2020年11月29日日曜日

電子ピアノ到着

配送業者から電話で、明日、申し訳ないけれど朝9時ころ伺いますと。申し訳ないどころかおおいに歓迎。私はだいたい5時起きの毎日だから。待機していたら8時30分頃、すでに到着したと電話があって、複雑な森の中の道は説明の仕様がないから、真っ黄色のパパゲーノでお迎えに行くことにした。コンビニの駐車場にいますというからすぐに駆けつけて誘導。家の中はソファーや小さなテーブルやらで混み合っている。このテーブルとソファーの貰い手を探している。前の住人のノンちゃんのことだから、すごく上等なものなので捨てるのには惜しい。けれど、私は自分が使わないものは置きたくない。部屋の広さに余裕があるなら話は別だけど。

運び込まれた電子ピアノは、普段ピアニストの友人宅で見るような立派なものではない。可愛らしく安っぽく見える。それはスタインウエイなんかと比べたら月とスッポン。楽器とも思えない程だけれど、ここでピアノの練習ができるのはありがたい。近所が留守なら夜中でも気兼ねなしで音が出せる。消音もできるかもしれないけれど、なるべくヘッドホンは使いたくない。フィリピン沖で台風に遭遇して苦労した可愛そうなピアノちゃん。船酔いしたのか、音はいまいち。でもソファーが置いてあるよりずっと幸せ感がある。

ノンちゃんのスタイルに反して物がだんだん安っぽくなっていく。まず、立派すぎる食器棚を取り除いてニトリのペカペカ光る安物の食器棚に変わった。これだけでも家具に威圧されている感が消えた。ピアノも本物ではない。食器も軽井沢のアウトレットなどで安上がりに。でも空気の通りは格段に良くなった。物に押しつぶされそうだった部屋が明るくなった。動かない家具が可動になった。

この湿度の多い森の中では本物のピアノは置けない。ヴァイオリンを持っていくときにはエアコンをフル稼働するけれど、私がいない間は切ってしまうから。と、それは口実で本当はピアノが買えるほどお金持ちではないし部屋も狭すぎる。これで我慢するしかない。

ピアノは居心地良さそうに部屋の片隅に納まった。これでベランダの工事がすめばすべての改装はおしまい。軽井沢と追分に心強い手助け人がいて、なにかと助けてもらった。初めての土地で家具店やホームセンターがどこにあるかもわからない。車で連れて行ったもらったり工務店を紹介してもらったり実際に家の片付けをしてもらったり。私は非力で手にほとんど力が入らない。小柄だから高いところに手が届かない。それに生まれついての怠け者。自分の好きなことはせっせとするけれど、そうでないことは気が付きもしない。2年経ってようやく家に馴染んできた。なるべく明るく風が通る家であってほしい。

今朝は早くから目が覚めた。夜明けが待ち遠しい。シャッターを開けるとまだ真っ暗。ようやく薄明かりがさしてきたら、上の方は雲があるのにその下から朝日が登ってきて、息を呑むほど美しい。しばらく経ってから外に出ると、少し高く登ったお日様が木々のてっぺんを明るく光らせている。下の幹はシルエットになって、とても変わったクリスマスの飾りのように。毎日夜明けの光を見ていると、一日として同じ景色はない。毎日が感激の連続なのだ。

すべての照明をLEDに替えたので、私がいる間に故障することはないと思う。こんなに手を入れたのにあと数年通えるかどうか。最後の贅沢をした気がする。ピアノが収まったのですぐに帰宅することにした。日曜日だから午後になると交通渋滞が始まる。それを避けるにはグズグズしてはいられない。嫌がってグズる猫をキャリーバッグに放り込んで、出発。間もなく峠を降りる急カーブが始まった。するとすぐに凍結箇所が数箇所、昨日はここで大渋滞だったのかと納得した。右手に見える浅間山はもう真っ白に雪に覆われていた。管理業者が早く水抜きをと急かすのも無理はない。

予定では明日帰るはずだったけれど、色々考えるとやはり今日のうちに帰ったほうがよいかと。やはりそれは正解だったようで、安定した天気とガラガラに空いた高速道路、その先の環状八号線もほとんど混雑はなくらくらくの運転、いつもこうならいいのに。

これから4ヶ月、4月になったらまた森の中の生活ができる。それまでコロナを避けてじっと家で過ごす日々。雪道の運転さえできれば住み着けるのにと残念に思う。やってみれば案外できるかもしれないけれど、もう自信はない。特に峠越えの急カーブは恐怖でしかない。






2020年11月28日土曜日

雪が降る

 昨日午後慌てて家を出たのは雪の情報があったため。北軽井沢付近の天気予報を見ていたら今朝は雪と出ていた。それは大変。雪道は運転したことがないけれど、私の運転は急加速急ブレーキはめったにしないから、たぶん心穏やかに走っていれば大丈夫だと思う。軽井沢から千ヶ滝を超えたあたりから北軽井沢への山道はいいお天気でも急カーブできつい。まして雪が降ったり凍結したりすれば恐怖そのもの。

今朝は先日入れた食器棚の電気配線をつないでもらうために電気屋さんが来る予定だった。しかし、朝こちらに向かっていいるという電気屋さんから電話があって、いま途中まで来ているけれど大渋滞です。上の方が凍結してつるつるらしく事故があったようなので、配線工事は来春に行きますと。まだ食器棚の固定ができていないからあわよくば電気屋さんにお願いしてみようと思っていたので、あてが外れてがっかり。ま、いいわ、来年誰かがやってくれるから と儚い望み。

明日ピアノが届けばもう冬中来ることはないけれど、どうしても冬の森での生活もしてみたい。都心では最近またコロナがすごいことになっているらしいので、ここにいたほうが安全だと思うけれど、雪のある生活は年取ってから初めてでは無理だと思う。ピアノの配送業者から電話があって、雪がふりそうと言ったらぎょっとしていた。だんだん空が鈍色になってきたので、まもなく雪が落ちてくる気配がする。この森で雪が降るのを見るのは初めてで、それは素敵だと思うけれど、こうしてのんきにしていられるにはいつまでだろう。明日は天気が回復してくるらしいけれど。

今日は電気屋さんが来なくなって暇になってしまった。散歩に出たらすぐに足が痛くなってしまって、ヨロヨロと帰ってきた。本当にだらしなくなってしまった。昨日までは足は絶好調、もうすでに治ったものかと思えたけれど、今朝はぶり返して少しも歩けない。考えたのは、足の運動は歩くだけだとうまく行かないということ。ずっと同じ動作を繰り返すのがいけないのではないかと。その証拠に家の中で忙しく動いて家事をしているときにはあまり痛くない。それは様々な動作の組み合わせだから、ずっと同じ筋肉を使っているわけではない。総合的に体を動かすことがいいのでは?

予定が狂ったのでさて、なにをしようか。そういえばここのお風呂にお湯をいっぱい張って入ったことがない。あまりの寒さで溜めるそばから温度が下がってしまう。満杯になるころにはぬるくなっているし、待ちきれなくて半分もいかないうちに入ってしまう。一度でいいからたっぷりで熱々のお湯に浸かりたい。今日がそのチャンス!

温度設定はいつもは45度。あつすぎると思うでしょうが、タイルの冷たさと気温の低さでお湯が溜まる頃には冷めている。今日は温度設定49度、お湯を出し始めてからゴミ捨て場にダンボールを出しに行ったり気を紛らせながら待機。ごみ捨てから戻ったらお湯がたっぷり溜まっていた。手を入れると熱いくらいだけれどすぐに冷めるからと思って入ることにした。アチチアチチ、流石に熱いけれど入れないほどではない。なによりもこのお風呂でこんなに温まったのは初めてだから感激した。

最近は浮世離れの生活だから、なんでも感心感激する。今朝の日の出の景色は素晴らしかった。落葉樹の林はすっかり木の葉が落ちて、淡いピンク色の雲と青空を背景に裸の木々がシルエットで浮かび上がっていた。晴天ではないからすべての色調が柔らかい。毎朝無事で景色を眺める幸せ、コロナ感染拡大の非常時に穏やかでいられることがどれほどありがたいことか。とりたてて贅沢をしない、一流のレストランにも行かない、ブランド品を買うでもなく海外旅行もご無沙汰、それでも普通でいることのしあわせ。雪の予報を裏切って、すっかり晴れ渡ってきた。

少女時代には私はずっと雲を眺めている子供だった。蜘蛛が巣を張るのをずっと見ている子供だった。今またその時代に戻ったような気がする。





2020年11月27日金曜日

おお、寒い!

 今朝午前中にレッスンをしてから、12時30分ころ家を出た。早く到着しないと北軽井沢の森は真っ暗になる。この時期別荘に住む人達は家を閉める。水道の水抜きをしておかないと水道管が凍ってしまい大変なことになるらしい。だから今は森の中はほとんど人がいない。けれど、今年は特別なのかどうか、やはりコロナのせいか、まだ数軒の家に明かりが灯っている。

猫はといえば、つい先ごろ体調を崩したので心配だった。獣医さんに預けてこようかと考えたけれど、それも彼女にとっては大変なストレスになるから因果を含めて連れてきた。けれど全く心配なく、森の中に入った途端食欲全開、むしゃむしゃと餌を平らげた。なにが違うのかしら、やはり空気が美味しいのか。

暗くなると本当にバックライトの明るさでは車を入れることができない。センサーすら作動しない。先日真っ暗な中、いい加減にバックで停めたらアプローチの両側にある浅間山の溶岩をこすって、車の左側前方にかすり傷をつけてしまった。もちろんハイテクの最近の車は警告音を出すけれど、しょっちゅう出しすぎるので無視。おかげでパパゲーノは早くも中古車の風格となる。しかし、今回は生徒さんに断ってレッスンを端折って家を飛び出してきたから、午後4時前の明るいうちに到着できた。明るいうちにいろいろやっておかないと、手元すら見えない真の闇になる。ドアの鍵を開けるのもままならないほど。懐中電灯は必須なのだ。

寒い!とにかく寒い!猫を家に入れる前に石油ファンヒーターを点火、寝室のオイルヒーターとベッドの電気敷き毛布、ペット用ヒーター、エアコンとあらゆる暖房を一斉に作動させた。やはり大型の石油ファンヒーターの威力はバツグンで、ぶ格好に大きすぎると悪評のほまれ高いファンヒーターは大活躍。エアコンは夏用だから今回は使わないことにした。家が温まって猫も所定の位置でくつろいで、私はホットウイスキーを飲んでいる。

川を挟んだお向かいの家に明かりが灯っている。なんだか安心する。3年ほど前、この森にん人っ子一人いないときに来たことがある。森の中でたった一人は本当に寂しい。それでも人は生まれるときも死ぬときも一人ぼっちなのだから、なれておかないとね。朝の光がさすともう寂しくはない。今は落葉樹が葉を落とし、朝日がよく見える。庭の下を流れる清流を見ることができる。この季節にならないと木の葉が邪魔をして見ることができない。水源地として守られている保護林から湧き出る水は、勢いよく水音をたてて、時には雨が降っているのかと錯覚されるほど。厳格に伐採が管理されていて、許可がなければ自宅の庭の木を切ることはできない。細い下枝以外は管理者の許可が必要になる。

家の中に入ると、先日運び込まれた新しい食器棚が梱包されたままの状態で置かれていた。来るつもりだった配送日の前夜、猫が突然痙攣して大騒ぎ。結局別荘の管理人と追分けに住んでいる友人が立ち会って運び入れてもらった。けれど、本人がいないところで梱包を解いてはいけないという会社の決まりがあるらしく、私は構わないから梱包を解いておいてと頼んでも、配送業者は頑として受け付けない。うーん、全く面倒な。先程到着して梱包を解くと、まあたくさんのゴミが。これを捨てる手間が面倒な。

目の前に立ちはだかっていた不細工な食器戸棚がなくなってすっきり!と思ったら今度は台所が丸見え。すると水回りは常にきれいにしておかないと見栄えが悪い。うまくいかないものだわね。

やっと体が温まってきた。普通ならお風呂で温まればいいのだけれど、この家の湯船は巨大でなかなかお湯がたまらない。湯船はタイルが貼られているのですぐにお湯が冷めてしまう。お湯が溜まった頃にはぬるくなってしまい、しかもタイルはなかなか温まらないから背中がつこうものなら、ヒヤッとして飛び上がりそうになる。この湯船を改造しようと思っているけれど、水場はお金がかかる。しかも家が変形だから湯船を改造するのも難しい。工務店さんに相談したけれど、まだ結論は出ていない。なんたって、そこの社長が放った第一声は「うーん、こりゃあひどい」だったので。ノンちゃんの素敵な家の弱点なんです。










冬の到来

 早く家を閉めないといけないとは思っていたけれど、未だに家具類が収まっていない。まもなく北軽井沢の寒い冬、その寒さったら・・・

水道が凍るといけないから早く早くと管理の工務店さんから催促が来るけれど、あと一つ、電子ピアノの搬入が遅れている。なにも家を閉めるこの時期に買わなくてもいいのに何事も思いつきで行動するものだから、先日楽器屋さんでキャンペーン中で大幅割引、搬送費ただと聞いてつい買ってしまった。冬には家を閉めるからと言って一旦は春になったらと断ったものの、今や電子ピアノは大人気で納品が遅れがちと聞いて買うことにしたのが間違いのもと、もうすでに雪の天気予報が出ているこの週末に北軽井沢まで出かけなければならなくなった。なんでもフィリピン沖で台風が発生して船便が遅くなり、この時期でないと届けられないという。そちらで預かってくださいと言うと、それは困ると。本当なら先週の温かい頃にお願いしてあったのに。

猫は先日の痙攣があったので大変迷ったけれど、やはり連れて行くことにした。最近彼女は夜中に大泣きする。どの猫も大抵そうだけれど、やはり多少ボケ症状?私もまもなく夜中に大騒ぎするようになるかも。私の両親は最後まで頭がはっきりしていたから、私もそうであってほしいとは思うけれど。

自分の歳を考えると、厳しい環境の山の家はそのうち負担になってくるだろうと思う。のんちゃんは90歳近くまでこの家に住んでいた。彼女は心身ともに健康だったのだと思う。私は足が痛くて今歩けない。姉はちょうど私の年齢の頃、歩けないからと言って私の家に来なくなった時期があった。私の家は2階でエレベータなどという文明の利器はないから、階段が登れないと言って猫の世話をしてもらえなくなった。最近また世話を頼めるようになったので訊いたら、とにかく歩くことにして毎日体を動かしていたのが良かったらしく、だんだん元気になったという。私のこの足の痛みも、怠け病かもしれない。コロナ発生以来ますます痛くなったのだから。

スキーのお誘いが来る。シーズン中に是非一度は行きたい。平日のホテルにシングルで泊まれば、スキー宿のクラスターを避けられるというわけで、実際そうしている人がいる。毎年絶対に滑ることを自分に課していたので、今年もひっそりとシングルで滑ることにした。毎年のグループでのレッスンは中止、あとは混んだバスなどに乗らずなるべくタクシーとなると、ちょっと懐は痛い。けれどあと何シーズン滑れるかと考えると、多少のことがあっても無理しても行きたい。

じつは北軽井沢の家のそばに小さなスキー場があるらしい。気がついたのは今年秋。ノンちゃんもお隣さんもスキーは卒業していたから、そのことは話題に上らなかった。ただし、この家に来るには急な上り坂を登ってこないといけない。普通でも運転が大変なのに、これが凍ったらと思うと恐ろしい。先日工事をお願いした電気やさんに訊いたら、スタッドレスを履いていれば大丈夫ですよ、でも下から上がって来るのが大変だなあ、と。でも自分の庭みたいなところに初心者用のゲレンデがあるってのは素敵!だれか運転してくれる人がいれば毎日1時間位軽く滑ることができる。送迎してくれる人はいないかなあ。冬は農家も暇そうだし、真剣に探せばいるかもしれない。

今年は家を整えるのにたいそう時間がかかった。工事や家具探しに追われた。もう少し若ければこの先数十年住めるけれど、もう数年しか来られないだろうと思うと、次なる住人を探そうかと思っている。この家を大事にしてくれる人、できれば音楽が好きな、あるいは演奏する人、あるいは学問の好きな人、あるいは動物をかわいがってくれる人。ノンちゃんの遺志が継承されていければ嬉しい。

数年前、私は悲しみのどん底にいた。最後にノンちゃんまで失って呆然としていた。それがこの家を受け継いで自分の思い通りの形にしているうちに、いつの間にか癒やされていた。いわば、この家は私のカウンセラーだった。自宅にいても、毎日北軽井沢の森の景色が目に浮かんだ。ここに来るたびに、森は毎回違う顔で出迎えてくれた。あるときには新緑、今頃は落ち葉と紅葉、ときに激しい雷や夕暮れの優しい陽の光に包まれる。

森と対面していると何もしなくても豊かな心になれる。コロナがはるか遠い国の出来事のように思える。自宅に戻ると現実が待っていて、毎日の感染者数が確実に増えているのを知らされる。森の家にはテレビがないから、世間の出来事は全くわからない。政治家のおじさんたちが否定するけれど、go toキャンペーンは絶対に今の感染拡大につながっていると思う。もう少し待てばよかったのに。緊急事態宣言を撤回してもgo toなんかしなければよかったのに。今は誰でも本当に大変な時というのはよく分かるけれど、なにもわざわざ感染拡大に手を貸すことはないのに。拡大が収まらなければいつまで待っても経済は良くならないのがどうしてわからないのか、このスットコドッコイ共!

私も大勢の仲間達とスキーを楽しみたい。毎年お正月、天元台に40人とか集まって、それはそれはにぎやかだった頃が懐かしい。ピアノが来たらピアノ弾きにも来てもらえる。弦楽器奏者はいつでも集まれる、ここに毎日音楽が響くようにしたい。春が待ち遠しい。

とりあえず今日午後、北軽井沢に向かって出発!日が落ちる前に着かないと、車をバックで入れられない(バックライトが役に立たない)ほどの真の闇だから慎重かつスピーディーに。本当に暗いのですよ。








2020年11月16日月曜日

コチャの秘密

コチャは推定年齢19才。拾われて不妊手術をしたのが18年前だから、少なくともその数ヶ月前に生まれているわけで。近所を散歩していたときに目の前を横切った若猫、いきなり私の足元にゴロンと倒れ込んできた。仰天して慌てて家に連れ帰り、その日から飼い猫になった。

当時うちでは3~4匹の猫が常時いる環境で、時には5匹超え、最後に拾われた彼女はいつもミソッカス、唯一の雄猫の玉三郎が私にベッタリと張り付き、すごい噛み癖のあるジャコと陽気で人懐こいナツメと賢く優しいモヤの3匹のメス猫もいたのに誰ともつるむことなく、孤独で気難しく一人押し入れに隠れて生活してきた。目立たず騒がず孤高の猫の立場を貫いていたので、私もあまり干渉しないでいた。

数匹の猫はほとんど同じ時期に拾ったものだから、最近次々と時期を同じくして死んでしまった。そして最後に残ったのがコチャだった。それまでほとんど構ってもらえなかったから接し方がわからない。で、私は今まで構わなかった分、思い切りかわいがった。最初は戸惑っていて抱っこしても体を固くして突っ張っていたのが、だんだん力が抜けてきた。今では私の姿が見えないと探し回って鳴く。家中と言っても全く広くないから私がいるのは気配でわかりそうなのに、傍に行ってやらないといつまでも呼んでいる。目が少し悪くなっているかもしれない。

そのコチャが突然痙攣を起こしたのが数日前の午前2時ころ。いままで飼った猫たちは全くそういうことはなかったのでびっくり仰天して、夜間の救急病院へ連れて行った。検査の結果はどこと言って悪いところはない。しかも病院についたときには発作はすでに治まっていていつもの鳴き声で抗議している。獣医師が言うには、内臓はどこと言って問題はないけれど、脳腫瘍や脳炎の疑いがあるから検査入院させましょう。そこまでの検査ですでに高額な治療費がかかっていたので、お断りした。猫にそれほど高い治療費をかける気はない。自分にだってかける気はない。

コチャはというともう普段と変わらず早く帰ろうと私を急かす。そうだね帰ろうね。

家に帰ったコチャはむしゃむしゃと餌を食べ、いつもの3倍位の食欲で出すもの全部平らげた。はてな?いつもこんなに食べないのに・・・月曜日になるのを待ってかかりつけの動物病院へ相談に行った。

そこは古くからの知り合いの病院で、先々代の先生からうちの猫たちはお世話になっている。おじいちゃん先生、長男先生と次男先生、今は長男先生の息子さんとそのお嫁さん先生。いったい何匹の猫がここで治療を受けたか数えられないほどだった。

痙攣を起こして救急病院へ行ったことを話し、もらってきたデータを見せると「別に悪いとこないよね、あっ、膀胱穿刺してる」と先生。おしっこの検査をするために採取したらしいけど、押せば出るのにとも言う。痛かったでしょうねかわいそうに。これでいくらかかったの?治療費の金額を聞いて笑っていた。今度からここへ行きなさいと渡されたパンフレットは以前にも紹介された夜間動物病院。今回そこへ行かなかったのは、コチャが痙攣しているのを見て命に関わると思ったから。一刻も早く治療をしてもらうためだった。

痙攣している時間を訊かれたから5分くらいと言ったら笑われた。そんなわけないよ、せいぜい30秒くらいでしょう。でも私にはとても長い時間に思えたのだ。5分も続いたら死んじゃうよ・・・だそうで。

その次の日にはコチャはいつもよりずっとたくさん餌を欲しがった。いつもは食が細くレトルトの少量の餌も半分残すほど。それをぺろりと3個平らげカリカリもかなりの量を食べた。それはやはり痙攣して体力をたくさん使ったからで、痙攣が終わってから床に置くとぐるぐる回るのは目が回って一時的に平衡感覚が損なわれるからだそうなのだ。回転するのは平衡感覚を取り戻すためだと。

脳波の検査やMRI検査などは、次にもし発作が起きてからでいいでしょう。今元気ならそれほど心配はいらないと言われて胸をなでおろした。

今まで発作を起こしたことはなかったの?と訊かれ返答に詰まった。そういえばコチャのことはほとんどわかっていなかった。いつも押入れに隠れていたし、他の猫は必ず部屋のどこかにいて私の目が届いていたのに、彼女だけはたまに餌を食べに出てくるだけ。密かに私の目の届かないところで痙攣していたかもしれないと考えると、不憫な思いがこみ上げる。最初の出会いがそもそも、私の目の前でゴロンと地面にひっくり返ったのだって、もしかしたらそういうことだったのかもしれない。

彼女は私の愛情を独り占めしている今が一番幸せなのかもしれない。人間で言えば今92歳だそうで今まで目をかけられなかった分、目一杯可愛がってあげよう。長いこと押入れの中で一体何を考えていたのかしら。体調不良になると押し入れに隠れてしまうので、よくわからなかった。コチャ!はっきりものを言いなさい。気分が悪かったり寂しかったら玉三郎みたいにうるさくつきまとっていいから。







2020年11月15日日曜日

go toのせい?

以前にもましてコロナ感染者が増加しているという。これってgo toのせいではないの?

少し感染者が減ったからと言って一気に旅行させるように仕向けたのはだれ? 考えただけでもわかるでしょう。浮かれて騒いで飲んだらマスクなんか邪魔だからとってしまう。これで感染が収まるわけはない。頭の悪そうなおっさんが観光業界を救うために打ち上げた花火。その政治家は観光業界に属している。実は自分たちのためだけしか考えていない。けしからん。

しかし、それに乗る方も乗る方。少しばかり安くなるからと言って、家族揃って浮かれて出かける。助成金が出るから使わないと損した気分になるらしい。本当のこと言えば、自分が汗流して働いたお金で行くほうがよほど気分がいい。誰かにお金もらっていくのって嫌じゃないですか。しかもそれは政治家がポケットマネー出すのではなくて、みんなが納た税金でとなると、私はあまりいい気分にはなれない。それも政治家たちの身内を潤すだけで、本当に困っている中小企業や自営業の人たちには恩恵が少ないような気がするけれど。

どこかへ行かないと面白くない?うちで静かにしているのは面白くない?私だって無類の旅行好き。だけどこういうときに出かけるのは馬鹿だと思っている。言い方わるいけど、自分の頭の中で楽しむことを知らない人たち。こういうときは知的に遊びましょう。疒付きでない知的ね。痴的ではなく。ホストクラブやキャバクラなんて行かないで。だいたいああいうところへ行かないとちやほやされないのは、あなたに魅力がないからなのよ。

「お前さんにゃ言われたくない」と言う声がしたような。空耳かな?

そういう所に行かなくても思いもかけないところで感染することは十分考えられる。今日は買い物に出て途中で足が痛くなった。公園内では石垣やベンチに座って足を休めるけれど、商店街ではおいそれと座れるところはないから、コーヒーショップに入った。隣の席との距離は数十センチ。この店では座席の数を減らしていないから、客同士は近い。足が休まったのでそそくさと出てきたけれど、この間10分と経っていなくても、とりつかれたかもしれない。もちろん帰宅してマスクと手をしっかり洗ったけれど、気休めかもしれない。一番いいのは北軽井沢の森の中でじっとしていることなのだ。

本当のコロナの怖さはこれからわかるかもしれない。爆発的に感染者が増えている欧米は再びロックダウンが始まっている。とにかくこの病気が収まらない限り経済は絶望的なのだから、まずどんなことをしても病気を治さないといけない。こうなったら何がなんでもコロナ退治をしないといけない。go toはその後でないといけなかったのに。心配したとおりになってしまった。

カツカツの生活ができれば良しとしないと、以前のように豊かに暮らそうと思わないことにした。私が若い頃は貯蓄は底をつき家中探しても出てきたお金は五百円。それでも何も辛いことはなかった。もう笑うっきゃない。恥じることなんて全然ない。胸を張って生きてきた。お金はあれば素敵、なくても他に素敵なことはいくらでもある。私の食費は猫より少ないと思う。猫は贅沢で、あれは嫌これはまずいと食べない。私は多分ホームレスしても生きていけるくらい好き嫌いなくなんでも美味しく食べる。今どきのホームレスさんは口が肥えていると聞く。銀座の一流店の残り物をもらって「あそこは最近味が落ちた」なんて言っているらしい。私は一流店なんてめったに行かないからわからない。

山あり谷ありの人生、こういう時期もあるさ。いちいち反応せずトータルで考えれば、こんな平和な日本に生きて底辺とはいえ餓えもせず、ちゃんとした教育を受けさせてもらって健康で生きていられるならなにも問題はない。私が一番必死で働いたのは60才過ぎてから。当時父親がなくなって家のローンがドサッとのしかかってきた。その額たるや身震いが出るほどだった。毎日預金通帳をベッドの上に並べてため息をついていた。睡眠時間は2~3時間、耳鳴りが収まらなかった。明日は目が覚めないかもしれないと本気で考えていた。突然死の言葉が脳裏を過る。ようやく危機を乗り越えたときには心底ホッとした。その後はすこぶる健康。

その一番大切な健康が今コロナの脅威にさらされている。これが最大の問題。そのために何をしなければならないか、よく考えれば忍耐しかないということ。昔、竹槍訓練しながら唱えたでしょう、欲しがりません勝つまでは、って。

え、知らない?おかしいな。










コチャの一大事

 うちの大切なお姫様コチャは人付き合いの悪い気難しい性格。せっかくそばにフカフカの柔らかい布団があるのに、好き好んでクローゼットの巣穴に隠れ住んでいる。家具の配送を頼んであった北軽井沢に行くために、今朝の2時ころから準備を始めた。3時に出れば夜明けに着いて、家具が受け取れる。受け取ったらKさんと山を降りたところにあるハルニレテラスに行くつもりだった。クリスマスの飾り付けが始まっているのでそれを見ようという約束だった。

2時前後、なにか大きな音がした。コチャのいるクローゼット付近。なにか落としたかな?すぐには静かにならないから何事かと行ってみたら、ぶら下がった衣類にコチャが爪を引っ掛けてもがいている。彼女は爪切りが大嫌いで、切ろうとするとうねうねと体を動かして、どうしても切らせない。特に親指の爪は伸びると肉球に食い込んで痛そうで、何回も挑戦するけれどなかなかきれない。獣医さんの前でガチガチに緊張しているときしか言うことをきかない。

その伸びた爪のせいでもがいているのかと思ったら、どうも様子がおかしい。目がギラギラして変な鳴き声。口からよだれが垂れている。2日ほど前からお腹を下したり吐いたりして、調子が悪かった。そのせいで出発が遅れてギリギリ今朝早くになってしまったのだ。どうも尋常ではないから抱き上げて抱きしめると少し落ち着くようだけれど、床に下ろすとぐるぐるその場で回っている。こんなことは長年多頭飼いで数え切れないほどの猫を見てきたけれど、初めてのことだった。私もパニックになって声も出ない。しかし今が爪切りのチャンス、抵抗なく爪が切れた。本人は爪を切られていることすら気が付かないようだ。

落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせる。この夜中に開いている病院は近所の救急動物センター。ものすごく高額な診療代金を取るので有名。うちの猫たちもやむを得ずそこのお世話になったときには、目玉が飛び出るほどの診療費、例えば他の夜間動物病院などの2倍以上の診療費を請求された。わかっているけれど、一番近いのはそこで、一刻を争うような病状なら仕方がない。とりあえず、行こう。

受付の後で費用の提示があって、切羽詰まっているから涙を飲んだ。しかし症状はすでに収まっているらしく、鳴き声はいつものトーン。本人を見せてくれないから様子がわからない。検査の結果は取り立てて悪いところはなくて、もう少し検査をすれば神経系統、あるいは脳腫瘍などの疑いがあるという。しかし、ずっと昔猫を飼い始めた頃この病院で、なおこちゃんという子が脳腫瘍を手術して結局帰らぬ猫になった記憶が蘇った。その時の可哀想さは今でも胸が痛む。余計な治療をするのではなかったと。なおこちゃんは本当に家から一歩も出ない箱入り娘。それが医療器具の光った病院でどれほど怖い思いをしたかと思うと、自分を殴りたくなる。そっと送ってあげればよかったのに。

それ以来猫たちは、自然に衰えていくのを見守ることにしていたのに、パニックになってまたこんなところへ連れてきてしまった。このまま入院させるようにという獣医師のすすめを振り切って連れ帰ってきた。いつものやさしい獣医さんに診てもらおう。猫のことになると私はうろたえてばかり。いつもの呑ん気さは影を潜める。彼らは言葉ができないから、今どんな具合なのかわからない。今は大きな声で鳴いているから、命に別状はなさそうだし、声も普段どおりの声になってきた。とにかくこの金儲け主義の病院を脱出しよう。

ここの病院は獣医師たちの間でも呆れるほどの高額の治療費で、それに呆れた複数の獣医師たちが集まって夜間診療を行う病院が他にできた。そこは私の家からは少し遠い。一刻を争うと思ったから、また来てしまった。かかりつけの獣医さんは私がここへ行ったと聞いたら、呆れると思う。検査のデータをもらって明日からはいつもの病院へ行こう。帰宅したのが午前5時ころ、それから今日家具を配送してくれる業者に連絡、別荘地の管理会社に連絡、一緒に遊ぶ予定だったKさんに連絡。なにをどうしていいかわからないけれど、とりあえず皆にメールを送った。やっと眠った。

目が覚めると8時、配送センターからの連絡に事情を説明して、自分は行かれないこと、別荘地の管理人に立ち会ってもらい荷物を家に運び込んでもらうなど依頼。管理人からも承知した旨のメールがあってホッとした。追分のKさんから私の家に行って業者さんの運び込みや家具の配置のことなども手伝ってくれるという。みなさんありがとう。だれもが親切で協力してくれるのだ。パニクっている私のシドロモドロの説明もなんとかわかってもらえた。

ああ、疲れた!コチャはもう普段どおり、あれは一体なんだったの?突発的な発作だったのか。今日は日曜日でかかりつけの獣医さんはお休みのようで電話に出ない。明日一番で診察をうけるけれど、大勢の人を巻き込んだ騒ぎにもコチャは知らん顔。全く猫ってやつは!

実は業者さんや管理人さんたちには急病人が出てと言ってあるけれど、急病にゃんとは言ってないので、どうかご内密に。