2015年6月29日月曜日

ルオムの森のコンサート

北軽井沢に「ルオムの森」というレジャー用施設がある。
そこで我が「雪雀連」の北軽井沢在住組が「3人の会」を開催することとなった。
1人は人形作家のノンちゃんこと田畑さん、映画のプロデューサーだった福間さんは絵を出品、もう1人は織物作家の小形さん。
それは絶対見に行かなくては。
ところで、そこで音は出せるの?ピアノはあるの?と、しゃしゃり出る。
聞けば、条件はそろっている。
ピアノの美里さん、ヴァイオリンの今村さんの3人で押しかけ演奏することになった。

以前から、軽井沢でコンサートをしないかという話しはあった。
小形さんの別荘のリビングで座興に弾いたヴィオラ。
その時偶々小形さんに織物を習いにきていたのが、「ルオムの森」のオーナーだった。
泊めてもらったのが八ヶ岳音楽祭の後だったので、ヴィオラを持っていたからヴィオラのミニコンサート。
それがどうやらお気に召したらしく、コンサートが出来ないかしらねえなどと話しをしていた。

次に訪問したときに、そのオーナーもいて挨拶をしてくれたけど、私は人の顔が覚えられない。
あなた、だれ?と顔に出ていたらしく、ちょっと鼻白んでしまったようだ。
それで立ち消えになったかというとそうでもなく、いつもコンサートの話しが出ては消え出ては消え。
あちらの方達は少し遠慮しているようだ。
世界の中でも一番ギャラの高い演奏家に(アハハ、うそだよ~ん)軽々しく演奏しろとは言えないみたいで。
いえいえ、世界でも最底辺の演奏家としては、一宿一飯の恩義にあずかれば、なんでも演奏しますよ。
なんたって、河原乞食ですから。
とにかく、ここの人達の料理の腕前はプロ真っ青なくらい美味しい。

早くしないと私はもうそろそろ弾けなくなるから、今回はこちらから声をかけた。
お祝いにコンサートしましょうかと押しつけがましく言うと、大喜びで乗ってきた。
ヴァイオリン2人、ピアノ1人居れば充分素敵なコンサートが出来る。

プログラムはまだ決めていないけれど、8月25日、軽井沢方面に避暑に来ていらっしゃる方々は、2時からルオムの森集合ですぞ。

福間さんの愉快な絵と、のんちゃんの人形劇、小形さんの織物。
それに華を添えられるかどうか、もしかしたらぶち壊しになるかもしれないけれど、是非ご来場お待ちしております。
チラシが出来たら貼り付けます。

そして私は明日から、軽井沢のKさんの別荘へ向かう。
女性コントラバス奏者のHさんがお休みが取れたというので、それっとばかりに一緒に遊ぶことになった。
ヴィオリストのKさんとHさんは元オーケストラの仲間で、本当に長い間仲良くしてもらっている。
なにかというと声を掛け合って、遊んだりアンサンブルしたり。
この次はこの人達も巻き込んでしまおうと思っている。
大編成で賑やかになにかできるかも。

2、3日、Kさんの家で猫と、まったり・・・いいなあ。
ついでに北軽井沢に足を伸ばして、ルオムの森の会場の下見が出来る。あちらこちらに私の物ではない別荘があるので、来年辺りはもう少し本格的なコンサートが出来そうな気がしてきた。

・・・とここまでは、今朝までのはなし。
その後思いもかけない展開が。

ヴィオラとコントラバスのお二人にそれとなく都合を訊ねたら、なんと二人とも大乗気。
急遽すごいプログラムになった。
計画としては

ヴァイオリン2本で
  トレッリ「2つのヴァイオリンの協奏曲」
ヴィオラ、コントラバスで
  ディッタースドルフ「ヴィオラとコントラバスの協奏曲」
ピアノでなにか小品を1曲弾いてもらう。
モーツァルト  
  ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲もいいかも。(未定)
もしチェロが見付かれば
  シューベルト「ピアノ五重奏曲 鱒」より4楽章

こんな面白い企画になってしまった。
すごいすごい、これは毎年の恒例にしたい。

明日、ヴィオリストのKさんの家で、飲んだくれながら会議を開いて決めようと思っている。
ちょっと声をかけると、一斉に仲間が駆けつけてくれるのが嬉しい。

11月にはモーツァルト「ディヴェルティメント17番」が弾ける。
これ私の十八番。ホルン2人が調達できた。
時間の都合で抜粋ですが。

なんだか弾きたいと思うと必ず実現するのが、怖いくらい幸運だと思っている。

浅間山が爆発しないよう、幸運が続いてくれるといいのだけれど。





















2015年6月28日日曜日

顔が覚えられない

昨日のコンサート会場で出会った人達。
どこの会場へ行っても誰かしら知り合いがいるので、油断も隙もない。
必ず誰かに見られている。
ところが私ときたら、人の顔を覚えられない。
これも一種の障害ではないかと思えるくらい。

近所の猫はちゃんと覚えられる。
人に興味が無いからかも知れないけれど、どうやら色彩に反応できるけれど、形状の記憶が苦手といったところではないかと思う。
猫は三毛や白、トラ、黒など、毛色で分かる。
人間はよほど特徴が無い限りだめで、久しぶりに会った(らしい)人に「わあ、懐かしい、お元気」と言われて「あ、どうも、はい」なんて応えていたら「あなた覚えてないのね、ひどいわ」と言われてしまったことがある。
そう言うときに上手く立ち回れないのは処世術に長けていないからで、昨日もそんなことがあった。

顔が合った時にこちらを見てニコニコしている男性がいた。
はて、この顔知ってる(かな?)
初めて会う人ではなさそう。
でも、時々やらかすのは「こーんにちわー」なんて調子よく挨拶したら全くの人違いなんてのもあるので、まずは警戒。
狭いロビーで何回もすれ違う。
そのたびに目が会ってニッコリ。
軽く会釈。
誰だっけ誰だっけ、うっかり話しをするとボロが出るからと逃げ回っていたら、あちらから「この間はどーも」
ついに「いつおめにかかりましたっけ」訊いてしまった。
「先日お宅で兵士の物語を聴きましたよ」
あら、嫌だ、その時のピアニストのご主人様。
何十年も前からの知人でした。

そして休憩時間がすんで座席に戻ると、隣に座っていた太武郎君のお母さんがその隣の人とお話をしている。
この人も・・・どこか・・・で
あちらから名刺を差し出してきた。
この時は強気で「初対面ではないですよね、どちら方面でお仕事ですか?」と訊いてみる。
「主に横浜で」と答えが。
「よくイギリス館のコンサートに行きました」
あらま、イギリス館でなら何十、いや百回越えるくらいは演奏している。
そうすると、昔の恥ずかしい演奏を聴かれているにちがいない。
ずいぶんヘマしたし。きゃー
忘れてください、よろしく。

来月高校のクラス会があるけれど、少し心配なのは、誰だかさっぱり分からないのではないか。
それは高校卒業以来という人なら仕方がないと思ってもらえるけれど、一昨年クラス会で東北に行って2日間一緒だった人達の顔が分からなかったら、それこそ袋だたき。
それが恐怖!!!













2015年6月27日土曜日

安原太武郎オーボエリサイタル

太武郎くん、カタカナで書くとタブロー、フランス語で絵画のことらしい。
オシャレですね。
ご両親が芸術家なので、こういう名前がつけられたけれど、お母さんの話では「間違えて、ぶたろう君なんていわれるのよ」
お母さんは私の長年の相棒として一緒に室内楽を楽しんできた仲間で、これは息子さんの幼稚園の頃の話し。

お父さんはオーボエ、お母さんはヴァイオリンの音楽一家。
ご両親はかつてドイツのオーケストラで活躍、息子さんもドイツで大学院を卒業して現在セントラル愛知交響楽団メンバー、名古屋芸術大学などで教えている。ロストロポーヴィッチ・コンサートキャラバン、サイトウ・キネン・フェスティバル松本等々のコンサートに出演している。
かながわ音楽コンクール管楽器部門第一位。

すっかり次世代の演奏家の時代になったとの印象が濃い。
友人の息子さんが立派な音楽家として演奏するのは、とても嬉しい。

テレマン   無伴奏オーボエのための12の幻想曲より第3番
ミヨー    オーボエとピアノのたっめのソナチネ 作品337
カリヴォダ  コンチェルティーノ作品110
ブリテン   世俗的変奏曲
プーランク  ピアノ、オーボエ、ファゴットのための三重奏曲

オーボエは東洋的な哀愁を帯びた表情と、鋭角的な現代的な鋭さを持ち合わせた魅力的な音で私たちを魅了する。
管楽器の中でも独特の個性の強さが見られる。
オーケストラのチューニングでオーボエのA音が聞こえると、もうそこからコンサートは始まる。
子供の頃から、あのチューニングのA音を聞くと、わくわくしたものだった。

特にオーボエ用に作られた曲は少なくて、ロマン派の曲は殆ど無いらしい。
今日もバロックと現代物ばかり。
こうやって聴いてみると、バロックは柔らかく現代物は鋭く、けっこうオーボエという楽器の特性に合っているようだ。
お父さんも名手だったけれど、息子さんもさすがの腕前。

最初のテレマンは随分緊張していたようで、しかも無伴奏だったために息継ぎがすごく難しい楽器だというところが見えて、少しはらはらした。
オーボエは息がこれでもかと言うほど長い。
どこまで息を吸わないで居られるのだろうかと、心配する。
まあ、これは余計な心配だけれど、息を沢山使わないので余ってしまって、苦しいのだそうだ。

彼は音そのものも素晴らしいけれど、音楽家の両親から受け継いだ音楽性がごく自然にわき上がってくるので、これ見よがしの所がなく非常に良かった。
私は赤ちゃんの頃の彼に会っている。
あの赤ちゃんがこうして立派な音楽家に育って、こんな良い音を聴かせてくれるとは・・・
少しジーンときた、嬉しいコンサートだった。














2015年6月26日金曜日

フォーレ 「レクイエム」

今年10月の八ヶ岳音楽祭の演し物は、
        レスピーギ「ローマの謝肉祭」
        フォーレ 「レクイエム」 
        フランク 「交響曲2番」

早々と楽譜が送られてきた。
いそいそと封を切って、早速譜読みを始めた。
まだずっと先の事なのに、私は新しい曲の譜読みが大好きで、読み終わると飽きてしまうのだけれど、どれくらい弾けないかを試す意味もあって、来たらすぐに弾いてみる。
問題の箇所をチェックして、そこを重点的に練習する。
この作業はいつでもわくわくする。

ところで今年は私はヴァイオリン、ヴィオラの両刀遣い。
フォーレのヴィオラパートとフランクはファーストヴァイオリン。
両方弾いてくれと。
私に頼むのは筋違い。
メンバーに両刀遣いの優秀な人は何人もいる。
それでも、気易くおっちょこちょいに引き受けるのは私くらいだから、頼みやすいらしい。
なんで引き受けたかというと、フォーレのヴィオラパートはかねてから私の垂涎の的だった。
いつもヴァイオリンの席からヴィオラの旋律を聴きながら、いいなあ、弾きたいなあと指をくわえていた。
それを弾かせてもらえるならと、二つ返事で引き受けた。

幸い私は楽器が変わると、自然に脳みそのスイッチがパチンと切り替わってしまう。
車の右ハンドル左ハンドルも、車の右側通行も、外国へ行くとなんなく切り替わる。
だから殆ど苦労せず両方の操作ができる。
ものごと全ていい加減に流せるので強い!
生真面目に悩むことは滅多にない。

大喜びで寝ているヴィオラを起し、これこれ出番だよ。

久しぶりで弾くとやけに良い音がする。
うーん、やっぱりヴィオラ大好き。
でも、楽譜を見るとイメージと大分違う。
あれ、なんか変だなあ。
あの旋律はどこ?時々浮上する知ったメロディー、でも続かない。
え、こんなだったっけ。
もう少し滔々とメロディーが流れていたような気がするのに。

そうか、やはり第2ヴィオラもチェロもいて、ヴァイオリンがあって、それでヴィオラが引き立つんだ。
上手く作られているのだ。
ちょっと期待外れだったけれど、それでもやはり嬉しい。
長年弾きたいと望んでいたパートが弾けるのだから。

そう言えば、ベートーヴェン「第九」
3楽章のアダージオに、セカンドヴァイオリンの素敵な旋律がある。
ずっとファーストヴァイオリン弾いていた私は、そこのメロディーが弾きたくてウズウズしていた。
練習の時はその部分を一緒に弾いたりしていたけれど、まさか本番では弾くことは出来ないので、コンサートマスターに頼みに行った。
セカンドヴァイオリンを弾かせてくださいと。
コンマスは渋っていたけれど、何回もお願いしてやっとセカンドヴァイオリンを弾くことになった。
晴れて第九の3楽章のセカンドヴァイオリンを弾けて、本当に嬉しかったことを思い出す。

その後はオケの中の放浪児。
セカンド弾いたりヴィオラ弾いたり、ファーストに戻ったり。
それはそれで面白い経験だった。
他のパートが何をしているのかが良く分かった。
セカンドヴァイオリンやヴィオラは、主に木管楽器と連携プレーをしている。
ヴィオラは特にファゴットなどと関係が深く、すごく楽しい。
その場に行ってみないと、こういうことは分からない。

今はファーストでなければ弾けない。
内声はとても難しくて、気軽には弾けない。
もう考えるのが面倒くさいので、ファーストが一番。
チェロ、ヴィオラ、セカンドが苦労して作った台のうえで、いい気分で歌って居ればいいのだから。
ファーストヴァイオリンが一番気楽なのを、皆さんご存じかしら。
数年前にセカンドのトップをやらされたときのことは、思い出すのも嫌なくらい大変だった。
馴れてしまえばいいのかもしれないけれど。






































2015年6月25日木曜日

きれいなお花

今朝モヤに届いたお花。モヤはこれ鰹節味?なんて言うかも。

彼らも人間だった

1日の大半を笑って過ごしている私は、男性でイギリス人でハンサムであったとしても、絶対なれない職業が近衛兵だと思っていた。
彼らは誰がどんなに笑わせようとしても、絶対に笑わないと聞いていたけれど、この動画を見たら、そんなのは嘘っぱちだった。
ちょっと安心。しかし、こんな所を動画にされて、彼らの職業上の問題がおきなかったかどうか、心配。




2015年6月24日水曜日

モヤは散歩に出てしまいました。

今朝フラッと散歩に出てもう帰らないと言うから、長いことうちに居てくれてありがとうと言って送り出した。

昨日朝、水を飲ませようとしたら、全力で拒否してきた。
ああ、もうこれはダメだと思ったので、静かに寝かせてあげた。
夜になっても、もう起きることはなくて、明け方にはまだ息をしていたけれど、その後すぐに亡くなったらしい。
私は明け方特に眠りが深くなるので、一旦息をしているのを確認した後は安心して眠ってしまった。
その間にひっそりと逝ってしまった。

モヤはいつもそうだった。
ひっそりと、涼やかに、楽しげに生きていた。
夜中に何回か私を呼ぶ声で目が醒めて側に行くと、目を開けてしばらくこちらを見るけれど、たぶんもう見えて居なかったと思う。
モヤは元々酷い眼病を患っていたところを保護したので、若い頃から目は白濁していた。
視力は極端に悪いようで、それでも持ち前の勘の良さで家中を飛び回っていた。

母が入院していた市立病院の庭で、目をピンポン球くらいに腫らして、それでも蝶々を追いかけて遊んでいた。
獣医さんに連れて行くと、治療が終ってから「ここまでしたら飼うっきゃないよね」とヒゲの先生に言われ、うちの子になった。
治療しても目は白く濁ったまま。
わずかに左目が少し見えて居るようだった。
ヒゲ先生が記録したカルテには、保護したのが17年前と書いてあった。
保護したとき何歳かはわからないけれど、17歳は越えている。

少し喘息の気があって、低気圧が来る前にはゼイゼイと息が苦しそうだった。
私の枕で寝るのが好きだったのに、横暴なたまさぶろうが追い出すので、だんだん来なくなった。

一昨日、珍しくしばらく私の枕で寝てくれた。
ペーストを美味しそうになめてくれたり、鰺を食べたがったり、紐で遊んでくれたり、元気になるかなと思っていたけれど、あれは最後の親孝行だったのだ。
私が喜ぶので、そうしてくれたのかな。

この1ヶ月「モヤちゃんお願いだから食べて」と言ってエサを食べるように強要したのは、ひどいことだったかもしれない。
知らん顔して、静かに過ごさせてあげれば良かったかもしれない。
いつでも悔いは残る。
どの猫にも完璧にしてあげたという満足感はない。

自分の死にたいする心構えは、猫たちが教えてくれた。
ムダな治療は拒否して、自然に消えようと思っている。
モヤ、沢山の幸せをありがとう。
モヤがいてくれたから、私はすごく助けられた。
モヤとは猫と飼い主の枠を越えた、強い絆を感じる。

さきほど、たまさぶろうと同じ霊園にお願いしたけれど、モヤはたまが嫌いだったから今頃文句を言っているかもしれない。
たまはモヤが来て喜んで傍によっていって、猫パンチを頂戴したかも。
仲良くやってね、2人とも。