2025年9月21日日曜日

またプロコフィエフ

 今日も大きな荷物と楽器を背負って来たのはHさん。先日プロコフィエフのデュオの1,2楽章を合わせてもらい、今日は3,4楽章の練習に入った。すっかり引退モードに入ってしまった私の救世主、私が現役に戻るための再訓練の片棒担ぎとして大いに役立ってもらっている。ヴァイオリン弾きなんて時間の経つのも忘れ夢中になれる人でないとできないけれど、そういう相手をしてくれる得難い存在なのだ。

少しお疲れのようだ。ものすごく忙しかったらしい。前日ちょっと来るのをためらう風のメールがとどいたけれど、私はやる気満々の気持ちを伝えたらご自身もやる気でいるとの返信。このへんは私の気持ちに無理に合わせたのではないかと少し心配になった。随分仕事がハードらしいから本当は疲れているのではないかしら。

いつも荷物が多くてしかも楽器ケースも重いものを持っている。それなのに更に私へのお土産としてきれいな紅茶用ポットとカップのお土産も持参する力強さ。私とほとんど同じ年なのにこの骨太さはお見事。

練習に入るとふたりとも止まらなくなって約3時間以上ノンストップ。これはもう年齢の限界超えであった。しかし面白い。反射神経テストみたいなリズムと転調へのセンスを問われる音の連続。ツボにはまれば素敵な世界が見える。冷静でいながらユーモラスで知性が勝つかと思えば情緒豊か、透き通るような透明感。これこれこれですよ、私が愛してやまないのは。

少休止のあとも早くひきたいと気がはやる。やっと気が済んで遅い昼食のあとはオーケストラ時代の思い出話しが止まらない。随分疲れたに違いないのに重い荷物を持って帰る姿を見送って、しまった!今日は泊ってもらえばよかったと後悔した。次の日熱を出したのではないかと心配している。

家が遠くてお互い忙しいので、今年はもう無理、来年ねと言うことで再会を楽しみにしている。さあて、来年まで命があるかしら、頭は大丈夫?足が動くかな?

久しぶりにピアノのSさんとトリオを弾くことになった。本番は来月半ば過ぎ。仲間内のコンサートだけれど、そこは優等生のSさんは絶対手を抜かない。私のようにちゃらんぽらんで何でもありというのはお嫌いだから、こちらも真面目そうに振る舞わないと怒られる。もう一緒にはやらないわなんて言われたら大変だから真面目に取り組まないと。

すぐに弾けるのはシューベルトかモーツァルトと言われて大いに迷った。どちらも「すぐに」弾けるものではない。結局モーツァルトになったので大わらわ。モーツァルトって音符はやさしいけれど「すぐに」というものではない。いっそのことシューベルトの方が気が楽かも。チェロはベテランだから私以外のメンバーは心配ないけれど。

すぐに練習に取り掛かると、長いブランクのあとなので音が伸びない。最初の音創りに難航する。プロコフィエフのほうがはるかに弾きやすいのだと、しみじみモーツァルトの難しさに思う。シンプルは敵だあ!

この夏、あまりの暑さに楽器が調子を崩すといけないからレッスン室のエアコンは24時間つけっぱなし。だから楽器のコンディションは変わりなく、私のほうが悪いとわかっているけれど、それにしても良い音が出ない。これからしばらく悪戦苦闘が続くのだろう。終わることのない課題に死ぬまで付き合う覚悟は? できてない!できない!で、嫌い?いえ、大好き。だから困るのよね。

難しいことのほうが面白い。気難しい人のほうが飽きない。猫は気難しいけど可愛い。人はなにを好き好んでわざわざ難しさに立ち向かうのか。
























2025年9月16日火曜日

さようなら、優美子さん

訃報です。磯部優美子さんが亡くなられました。

最初に彼女とご主人の演奏を聴いたのは、彼らがドイツから戻ってすぐのときだったと思う。その後仕事で度々お目にかかり、いつのまにかスキー仲間となりよく一緒に遊んでもらった。彼女のスキーは慎重そのもの、絶対に転ばないようにとゆっくり滑る。ある時どのくらいのスピードで滑っているのかと跡をついて行ったら、足が持ちきれなかった。足の筋肉が悲鳴を上げるほどゆっくりと慎重な滑り、スピード命の私は太腿の筋肉がつりそうになった。

その彼女が災難にあったのは、以前古典音楽協会のコントラバスを弾いていた富永岳夫さんたちと一緒に滑ったときだった。よそのグループの引率者の脇見滑降で後ろからぶつかられ転んでしまったのだった。ぐにゃりと曲がったストックから衝突の強さがわかるほどだった。追突した引率者はその時女性しか周りにいなかったので偉そうに振る舞い、舐めてかかるふうだった。

その後私達の仲間の待っている場所まで来てもらって交渉が始まった。その前に私は富永さんに事故の報告をした。「富永さん、あなたサングラスをはずさないでね。交渉は私達がやるから黙ってニコリともしないで立っていて。腕組するといいかも。」引率者は私達のグループのところまで誘導され、そこで白髪で背の高い富永さんが黙って立っていることに気がついた。

実は富永さんは目を見るといかにも優しそうで、サングラスを外すと迫力がないのだ。口をきくときはいつも笑っているし、相手が安心してしまうといけない。しかしサングラスで黙っていると背が高いこともあって非常に迫力があった。

引率者は最初はストックの値段も安く値踏みしていたけれど、同じストックの値段はもっと高かったし、壊れたサングラスも上等でかなりの額の賠償になったけれど、すべて弁償することに一言も文句を言わなかった。傍らでじっと腕組みして無言の白髪長身の男性がよほど怖かったとみえる。

その時の怖い男、実はすごく優しい富永さんも亡くなり、優美子さんのご主人は先に逝ってしまい、彼女は今頃優しいご主人に迎えられて幸せな再会をはたしていることでしょう。

現役時代、彼女は様々な病気に苦しまされた。一番悪かったのは脳内の視神経に腫瘍が巻き付いてしまうことで、度々手術が行われた。それでもついに手術も無理となり視力を失ってしまった。その病気の発症の初期に、仕事が終わったあと彼女が泣き出したことがあった。楽譜の端っこが見えないと。視神経が視野を狭くしていたのだった。何回もの手術に耐えていた。

彼女が入院中で来られなかったスキーツアーで、ご主人がお土産を探していた。「奥さんの探しているの?優しいね」と私が言うと「だって可愛そうじゃない。頭切っちゃって」とご主人。仲の良い御夫婦だった。

数日前、優美子さんの容態が変化し始めたと連絡があって、私とヴィオラのAさんは介護施設にお見舞いに訪れた。彼女はベッドに身動きもせず横たわっていた。こちらから色々呼びかける声は聞こえるらしくかすかに反応があった。しかし私がスキーの話をし始めると急に反応が良くなり、目を半分ほど開きしきりに足を動かし始めた。ああ、ゲレンデで滑っているのかな?と思った。

虹の美しいゲレンデ、雪がつもっているのにお花がいっぱい咲いて、その中をゆうゆうと滑っていたのかもしれない。また一緒に滑ろうね。
















プロコフィエフ訂正その2

昨夜からずっとレオニード・コーガンのことを思い出していたのだけれど、もう一つ思い出したのはもっと後で聞いたこともあったこと。

多分 私がもう音大を卒業したての頃かと。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聞きました。オーケストラはNHK交響楽団、それは横浜でなく都内のコンサートホールでいくらなんでも日比谷公会堂ではなく、NHKホール、または上野の東京文化会館でした。

ベートーヴェンの協奏曲といえばあの長い前奏で、ソリストは辛いだろうといつも思っていたけれど、彼はずっとオーケストラのほうを向いて彼らが演奏するのをじっと見ていた。見られた方は生きた心地がしなかったかどうか、いやいや、天下のN響ならたとえコーガンであろうとビビリはしなかったかそのへんはわからない。とにかく私だったら震えちまうと思っていた。

コーガン氏は思ったより小柄な方で、それでも一本筋の通った真っ直ぐな立ち姿に威厳を感じた。子どものころ見たときとあまり印象は変わらず、当時もう仕事をしていた私達にもそう遠い人ではなくなっていた。と、いうのは、社会に出て仕事を始めた人たちの中で、ホテルで演奏していたら彼コーガンがちょうど宿泊していて、レストランで自分たちの演奏を聞かれてしまったと騒いでいるという噂も聞いていたから。

私達もオーケストラだけでは収入が少ないのでホテルやレストランで稼いでいた。そういうときに誰が聞いているかわからないので思いがけないことが起こる。オーケストラで大町陽一郎氏の指揮でリハーサルがあった。彼は指揮台に乗ると目の前にいる女性団員を見て「あ、あなた、この前三越のエスカレーターの前でカルテット弾いてましたよね」見つかってしまった女性は「やだー」と照れていたけど、そんなこともありました。大町氏はニコニコして嬉しそうだったけれど。

銀座のソニービルの前でのことは私達の仕事の時。銀座のど真ん中でカルテットを弾いていたらヴィオラのメンバーに向かって「先生」と声をかけた人が。なんとヴィオラ奏者のお弟子さんだった。その後風が強いので屋内に入ったような記憶があるけれど。箱根の森美術館の庭園で演奏したときも、あまりにも風が強く、楽譜が一枚譜面台からピューッと飛んでいってしまったことがあった。

私がとっさにマイクを持って「いま夕星が流れ星になってしまいました」といったらメンバーたちから大受けだったことも。その曲は「夕星の歌」の楽譜だったので。理由がわからないないお客さんたちは、ぽかんとしていた。記憶というのは嬉しいものですね。今となっては、はるか昔のことは少しぼやけてきているけれど。

戦後のオーケストラ受難の歴史を今思い出すと感無量。そうやってなんとかして崩れそうな貧乏オーケストラの建て直しに苦労したことも。でも今思うとあの頃が一番おもしろかった。若く希望に満ちて、毎日泣き笑い。幸せな人生だったと。

それでどなたか教えていただけないでしょうか。レオニード・コーガンの横浜県立音楽堂でのリサイタルで「プロコフィエフのソナタ2番」を演奏したかどうか。もしくは都内の他の会場での演奏と間違えていないかとも、ご存知なら教えていただけると嬉しいです。







プロコフィエフ訂正

今年8月17日の投稿「プロコフィエフ」にコメントを寄せていただいた。

私が中学生の頃横浜の県立音楽堂で聴いた レオニード・コーガンの演奏会。最初の曲がプロコフィエフのソナタ2番だったという記事。しかしそれは私の記憶違いらしい。県立音楽堂の記録にプロコフィエフはないそうで、申し訳ない、訂正します。どのように訂正したらいいかはわからないので、曲目の記憶違いでしょうか。しかし鮮明に覚えているので納得はいかないものの、思い込みの激しい性格が災いして夢の中で見たことが現実として記憶されるなどしたのかもしれません。それとも他の演奏家だったか当日のプログラムに変更があったとか?

このような駄文をきちんと読んでくださる方がいらっしゃるとは恐縮です。教えていただいてありがとうございます。私の日記の様なものでさぞ退屈でしょうが、ご興味あればよろしくお読みくださいませ。猫の話などはつまらないでしょうが。

今一番の心配は野良猫のグレちゃんのこと。先日、我が家付近に発生した豪雨、その日の朝グレは駐車場の餌場に現れ挨拶をしてくれた。最近夏バテ気味のグレは元気がなく、なにか悩み多い様子。以前は私の家に入ってきてしばらく椅子に座って寛いでいくのがルーティンだったけれど、最近は落ち着かない様子で外ばかり気にするようになった。

どうやら新しいオス猫が登場して縄張り争いが勃発しているらしい。

その日の午後、時々雷鳴が遠くから聞こえ始め、その後猛烈な雨と雷で真っ暗に。心配して駐車場に行くとすでにグレはどこかへ隠れてしまっていた。しばらくして雨が上がった。その間もう一匹の猫の、のんちゃんは私が家に入るように促したにも関わらず、面白そうに雷を眺めていて家に戻るのが遅れ、どこかで震えていたらしい。のんちゃんは雨が止むとしばらくして家に戻り、よほど怖かったのか私にしがみついてしばらく離れなかった。

雨がやんで自宅前の用水を見に行ったら、縁ギリギリの水位、びっくりした。そしてその日からグレの姿が消えてとても心配している。近所にグレが立ち回る家が数軒あって、時々情報交換して無事を確かめ合っているのだが、今のところグレの消息はわからない。そのうちひょっこり返ってくると思うけれど、グレのお人好しさを思うと新しく登場した猫に追い出されて泣いているかもしれない。形ばかり大きくて穏やかなグレ、もうおじいさんだからなあ。

猫のことになると私はすごく心配性になる。あの大雨で増水した用水はいつもは川底に僅かな水が流れているだけ。それが一気に100ミリの雨量が降ったために溢れんばかりになっていた。それに気付かずグレがいつものようにひょいと飛び降りて流されたなんて言う可能性もあり?新しいボス猫に追い出されてどこかを彷徨っている?まさかね、もう10年以上のベテラン野良がそんなことはないと思うけれど・・・野良たちは毎日数軒の家を回って餌をもらっている。いわば保険がかかっているということ。ひたすら無事でありますようにと祈っている。










反省をしたものの

昨日は友人があまりにも上手い演奏をしたから 興奮してすっかり疲れ果て、久しぶりに人混みに出て足は痛いしお腹は減るし、午後10時に寝たのに目が覚めたのは午後12時を回っていた。なんだ2時間じゃないというなかれ、次の日の12時までなので。なんと14時間後。そろそろ永遠の眠りにつくらしい。こんなに眠れるのは確かに異常だから。

しかし、同い年でかたや諳譜で長いシューベルトの曲を弾いてのけ、かたや足を引きずって歩いたあとで寝込む、この違いは体力の違いか気力の違いか。彼女は今頃、もう次の曲の準備に取り掛かっているかもしれない。私はあまりに寝たのでぼんやりして頭がくらくらする。

今日もまた暑い!いい加減に秋らしくなってほしいのにムシムシして相変わらずやる気が起きない。それでも次の合わせ物はプロコフィエフの二重奏曲のソナタ。ようやく終楽章まで一応譜読みが済んだ。済んだと言うことは弾けるようになったことを言うわけではなくて、どんな音を使っていてどんな指使いをするかというくらいまでは見たというだけ。何回弾いても難解で困った。数日後、もうひとりのヴァイオリン、Hさんが来てくれることになっている。

彼女もバリバリの現役!もう退役軍人である私はタジタジなのだ。なんで皆少しも年を取らないのだろう。どうして一向にやめようと思わないのだろうか。私は一日練習するとつかれて次の日は寝てばかり。それなのに皆背筋を伸ばし、足を痛くすることもなくさっさと歩いて来る。自己管理と毎日の練習のたまもの。すごい人たちだなあ。

そんなわけであまりにも弾けないと失礼だし、相手にしてもらえなくなるといけないからやっとこさ楽譜が通しで弾けるようにしないといけない。少し練習してふと自分の左手を見ると、あら?左手の指がまっすぐとはいいがたいけれど、少し曲がり加減が減っているように見える。でもまだ中指と薬指の間に数ミリの隙間はあるけれど、一時期よりもずっと改善されていた。

不思議なことだ。結局音程を修正しながら弾いているうちに関節などが柔らかくなり、指の形が元に戻ってきたということ?何なのだこれは?

合奏団存続のために激しいストレスに晒されていた頃は、気持ちも体調も恐ろしくマイナーになっていた。心が体に及ぼす影響がどれほど重大なことだったかを思い知らされた。この先何年演奏できるかわからないけれど、まだ少しは改善の余地ありかな?頑張っている友人たちを見ると、のぞみが湧いてくる。みんなすごいなあ。まだこれからもうまくなる余地があるなんて。怖いですねえ、彼女たちはおばけかもしれない。くわばらくわばら・・・
















2025年9月14日日曜日

上手いねえ!

いつも一緒に演奏してもらっていたけれど、私は疲れ果ててしばらく休んでいた間に・・・おや、おまえさん、こんなに上手くなっちまって。

今日はSさんが毎年主宰しているコンサート。私はこのnekotamaにはなるべく個人情報を書かないようにと配慮しているものの 、殺人犯とか裏金作りの政治家などの名前はバンバン出してもいいと思っているから書いてしまう。まあ、そのような話題は縁遠いので今まで書くことはすくなかったにしても。友人たちは名前なしでも、仲間たちから見れば誰のことかわかるからアルファベットの頭文字で済ますことに。

今日はあまりにも上出来の演奏を聴いたので名前をだしてしまおうかと。Sさんこと芝治子さんは長年の付き合いで彼女はすごく真面目でも、私のようなちゃらんぽらんとも付き合えるような太っ腹。実際に太っ腹なのは私の方でウエスト周りは成長の一途を辿っている。冗談さておき、今日の演奏があまりにも上手かったから、こんな年齢になっても着実に成長する人もいるのだと感無量になった。

他の出演者たちは彼女の友人やお弟子さんたち。大学で教えていたからみなさん卒業してプロになっている人たち。その中で演奏するのは緊張するものだと思っていたけれど、実に楽しそうにしれっと弾いてのけたシューベルト「即興曲」3番、4番。私はシューベルトは大好きだけれどやたらに難しいので敬遠しがちなのに、よくぞ、偉い!

そういえば彼女は母校に残って教師になってからも毎年のようにリサイタルをしていた。スクリアビンなどという小難しげな曲を実にさらっとミスなしに弾いていたっけ。レッスンをサボっては遊びに出ていた私とは大違い。ここでこれだけの差がつくのだと今更ながらぎゃふんというしかない。

私は一時期引退の決意をしていたけれど、友人たちが遊ぼうよと誘ってくるので、来年から復活することにした。それでもう手遅れかもしれないけれど、また徐々に活動したくなってきた。けれどヴァイオリンは年齢的にも非常に厳しい。それは音程があまりにも繊細なので、年齢とともに指が曲がってくる老化現象に非常に左右されるのだ。ミリ単位以下の精度を要求されるし、外から聞いている人にたとえ気が付かれなくても自分が一番良くわかるのだから。

それが気にならなければまだまだ演奏できるのにと思うけれど、気にならないようなことではやはり困るわけ。自分で音程がわかるうちは気になって弾けなくなるし、違いがわからなくなったら気楽に弾けるかというと、それは迷惑な演奏ということになってしまう。なまじ音がわかると困ったことに。しかし最近曲がった指にだんだん対応できるようになってきたという幻想を抱くようになってきた。もしかしたら修正できているのかどうか?それとも耳まで鈍くなってきた?それはまだ大丈夫だと思う。と、本人は思っているけれど。

グチグチと言い訳言うのは悠然とシューベルトを彈いてのけた芝さんに、あまりにも感心したせいであり、刺激を受けたこともあって、今後の自分の生き方を変えないといけないと今更ながら思う。でも一度火をおとしたところから復活するのは大変。また最初の一歩からやり直し?なんて今は大反省をしているけれど、どうせまた三日坊主。まあ、見てらっしゃい、せめて10日はもたせるから。

明日から根性入れ直してがんばろう。優秀な友人がいると引退もできやしないじゃないの。というわけでただいまヴァイオリンの二重奏などを練習中。


























2025年9月13日土曜日

台風やら洪水など

私の家の前には川が流れてる。春になれば桜並木が風景を一変させる。

その川は用水路で、子供の頃には裸足で入ってドジョウやメダカなどを捕まえたこともあった。流れは緩やかで鯉が泳ぎ鴨が飛来する。殺風景な街の貴重な自然が四季折々の顔を見せてくれる。なのに、今年はもう夏ばっかり!まだ秋と言うには暑すぎる。

用水路は以前は自然のままの土手だったので、毎年台風が来ると氾濫した。近くの家は台風一過、畳を外に干す。そんなことの繰り返しだった。

私の家は少し高いところにあって、他の家が水に浸かってもまるで島のようにのこっていた。それで台風が来ると周りからゴムボートなどで我が家に避難してくる人がたくさんいた。我が家の女子はそのために大きな釜でご飯を炊いておにぎりを作った。援助物資の毛布なども届き、臨時避難所になって、人見知りの激しかった私も近所のおばさんたちの噂話なども小耳に挟む。「あそこの家は何人家族なのに毛布を一枚多く持っていった」などと噂される。幼少期の初めての社会勉強になった。

その用水路の川底に大きな雨水管が通され、やっと氾濫は収まった。やれやれと思っていたけれど、それを脅かすような激しい雨が降った。つい数日前、まだ昼過ぎというのに黒い雲がどんよりと頭上を覆った。あ、これはまずい!駐車場で呑気に空を見上げる猫。危ないからうちにお入り!声をかけても返事もしない。時々ゴロゴロと遠雷がなるのを楽しんでいるような表情で。

そこまでは良かった。そのうちあまりにも激しい雷にびっくりして私は家に入った。その頃になると流石に怖くなったらしく猫はどこかに隠れてしまった。呼んでも出てこられないのだろう。雨の勢いはというと、あたったら頭の天辺に穴が開くのではというほどの勢いで。最近窓を二重にして本当に良かったと思った。激しい音も風も遮ってくれるのでやや安心できる。

こんな激しい雨は初めてというくらいの土砂降りの間、NHKテレビの台風情報を見ていたらわが町の名前が挙がっていた。おや、珍しい、名所旧跡でもなく、取り立ててどうということもない街が一気にテレビに報道されている。しかも家の目の前の川のことが。珍しいものを見るような気でテロップを見つめた。大して心配もしていなかったけれど、雨が小止みになったときに見に行ったらギョギョギョ、なんとスレスレで氾濫を免れていたのだった。

全国放送で一躍有名になったおかげで、友人たちが心配してくれてラインやメッセージが届いた。私は大丈夫ですよ。でも元野良猫だったのんちゃん、どんな修羅場でも乗り越え生き残ってきた彼女にも流石にショックだったようで、嵐が静まった頃帰ってくると私にしがみついてきた。その夜はずっとそばを離れない。よほど怖かったのか。お陰で私は保護者としての地位を認められたらしい。














2025年9月10日水曜日

涼しくなったけど

北軽井沢の隣人から「なんでこないのー」電話がかかってきた。「実はこちらは猛暑で毎日軽い熱中症の症状なの。運転に支障が出ると事故につながるからいかれない 。涼しくなったら行くわ」といって電話を切った。それほど、この夏の暑さは私の体に影響を与えた。

私は運転大好きで今まで苦になったことは一度もなかった。けれど、毎日目が覚めると軽い頭痛とめまい、気分の悪さが気になって、猫連れのドライブが億劫に。年のせいかもしれないが嫌がる猫の苦情を4時間聞き続ける修羅場を考えるとねえ。のんちゃんは車大嫌い。4時間ドライブ中、一秒たりとも鳴きやまない。時に一人で出かけるとドライブを大いに楽しめる。カーブでも遠慮なしにフルスロットルでグイーンと曲がる面白さを堪能する。

やっと涼しさが秋の到来を告げる。ああ、やっと。でも怠け癖が、それとたくさんのコンサートのご招待やチケットの買い置きがあって、今月は大忙し。

古典音楽協会の定期演奏会がありますので、涼しくなった上野公園にそぞろ歩きかたがたお越し下さいませ。

古典音楽協会第168回定期演奏会

2025/9/25(木)19時 東京文化会館小ホール

セバスチャン・バッハ:五重奏曲

モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラの協奏曲

モーツァルト:チェンバロ協奏曲ニ長調

モーツァルト:交響曲第29番K.201

今回の目玉商品はヴァイオリンとヴィオラの協奏曲。名手が二人で奏でるこの曲を存分にお楽しみください。

私も、当日会場にてお待ちしております。演奏を引退して客席で幸せなひとときを過ごすことができるようになりました。お目にかかれればお話などもできます。どうぞよろしく。

などと古典の定期もあるし、他のコンサートも目白押し。せっかく北軽井沢に行ってもすぐにとんぼ返りの可能性もある。猫には嫌われる。私の苦労は山積み。特に猫はお兄ちゃんと一緒に楽しく毎日連れ立ってご近所さん巡りをしているらしく、日中はほとんど我が家のご飯を食べない。それでも猫を置いて私が数日留守の間、憔悴しきって待っている姿をみると可哀想で置いてゆくかどうかの決定はつらい。

私は意外に気が小さい。特に猫に関しては心配でならない。猫がいなかったら私は今頃どこの国をふらついているだろうか。世界中飛び回って帰ってこないかもしれない。たった1匹の猫に惑わされてこの体たらく。特にのんちゃんは最近やっと私に対する信頼を高めている。以前はちょっとしたことでもカリカリして立ち向かってきた。ほんの少し手を早くうごかすと打たれるとでも思うらしく、サッと逃げる体勢になり爪を出すこともあった。随分いじめられたのだろうと不憫になる。

今はお兄ちゃんのグレちゃんが苦労しているような。気が荒くなり私でさえ触れられないことも多くなった。どこかの家でどんな扱いを受けているのだろうか。それも心配で一人だけ遊びに行く気がしない。でも10月には誰がなんと言おうと、誰もなにもいわないけれど、行きますよ。行きますとも。






2025年9月8日月曜日

チルドレン

私はいまや一人暮らし。猫が友達。古びてよれよれながら時々素敵に嬉しいことがある。

今から15年ほど前まで勤めていた音楽教室の弦楽アンサンブルのメンバーと毎年一回、発表会のための練習の指導をする。ヴァイオリンの個人指導はやめたけれど、それだけは毎年声をかけていただけるので夏場だけ出ていく。納涼大会のおばけだね、こりゃあ。そういえば、だんだん奇っ怪な風貌になってきたかも。むふふ

私が初めて音楽教室の指導をするようになったのがほぼ30年前、15年目に自由になっても良い関係はずっと保たれていたのでありがたいことだと思っている。最初のオーナーの小田部ひろのさんとは二人三脚でああでもないこうでもない、時にはというよりしょっちゅう大喧嘩、それでもずっと一緒にアマチュアオーケストラを立ち上げたりしていた。それこそ彼女が息を引き取ったその瞬間まで一緒にいたのだった。あとにも先にも彼女ほど本音で付き合えた人はいない。いまでも思い出すと慟哭しそうになる。

彼女がなくなって私はすっかり気落ちしてしまった。その後しばらくして教室のレギュラーはやめさせていただいたけれど。

私が目指したレッスンはひろのさんが理想とした「疲れたおじさんたちがほっと息がつけるオアシス」だった。あっという間に教室は楽しく学ぶ人達が増えて、毎日笑いが絶えない日々。そして私達二人の喧嘩も賑やかになり、まるで本当の姉妹のようだった。楽しかった。喧嘩しては次の日ケロリと笑える、そんな仲だった。

今年も夏がやってきた。とんでもなく暑い夏が。そしてまた私の大切なチルドレンがニコニコして集まってきた。彼らはホッとするというよりもずっとハードな練習に耐えて年々個人的な楽器の技術も上がり、アンサンブルの経験も長くなり、最初の頃の私の悪口雑言はもはや影を潜められた。「この世のものとも思えない奇っ怪な音」何度も私は彼らにそう言った。どうしてこんな音を出して我慢できるのか。

個人的な事情で時々メンバーは交代するけれど、ほとんどの人がやめないでいるのはアンサンブルの宝になる。継続の力がこれほど大事なことであるのは音に現れる。それにしてもメンバーのほとんどが若々しさを保ち続けている。しかも今回はメンバーのお子さんが参加してくれた。演奏レベルの引き上げをしてくれる音大附属高校生。私はどんどん老いてゆくというのに。いまやどちらが面倒を見ているのか見られているのかわからない。それでも私は彼らと合うと、背筋を伸ばさないといけないような気分になる。

これはすごく大事なことで、演奏の引退宣言をしてしまった頃から体の中心がズレてきたような気がしていた。一年足らずでも楽器をケースにしまったままだったから、生きる目的もなくなっていた。けれど、こうして時々若い人たちと会ったり昔の友人達と合わせたりしていると背骨がつながっていくようなシャンとした気分になるのに驚く。

アンサンブルの練習後、居酒屋で飲み会にも付き合えた。ノンアルコールで我慢したけれど、こんな気分はここ数年久しくなかったこと。私が彼らに引きずられて年齢が巻き戻されたような気分になった。やっと私は復活できそうになってきた。少しずつではあるけれど、前に進んでいる。音楽は本当に素晴らしい。

それにしても、もう少しなんとか涼しくなってもらえないものかしら。
















二人だけの女子会

長野県の松本で同じ仕事に関わった人たち、その時のメンバーは本当に気が合って演奏も毎日ワクワクが絶えなかった。コンサートミストレスの北川靖子さんを中心に気の合ったアンサンブルの演奏会は、毎日ニコニコし通しだった。聴く人たちも喜んでくれたけれど、それより演奏者たちがとても喜んでいるような具合。仕事は早い午後で終わったから毎日皆で車を連ねて上高地に出かけた。そのドライブも本当に楽しかった。

松本から帰っても仲良しの余韻が続き女子会も長く続いていたけれど、北川さんを失ったことでメンバーは徐々に間遠になった。しかしAさんと私は縁あって私の家の最寄り駅あたりが生活の活動圏内、連絡すればすぐに馳せ参じられる距離的な条件で、時々気軽に会えることになった。

コンサートのチケットのことで連絡して話をしているうちに、自然と会う約束になった。お店はいつも同じイタリアンのタヴェルナ、居酒屋とでも言うのでしょうか。昔、作曲家の芥川也寸志さんが好きな冗談は「スペイン語で居酒屋をタヴェルナというんですよ。」かれはオーケストラの指揮をする前にかならず一席冗談を言うのがいつものことだった。

例えば、カニをレコードプレーヤーのターンテーブルに乗せて回すと、いつもは横に歩くのに、降りてから縦に歩くようになるんですよ」とか・・・いっぱい冗談を仰っていたけれど、残念な私の頭はもう記憶が薄れている。とても神経の鋭い方でダラダラと私達が演奏していると大変に怒られた。何事にも真剣で鋭い神経質な方だったけれど、心の温かい弱者に対する思いやりのあるかただった。

当時オーケストラの経営が逼迫していて、私達は働き詰め、その緊張を和らげるために冗談をおっしゃったのかもしれない。純粋な青年の感性をいつまでも忘れないように見えた。
で、私は近所のお気に入りのタヴェルナに行くと、必ず芥川さんのことを思い出す。

Aさんは松本組の中でも特に親しく気があった。彼女のおばさまは有名な方で、私の出身校の副学長か理事長だったか。時々学内のイベントでお目にかかったけれど、私達には雲の上の人だった。女性ながら威風堂々、学長は容貌魁偉で大柄な人だったけれど、その学長と並んでも引けを取らないほどの威厳があった。しかも温かみのあるお人柄が汲み取れる印象で、私はそのかたをすごく尊敬していたのだった。一度もお話したこともないのに。 Aさんがその方の姪御さんであることを後で知ったときにはすごく嬉しかった。

女二人、ワインを酌み交わしながら話は尽きない。北川さんとの思い出はいつものことだけれど、楽器の奏法の悩みとか家族のこととか、それは真面目な方の話題で時には冗談ばっかり。芥川さんみたいに。

私はここ数年アルコールが飲めなかった。ひどいストレスに晒されていたから迂闊に飲んだら悪酔いしそうなので。でも今回は最初からアルコール入りのワイン、美味しく飲んでほろ酔いで帰宅した。なんだか強くなったのかしら?スパークリングワインをグラス一杯、それにワインのボトルを二人で半分以上のんでも気持ちの良さに足もとられない。

体調が良くなってきたらしい。















2025年9月5日金曜日

若き演奏家たち

 やっと9月、待ちに待った。理由は秋になれば少しは涼しくなるかも・・・だったのに、今日も暑い。いい加減にして!と言いたい。

30年ほど前にもとても暑い夏があって、そのときには秋になっても一向に気温が下がらず本当に辛かった。寒い冬というのはあまり苦にならないのに暑い夏は命がけ。

その年はちょうどあるイべントの幹事を任されていて、非常に苦労したこともあって、よくおぼえている。このあたりの私の人生は波乱万丈だった。良い方も悪い方も両方やってきて、当時は大変元気で勢いが良かったから、大事にはならないですんだ。これは人生の変わり目に大変たくさんの人に会えたことで、その後のわたしの人生は明るく輝いていた。ほとんど無敵の勢いで何でも乗り越えられたのは非常に幸運だったと言える。

そんなとき一緒にコンサートの相棒を務めてくれた人がいた。長きにわたりほとんどの室内楽のセカンドヴァイオリンを弾いてもらって内部から私を助けてくれた人、安原さん。私は彼女のお陰でのうのうと一番上の旋律だけ弾いていればよかった。彼女は性格が穏やかで・・・と、いっても納得しないとどこまでも食い下がってくるようなところもあり、ドイツではフォアシュピールという資格まで取って活躍してきたほどの技術を持つ。本来ならもっと表に出ても良いものを、私のわがままに付き合ってくださった。

要するに私はあんまり緻密なところがなく、呑気に上の旋律を弾いてさえいればいいと。こんな楽なことはない。ただ、我が強く弾きたいことがはっきり自分の中にあるというだけで人を巻き込む。下手であっても自分の考えが表に出せるということで。それでも内声がしっかりしていないと苦労するけれど、当時のメンバーは本当に心強かった。

黙って支えてくれたその安原さんの御子息が素晴らしい青年になって見事なオーボエを披露してくれた。

オーボエ 安原太武郎 ピアノ 土屋宗太 ヤマハ銀座コンサートサロン

ルイエ:オーボエ・ソナタハ長調

カリヴォダ:サロンのための小品 228

伊藤康英:オーボエのためのソナチネ

ヒンデミット:オーボエソナタ

ショパン:ノクターン第2番変ホ長調

ラヴェル:道化師の朝の歌

ラヴェル:クープランの墓

この若者二人、只者ではない。オーボエという楽器はすべての楽器の中でも特別むずかしいと言われる。実はどの演奏家も自分がやっている楽器が世界で一番難しいと思っている。それでもオーボエの難しさはわかるような気がする。あの狭い二枚のリードの中に息を吹き込んであんなに美しい音を出すのはきっと至難の業に違いなかろうと思う。リードは細く2枚の間が超狭いから息が多くは吹き込めない。息が余って苦しいらしい。このへんは専門家に訊いてみてください。私にはわからない。

昔聞いた話ではその苦しさでオーボエ吹きは髪がハゲるというとんでもない伝説があった。それでもなるほど、私の知る限りではよほど若くなければ、ほとんどのオーボエは禿げていた。今思うと演奏法が確立されていなかった日本では力みすぎるオーボエ吹きが多かったということなのか。それと髪の毛の関係はどうやら殆ど無いとは思うけれど。

しかしながら本日の主役はふさふさ髪、伴奏と独奏ピアノの奏者もふさふさ、今どきのスラッとした若者二人。世の中変わった。一体何の話かわからなくなったが、それで、素晴らしい演奏だったということに尽きるのだ。最初から最後まで美しい音を堪能させていただいた。客席も大いに沸いた。

オーボエもだけれどピアノの演奏も見事で、かつてのピアニストにありがちだった鍵盤をひっぱだく演奏法がようやく過去のものになってきた。久しぶりにショパンが聞けて嬉しかったし、彼の伴奏の見事さにも惚れ惚れした。本当に楽しいコンサートだった。

安原太武郎さんはタブロウと読む。フランス語の絵(tableau)という意味でつけたのに「間違えてブタロウって読まれるのよ」とお母様は笑っていたけれど、おしゃれな名前をつけたものですね。芸術一家らしい。ちなみにお父様は安原理喜さん、かつてオーケストラのオーボエのトップ奏者。家族中が音楽家というのも素敵ですね。