2015年12月15日火曜日

芥川也寸志さん


この曲をご存じの方も今は少ないと思うけれど、これはNHKの大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマ曲。芥川也寸志作曲。
芥川さんは私たちのオーケストラが経営不振の頃、なにかと気にかけてくださった。
ハンサムで品が良く、ユーモアがあり素敵な方だった。
私たちがよくお目にかかったのは、女優の草笛光子さんと結婚なさったか離婚されたか・・・その頃だった。
そして次のお相手はテレビでのレギュラー番組で出会った、エレクトーン奏者。
そのお二人が熱い視線を交わすのを目にして、あ、これは結婚するなとおもっていたらその通りになった。
彼は頭の良い女性が好きなのだと思った。
奥様は素晴らしくきれいな足の持ち主で、女の私でも惚れ惚れするほど。

猫を飼っていて、猫のために自動ドアを付けて、それが体重不足で開かないんだよと、楽しそうにお話していた。
私もなにかと目を掛けて頂いて、私的なイベントにも出てくださった。
その時の写真を「もう、アルバムに貼ったよ」と次にお目にかかった時に聞いて、芥川家のアルバムに私たちごときが・・・と感激した。
まだそのアルバムはあるのかしら。

普段は優しい彼が怒ったのを見た事がある。
モーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のチェロパートのある部分で、チェロが本気で弾かなかったと言って、激怒したことがある。

本当に心が若々しく、純粋で一生懸命。
万年青年だった。
いつも12月14日の赤穂浪士の討ち入りに、思い出すこと。











2015年12月13日日曜日

ヴォルフガング・ダヴィッド & 梯 剛之 デュオ・リサイタル

ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ3番」
フォーレ「ヴァイオリン・ソナタ1番」
ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ7番」

ヴォルフガングとは、たぶん両親の思いの込められた名前なのではないかと思う。
その後がアマデウスだったら言うこと無し。
虎ノ門 JTホール

梯さんは盲目のピアニスト。
ヴォルフガングさんはタケシが楽譜を見ないなら、自分も見ないと言って、すべて暗譜で弾く事にしたという。

協奏曲は暗譜で弾くけれど、ソナタの場合はたいていピアノもヴァイオリンも楽譜を見る。
室内楽だし、両者がメロディーを受け持ったり伴奏に回ったり合の手を入れたりするから、暗譜をするのは大変難しい。

練習を重ねると殆ど覚えてしまうかも知れないけれど、それでも細かいやりとりなどは暗譜ではとても怖いはず。
しかし、両者とも本当に隅々まで、ジグゾーパズルを埋め込んでいくように、音を繋げていく。
しかも音色に透明感があって、細かい動きがそれぞれしっかりと聞こえてくる。
素晴らしいコンサートだった。

剛之さんとは毎年八ヶ岳音楽祭でお目にかかる。
お父さんは元N響のヴィオリストで、毎年この音楽祭にヴィオラのトップとして参加している。
そして剛之さんもお父さんと一緒に八ヶ岳に来て、コンサートを開く。
宿泊先の食堂で出会うと、私たちと一緒にご飯を食べる。
彼は非常に冗談の好きな明るい青年なので、ステージで見る求道者のようなストイックな姿と重ね合わせるのが難しい。

一時期、苦悩に満ちた表現をすることがあって、心配になる位だった。
音の響きを模索して、一つ一つ、塗り込めるように弾くのを聴くと、胸が締め付けられる感じがした。
たぶん音を追究するあまり、出口が見付からないでもがいていたのだと思う。
それがあるときから急に軽やかになり、おや、と思ったことがあった。
その後は初心に返ったかのように、素朴で飾らない音楽を淡々と弾くようになって、それはそれですごく良かった。

そして今日は、見事に洗練されて花開くような華麗さも加わって、名手の域に達したようだ。
それはヴォルフガングさん(この名前が素敵なので彼をそう呼ばせてもらう)との共演のたまものではないかと思う。
同じ感性を持った2人の出会いが、見事な会話になって聞えてくる。
言葉では言い表せないので、是非この2人の演奏を聴いてみてください。
すぐれた室内楽奏者が集まると、楽器を越えた響きを作り出す。
今日はまさにそんなケースで、一緒に行ったピアニストのSさんと感激しながら帰ってきた。
彼女とのフォーレのソナタは、半分で棚上げとなっている。
来年は本気で弾こうと話し合ってきた。
それにしてもヴォルフガング・剛之の半分でも弾けるかどうか。

ヴォルフガングさんが、剛之さんの本来の明るい性格を、引き出してくれたのかもしれない。
お互いに得がたい相棒を見つけたようだ。
楽しげに楽器で対話する2人を見ていると、来年こそちゃんとヴァイオリンを練習しようと・・・ね。いつも思う。
























2015年12月12日土曜日

まだまだ練習

今日も又小田原公演のための練習。
他のメンバーはすでに、九州や千葉方面で同じプログラムのコンサートを終えているので、完全に出来上がっているけれど、小田原だけの志帆さんと私は戸惑うことも多い。
私は「エニグマ」はすっかり頭に入っているからさほど緊張派しないけれど、くせ者はドヴォルザーク「チェロ協奏曲」
オーケストラで何回も弾いているから大丈夫と思っていたけれど、いつもは指揮者がいるから呑気に指揮に合わせているだけ。
指揮者なしだと時々迷子になりそう。

練習をやり直したいときは楽譜に練習番号が振ってあるので、例えばAの一小節前からとか、Bの6小節後からとか言って、皆でその場所からもう一度弾く。
そうやって、部分的に手直ししていく。

ところが、何回やっても私だけ違う事があった。
けれど、私はどうやっても楽譜通りに弾いている。
こんなことはヴァイオリンだったら間違えないと思うけれど、この曲のヴィオラパートを弾くのは初めてなので、ふーん、ヴィオラは一小節遅れて出るのかと思った。
それでも音が合わないからおかしいと思ったけれど、結局練習番号の位置の間違い。
オーケストラで楽譜に忠実に弾くことを訓練されすぎて、臨機応変が効かなかった私も悪い。

とにかくチェロのソロの洪水みたいな音量にはビックリする。

今日練習がないタマーシュとジェニファがやってきて、タマーシュはイギリスでの次のコンサートのための練習をしたいのでどこか部屋はないかと言う。
私の兄の家が近く、彼の娘は自宅でピアノを教えているからレッスン室もある。
そこへ連れて行ってあげた。
たっぷり3時間ほど練習して、ご機嫌で帰って来た。

私の兄のたぬきさんは、お客様大好き、音楽大好きだから、殊の外喜んで大歓迎。
心配なのは、練習したいタマーシュにまとわりついて、邪魔をしないかということ。
家に入るなり「お寿司をとろうか、お茶はいかがか」とたたみかける。
タマーシュは困って苦笑している。
そのまま放り出してきたけれど、その後どうなったか。
帰って来たタマーシュに訊いたら、コーヒーを淹れてもらったとか。
まあ、その辺で済んでよかった。
レコード蒐集品も見せたらしく、変な自慢していないといいけれど。

練習後かれらと食事をして解散。

小田原の分の練習も終わり、彼らは3回のコンサートを消化すると帰国する。
この1週間、ロンドンアンサンブルとのお付き合いは濃くて忙しくて、いささか疲れた。




















2015年12月10日木曜日

今日も練習

ロンドンアンサンブルのメンバーが九州佐賀の公演を終えて、羽田に帰ってくると言うので迎えに行った。
羽田空港はホンの数年前まで毎月のように飛行機で仕事に行くために利用していた。
このところ何にも用事は無く、久しぶりに出かけたので、多少様子が分からなくなっている。
道がどんどん新しく出来るので油断がならない。
入り組んだ立体交差などを1本間違えると、ほかのエリアにはいりこんでしまう。
それでも無事に彼らと会えて、私のボロ車に3人のでかいイギリス人を乗せると、荷物と人間で身動きとれないほどになった。
私のバカさ加減が遺憾なく発揮されたのは、夏の買い物用にトランクに入れてあったクーラーボックスを片付けていなかったこと。
これだけの荷物を載せることは分かっていたのに、トランクの点検をしなかったために、トランクにでんと置いてあったクーラーボックスがじゃまで、危うく荷物が全部のりきれないかと思えた。
タマーシュの必死の作業でトランクに荷物が収まったときには、皆で歓声をあげて拍手をした。

今年はヴィオラのパートがあるので、タマーシュの奥さんのジェニファがヴィオリストとして同行している。
ジェニが帰ってしまうと私の出番というわけ。

今日の練習は私たち小田原組。
チェロ無しの下稽古をしておいたお陰でスムーズに流れ、チェロが入ると一層弾きやすくなった。

トーマスのチェロのものすごさは、我が家が揺れ動くほどの振動。
圧巻はドヴォルザークの「チェロ協奏曲」で、息もつかせない迫力でグイグイと迫って来る。
聞き惚れて落ちそうになる。

練習の後にタマーシュがやってきて、私の元生徒が彼のレッスンを受けた。
彼女は今大学院の1年生。
曲はサンサーンスの「ヴァイオリン協奏曲」
学内のコンクールで本選に残り入賞したという。
毎回聴くたびに、上手くなっているのは喜ばしいけれど、若さゆえの弾きまくりが少しうるさい。
同じパッセージをタマーシュが弾くと、蕩けるような音とニュアンスで、やはりまだまだ彼女は修行が足りない。
タマーシュに言わせると、彼女は才能がある。
言えばすぐに反応する、言っても反応出来ない人が多いので、見所はあるそうだ。
良かった!
即席でピアノ伴奏を付けたのはトーマス。
彼はチェリスト、指揮者の二つの顔を持っているけれど、ピアノも大変上手い。
素晴らしい伴奏が入って、生徒の顔は幸せそうに輝いた。

終ってから一緒に軽く食事をして、これからまだ21時に練習の合わせがあると言って、あたふたと出て行った。
池袋まで合わせにいくそうで、そんなことも若い頃は少しも苦にならなかったことを思い出した。
むしろ、動き回っているのが楽しくて仕方がなかった。
私も夜討ち朝駆け、早朝から深夜まで良く練習したものだった。
体力も気力も充実している若いうちなら、苦労を苦労と思わない。

彼女が帰ってしまうと、そこからは大人の時間・・・とはならず、みんな子供みたいに冗談が飛び交い・・・と言っても英語が聞き取れない私は、キョトンとしていることの方が多いけれど。
なんやかんや、貧しさとか練習の厳しさ、本番の緊張と戦いながらも、私たちは本当に幸せなのかも知れない。

タマーシュ、ジェニファ組は13日(日)東京文化会館 14日(月)横浜美術館
志帆、nekotama組は15日(火)小田原市民会館です。
ピアノ、フルート、チェロは変わらず。
どうぞよろしく
















2015年12月8日火曜日

末っ子いじめ

6人兄弟の長兄が、時々自宅で兄妹会を催してくれる。
長姉は先年亡くなったので、今日は近所の姉2人とその連れ合い、長兄など、全部で7人集まった。
兄は歳をとって耳が少し不自由になったほかは、いたって元気で益々狸に似てきた。
先日その兄に似ていると言われて憤慨した私は、あまり側に寄りたくないけれど、そこはご馳走に釣られてやはり参加してしまう。
サラダ、焼き鳥、鶏肉とチーズの揚げ物、そしておこわのお弁当が今日のメニュー。
義姉はとてもお料理上手で、以前はよくお煮染めなども作ってくれたのに、このところ腰を痛めてメニューが簡単になってきた。
かつては色とりどりのお料理が、テーブル狭しと並んだものだったが。
飲み物もビールをコップ一杯ずつ飲むと、皆気がすんでしまう。
一升瓶がずらりとカラになっていく、かつての家族会が嘘のよう。
長姉の連れ合いの義兄は、酔っぱらうと、私の姉に捧げるベッサメムーチョを高唱したものだったけれど、2人とももういなくなってしまった。

焼き鳥などをつまみながらしばらくビールをのんでいた。
それではご飯にしようかと、兄がお弁当を配り始めた。
「あれ、一つ足りない、nekotamaちゃんの分を買うの忘れた」
私はビールでお腹がくちくなっていたから、「え~っ」と思いながらも「いいよ」と応えると、姉が笑いながら「また~、ほら、末っ子いじりが始まった」
なーんだ、兄の冗談か。

いつもそうやって兄姉から長年、悪戯をされてきた。
子供のころから、ぬいぐるみより面白いとかなんとか言われ、からかわれ続けたから、こんないじけた人間になってしまったのだ。

石鹸をチーズと言って騙されて食べさせられたり、紐を蛇だと言って追いかけ回されたり。
1番のいじめは、私は拾われた子で、赤いおべべを着て橋の下で泣いていたから、拾ってきたというものだった。
嘘だということは分かっている。
わかっているけど、悲しくなってメソメソ泣き始めるとわーっと笑って、嘘嘘、冗談だからと言う。
それなら初めから言わなければいいのに。
しかもこともあろうか、母までその冗談に加担するのだった。

友達に訊くと、皆たいがいそう言われて育ったという。
今でも子供にそうやって言って、からかうのかしら。
ワケがわからん。
本当に悲しかったのだから。

それでも兄がいなかったら、私はヴァイオリンをやっていなかった。
兄は最近まで趣味でチェロをやっていたけれど、耳が遠くなって大きな楽器を運ぶのも辛くなったと言って、チェロはやめてしまった。
もっぱら絵を描いている。
今日の漬け物は、厳重な管理の下に漬けられた蕪とキュウリ。
兄はぬか床を作るところから初めて、温度、湿度、塩分濃度などを計算して漬けるのだそうだ。
だから、すごく美味しい。
この兄の妹がこの私。
まるっきり大雑把でいい加減で、同じ両親から産まれたとは思えない。

そうか、私は拾われた子だった。











2015年12月4日金曜日

練習開始

ロンドンアンサンブル小田原公演の下稽古。
ロンドンから2日前に到着したフルートのリチャードと奥さんのピアニストの美智子さんが、まず顔を見せた。
すぐにヴァイオリンの志帆さんも交えて、チェロのトーマスなしで軽く下稽古・・・のはずなのに、始めるとカリカリと頭にきやすい我々は、初めから夢中になってしまう。
美智子さん夫妻はテンポのことで揉め、私は「喧嘩はおうちに帰ってからやって」と仲裁に入るフリして、煽り立てる。

私が夕方から仕事に出かけるので、時間は正味3時間半。
お茶も飲まず、積もる話もせず、ひたすら弾き続けた。
志帆さんは先日関東学院大学の定期演奏会で、チャイコフスキーのソロを弾いたばかり。
あまり準備が出来ていないと言いながら、持ってきた昼食用のお弁当も食べずに弾いている。
美智子さんは体調不良で、ヒースロー空港に行くタクシーの中で酔ってしまったそうで、少し痩せたようだ。
けれど、夫婦喧嘩が出来るようだし、リチャードの意見を強引にねじ伏せる時には、パワー全開。

チェロがいないからバランスが分からないけれど、やはり室内楽は面白うございます。
とにかく指揮者がいないのが良い。
指揮者が居ると我々楽隊は身動きとれない。
もう少しここをゆっくりなんて思っても、指揮者に強引に棒を振られたら、絶対服従する。
でないと、オーケストラは成り立たない。

昔ホルンの名手、ザイフェルトという人がいた。
指揮者のカラヤンと彼の意見が衝突して、カラヤンが「俺はカラヤンだ」と言ったら「俺はザイフェルトだ」と言い返した伝説がある。

世界的に有名な彼の演奏を聴いたのは、一橋大学の講堂だった。
天窓の辺りに鳩が飛んでいて、ホルンの、のどかな響きを背景に、まさに一幅の絵画の中に溶け込んだようで、実に良いコンサートだった。
ちなみにチェンバロは小林道夫せんせい。
記憶が曖昧で、チェンバロではなくてピアノだったかもしれない。

こちらは時間に追われて悠長にしていられない。
モーツアルト、ベートーヴェンはなんとかなるけれど、エルガー「エニグマ」は私は初めてお目にかかるので、十分な下準備はしたはず。
なのに、実際合わせてみると最後の方は置いてけぼり。
どんどんテンポが上がって行く。
そこは古狸だから、要所要所で見繕って最後はピタリと終る。
しかし、途中がきちんと分かっていないことに気がついた。
今日は初めから譜面を見直してチェックする。

やっとこれなら次の練習ではついていけるかも、というところまで漕ぎ着けた。
私が出かける時間が来ても全部の練習が終らなく、志帆さんのソロ「ポギーとベス」の練習が残ってしまった。
自宅の鍵を美智子さんに預けて、私は一足お先に仕事に飛んで行った。
全く休憩無しの3時間半、ヴィオラを弾き続けたので、今朝は少々寝坊をした。

次の練習は1週間先で、チェロのトーマスが来るから、もう少し楽に出来ると思う。
うちのレッスン室はまあまあの広さがあるけれど、トーマスが来ると突然小さな部屋になってしまって、人がひしめき合う感じになる。
楽器も人も大きい。音も大きい。
日本のチェリストも上手いけれど、トーマスの音を聴くと全部吹き飛んでしまいそうな気がする。

さて、小田原公演の宣伝です。

12月15日(火)18時開演 小田原市民会館小ホール

モーツアルト「フルート四重奏曲 第4番 イ長調 K.298」
ドヴォルザーク「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 第1楽章」
ベートーヴェン「ピアノ四重奏曲 変ホ長調 WoO36 第1番」
作曲者不明尺八 古典本曲「手向け」
ガーシュイン「ポギーとベス」ハイフェッツ編
エルガー「エニグマ変奏曲作品36」

ドヴォルザークの伴奏とエルガーの原曲はオーケストラ。
それを5重奏曲に編曲した。
編曲と尺八演奏 リチャード・スタッグ
リチャードが尺八を持って袴姿で登場すると、観客席が喜ぶのがわかる。
このアンサンブルの、恒例の演しもの。












2015年12月1日火曜日

帰って来たノラ猫

土曜日、日曜日とノラたちは駐車場に現れず、心配していたけれど、何食わぬ顔で戻ってきた。
しかし、食事の量はぐんと減っている。
一体どこで食べさせてもらっているのだろうか。
猫缶のストックが底をつきそうなので、明日は買い出しにでかけようと思っているけれど、前より量は少なくて済むかも知れない。

やはり土日というのがキーワード、飼い主が居るかも知れないノラたちは、ウイークデーの朝だけ我が家に来るようだ。
ボス猫シロリンはすっかり丸々として気分も落ち着いて、私が手を伸ばしても引っ掻かれなくなった。

以前ならちょっと手を前に出しただけで、フーッと威嚇して歯をむき出したのに、今は平然と餌を食べ続ける。
一向に気にならないどころか、おい、撫でても良いんだぜとばかりに、わざわざ横腹を見せてくる。
最近は頭まで撫でさせて頂ける有り難い状態。

衣食足りて礼節を知ると言うけれど、猫もこれほど変わるものなのか。
この2年ばかり、シロリンは傷が絶えなかった。
目は半分ふさがり、耳は血を流しといった状態が続いた。
縄張り争いの熾烈さを窺い知らされた。
それが最近は毛並みは真っ白。
撫でるとフカフカ。
明らかにシャンプーかブラッシングが施され、こうやって見るとなかなかの美猫。
顔はフーテンの寅さんなみの面白い顔だが、身体が大きく立派にボス猫の素質を持ち合わせている。

猫の世界で雌にもてる雄猫は、美形ではなく、頭が大きくて骨格のしっかりした雄が多い。
以前我が家に通ってきていたパンダちゃんは、白と黒のパンダ模様。
真四角の顔に小さな目。
がに股でのっしのっしと歩く。
その模様と顔がそっくりな子猫が、至る所にいた。
おや、お前もパンダちゃんの息子かえ?と話しかけたものだった。
我が家の近辺は殆どパンダ族が横行していた。

ある日、商店街の途中にある踏切の向こう側で、パンダを見つけた。
その頃、踏切は開かずの踏切に近く、中々電車が途切れない。
それなのに、ずっと無事で線路の向こう側にまで出張していた。

我が家の軒下で餌を与えていたら、川を挟んだ向こう岸の家の奥さんが通りかかった。
「あら、このこ、去年までうちに来ていたのよ。最近来ないから死んだと思っていたら、お宅でご飯もらってるのね」
その去年は私の方が、パンダちゃんは死んだと思っていたのだった。

うまく立ち回って餌を確保するために、ノラ達は日夜努力している。
たいしたものだ。

毎日餌をやっていたノラが、死ぬ間際に挨拶をしに来た事もあった。
そうやって生き物の連鎖がいつまでも途切れないことを祈る。
最近は人も動物も生きにくい世の中なので、ノラ達も迫害に遭っていることだと思う。
でも、猫の生きられない世界なんて、考えただけで不気味だと思いませんか?