2019年2月10日日曜日

Violaは嘆く

3月の古典音楽協会の定期演奏会のプログラムに、バッハのブランデンブルク協奏曲第3番が入っている。
この曲は、それぞれのパートが3部に分かれて、華やかに活躍できる大変楽しい曲。
しかし「古典」にはヴィオラ奏者は2人しかいない。
エキストラを雇うだけの経済的な余裕はない。
ヴァイオリンはそれぞれのパートを二人ずつで弾くと、一人余る。
だからその余った一人がヴィオラに回って、第3ヴィオラを弾けば良い。
その余り物が私。

余り物には福があるというけれど、この福は性格獰猛につき要注意。
すぐ人に噛み付く。
ヴィオラ大好きだから弾くことに些かも異存はないけれど、同じステージでヴァイオリン・ヴィオラの持ち替えは、時には波乱に富むこともある。
調子記号が違うから、楽器を持ち替えた途端、モードスイッチをパチンと切り替えないといけない。
ヴァイオリンからヴィオラのスイッチは上手くいくのに、なぜかヴィオラからヴァイオリンに戻るときが危険なのだ。
普段ヴィオラはめったに弾かないから、少しだけ頭を沢山働かせないといけない。
その緊張が中々解けなくて、ヴァイオリンに戻るのに時間がかかるらしい。
ただし、ヴィオラのほうが楽譜は単純、曲にもよるけれど。

ブランデンブルク協奏曲は今回のコンサートの最後の曲だから、終了すればヴァイオリンに戻らなくてもいいけれど、その前に舞台稽古がある。
そこでヴィオラ頭になってしまうと、本番までの時間にヴァイオリン頭に戻す作業が上手くいくかどうか。

物事を簡単に考える方だから、今まではなんなくこういうことをやってきた。
持っている楽器に対して自然に頭が反応した。
しかし最近は何かにつけて頭の回転が遅いので、果たして大丈夫だろうか。

何年ぶりかでヴィオラを出して手慣らし。
思ったよりは簡単に譜読みができる。
ヴァイオリンに戻るのも大丈夫。
しかし、何年もの間クローゼットに押し込められていたヴィオラは、言うことをきかない。
「なによ、長いことほったらかしにして、いい音なんか出るわけ無いでしょ」
プリプリ怒っている。
ちなみにヴィオラは女性。

楽器店に行ってヴァイオリンとヴィオラの弦を3セット買った。
ヴァイオリンが高価なのはよく知られているけれど、消耗品も高価。
弦を張り替えるのも弓の毛を張り替えるのも家計を逼迫するから、貧乏音楽家は四苦八苦する。
修理代や消耗品代でお金はあっという間に消えていく。
こんな身分不相応な楽器を始めた自分がわるいのだけれど、まさかプロになるとは思わなかったからいまさら嘆いても仕方がない。

数年前まで、ロンドンアンサンブルが毎年来日していた。
演奏者の都合で、最後の小田原公演だけ毎回ヴィオリストが帰国してしまう。
その代りに私が演奏させてもらっていた。
だから毎年一回はヴィオラを弾く機会があったけれど、ピアニストが亡くなったので、彼らはもう来なくなってしまった。

オーケストラの曲をアレンジするので、オリジナルのヴィオラパートよりも数段難しい。
なんたって、たった5人でオーケストラのすべてのパートを弾くのだから、呑気に構えていられない。
特にヴィオラはクラリネットやファゴットなどの管楽器の代わりをするはめになる。
ソロもたくさん出てくる。
普段ヴィオラという楽器は縁の下の力持ちだけれど、ロンドンアンサンブルでは休む間もなくこき使われる。
しかし名手たちに混じって弾くのは至福のときだった。

ちょうど今頃の季節、このアンサンブルのピアニストの美智子さんは病魔と戦っていた。
そして春たけなわ、天国に行ってしまった。
ヴィオラを弾くと必ず思い出す。


















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