明日、イギリスからロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんと、フルート奏者のリチャードが来日する予定。
ヴァイオリンのタマーシュ、ヴィオラのジェニファ、チェロのトーマスは少し遅れて到着。
地方での公演が終ると、13日東京文化会館、14日横浜美術館レクチャーホールでのコンサートがある。
タマーシュとジェニファはそこまでで、次のコンサートのために帰国、トーマスと他の2人は残って、小田原では同じプログラムで演奏する。
帰国した2人の後は、ヴァイオリンの志帆さんと私が加わる。
3日に少し楽譜をあたっておこうと、小田原公演の出演者が集まって練習することになった。
小田原で私はヴィオラを弾く。
昨日までヴァイオリンを弾いていたから、ヴィオラを取り出して鳴らすと、音が出ない。
楽器が大きいから鳴るようにするのに時間がかかる。
なんたって私は人間の中では超小型なのだから、それはもう大変なのだ。
ピアティゴルスキーがチェロを首に挟んだ話しは先日の投稿でしたけれど、私がヴィオラを挟むと、ちょうどそのくらいの感じになる。
1時間くらいすると、やっとヴィオラらしく鳴ってきた。
私はヴィオラが好きで、ヴィオラの音はよく他人から褒められる。
音は素晴らしい、でも・・・
この「でも」さえなければ。
シェーンベルク「浄められた夜」のソロヴィオラを弾いたときには、一緒に弾いたミュンヘンフィルのコンマスから毎回練習の度に言われた。
貴女の音はベリービューティフル!、しかし遅れる。
音の立ち上がりが遅れてしまうのを注意されて、発音を随分練習した。
そういう練習が私たち弦楽器にはとても大切なことで、音と音程を作るところから始めるので、弦楽器はものになるのに時間がかかる。
小さい頃から長く辛い練習をしなければならないのはそのためで、その前に辛抱できずにやめてしまう人も多いけれど、本当はそこが最も魅力的なのだ。
弦楽器はどんなに頭が良くても、向かない人はどうしても上手くならないという不思議な楽器で、他の楽器が素晴らしく上手いのに、ヴァイオリンはダメという人もいる。
全くとりとめのない所が難しいのかも。
音程も運弓も自由すぎるのが、ワケが分からないのかもしれない。
だからといって他の楽器に比べて特に難しいとかではなく、演奏者を選ぶワガママな楽器なのかとも思う。
ヴァイオリンに選ばれた人々は、何の苦もなく弾く。
タマーシュがその1人で、易々と楽器を操る姿を見ると、ハンガリーの血がそうさせるのではないかと思う。
勿論練習は血のにじむほどしないとそうはならないにしても、いくら練習してもダメな人は、ヴァイオリンに拒否されていると思わないといけない。
そこが辛いところ。
私はある日はヴァイオリンに好かれていると思うのに、次の日は嫌われて居ることも多い。
にわかヴィオラ奏者がどこまでヴィオラの音が出せるか、そこが今回の一番の課題になる。
初めて演奏する「エニグマ」がすごく楽しみであり、多少不安でもある。
2015年11月30日月曜日
2015年11月29日日曜日
関東学院大学オーケストラ定期演奏会
第11回めの定期演奏会。
シベリウス 交響詩「フィンランディア」
チャイコフスキー 「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」
シベリウス 「交響曲第2番 ニ長調」
ヴァイオリン 碓井志帆
指揮 安東裕躬
最初の頃は心許なかったこのオーケストラも、立派に成長した。
はじめは人数も少なく、オーケストラとして成り立つのかと思ったけれど、数年前にはブラームスのシンフォニーが演奏出来るくらい、目を見張るような発展ぶり。
先生方のすぐれた指導力もさることながら、学生たちの努力が実を結んだと言える。
大学に入って、初めて弦楽器を持ったという人もいる。
そんなひと達をここまで弾かせてしまうのは、やはりオーケストラの魅力というか魔力のせいだと思う。
1人では絶対に出せない音の厚みと色彩が、オーケストラの魅力なのだ。
音の洪水に呑みこまれた瞬間の喜びは、なにものにも代えがたい。
たまに、私もオーケストラ時代に、今この場で死んでも良いと思う程の感激を味わうことがあった。
1度その音を知ってしまうと、このあといつ味わうことが出来るかもわからないのに、その音に遭遇することが目的となって辛い練習にも耐えられた。
音は不思議なもの。
人のハートをギュッと捕らえて放さない。
私は毎年、演奏会のお手伝いをさせてもらっていたので、顔なじみのメンバーも沢山いる。
わざわざ地方から演奏会のためにはせ参じる卒業生たち。
就職しても、オーケストラをやっていた頃の思い出は、彼らの心の支えとなっているのかもしれない。
今年はシベリウスの交響曲がメインだけれど、若者の心に響くこの曲が彼らになんと合っていることか。
情熱、悩み、憂鬱、歓喜、すべての要素が若さの象徴の様に思える。
オーケストラを体験できたことは、彼らのその後の人生を豊に彩ってくれると思う。
今回の協奏曲のソリスト碓井さんは、12月のロンドンアンサンブル小田原公演のヴァイオリン奏者。
ヴァイオリンのタマーシュの帰国後、同じプログラムで演奏する。
彼女はロンドン留学後、帰国して結婚して出産してと、大忙しの中で演奏を続けている。
いまや2児の母親として頑張っている。
以前は育ちの良いお嬢様という感じだった彼女も、母親の強さを身につけてきた。
堂々とした演奏ぶりは、芯の強さを感じさせられた。
見事なソロを聴かせてもらえて、こちらも緊張しながらも伴奏を楽しんだ。
チャイコフスキーが終って、まだシンフォニーが残っているのに、すでに泣いている学生がいた。
今年卒業してしまうのだろうか。
オーケストラと青春とに別れを告げて、社会に旅立っていく彼らの前途に幸せが沢山ありますように。
シベリウス 交響詩「フィンランディア」
チャイコフスキー 「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」
シベリウス 「交響曲第2番 ニ長調」
ヴァイオリン 碓井志帆
指揮 安東裕躬
最初の頃は心許なかったこのオーケストラも、立派に成長した。
はじめは人数も少なく、オーケストラとして成り立つのかと思ったけれど、数年前にはブラームスのシンフォニーが演奏出来るくらい、目を見張るような発展ぶり。
先生方のすぐれた指導力もさることながら、学生たちの努力が実を結んだと言える。
大学に入って、初めて弦楽器を持ったという人もいる。
そんなひと達をここまで弾かせてしまうのは、やはりオーケストラの魅力というか魔力のせいだと思う。
1人では絶対に出せない音の厚みと色彩が、オーケストラの魅力なのだ。
音の洪水に呑みこまれた瞬間の喜びは、なにものにも代えがたい。
たまに、私もオーケストラ時代に、今この場で死んでも良いと思う程の感激を味わうことがあった。
1度その音を知ってしまうと、このあといつ味わうことが出来るかもわからないのに、その音に遭遇することが目的となって辛い練習にも耐えられた。
音は不思議なもの。
人のハートをギュッと捕らえて放さない。
私は毎年、演奏会のお手伝いをさせてもらっていたので、顔なじみのメンバーも沢山いる。
わざわざ地方から演奏会のためにはせ参じる卒業生たち。
就職しても、オーケストラをやっていた頃の思い出は、彼らの心の支えとなっているのかもしれない。
今年はシベリウスの交響曲がメインだけれど、若者の心に響くこの曲が彼らになんと合っていることか。
情熱、悩み、憂鬱、歓喜、すべての要素が若さの象徴の様に思える。
オーケストラを体験できたことは、彼らのその後の人生を豊に彩ってくれると思う。
今回の協奏曲のソリスト碓井さんは、12月のロンドンアンサンブル小田原公演のヴァイオリン奏者。
ヴァイオリンのタマーシュの帰国後、同じプログラムで演奏する。
彼女はロンドン留学後、帰国して結婚して出産してと、大忙しの中で演奏を続けている。
いまや2児の母親として頑張っている。
以前は育ちの良いお嬢様という感じだった彼女も、母親の強さを身につけてきた。
堂々とした演奏ぶりは、芯の強さを感じさせられた。
見事なソロを聴かせてもらえて、こちらも緊張しながらも伴奏を楽しんだ。
チャイコフスキーが終って、まだシンフォニーが残っているのに、すでに泣いている学生がいた。
今年卒業してしまうのだろうか。
オーケストラと青春とに別れを告げて、社会に旅立っていく彼らの前途に幸せが沢山ありますように。
2015年11月28日土曜日
消えたノラ達
今朝少し寝坊して、起床が8時近くになってしまった。
ノラ達がお腹を空かせて、さぞ怒っていることと慌てて飛び起きた。
いつもの通り3個の餌箱を抱えて駐車場に行くと、誰もいない。
最近、あれほどいつもお腹を空かせているノラさんたちが、餌を食べ残すようになった。
空腹では可哀相だからと、うちの猫よりもどっさりと大盛りにしているので、食べきれないのは歳をとったせいかなと思っていたけれど、どうやら、どこか他の飼い主を見つけたものとみえる。
それはそれで、私の負担が少なくなるから助かるけれど、その人が気まぐれでやっているのなら困る。
ノラといえども一生面倒を見る覚悟がないと、はじめからやってはいけない。
特に土日にはボス猫シロリンは現れないことが多い。
餌をやっているのは会社にお務めで、土日が休みの人と推測している。
もしかしたら本来のシロリンの飼い主さんかも。
その辺の事情はいくら私が猫語に精通していても、聞き出すことは不可能だから、明日も一応の用意はしておく。
近所の駐車場の片隅で、毎日ノラ猫を可愛がっているご婦人がいる。
冷たいコンクリートの床にノラ猫と一緒に座って、餌をやったり撫でさすったりしている。
ノラもその人だけには良く懐いている。
しかし、最近のこの寒さ。
そのおばあさんは腰も曲がり、足もよくないというのに冷たい所では、身体に悪い。
最近ノラと一緒にとぼとぼ歩いているのに出くわした。
この子の面倒が見られなくなったら、私が引き取るからと申し出たけれど、ノラ猫を捕まえられるかどうか。
娘さんの家に厄介になっているので、猫に餌をやっていることを娘に知られたらお小遣いがもらえなくなると、心配している。
暖かいうちは良いけれど、この先冬になったらどうするのだろうか。
早く手を打たないと、ノラもおばあさんも可哀相なことになる。
私も毎日その場所に行くわけではなく、仕事が忙しくなれば他人のことは構っていられない。
とにかく私はそのノラの飼い主になる覚悟はしているから、ヒマな日にもう一度話してみようと思っている。
4匹のうち3匹が死んで、たった1人残された今のうちの猫。
今まで愛情の谷間にいてあまり構ってもらえなかったのが、今や飼い主を独専できて我が世の春。
すっかり甘えん坊になっている。
そこへ又、気の強いノラ猫が来たら可哀相とも思うし、そのノラは何年もノラをやってきた子なら、この先も上手く生きていけるかとも思うし、なかなか複雑な思いでいる。
さて、うちのノラ達は明日は現れるだろうか。
まさか猫獲りに掴まったなんて事は・・・
心配の種は尽きない。
ノラ達がお腹を空かせて、さぞ怒っていることと慌てて飛び起きた。
いつもの通り3個の餌箱を抱えて駐車場に行くと、誰もいない。
最近、あれほどいつもお腹を空かせているノラさんたちが、餌を食べ残すようになった。
空腹では可哀相だからと、うちの猫よりもどっさりと大盛りにしているので、食べきれないのは歳をとったせいかなと思っていたけれど、どうやら、どこか他の飼い主を見つけたものとみえる。
それはそれで、私の負担が少なくなるから助かるけれど、その人が気まぐれでやっているのなら困る。
ノラといえども一生面倒を見る覚悟がないと、はじめからやってはいけない。
特に土日にはボス猫シロリンは現れないことが多い。
餌をやっているのは会社にお務めで、土日が休みの人と推測している。
もしかしたら本来のシロリンの飼い主さんかも。
その辺の事情はいくら私が猫語に精通していても、聞き出すことは不可能だから、明日も一応の用意はしておく。
近所の駐車場の片隅で、毎日ノラ猫を可愛がっているご婦人がいる。
冷たいコンクリートの床にノラ猫と一緒に座って、餌をやったり撫でさすったりしている。
ノラもその人だけには良く懐いている。
しかし、最近のこの寒さ。
そのおばあさんは腰も曲がり、足もよくないというのに冷たい所では、身体に悪い。
最近ノラと一緒にとぼとぼ歩いているのに出くわした。
この子の面倒が見られなくなったら、私が引き取るからと申し出たけれど、ノラ猫を捕まえられるかどうか。
娘さんの家に厄介になっているので、猫に餌をやっていることを娘に知られたらお小遣いがもらえなくなると、心配している。
暖かいうちは良いけれど、この先冬になったらどうするのだろうか。
早く手を打たないと、ノラもおばあさんも可哀相なことになる。
私も毎日その場所に行くわけではなく、仕事が忙しくなれば他人のことは構っていられない。
とにかく私はそのノラの飼い主になる覚悟はしているから、ヒマな日にもう一度話してみようと思っている。
4匹のうち3匹が死んで、たった1人残された今のうちの猫。
今まで愛情の谷間にいてあまり構ってもらえなかったのが、今や飼い主を独専できて我が世の春。
すっかり甘えん坊になっている。
そこへ又、気の強いノラ猫が来たら可哀相とも思うし、そのノラは何年もノラをやってきた子なら、この先も上手く生きていけるかとも思うし、なかなか複雑な思いでいる。
さて、うちのノラ達は明日は現れるだろうか。
まさか猫獲りに掴まったなんて事は・・・
心配の種は尽きない。
2015年11月27日金曜日
美しい晩秋
今日来た生徒がレッスン室に入ってくるなり、きれいな日ですねえと嬉しそうに言う。
昨日の冷たい雨模様に比べて、今日は晴れて雲一つない天気。
今朝公園に散歩に行ったとき、まだ半分ほどしか紅葉していないプラタナスが、黄色と緑の混じった葉を風にそよがせているのをうっとりと見あげた。
空はもうすっかり晩秋の空で、柔らかい日差しが葉の間からこぼれて、暖かいまだら模様となって、歩道を照らす。
晩秋にはブラームスが良く似合う。
さて、私の人生も晩秋で、オーケストラの仕事も来年の分からはお断りすることに決めた。
そして音楽教室も今年いっぱいで、生徒達を他の先生にお願いすることにした。
この教室は、小田部ひろのさんが立ち上げた時から、ずっと一緒に頑張ってきた。
今から20年以上前のこと。
彼女が数年前亡くなったときに、私の心も一緒にどこかへ飛んで行ってしまったような気がして、すぐにも辞めるつもりだったけれど、生徒達のやる気に押されて、今まで決心がつかなかった。
それでも、とても素晴らしいヴァイオリニストが後を継いでくれることになって、肩の荷が降りた。
教室は創立時の様な活気に満ちたものではなく、今や安定期、落ち着いてゆったりした雰囲気となってきている。
けれど、私はあのシッチャカメッチャカだった創立当時の雰囲気がなによりも好きだった。
小田部さんは、太陽の様な人だった。
彼女も私も、ものすごく気が強く、顔を合わせれば喧嘩していたけれど、たいていいつも一緒に悪だくみをして面白いことを探していたので、教室はいつも笑いに充ちていた。
一緒にアマチュアオーケストラを立ち上げたのに、彼女がさっさと亡くなってしまったので、私もつっかい棒が外れたようになってしまった。
今いる生徒達はとても頑張って上手になってくれたけど、私の方はどんどんパワーが無くなっていく。
そのギャップが、きびしい。
今は私は、本当に好きな曲を毎日弾いて暮したいと思っている。
誰に聴いてもらうでもないけれど、まだまだ弾き残した協奏曲や、ソナタなど沢山あるので、一つずつ片づけていきたい。
積ん読の本も、読破したい。
ハリー・ポッターを完読しないといけないし、ああ、忙しい。
私の人生の晩秋は、楽しみがありすぎて困るくらい。
こんな落ち着きのない晩秋には、ブラームスは似合わない。
やはり、モーツァルトしかない。
先日東北のチェロフェスタで弾いた「ディヴェルティメント17番」は弾いていて楽しくて踊りたいくらいだった。
終わったら聞いている人達からワーッと歓声が上がって、総立ちで拍手してくれた。
もしかして「敬老の日」ではなかった?。
もしかしたら、ああ長かった、やれやれ、やっと終ったという喜びの表現だったのかしら?
だんだんひねくれてきたようで、こういう年寄りにはならないように気をつけましょう。
昨日の冷たい雨模様に比べて、今日は晴れて雲一つない天気。
今朝公園に散歩に行ったとき、まだ半分ほどしか紅葉していないプラタナスが、黄色と緑の混じった葉を風にそよがせているのをうっとりと見あげた。
空はもうすっかり晩秋の空で、柔らかい日差しが葉の間からこぼれて、暖かいまだら模様となって、歩道を照らす。
晩秋にはブラームスが良く似合う。
さて、私の人生も晩秋で、オーケストラの仕事も来年の分からはお断りすることに決めた。
そして音楽教室も今年いっぱいで、生徒達を他の先生にお願いすることにした。
この教室は、小田部ひろのさんが立ち上げた時から、ずっと一緒に頑張ってきた。
今から20年以上前のこと。
彼女が数年前亡くなったときに、私の心も一緒にどこかへ飛んで行ってしまったような気がして、すぐにも辞めるつもりだったけれど、生徒達のやる気に押されて、今まで決心がつかなかった。
それでも、とても素晴らしいヴァイオリニストが後を継いでくれることになって、肩の荷が降りた。
教室は創立時の様な活気に満ちたものではなく、今や安定期、落ち着いてゆったりした雰囲気となってきている。
けれど、私はあのシッチャカメッチャカだった創立当時の雰囲気がなによりも好きだった。
小田部さんは、太陽の様な人だった。
彼女も私も、ものすごく気が強く、顔を合わせれば喧嘩していたけれど、たいていいつも一緒に悪だくみをして面白いことを探していたので、教室はいつも笑いに充ちていた。
一緒にアマチュアオーケストラを立ち上げたのに、彼女がさっさと亡くなってしまったので、私もつっかい棒が外れたようになってしまった。
今いる生徒達はとても頑張って上手になってくれたけど、私の方はどんどんパワーが無くなっていく。
そのギャップが、きびしい。
今は私は、本当に好きな曲を毎日弾いて暮したいと思っている。
誰に聴いてもらうでもないけれど、まだまだ弾き残した協奏曲や、ソナタなど沢山あるので、一つずつ片づけていきたい。
積ん読の本も、読破したい。
ハリー・ポッターを完読しないといけないし、ああ、忙しい。
私の人生の晩秋は、楽しみがありすぎて困るくらい。
こんな落ち着きのない晩秋には、ブラームスは似合わない。
やはり、モーツァルトしかない。
先日東北のチェロフェスタで弾いた「ディヴェルティメント17番」は弾いていて楽しくて踊りたいくらいだった。
終わったら聞いている人達からワーッと歓声が上がって、総立ちで拍手してくれた。
もしかして「敬老の日」ではなかった?。
もしかしたら、ああ長かった、やれやれ、やっと終ったという喜びの表現だったのかしら?
だんだんひねくれてきたようで、こういう年寄りにはならないように気をつけましょう。
2015年11月26日木曜日
寒くなって
今朝ノラの食堂(駐車場)に行ったらボス猫は居なくて、ミッケが1人寒そうに待っていた。
私は少し疲れが出て寝坊したので、ボスは待ちきれずに他のえさ場に行ったのか、本来の飼い主の元で食べているのか。
ノラだと思っているけれど、実は飼い主が居るなんてことが良くあるので、最近のシロリンの毛並みの良さは、それを表して居るのかとも思える。
ノラたちはたいてい保険が掛けてあって、ここの餌場が留守ならこちらへと移動しているものと思われる。
特に力の強い雄猫は、縄張りの中で2,3軒は渡り歩いていると思う。
動物、特に猫が楽器を演奏する絵で有名な雨田さんは、昔、白とグレーのきれいな猫を飼っていたけれど、ある日外で自分の飼猫に出会ったら、よその奥さんが全く別の名前で呼んでいてビックリしたそうだ。
私の家には彼の絵が沢山ある。
オーケストラの練習場にフラリと遊びに行ったら、楽団員の休憩所にコーヒーメーカーが置いてあって、コーヒーが自由に飲めるようになっていた。
そこに猫の絵が貼ってあった。
一目惚れして「誰が描いたの?」と聞いたら、チェリストの雨田さんだというので、さっそく直談判に及んだ。
初対面の私の顔をジッと見据えるその目は、明らかに画家の目だった。
数枚のヴァイオリンを弾く猫を描いてもらった御礼は、紅茶とクッキー。
その時はまだ、雨田さんはプロの絵描きさんではなかったから。
雨田さんの自画像を描いてとお願いしたら、子狸がチェロを持っている絵・・・似てるかも。
その数年後、彼はプロとして猫の絵を売り出して、大変な人気画家となった。
プロとなってからも何枚も描いてもらい、時々お宅にもお邪魔した。
私の生徒が受験で神経質になっているときに、励ますつもりで描いてもらった猫が勉強している絵は、生徒にあげるのが惜しくなって私の部屋に飾ってある。
さいわい、生徒は受験に合格したから良かったけれど。
最近うちの(?)ボス猫シロリンは、毛並みもツヤツヤ、やっと撫でることのお許しが出たので撫でると、絹のような感触。
顔はフーテンの寅さんみたいだけれど、すっかり身ぎれいになっているから、本当に飼い主が見付かったのかも知れない。
それでも朝食は私のうちで摂ることにしているようだ。
ところが今日は今季一番の寒さ。
コンクリートの床で震えながら待っているのは辛いので、他の家に行ったらしい。
うちで食べていただけるようにと、私は慌てて物置の中の段ボールに猫ベッドを置いた。
もう一つの段ボールにはすでにアンカを入れて、温めてある。
猫のみなさん、ようこそ。
どうぞねこたま食堂で、ご飯をお召し上がり下さい。
寒いときにはお部屋の方で、お温まり下さい。
私は少し疲れが出て寝坊したので、ボスは待ちきれずに他のえさ場に行ったのか、本来の飼い主の元で食べているのか。
ノラだと思っているけれど、実は飼い主が居るなんてことが良くあるので、最近のシロリンの毛並みの良さは、それを表して居るのかとも思える。
ノラたちはたいてい保険が掛けてあって、ここの餌場が留守ならこちらへと移動しているものと思われる。
特に力の強い雄猫は、縄張りの中で2,3軒は渡り歩いていると思う。
動物、特に猫が楽器を演奏する絵で有名な雨田さんは、昔、白とグレーのきれいな猫を飼っていたけれど、ある日外で自分の飼猫に出会ったら、よその奥さんが全く別の名前で呼んでいてビックリしたそうだ。
私の家には彼の絵が沢山ある。
オーケストラの練習場にフラリと遊びに行ったら、楽団員の休憩所にコーヒーメーカーが置いてあって、コーヒーが自由に飲めるようになっていた。
そこに猫の絵が貼ってあった。
一目惚れして「誰が描いたの?」と聞いたら、チェリストの雨田さんだというので、さっそく直談判に及んだ。
初対面の私の顔をジッと見据えるその目は、明らかに画家の目だった。
数枚のヴァイオリンを弾く猫を描いてもらった御礼は、紅茶とクッキー。
その時はまだ、雨田さんはプロの絵描きさんではなかったから。
雨田さんの自画像を描いてとお願いしたら、子狸がチェロを持っている絵・・・似てるかも。
その数年後、彼はプロとして猫の絵を売り出して、大変な人気画家となった。
プロとなってからも何枚も描いてもらい、時々お宅にもお邪魔した。
私の生徒が受験で神経質になっているときに、励ますつもりで描いてもらった猫が勉強している絵は、生徒にあげるのが惜しくなって私の部屋に飾ってある。
さいわい、生徒は受験に合格したから良かったけれど。
最近うちの(?)ボス猫シロリンは、毛並みもツヤツヤ、やっと撫でることのお許しが出たので撫でると、絹のような感触。
顔はフーテンの寅さんみたいだけれど、すっかり身ぎれいになっているから、本当に飼い主が見付かったのかも知れない。
それでも朝食は私のうちで摂ることにしているようだ。
ところが今日は今季一番の寒さ。
コンクリートの床で震えながら待っているのは辛いので、他の家に行ったらしい。
うちで食べていただけるようにと、私は慌てて物置の中の段ボールに猫ベッドを置いた。
もう一つの段ボールにはすでにアンカを入れて、温めてある。
猫のみなさん、ようこそ。
どうぞねこたま食堂で、ご飯をお召し上がり下さい。
寒いときにはお部屋の方で、お温まり下さい。
2015年11月24日火曜日
空飛ぶ団子
今朝、東北旅行のお土産を持って姉の家に行った。
コーヒーを淹れてもらって飲もうとした時、姉が私の顔をみて「あらっ、顔むくんでるわよ。鏡見てご覧」
それで急いで姿見を覗き込むと、別に変わりない、いつもと同じ顔が。
「これ、普段と同じ」と言ったら「そうお?」疑わしげに言う。
確かに、昨日まで3日間、東北は奥州市で忙しく弾いたり遊んだり、そして飲んだり食べたりが激しかったから、多少のむくみはあるかもしれないけれど、そんなにビックリされるようなむくみ方ではない。
元々こういうジャガイモのような顔なのだ。
なんで姉が気にするかというと、私は子供のころから腎臓に弱みがあって、今では腎臓に空洞があるそうなのだ。
それはとりたててどうこう言うものではなく、加齢によるものらしい。
疲れると腎臓に負担がかかって、むくみやすい体質であるのは確かで、子供の頃私が急性腎炎を発病したときに、見つけてくれたのもこの姉だったような記憶がある。
3日前、元オーケストラの同僚だったS子さんと、東フィルのOBのHさんと、東北新幹線に乗った。
駅弁を食べお喋りしていると、あっという間に一関到着。
駅前のホテルにチェックイン。
しばらく休憩して、盛岡行の列車で水沢に向かった。
水沢ではチェリストの舘野英司氏指導の、チェロフェスティバルが開催される。
東北と長野、新潟からもチェロを持った人達が集まってきて、会場には二日間チェロの音が響いた。
チェロが沢山集まると、ゾウの大群のようで中々壮観だった。
私の生徒のKちゃんのご主人が館野さんの生徒で、Kちゃんもヴァイオリンで参加、ついでに私も引きずり出された。
彼女は東北の人達と連絡を取り合って、プログラムの調整や宿泊場所の確保などの世話をするので大忙し。
見ていると絶え間なく動き回って、多動児の私も真っ青なくらい。
若い日の自分を見ているような気がした。
今回私がモーツァルトを弾きたいと言うと、わざわざ新潟と長野からホルンの人達が来てくれて、一緒に演奏。
「喜遊曲17番」は私にとって、世の中の全部の曲の中の最高。
それを演奏できるのは無上の喜びで、そのために旧友たちが東北まで同行して、演奏の助けをしてくれた。
みなさんありがとう。
フェスティバルは大成功で、舘野さんも嬉しそう。
その翌日は別の場所へ「農民オーケストラ」の指導に出かけていった。
彼は、一時期脳梗塞で倒れたにも関わらずお元気で楽しそうで、年上の方が頑張っているのを見ると、私もまだ演奏が続けられるかなと、勇気が出る。
2人の友人と私の3人は奥州平泉の中尊寺、毛越寺などの世界遺産を見にいくことにしてレンタカーで出発した。
やはり、かなり寒い。
都内でダウンコートは大袈裟な様な気がしていたけれど、さすが北国は冷える。
お寺の後は、厳美渓という岩の絶景地にいってみた。
美しい渓流の両岸は堅い岩肌で、ごつごつとそびえている。
吊り橋の上から眺めると、下を流れる水は所によって色が濃いエメラルド色、あるいは薄いグリーンなど、水色ではなく緑色系なのが周りの岩のグレーと良い配色になっている。
そこには時々テレビなどで見る「空飛ぶ団子」屋さんがある。
川の中州に四阿があって、対岸の上の方に団子やがある。
下で合図をするとスルスルとロープにつるされた籠が降りてくる。
そこへ代金を入れて送り返すと、籠に団子が入っておりてくる。
良く考えたもので、普通の団子でもこうやって買えば面白くて、美味しさ倍増になる。
ゆっくりとしたスケジュールで1日遊んで、お喋りをして、飲んで食べて、楽しい3日間の締めくくりとなった。
現地の方に頂いたリンゴジュースやジャム、毛越寺で買った自然薯などで膨れあがって重くなったキャリーケースをウンウン言って引きずって、足取り重く心は軽く帰宅した。
コーヒーを淹れてもらって飲もうとした時、姉が私の顔をみて「あらっ、顔むくんでるわよ。鏡見てご覧」
それで急いで姿見を覗き込むと、別に変わりない、いつもと同じ顔が。
「これ、普段と同じ」と言ったら「そうお?」疑わしげに言う。
確かに、昨日まで3日間、東北は奥州市で忙しく弾いたり遊んだり、そして飲んだり食べたりが激しかったから、多少のむくみはあるかもしれないけれど、そんなにビックリされるようなむくみ方ではない。
元々こういうジャガイモのような顔なのだ。
なんで姉が気にするかというと、私は子供のころから腎臓に弱みがあって、今では腎臓に空洞があるそうなのだ。
それはとりたててどうこう言うものではなく、加齢によるものらしい。
疲れると腎臓に負担がかかって、むくみやすい体質であるのは確かで、子供の頃私が急性腎炎を発病したときに、見つけてくれたのもこの姉だったような記憶がある。
3日前、元オーケストラの同僚だったS子さんと、東フィルのOBのHさんと、東北新幹線に乗った。
駅弁を食べお喋りしていると、あっという間に一関到着。
駅前のホテルにチェックイン。
しばらく休憩して、盛岡行の列車で水沢に向かった。
水沢ではチェリストの舘野英司氏指導の、チェロフェスティバルが開催される。
東北と長野、新潟からもチェロを持った人達が集まってきて、会場には二日間チェロの音が響いた。
チェロが沢山集まると、ゾウの大群のようで中々壮観だった。
私の生徒のKちゃんのご主人が館野さんの生徒で、Kちゃんもヴァイオリンで参加、ついでに私も引きずり出された。
彼女は東北の人達と連絡を取り合って、プログラムの調整や宿泊場所の確保などの世話をするので大忙し。
見ていると絶え間なく動き回って、多動児の私も真っ青なくらい。
若い日の自分を見ているような気がした。
今回私がモーツァルトを弾きたいと言うと、わざわざ新潟と長野からホルンの人達が来てくれて、一緒に演奏。
「喜遊曲17番」は私にとって、世の中の全部の曲の中の最高。
それを演奏できるのは無上の喜びで、そのために旧友たちが東北まで同行して、演奏の助けをしてくれた。
みなさんありがとう。
フェスティバルは大成功で、舘野さんも嬉しそう。
その翌日は別の場所へ「農民オーケストラ」の指導に出かけていった。
彼は、一時期脳梗塞で倒れたにも関わらずお元気で楽しそうで、年上の方が頑張っているのを見ると、私もまだ演奏が続けられるかなと、勇気が出る。
2人の友人と私の3人は奥州平泉の中尊寺、毛越寺などの世界遺産を見にいくことにしてレンタカーで出発した。
やはり、かなり寒い。
都内でダウンコートは大袈裟な様な気がしていたけれど、さすが北国は冷える。
お寺の後は、厳美渓という岩の絶景地にいってみた。
美しい渓流の両岸は堅い岩肌で、ごつごつとそびえている。
吊り橋の上から眺めると、下を流れる水は所によって色が濃いエメラルド色、あるいは薄いグリーンなど、水色ではなく緑色系なのが周りの岩のグレーと良い配色になっている。
そこには時々テレビなどで見る「空飛ぶ団子」屋さんがある。
川の中州に四阿があって、対岸の上の方に団子やがある。
下で合図をするとスルスルとロープにつるされた籠が降りてくる。
そこへ代金を入れて送り返すと、籠に団子が入っておりてくる。
良く考えたもので、普通の団子でもこうやって買えば面白くて、美味しさ倍増になる。
ゆっくりとしたスケジュールで1日遊んで、お喋りをして、飲んで食べて、楽しい3日間の締めくくりとなった。
現地の方に頂いたリンゴジュースやジャム、毛越寺で買った自然薯などで膨れあがって重くなったキャリーケースをウンウン言って引きずって、足取り重く心は軽く帰宅した。
2015年11月20日金曜日
犬嫌い
公園を散歩していたら、なにやら大声で騒いで犬を蹴ろうとしている人がいた。
ニッカボッカというのか、裾の広がった工事の時に着用するような作業ズボンを穿いて、髪は茶髪。
背丈もあって体格がいい。
仕事帰りなのか、泥で汚れている。
その人が追い払おうとしている犬が、見れば小型犬のマルチーズ。
別に吠えもせず、その人をめがけて走り寄って来た。

その人が怒っている。
「なんで犬を放すんだよ。この犬噛まないか?」
近くにいる女性が「噛むわよ」
あっさりと言う。
「噛むなら紐離すなよ。早くそっちに連れて行け」
思わず噴き出しそうになった。
身長は170センチ以上あると思えるし、日に焼けて腕っ節の強そうな大の男が、マルチーズに襲われて?いる。
犬の方は、遊んでもらえると思って走り寄ったのか、きょとんとして男の人を見ている。
しかし、よほど犬嫌いなのか、私が通り過ぎてもまだ怒っている。
「信じられねえな、犬を放すなんて」
「おい、おまえ笑ってねえか?笑ってるだろう」
飼い主は半分笑いながら「笑ってないわよ」
私は、笑い顔を見られないように、うつむいて側を通り過ぎてきた。
人によって怖いものは様々。
以前家に良く遊びに来た打楽器奏者は、猫嫌い。
それなのに、その人が来ると何故か猫が寄っていく。
なにが嫌なのか聞いたところ、猫は足音をさせずにいつの間にか側に寄ってくるから、びっくりするという返事。
それは痩せても枯れても肉食獣だから、足音がしては困る。
そのために肉球があるのだから。
家に遊びに来ると、彼はイスの上におばあさん座りをして、猫に足をスリスリされないように警戒していた。
私は無類の猫好きだけれど、猫が気持ち悪いと言う人の気持ちは良く分かる。
猫の尻尾は蛇のようだし、目を見るとなにか企んでいるような気がする。
実際企んで居ることもあって、いきなり爪を立ててよじ登られると、痛さのあまり絶叫する。
私は爬虫類が大の苦手。
絵に描いた物でもだめ。
以前、麻のワンピースを買ったことがあって、濃いグレー一色だったから、アクセントになるベルトがほしいと探していた。
爬虫類の太めのベルトなら、ピッタリだと思った。
そして大岡山の駅近くの店で、理想通りの太さと色の蛇皮のベルトを見つけて、嬉しくて小躍りした。
試着をお願いしてウエストにそのベルトを巻いたとたん、全身に鳥肌が立って、どうしても巻いていられない。
泣く泣く諦めたけれど、今でも思い出すほど素敵なベルトだった。
お値段も手頃で、買っておけば良かったかなあと、未練タラタラ。
買ってもたぶん締めなかったし、しまっておいても気持ち悪いと思うから、買わずにいて正解だった。
蛇だって日本で近隣にいるのは、毒のない大人しい種類だから恐れることはないのに、もしその辺に放し飼いにされて私を見て滑り寄ってきたら、私は大絶叫で気絶しかねない。
小型犬を怖がって騒ぐ、屈強の男がいても不思議はない。
笑って悪かった。
その人は多分子供の頃に噛まれたとか・・・トラウマがあると思う。
私にとって犬猫は天使だけど、その人には怪獣にしかみえないのかもしれない。
ニッカボッカというのか、裾の広がった工事の時に着用するような作業ズボンを穿いて、髪は茶髪。
背丈もあって体格がいい。
仕事帰りなのか、泥で汚れている。
その人が追い払おうとしている犬が、見れば小型犬のマルチーズ。
別に吠えもせず、その人をめがけて走り寄って来た。
その人が怒っている。
「なんで犬を放すんだよ。この犬噛まないか?」
近くにいる女性が「噛むわよ」
あっさりと言う。
「噛むなら紐離すなよ。早くそっちに連れて行け」
思わず噴き出しそうになった。
身長は170センチ以上あると思えるし、日に焼けて腕っ節の強そうな大の男が、マルチーズに襲われて?いる。
犬の方は、遊んでもらえると思って走り寄ったのか、きょとんとして男の人を見ている。
しかし、よほど犬嫌いなのか、私が通り過ぎてもまだ怒っている。
「信じられねえな、犬を放すなんて」
「おい、おまえ笑ってねえか?笑ってるだろう」
飼い主は半分笑いながら「笑ってないわよ」
私は、笑い顔を見られないように、うつむいて側を通り過ぎてきた。
人によって怖いものは様々。
以前家に良く遊びに来た打楽器奏者は、猫嫌い。
それなのに、その人が来ると何故か猫が寄っていく。
なにが嫌なのか聞いたところ、猫は足音をさせずにいつの間にか側に寄ってくるから、びっくりするという返事。
それは痩せても枯れても肉食獣だから、足音がしては困る。
そのために肉球があるのだから。
家に遊びに来ると、彼はイスの上におばあさん座りをして、猫に足をスリスリされないように警戒していた。
私は無類の猫好きだけれど、猫が気持ち悪いと言う人の気持ちは良く分かる。
猫の尻尾は蛇のようだし、目を見るとなにか企んでいるような気がする。
実際企んで居ることもあって、いきなり爪を立ててよじ登られると、痛さのあまり絶叫する。
私は爬虫類が大の苦手。
絵に描いた物でもだめ。
以前、麻のワンピースを買ったことがあって、濃いグレー一色だったから、アクセントになるベルトがほしいと探していた。
爬虫類の太めのベルトなら、ピッタリだと思った。
そして大岡山の駅近くの店で、理想通りの太さと色の蛇皮のベルトを見つけて、嬉しくて小躍りした。
試着をお願いしてウエストにそのベルトを巻いたとたん、全身に鳥肌が立って、どうしても巻いていられない。
泣く泣く諦めたけれど、今でも思い出すほど素敵なベルトだった。
お値段も手頃で、買っておけば良かったかなあと、未練タラタラ。
買ってもたぶん締めなかったし、しまっておいても気持ち悪いと思うから、買わずにいて正解だった。
蛇だって日本で近隣にいるのは、毒のない大人しい種類だから恐れることはないのに、もしその辺に放し飼いにされて私を見て滑り寄ってきたら、私は大絶叫で気絶しかねない。
小型犬を怖がって騒ぐ、屈強の男がいても不思議はない。
笑って悪かった。
その人は多分子供の頃に噛まれたとか・・・トラウマがあると思う。
私にとって犬猫は天使だけど、その人には怪獣にしかみえないのかもしれない。
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