2020年2月3日月曜日

おひさしぶりです。

しばらくフランスのヴァルトランスというところにいました。
ヨーロッパで一番高いところにあるスキー場だそうです。
そこはトロワバレー(3つの谷)と呼ばれ、広大な3つのスキー場が連なっている。

ルフトハンザで羽田からミュンヘンへ。
せっかくミュンヘンに来たのだからビールを飲まなきゃとばかりグラス半分のビールで酔っ払って、余計な買い物をしてしまった。
かわいいハンドバッグ、日本ではめったに見ることのないデザインが気に入った。
旅のはじめに買い物をすると、行程中悩まされるのはよくあることはわかっているのに。

インドで大きな操り人形を買い込んで、邪魔で邪魔でということもあったし。
姉と一緒に旅行して、姉が買い込んだ陶器を旅の間中持たされて閉口したり。
そんなことは百も承知だったけれど、あまりの可愛いいデザインで、しかも帰りはミュンヘンに寄らないということなので周りも煽るし、つい買い込んだ。
帰国して見ても買ってよかったと思う。

友人のお嬢さんのYちゃんが行くというスキーツアーに便乗。
かなりの強者揃いで指導員も大勢参加するから、猫が一匹紛れ込むと迷惑至極であろうと予想はしていたものの、滑降一日目に早くも癇癪を起こしてやめてしまうという自体になった。

1年ほど前に右足首を軽く捻挫、だましだまし歩いていたけれど、スキー靴を履けば足首がギブスのように締まるので痛みが消える。
それで先月は志賀高原で滑ってきた。
しかし今回は滑る距離もスピードも桁違いだった。
ツアーの募集条件は、初日は足慣らし。
その後それぞれのレベルに分けて3つの班で滑るということだった。
下手くそでも長年の経験があるから、スピードについていければ大抵の場所は大丈夫だと思っていた。

ミュンヘンで乗り継いでジュネーブへ。
ジュネーブに一泊した。
ジュネーブは雨模様で、がっかり。

次の日フランスに入り現地に着くと、天候が悪い。
滑降予定初日は晴れて気温も高いけれど、次の日からは悪天候ということで、急遽全行程をここで消化しようと言うことになった。
しかし、そんな乱暴なことは初めてのことで、以前ラサで高山病になった経験のある私はびっくり仰天。
だって、私の滑りを知っているひとは誰もいない、初めてのグループ。

案の定滑り始めて1時間半経っても、私の班は休みもしない。
殆どが指導員と上級者で、速さも並ではない。
流石に疲れたから休ませてと言っても、誰も無言でさっさと滑っていく。
取り残されまいとついていっても、もう限界。
ついにブチギレて、猫がライオンになって吠えた。
足がもたなくなって2度ほど転んでしまった。
このままの条件で滑ったら私は怪我をするから帰る。
山越えしてきてしまったゲレンデで、タクシー呼んでと吠えたら困った山岳ガイドがやっと昼食にするという。
もう13時を周り、昼食の時間はとっくに過ぎていた。

やっと見つけてきたタクシーに乗って帰ってきた。
本当は昼食の時間に休めばよかったのかもしれないけれど、カンカンに怒っていたのでもう後には引けない。
そのタクシーはひとつ山を超えてきてしまったので、一度麓に降りて、もう一度登山しなければならない。
お金も時間もたいそうかかってしまった。
陽気な運転手は歌いながら猛スピードでカーブを曲がる。
対向車が来るのは全く予想していないようだ。

他の班は11時半にお茶タイム、13時に昼食ときちんと休憩をとったそうなので、私の怒りはますます膨らんだ。

次の日からは吹雪いて視界が効かない。
日本のゲレンデとはスケールが全く違う。
私は勿論2度と滑らないと言って、麓の街を散策して楽しんだ。
とても素敵な町並みで、チーズやはちみつなどの名産品が売られている。
街の人達も陽気で親切。

次の日から3日間、意地を張ってスキーはや~めた!
ホテル内で美味しいカフェオレを飲んだりジャグジーに行ってビールを飲んだり。
楽しく遊んでいると、ここまで来てスキーをしないなんてと、いつもの余計なお世話が入る。

ヴァルトランスを後に次は、世界遺産のリヨン観光。
リヨンは美しい古い街で、ここを新しく改造しようという話もあったそうなのだ。
ところがその間に世界遺産に指定されて、あっという間に観光地になった。
古い街が結局地元の生活を救った。

教会に行くと日本語で話しかけられた。
ここでも日本人観光客が多いらしい。
けれども勘ぐれば、日本語で話しかけて反応で中国人と区別したのではないかとも思った。
道ですれ違うと中国人と間違えて、口元をコートの襟で塞ぐ人がいた。
コロナウイルスは私も怖い。
けれどあからさまに嫌な顔でこれみよがしに口を塞ぐなら、自分でマスクをしたらどうなの。
わざとすれ違いざまにやられるのはとても不愉快。
そんなもので防げるわけもないと思う。

リヨンを後にジュネーブに戻ると、スキー客で溢れかえっていた。
長時間の荷物の検査で疲れたから、カウンターの男性に「私は疲れた」と言ったら「nekotamaさん、貴女の旅の幸運を祈ります」と上手な日本語で言われてびっくり。
一気にスイスがすきになった。
その国や人がすきになるかどうかは、そのようなほんの些細なことでも変わる。
ニコニコと飛行機に乗り込む。

乗り継ぎのフランクフルト、今から30年ほど前、旅をした思い出が蘇った。
ドイツ人はものすごく親切で、感激の連続だった。
思い起こすと、いつも旅先で親切にされた記憶しかない。
これはとんでもなく幸運なことではないかしら。
それとも嫌なことはすぐに忘れるという能天気な性格のせいなのか。
とにかく今回も、素敵な経験を堪能できた。

空港にはYちゃんのお母さんが待っていた。
私を家まで送ってくれるという。
しかもおにぎりとインスタントの味噌汁、お手製の筑前煮など、よだれが出そうなメニューの数々が入った紙袋まで用意してあった。
家に着くと重いスキーザックと板をさっさと2階まで運んでくれて、すぐに帰っていった。
フランスは美食の国はハズなのになぜか食事がまずくて、このおにぎりの美味しさったら、この筑前煮の豊かな味わいったら・・・感激ですっかり愛国者になってしまった。
ドイツのフランスもいい、でも日本が一番いい。





































0 件のコメント:

コメントを投稿