2019年2月3日日曜日

傷だらけのボルフガング

長年乗っている愛車は日産シルフィー。
名前はなぜかモーツァルトと一緒でボルフガング・アマデウス。
モーツァルトの誕生年と同じナンバー。
私の車のナンバーを見て「あら、モーツァルトだわ」と即座に言った人がいた。

ボルフガングと同じで多動児。
それは運転する私が悪いのかもしれない。
あちらをこすり、こちらをぶつけ、しかしまあ、よく走る。
山道でエンジンをふかすとブイ~ンと言って、あっという間に加速。
大抵の車を抜いてくれる。
別に抜かしたいわけではない。
山道をとろとろ走るのがいやなだけ。
カーブは面白い。
我が愛車は、グイグイと登ってしかも安定感が大迫さん(半端ないって!)
クラスも値段もずば抜けているという車でもないのに、長年私の足として本当によく頑張ってくれた。

もう8年ものなのに、力が衰えた風でもない。
どうしてこんなに調子が良いの?と日産マンに訊いたら、点検整備を欠かさずやったからです、それにしょっちゅう長距離を走るからと言われた。
かならず半年に一回の点検整備。
エンジンオイルはいつもきれい。
タイアは夏冬、必ず履き替える。
ブレーキの点検も怠らない、とまあ、模範的なオーナー・・・の割にはポールや電信柱、段差もお構いなくガリガリと頬ずりをして歩くから、ボディーは傷だらけ。
しかも修理しないで放置。
錆びるといけないからと言って、日産マンが色違いの塗料を塗ってくれて、そこの部分だけ妙にテカっている。
洗車は点検のときに洗ってもらうだけ。
ガソリンを入れるときだけ窓を拭いてもらう。
一番大事なエンジン、ブレーキ、足回りだけちゃんとしておけばオーケーというわけで。

最近いつもの点検整備に行ったら、担当者の態度がいつもと違う。
ばかに愛想が良い。
普段からとても親切だけれど、それに加えて少しヘラヘラした感じがする。
もしや、ゴーンさんの事件があって車の売れ行きが悪い?
それは関係ないかもだけれど売る気満々。
整備に時間がかかるので車を預かりたいと言う。
家まで歩いては帰れないから代車をお借り出来ないかと言うと、貸してくれた。
GT-Rが良いなあと言うと、いやそれは!とギャハハと笑う。
おや、貸してくれない?ケチだなあ。

お借りしたのはノートという電気自動車だった。
自動運転装置付き。
おや、狙ってきたね。
私がそろそろ免許返上を考える年になってきて、経済的にもあまり裕福でなく、しかし、車は必需品となるとこの程度のランク。
性能はガソリン車なら1300ccクラスのパワーらしい。

今後10年間車に乗るとして、山道を登ったり高速を走ったりするとなると、もう少しパワーがほしいかなと思いながら試乗させてもらうと、これがなかなかスムーズな走り。
今どきの車は私達が若い頃乗っていた車とは大違い。
時々こうして試乗車を運転するたびに、日進月歩の技術に驚かされる。
しかし、車内は少し窮屈だしデザインはあまり好みではない。

GT-Rを諦めてノートで自宅に帰った。
しばらくして整備が出来たので車を返しにいく。
何かが足りないような気分で。
そうか!音なのだ。
電気自動車は音がない。
外には警告音が出ているらしいのだが、室内は静か。
あのブオ~ンと言う噴き上がりの音がない。
実に静か。
それは対外的には迷惑にならない良いことだけれど、車を叱咤激励して山道を登るときの充実感がない。

長年車を愛し、車のない生活は考えられなかった私にとって、エンジン音はお友達。
その音で今日のご機嫌がわかるというような楽しさがない。
マニュアル車に乗っていたころはギアの切り替えで大忙し。
適切なギアを選んだとき、車が喜ぶと嬉しかった。
それがオートマ車になってアクセルとブレーキの切り替えのみになった。

借りたノートは、あるボタンを押すとエンジンブレーキがかかり減速。
勝手に止まってくれる。
これなら事故は大幅に減るとしても、運転の喜びまで大幅に減る。
事故を起こさない運転のために、神経を張り詰めることもなくなってしまうのかしら。

昔ボロボロの車でヒル・アンド・トウとかダブルクラッチとか、生意気に駆使して楽しんでいた。
元レーサーだったカリスマ整備士と四谷付近をドライブしながら、エンジンの回転数を決めたりしたものだった。
プラグの交換も自分でやった。
本当はずっとマニュアル車に乗っていたかった。
けれど、腰を痛めたときにクラッチの踏み変えが意外ときつくて、オートマに変えてしまった。
腰痛がなければまだマニュアル車に乗っていたと思う。

長崎から熊本まで、一人でドライブしたことがあった。
ちょうど長崎おくんち祭りの日で、レンタカーを借りに行ったら車が1台しか残っていなくて、それがマニュアル車だった。
久しぶりでギアチェンジを楽しんで、阿蘇山の雄大な自然の中でのドライブを楽しんだ。
楽しみすぎて飛行機の時間にあわや!間に合わなくなりそうだったのも懐かしい思い出。
細い山道をギアを切り替え切り替え、夢中で走ったのも昨日のことのように思い出す。

真っ赤なカローラで、生まれて初めて沖縄北海道を除く日本列島を縦断してからもう半世紀経った。
初心者なのに走行距離は4000キロ超え。
いつも車は私の大事な友だちだった。
そしてボルフガングはそろそろ電気自動車に道を譲りそうな予感。
安全第一。
年をとってもまだ自分は大丈夫と思うのは、不遜なことだと思うので。
しかし、手放すときは悲しくて・・・・我慢できるかなあ!
考えるだけで鼻の奥がツーンとしてくる。


























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