2019年2月9日土曜日

薄紙が剥がれるように事が済んでいく

ようやく様々な手続きが最終段階となり、相続関係もあと一人の捺印が来週の予定となった。
この半年間の焦燥感や不安やらから解き放たれて(実際は最後まで予断をゆるさないけれど)久しぶりにノンビリと散歩した。

なぜ最後まで安心できないかと言うと、相続協議書が出来上がってきたのが去年12月半ば。
さっそく一番上の義兄の実印を貰おうと電話したら、初めて聞く声が応答した。
義兄の子、私の義理の甥だった。
父は入院しています、と言う。
つい2日ほど前、骨折して埼玉県の病院に入院したそうなのだ。
すぐに手術をしたけれど、御年91歳。
この後歩けなく寝たきりになったら、家族は大変なことになる。
そんなときにやいのやいのと相続の手続きのことを言われたって、いったい実印がどこにあるかは本人にしかわからないかもしれない。
体力も落ちてしまって回復が長引いたら、その分こちらにも影響がある。
体力も気力も回復してからでないと、大事な書類に印鑑は押せないかもしれない。
それがいつ頃になるのか、あるいは回復できるのかも心配。

その間他の相続人の間に書類を回して、実印を押してもらっていた。
それだけで2ヶ月かかった。
入院した義兄以外全員の承諾をもらえたので、そろそろと思い義兄宅に電話したけれどつながらない。
又目の前が真っ暗。どうしよう。
他の義兄に電話すると、リハビリの病院へ転院したことを知らされた。
昨日、はるばる埼玉県のリハビリ病院へ行ってみた。
もうひとりの義兄は、もしかしたらもう退院して、いないかもしれないぞと言うから恐る恐る受付に行くと、いました!
病室で面会できた。

元々、兄弟中で一番しっかりした人だったので、もう歩けるようになったという驚異的な回復力。
ゴルフはシングルプレーヤー。
足腰鍛え抜かれている。

事故の経緯を話してくれた。
車から降りて左手に重いお米の袋を持ってドアを閉めようとしたとき、バランスを崩して転倒して左手首と腰を強打した。
そのまま立ちあがれず、暗い寒い外で唸っていたところを通りがかりの人に助けられたという。
痛さに耐えきれず次の朝救急車で運ばれて、骨折が判明したそうなのだ。
持っていたお米の重さが10キロだそうで、91歳でそれは無いでしょうという重さ。
「お義兄さん、10キロはだめよ!」と思わず叫んだら笑っていた。
お隣さんからも同じことを言われたそうな。
それにまだ車の運転をしているのだというのもびっくり。
立ち上がるのも私より楽々、歩くときも背筋が伸びて、しっかりとした足取り。
最近の医療の進化もだけれど、本人の強い意志と並外れた体力に驚嘆した。
退院したら実印がもらえると言うので、一安心した。

それで今朝は久々に心が軽くなって散歩兼買い物に出た。
公園で犬の訓練を眺め、早くから開いているスーパーで買い物。
まだ10時前のスーパーはとても空いていた。
会計をしようとしてふと思った。
いつも避けて通っていたセルフレジに挑戦してみよう。
レジの前に立って説明の画面を覗く。
これを押せばいいのよねと思うけれど、自信がない。
隣でテキパキと操作をしている人の手元をボーッと見ていたら、その人が「お手伝いしましょうか?」と言ってくれたのでお願いした。

まず最初にこれを押してなんやかや・・・と。
ほうほうなるほど。
無事会計が済んだけれど、いつも他力本願の私は、次回もだれかにやってもらうのだろうと予想した。
もたもたして周囲に迷惑かけるより、操作になれた人にやってもらったほうが世のため人のため。
勝手な理屈をつけるのは大得意。

私がボーッとしていると、大抵の人が手を貸してくれる。
手伝ってくれた人は嬉しそうに説明して、自分の会計よりも先に私の会計をしてくれた。
帰り際に謝ると、ニコニコして「どういたしまして」

相続の件では義理の弟の奥さんもただ今奮闘中。
私と同じ様に書類集めに苦労しているらしいから電話してみた。
私は数人の相続人たちの書類は、彼ら自身で役所に行って取って送ってもらった。
しかし、義弟嫁さんは全部自分で役所に電話して送ってもらったそうなのだ。
わあ、大変だったでしょうと言ったら「お義姉さんはどうされたんですか?」と訊かれた。
「私は送ってもらったわ」と言うと「足の悪いお義兄さんや忙しい人もいるので頼めなかった」と言う。
その義兄に私は「早く送ってください」と矢の催促。
それなのに優しい義兄たちは私が困っていないか心底心配してくれる。
今更ながら、私は世間のお荷物なんだなあといたく反省。
反省を口で言うのは簡単なので何回でも言うけれど、依存体質は簡単には治らない。




















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