
父は入院しています、と言う。
つい2日ほど前、骨折して埼玉県の病院に入院したそうなのだ。
すぐに手術をしたけれど、御年91歳。
この後歩けなく寝たきりになったら、家族は大変なことになる。
そんなときにやいのやいのと相続の手続きのことを言われたって、いったい実印がどこにあるかは本人にしかわからないかもしれない。
体力も落ちてしまって回復が長引いたら、その分こちらにも影響がある。
体力も気力も回復してからでないと、大事な書類に印鑑は押せないかもしれない。
それがいつ頃になるのか、あるいは回復できるのかも心配。
その間他の相続人の間に書類を回して、実印を押してもらっていた。
それだけで2ヶ月かかった。
入院した義兄以外全員の承諾をもらえたので、そろそろと思い義兄宅に電話したけれどつながらない。
又目の前が真っ暗。どうしよう。
他の義兄に電話すると、リハビリの病院へ転院したことを知らされた。
昨日、はるばる埼玉県のリハビリ病院へ行ってみた。
もうひとりの義兄は、もしかしたらもう退院して、いないかもしれないぞと言うから恐る恐る受付に行くと、いました!
病室で面会できた。
元々、兄弟中で一番しっかりした人だったので、もう歩けるようになったという驚異的な回復力。
ゴルフはシングルプレーヤー。
足腰鍛え抜かれている。
事故の経緯を話してくれた。
車から降りて左手に重いお米の袋を持ってドアを閉めようとしたとき、バランスを崩して転倒して左手首と腰を強打した。
そのまま立ちあがれず、暗い寒い外で唸っていたところを通りがかりの人に助けられたという。
痛さに耐えきれず次の朝救急車で運ばれて、骨折が判明したそうなのだ。
持っていたお米の重さが10キロだそうで、91歳でそれは無いでしょうという重さ。
「お義兄さん、10キロはだめよ!」と思わず叫んだら笑っていた。
お隣さんからも同じことを言われたそうな。
それにまだ車の運転をしているのだというのもびっくり。
立ち上がるのも私より楽々、歩くときも背筋が伸びて、しっかりとした足取り。
最近の医療の進化もだけれど、本人の強い意志と並外れた体力に驚嘆した。
退院したら実印がもらえると言うので、一安心した。
それで今朝は久々に心が軽くなって散歩兼買い物に出た。
公園で犬の訓練を眺め、早くから開いているスーパーで買い物。
まだ10時前のスーパーはとても空いていた。
会計をしようとしてふと思った。
いつも避けて通っていたセルフレジに挑戦してみよう。
レジの前に立って説明の画面を覗く。
これを押せばいいのよねと思うけれど、自信がない。
隣でテキパキと操作をしている人の手元をボーッと見ていたら、その人が「お手伝いしましょうか?」と言ってくれたのでお願いした。
まず最初にこれを押してなんやかや・・・と。
ほうほうなるほど。
無事会計が済んだけれど、いつも他力本願の私は、次回もだれかにやってもらうのだろうと予想した。
もたもたして周囲に迷惑かけるより、操作になれた人にやってもらったほうが世のため人のため。
勝手な理屈をつけるのは大得意。
私がボーッとしていると、大抵の人が手を貸してくれる。
手伝ってくれた人は嬉しそうに説明して、自分の会計よりも先に私の会計をしてくれた。
帰り際に謝ると、ニコニコして「どういたしまして」
相続の件では義理の弟の奥さんもただ今奮闘中。
私と同じ様に書類集めに苦労しているらしいから電話してみた。
私は数人の相続人たちの書類は、彼ら自身で役所に行って取って送ってもらった。
しかし、義弟嫁さんは全部自分で役所に電話して送ってもらったそうなのだ。
わあ、大変だったでしょうと言ったら「お義姉さんはどうされたんですか?」と訊かれた。
「私は送ってもらったわ」と言うと「足の悪いお義兄さんや忙しい人もいるので頼めなかった」と言う。
その義兄に私は「早く送ってください」と矢の催促。
それなのに優しい義兄たちは私が困っていないか心底心配してくれる。
今更ながら、私は世間のお荷物なんだなあといたく反省。
反省を口で言うのは簡単なので何回でも言うけれど、依存体質は簡単には治らない。
この半年間の焦燥感や不安やらから解き放たれて(実際は最後まで予断をゆるさないけれど)久しぶりにノンビリと散歩した。
なぜ最後まで安心できないかと言うと、相続協議書が出来上がってきたのが去年12月半ば。
さっそく一番上の義兄の実印を貰おうと電話したら、初めて聞く声が応答した。
義兄の子、私の義理の甥だった。
父は入院しています、と言う。
つい2日ほど前、骨折して埼玉県の病院に入院したそうなのだ。
すぐに手術をしたけれど、御年91歳。
この後歩けなく寝たきりになったら、家族は大変なことになる。
そんなときにやいのやいのと相続の手続きのことを言われたって、いったい実印がどこにあるかは本人にしかわからないかもしれない。
体力も落ちてしまって回復が長引いたら、その分こちらにも影響がある。
体力も気力も回復してからでないと、大事な書類に印鑑は押せないかもしれない。
それがいつ頃になるのか、あるいは回復できるのかも心配。
その間他の相続人の間に書類を回して、実印を押してもらっていた。
それだけで2ヶ月かかった。
入院した義兄以外全員の承諾をもらえたので、そろそろと思い義兄宅に電話したけれどつながらない。
又目の前が真っ暗。どうしよう。
他の義兄に電話すると、リハビリの病院へ転院したことを知らされた。
昨日、はるばる埼玉県のリハビリ病院へ行ってみた。
もうひとりの義兄は、もしかしたらもう退院して、いないかもしれないぞと言うから恐る恐る受付に行くと、いました!
病室で面会できた。
元々、兄弟中で一番しっかりした人だったので、もう歩けるようになったという驚異的な回復力。
ゴルフはシングルプレーヤー。
足腰鍛え抜かれている。
事故の経緯を話してくれた。
車から降りて左手に重いお米の袋を持ってドアを閉めようとしたとき、バランスを崩して転倒して左手首と腰を強打した。
そのまま立ちあがれず、暗い寒い外で唸っていたところを通りがかりの人に助けられたという。
痛さに耐えきれず次の朝救急車で運ばれて、骨折が判明したそうなのだ。
持っていたお米の重さが10キロだそうで、91歳でそれは無いでしょうという重さ。
「お義兄さん、10キロはだめよ!」と思わず叫んだら笑っていた。
お隣さんからも同じことを言われたそうな。
それにまだ車の運転をしているのだというのもびっくり。
立ち上がるのも私より楽々、歩くときも背筋が伸びて、しっかりとした足取り。
最近の医療の進化もだけれど、本人の強い意志と並外れた体力に驚嘆した。
退院したら実印がもらえると言うので、一安心した。
それで今朝は久々に心が軽くなって散歩兼買い物に出た。
公園で犬の訓練を眺め、早くから開いているスーパーで買い物。
まだ10時前のスーパーはとても空いていた。
会計をしようとしてふと思った。
いつも避けて通っていたセルフレジに挑戦してみよう。
レジの前に立って説明の画面を覗く。
これを押せばいいのよねと思うけれど、自信がない。
隣でテキパキと操作をしている人の手元をボーッと見ていたら、その人が「お手伝いしましょうか?」と言ってくれたのでお願いした。
まず最初にこれを押してなんやかや・・・と。
ほうほうなるほど。
無事会計が済んだけれど、いつも他力本願の私は、次回もだれかにやってもらうのだろうと予想した。
もたもたして周囲に迷惑かけるより、操作になれた人にやってもらったほうが世のため人のため。
勝手な理屈をつけるのは大得意。
私がボーッとしていると、大抵の人が手を貸してくれる。
手伝ってくれた人は嬉しそうに説明して、自分の会計よりも先に私の会計をしてくれた。
帰り際に謝ると、ニコニコして「どういたしまして」
相続の件では義理の弟の奥さんもただ今奮闘中。
私と同じ様に書類集めに苦労しているらしいから電話してみた。
私は数人の相続人たちの書類は、彼ら自身で役所に行って取って送ってもらった。
しかし、義弟嫁さんは全部自分で役所に電話して送ってもらったそうなのだ。
わあ、大変だったでしょうと言ったら「お義姉さんはどうされたんですか?」と訊かれた。
「私は送ってもらったわ」と言うと「足の悪いお義兄さんや忙しい人もいるので頼めなかった」と言う。
その義兄に私は「早く送ってください」と矢の催促。
それなのに優しい義兄たちは私が困っていないか心底心配してくれる。
今更ながら、私は世間のお荷物なんだなあといたく反省。
反省を口で言うのは簡単なので何回でも言うけれど、依存体質は簡単には治らない。
郵便屋さんはまだかな?
怪しい電話があってからずっとお待ちしているのに、郵便局からの書留は来ないからこちらから出向くことにした。
詐欺のことではなく、はがきを2枚と、古典音楽協会の定期演奏会のご案内を郵送するために。
ちなみにお知らせです。
古典音楽協会第158回定期演奏会
2019年3月25日(月)午後7時開演
東京文化会館小ホール
ヘンデル:組曲”アルチーナ”
ヘンデル:リコーダー協奏曲 ヘ長調
ヘンデル:合奏協奏曲ハ長調”アレキサンダーフェスト”
J.S.バッハ:オーボエ・ダモーレ協奏曲 イ長調
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調
古典音楽協会は日本で1番早くから長く続いている合奏団で、誰もやめようとしないので全員高齢者となってもなお毎年2回の定期演奏会をしている。
皆がまだ若い頃、そのうち年をとったら曲の繰り返しがわからなくなったり、どの曲を弾いているのかでもめたりするかもねと笑っていたけれど、いまのところその兆候はまだ現れていない。
でも今回はもしかして・・・私あたりが立ち上がるときにぎっくり腰になったり・・・
いやいや、悪いことを考えるのはやめましょう。
合奏団でこの様にメンバーの交代があまり無いというのも良し悪しで、結局皆一緒に年をとってしまい、後継者の育成に繋がらなくなってしまう。
けれど、仲がよくてほとんどトラブルが無くて、一緒に終末を迎えられるのは稀有のことと喜ぶべき。
というわけで、日本で一番平均年齢の高い合奏団ではないかと思っている。
お互いにツーカーだから、ほとんど言葉で言わなくても通じる。
まだ耳の遠い人もいない。
まだ歩けない人もいない。
女性はステージでなら、まだハイヒールが履ける。
途中で眠ってしまったり、トイレを我慢できなくなったり、違う曲を平気で弾いてしまったりする人もまだ出てきていない。
練習で初めて楽譜が配られてほぼ初見で弾き始めても、瞬時にアンサンブルできるのも長年の修練の賜物。
と、自画自賛させていただきます。
他に自慢できるものがないので。
この様に長年に亘ってほとんど同じメンバーで継続することは至難の技。
たまたま私がいくら我が儘を言っても許してくれる優しい人が集まったからで、いつも言いたい放題言わせてもらっている。
ヤレヤレ・・・と思っていても練習が終わればにこやかに語り合える。
こんな珠玉の様な仲間とも、いつの日かお別れすることになる。
この数年、親しかった人と疎遠になったり、亡くなったり、お別れが続いて寂しい。
けれど、流れは止められない。
無理に流れを止めても手遅れ。
じっと我慢の日が続く。
もうすぐ私の人生の変換期が終わって、又新しい環境に落ち着けると思う。
別れが寂しくても、新たな芽吹きのために必要なのかもしれない。
けれど、なるべくなら、いつまでもお別れが来ないほうが良い。
残された人生は、素っ頓狂に生きても許されるのではないかと。
認知症のフリしてやりたい放題。
フリをしなくても認知症はもう間近。
来週運転免許証の書き換えで、認知症検査をする。
すごく楽しみ。
いったいどんな結果が待っているか。
ご報告しますね。
詐欺のことではなく、はがきを2枚と、古典音楽協会の定期演奏会のご案内を郵送するために。
ちなみにお知らせです。
古典音楽協会第158回定期演奏会
2019年3月25日(月)午後7時開演
東京文化会館小ホール
ヘンデル:組曲”アルチーナ”
ヘンデル:リコーダー協奏曲 ヘ長調
ヘンデル:合奏協奏曲ハ長調”アレキサンダーフェスト”
J.S.バッハ:オーボエ・ダモーレ協奏曲 イ長調
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調
古典音楽協会は日本で1番早くから長く続いている合奏団で、誰もやめようとしないので全員高齢者となってもなお毎年2回の定期演奏会をしている。
皆がまだ若い頃、そのうち年をとったら曲の繰り返しがわからなくなったり、どの曲を弾いているのかでもめたりするかもねと笑っていたけれど、いまのところその兆候はまだ現れていない。
でも今回はもしかして・・・私あたりが立ち上がるときにぎっくり腰になったり・・・
いやいや、悪いことを考えるのはやめましょう。
合奏団でこの様にメンバーの交代があまり無いというのも良し悪しで、結局皆一緒に年をとってしまい、後継者の育成に繋がらなくなってしまう。
けれど、仲がよくてほとんどトラブルが無くて、一緒に終末を迎えられるのは稀有のことと喜ぶべき。
というわけで、日本で一番平均年齢の高い合奏団ではないかと思っている。
お互いにツーカーだから、ほとんど言葉で言わなくても通じる。
まだ耳の遠い人もいない。
まだ歩けない人もいない。
女性はステージでなら、まだハイヒールが履ける。
途中で眠ってしまったり、トイレを我慢できなくなったり、違う曲を平気で弾いてしまったりする人もまだ出てきていない。
練習で初めて楽譜が配られてほぼ初見で弾き始めても、瞬時にアンサンブルできるのも長年の修練の賜物。
と、自画自賛させていただきます。
他に自慢できるものがないので。
この様に長年に亘ってほとんど同じメンバーで継続することは至難の技。
たまたま私がいくら我が儘を言っても許してくれる優しい人が集まったからで、いつも言いたい放題言わせてもらっている。
ヤレヤレ・・・と思っていても練習が終わればにこやかに語り合える。
こんな珠玉の様な仲間とも、いつの日かお別れすることになる。
この数年、親しかった人と疎遠になったり、亡くなったり、お別れが続いて寂しい。
けれど、流れは止められない。
無理に流れを止めても手遅れ。
じっと我慢の日が続く。
もうすぐ私の人生の変換期が終わって、又新しい環境に落ち着けると思う。
別れが寂しくても、新たな芽吹きのために必要なのかもしれない。
けれど、なるべくなら、いつまでもお別れが来ないほうが良い。
残された人生は、素っ頓狂に生きても許されるのではないかと。
認知症のフリしてやりたい放題。
フリをしなくても認知症はもう間近。
来週運転免許証の書き換えで、認知症検査をする。
すごく楽しみ。
いったいどんな結果が待っているか。
ご報告しますね。
2019年2月5日火曜日
年金詐欺?
最近よくかかってくるのは怪しい電話。
昨日の午後、年金事務所職員を名乗る男から一本の電話がかかってきた。
私は最近連れ合いを失くしたから、様々な事務処理に追われている。
ほんの僅かの年金過払いとか税金未納とか、とにかく年度いっぱい払ったものをわざわざ返したり取り立てたり。
それで役所から何回か電話がかかってきていた。
お役所も忙しい。
こんなことなら次の年度で調整すれば簡単なのにと思うのは、素人考え。
お役人は端数に至るまできちんと辻褄があわないと、お家に帰れないらしい。
その割には最近、杜撰極まる調査で大騒ぎをしているのもお役所。
あれでなぜ首を切られる役人が続出しないのか、おおいに不思議に思う。
昨日の年金事務所を名乗る男から、故人が年度末までに払いすぎたものを返したいとありがたいお言葉をいただいた。
39000円ほど。
ほう!そんなに。
でもこの数字に、なにか私の琴線に触れる響きがあった。
詐欺師が使う金額がこのくらいと、どこかで見たことがあったような。
まあ、でも信じよう。
そして簡単な本人確認があった。
生年月日や電話番号と金融機関の口座番号。
(電話番号ねえ、今お話してるのはその電話でなんだけど・・・)
まだその頃はあまり疑っていなかったけれど、明日郵便局から書類が書留で届くから受け取って欲しい。
受け取る際には印鑑が必要だから必ず用意してください。
(なんでその程度の書類を書留で送るわけ?)
ところで明日はご自宅に「一人で」いらっしゃいますか?
やりすぎたね、詐欺駄さん。
いえいえ、明日は大勢人が来ますよ、残念でした。
お留守だと郵便配達人が困るので、必ずお宅にいてくださいとも。
でも郵便局の人は不在なら不在通知を出してくれるわと言ったら、なんじゃかんじゃで電話は切れた。
私が口座番号を他言したのも、生年月日や電話番号をパスワードには決して使わないから。
でもこれはまずかった。
半分は本当に振込があると思っていた証拠。
バカだねえ。
今に引っかかってしまうかもしれない。
今日集まった人たちに「一人でいるかどうか」と訊かれたと言ったら、皆大騒ぎ。
それはもう完璧詐欺だよ。
だめだよ口座番号言っちゃあ。
でも本当に来たら皆で取り囲んで写メで回しちゃおう。
身分証明書を見せてもらおうとか、盛り上がった。
お待ちしていたけれど、待ち人来たらず。
明日はどうかな?
来てくれるかな。
来たら玄関の防犯カメラでお顔を写しちゃおう。
詐欺師さんは録画がとれるインターフォンをつけている家には決して近づかないらしいから、防犯カメラの威力は絶大なのかもしれない。
もしかしたら、玄関まで来て諦めたかもしれない。
午後3時ころ、階下で郵便局みたいな服装の男がバイクを道に止めて電話をしているのが見えた。
もしや、この人?
詐欺師はターゲットを銀行の閉店時間ぎりぎりに行動させると言うから、この時間も怪しい。
もう誰を見ても何を聞いても怪しい。
39000円という金額は、明らかに嘘とわかるほど高額ではないけれど、あっさりと捨ててしまうには惜しい金額がこのくらいだと。
今日の客人の中には、4億円差し上げますというメールがしきりに来て迷惑なのよねと、笑っている人がいた。
そんな誰が聞いてもおかしい金額にしないで、4万円くらいにしておけば引っかかる人がいるかも知れないのに。
昨日の午後、年金事務所職員を名乗る男から一本の電話がかかってきた。
私は最近連れ合いを失くしたから、様々な事務処理に追われている。
ほんの僅かの年金過払いとか税金未納とか、とにかく年度いっぱい払ったものをわざわざ返したり取り立てたり。
それで役所から何回か電話がかかってきていた。
お役所も忙しい。
こんなことなら次の年度で調整すれば簡単なのにと思うのは、素人考え。
お役人は端数に至るまできちんと辻褄があわないと、お家に帰れないらしい。
その割には最近、杜撰極まる調査で大騒ぎをしているのもお役所。
あれでなぜ首を切られる役人が続出しないのか、おおいに不思議に思う。
昨日の年金事務所を名乗る男から、故人が年度末までに払いすぎたものを返したいとありがたいお言葉をいただいた。
39000円ほど。
ほう!そんなに。
でもこの数字に、なにか私の琴線に触れる響きがあった。
詐欺師が使う金額がこのくらいと、どこかで見たことがあったような。
まあ、でも信じよう。
そして簡単な本人確認があった。
生年月日や電話番号と金融機関の口座番号。
(電話番号ねえ、今お話してるのはその電話でなんだけど・・・)
まだその頃はあまり疑っていなかったけれど、明日郵便局から書類が書留で届くから受け取って欲しい。
受け取る際には印鑑が必要だから必ず用意してください。
(なんでその程度の書類を書留で送るわけ?)
ところで明日はご自宅に「一人で」いらっしゃいますか?
やりすぎたね、詐欺駄さん。
いえいえ、明日は大勢人が来ますよ、残念でした。
お留守だと郵便配達人が困るので、必ずお宅にいてくださいとも。
でも郵便局の人は不在なら不在通知を出してくれるわと言ったら、なんじゃかんじゃで電話は切れた。
私が口座番号を他言したのも、生年月日や電話番号をパスワードには決して使わないから。
でもこれはまずかった。
半分は本当に振込があると思っていた証拠。
バカだねえ。
今に引っかかってしまうかもしれない。
今日集まった人たちに「一人でいるかどうか」と訊かれたと言ったら、皆大騒ぎ。
それはもう完璧詐欺だよ。
だめだよ口座番号言っちゃあ。
でも本当に来たら皆で取り囲んで写メで回しちゃおう。
身分証明書を見せてもらおうとか、盛り上がった。
お待ちしていたけれど、待ち人来たらず。
明日はどうかな?
来てくれるかな。
来たら玄関の防犯カメラでお顔を写しちゃおう。
詐欺師さんは録画がとれるインターフォンをつけている家には決して近づかないらしいから、防犯カメラの威力は絶大なのかもしれない。
もしかしたら、玄関まで来て諦めたかもしれない。
午後3時ころ、階下で郵便局みたいな服装の男がバイクを道に止めて電話をしているのが見えた。
もしや、この人?
詐欺師はターゲットを銀行の閉店時間ぎりぎりに行動させると言うから、この時間も怪しい。
もう誰を見ても何を聞いても怪しい。
39000円という金額は、明らかに嘘とわかるほど高額ではないけれど、あっさりと捨ててしまうには惜しい金額がこのくらいだと。
今日の客人の中には、4億円差し上げますというメールがしきりに来て迷惑なのよねと、笑っている人がいた。
そんな誰が聞いてもおかしい金額にしないで、4万円くらいにしておけば引っかかる人がいるかも知れないのに。
2019年2月3日日曜日
傷だらけのボルフガング
長年乗っている愛車は日産シルフィー。
名前はなぜかモーツァルトと一緒でボルフガング・アマデウス。
モーツァルトの誕生年と同じナンバー。
私の車のナンバーを見て「あら、モーツァルトだわ」と即座に言った人がいた。
ボルフガングと同じで多動児。
それは運転する私が悪いのかもしれない。
あちらをこすり、こちらをぶつけ、しかしまあ、よく走る。
山道でエンジンをふかすとブイ~ンと言って、あっという間に加速。
大抵の車を抜いてくれる。
別に抜かしたいわけではない。
山道をとろとろ走るのがいやなだけ。
カーブは面白い。
我が愛車は、グイグイと登ってしかも安定感が大迫さん(半端ないって!)
クラスも値段もずば抜けているという車でもないのに、長年私の足として本当によく頑張ってくれた。
もう8年ものなのに、力が衰えた風でもない。
どうしてこんなに調子が良いの?と日産マンに訊いたら、点検整備を欠かさずやったからです、それにしょっちゅう長距離を走るからと言われた。
かならず半年に一回の点検整備。
エンジンオイルはいつもきれい。
タイアは夏冬、必ず履き替える。
ブレーキの点検も怠らない、とまあ、模範的なオーナー・・・の割にはポールや電信柱、段差もお構いなくガリガリと頬ずりをして歩くから、ボディーは傷だらけ。
しかも修理しないで放置。
錆びるといけないからと言って、日産マンが色違いの塗料を塗ってくれて、そこの部分だけ妙にテカっている。
洗車は点検のときに洗ってもらうだけ。
ガソリンを入れるときだけ窓を拭いてもらう。
一番大事なエンジン、ブレーキ、足回りだけちゃんとしておけばオーケーというわけで。
最近いつもの点検整備に行ったら、担当者の態度がいつもと違う。
ばかに愛想が良い。
普段からとても親切だけれど、それに加えて少しヘラヘラした感じがする。
もしや、ゴーンさんの事件があって車の売れ行きが悪い?
それは関係ないかもだけれど売る気満々。
整備に時間がかかるので車を預かりたいと言う。
家まで歩いては帰れないから代車をお借り出来ないかと言うと、貸してくれた。
GT-Rが良いなあと言うと、いやそれは!とギャハハと笑う。
おや、貸してくれない?ケチだなあ。
お借りしたのはノートという電気自動車だった。
自動運転装置付き。
おや、狙ってきたね。
私がそろそろ免許返上を考える年になってきて、経済的にもあまり裕福でなく、しかし、車は必需品となるとこの程度のランク。
性能はガソリン車なら1300ccクラスのパワーらしい。
今後10年間車に乗るとして、山道を登ったり高速を走ったりするとなると、もう少しパワーがほしいかなと思いながら試乗させてもらうと、これがなかなかスムーズな走り。
今どきの車は私達が若い頃乗っていた車とは大違い。
時々こうして試乗車を運転するたびに、日進月歩の技術に驚かされる。
しかし、車内は少し窮屈だしデザインはあまり好みではない。
GT-Rを諦めてノートで自宅に帰った。
しばらくして整備が出来たので車を返しにいく。
何かが足りないような気分で。
そうか!音なのだ。
電気自動車は音がない。
外には警告音が出ているらしいのだが、室内は静か。
あのブオ~ンと言う噴き上がりの音がない。
実に静か。
それは対外的には迷惑にならない良いことだけれど、車を叱咤激励して山道を登るときの充実感がない。
長年車を愛し、車のない生活は考えられなかった私にとって、エンジン音はお友達。
その音で今日のご機嫌がわかるというような楽しさがない。
マニュアル車に乗っていたころはギアの切り替えで大忙し。
適切なギアを選んだとき、車が喜ぶと嬉しかった。
それがオートマ車になってアクセルとブレーキの切り替えのみになった。
借りたノートは、あるボタンを押すとエンジンブレーキがかかり減速。
勝手に止まってくれる。
これなら事故は大幅に減るとしても、運転の喜びまで大幅に減る。
事故を起こさない運転のために、神経を張り詰めることもなくなってしまうのかしら。
昔ボロボロの車でヒル・アンド・トウとかダブルクラッチとか、生意気に駆使して楽しんでいた。
元レーサーだったカリスマ整備士と四谷付近をドライブしながら、エンジンの回転数を決めたりしたものだった。
プラグの交換も自分でやった。
本当はずっとマニュアル車に乗っていたかった。
けれど、腰を痛めたときにクラッチの踏み変えが意外ときつくて、オートマに変えてしまった。
腰痛がなければまだマニュアル車に乗っていたと思う。
長崎から熊本まで、一人でドライブしたことがあった。
ちょうど長崎おくんち祭りの日で、レンタカーを借りに行ったら車が1台しか残っていなくて、それがマニュアル車だった。
久しぶりでギアチェンジを楽しんで、阿蘇山の雄大な自然の中でのドライブを楽しんだ。
楽しみすぎて飛行機の時間にあわや!間に合わなくなりそうだったのも懐かしい思い出。
細い山道をギアを切り替え切り替え、夢中で走ったのも昨日のことのように思い出す。
真っ赤なカローラで、生まれて初めて沖縄北海道を除く日本列島を縦断してからもう半世紀経った。
初心者なのに走行距離は4000キロ超え。
いつも車は私の大事な友だちだった。
そしてボルフガングはそろそろ電気自動車に道を譲りそうな予感。
安全第一。
年をとってもまだ自分は大丈夫と思うのは、不遜なことだと思うので。
しかし、手放すときは悲しくて・・・・我慢できるかなあ!
考えるだけで鼻の奥がツーンとしてくる。
名前はなぜかモーツァルトと一緒でボルフガング・アマデウス。
モーツァルトの誕生年と同じナンバー。
私の車のナンバーを見て「あら、モーツァルトだわ」と即座に言った人がいた。
ボルフガングと同じで多動児。
それは運転する私が悪いのかもしれない。
あちらをこすり、こちらをぶつけ、しかしまあ、よく走る。
山道でエンジンをふかすとブイ~ンと言って、あっという間に加速。
大抵の車を抜いてくれる。
別に抜かしたいわけではない。
山道をとろとろ走るのがいやなだけ。
カーブは面白い。
我が愛車は、グイグイと登ってしかも安定感が大迫さん(半端ないって!)
クラスも値段もずば抜けているという車でもないのに、長年私の足として本当によく頑張ってくれた。
もう8年ものなのに、力が衰えた風でもない。
どうしてこんなに調子が良いの?と日産マンに訊いたら、点検整備を欠かさずやったからです、それにしょっちゅう長距離を走るからと言われた。
かならず半年に一回の点検整備。
エンジンオイルはいつもきれい。
タイアは夏冬、必ず履き替える。
ブレーキの点検も怠らない、とまあ、模範的なオーナー・・・の割にはポールや電信柱、段差もお構いなくガリガリと頬ずりをして歩くから、ボディーは傷だらけ。
しかも修理しないで放置。
錆びるといけないからと言って、日産マンが色違いの塗料を塗ってくれて、そこの部分だけ妙にテカっている。
洗車は点検のときに洗ってもらうだけ。
ガソリンを入れるときだけ窓を拭いてもらう。
一番大事なエンジン、ブレーキ、足回りだけちゃんとしておけばオーケーというわけで。
最近いつもの点検整備に行ったら、担当者の態度がいつもと違う。
ばかに愛想が良い。
普段からとても親切だけれど、それに加えて少しヘラヘラした感じがする。
もしや、ゴーンさんの事件があって車の売れ行きが悪い?
それは関係ないかもだけれど売る気満々。
整備に時間がかかるので車を預かりたいと言う。
家まで歩いては帰れないから代車をお借り出来ないかと言うと、貸してくれた。
GT-Rが良いなあと言うと、いやそれは!とギャハハと笑う。
おや、貸してくれない?ケチだなあ。
お借りしたのはノートという電気自動車だった。
自動運転装置付き。
おや、狙ってきたね。
私がそろそろ免許返上を考える年になってきて、経済的にもあまり裕福でなく、しかし、車は必需品となるとこの程度のランク。
性能はガソリン車なら1300ccクラスのパワーらしい。
今後10年間車に乗るとして、山道を登ったり高速を走ったりするとなると、もう少しパワーがほしいかなと思いながら試乗させてもらうと、これがなかなかスムーズな走り。
今どきの車は私達が若い頃乗っていた車とは大違い。
時々こうして試乗車を運転するたびに、日進月歩の技術に驚かされる。
しかし、車内は少し窮屈だしデザインはあまり好みではない。
GT-Rを諦めてノートで自宅に帰った。
しばらくして整備が出来たので車を返しにいく。
何かが足りないような気分で。
そうか!音なのだ。
電気自動車は音がない。
外には警告音が出ているらしいのだが、室内は静か。
あのブオ~ンと言う噴き上がりの音がない。
実に静か。
それは対外的には迷惑にならない良いことだけれど、車を叱咤激励して山道を登るときの充実感がない。
長年車を愛し、車のない生活は考えられなかった私にとって、エンジン音はお友達。
その音で今日のご機嫌がわかるというような楽しさがない。
マニュアル車に乗っていたころはギアの切り替えで大忙し。
適切なギアを選んだとき、車が喜ぶと嬉しかった。
それがオートマ車になってアクセルとブレーキの切り替えのみになった。
借りたノートは、あるボタンを押すとエンジンブレーキがかかり減速。
勝手に止まってくれる。
これなら事故は大幅に減るとしても、運転の喜びまで大幅に減る。
事故を起こさない運転のために、神経を張り詰めることもなくなってしまうのかしら。
昔ボロボロの車でヒル・アンド・トウとかダブルクラッチとか、生意気に駆使して楽しんでいた。
元レーサーだったカリスマ整備士と四谷付近をドライブしながら、エンジンの回転数を決めたりしたものだった。
プラグの交換も自分でやった。
本当はずっとマニュアル車に乗っていたかった。
けれど、腰を痛めたときにクラッチの踏み変えが意外ときつくて、オートマに変えてしまった。
腰痛がなければまだマニュアル車に乗っていたと思う。
長崎から熊本まで、一人でドライブしたことがあった。
ちょうど長崎おくんち祭りの日で、レンタカーを借りに行ったら車が1台しか残っていなくて、それがマニュアル車だった。
久しぶりでギアチェンジを楽しんで、阿蘇山の雄大な自然の中でのドライブを楽しんだ。
楽しみすぎて飛行機の時間にあわや!間に合わなくなりそうだったのも懐かしい思い出。
細い山道をギアを切り替え切り替え、夢中で走ったのも昨日のことのように思い出す。
真っ赤なカローラで、生まれて初めて沖縄北海道を除く日本列島を縦断してからもう半世紀経った。
初心者なのに走行距離は4000キロ超え。
いつも車は私の大事な友だちだった。
そしてボルフガングはそろそろ電気自動車に道を譲りそうな予感。
安全第一。
年をとってもまだ自分は大丈夫と思うのは、不遜なことだと思うので。
しかし、手放すときは悲しくて・・・・我慢できるかなあ!
考えるだけで鼻の奥がツーンとしてくる。
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