2016年5月29日日曜日

若冲展は320時間待ち、断念、残念

先日終了した若冲展の大人気ぶりが報道されていたけれど、あまりの混雑ぶりに病人まで出たようだ。
私の元生徒が芸大に勤めていて、上野の都美術館には連日早朝から夜まで行列が続いたとか。
最初はその人と一緒に若冲を見て、それからランしようと思っていたけれど、あまりの混雑に断念した。
今回は絶対見逃すまいと思っていたけれど、私は行列大嫌い。
どうしても見たかったけれど、あきらめた。
ここで体調崩したらおしまいだから。

美術館側はこの混雑にも拘わらず、入場整理券の発行などもしなかったと言うから驚き。
展覧会開催中は暑い日が続いていた。
平日に長時間列を作れる人は、時間に余裕のある高齢者が多いと思う。
倒れた人もいたという。
そんなことは予想が付くし、炎天下並ばせて意地の悪いことだと思う。
先着順に整理券を配って人数と時間を制限すれば、こんな辛い美術鑑賞にはならないと思う。
他人に整理券を取りに行かせて、時間が来たら自分が入るという小ずるいことをやる人も出て来るかも知れない。
それでも炎天下並ばせて倒れる人が出るよりマシ。
それとも抽選にするとか。

若冲の人気が高いのはわかっている。
京都美術館へ見に行った時など、押し合いへし合いの中でノロノロと野菜の絵巻物に沿って進んだ。
隣の人と肩が触れあっていた。
それでも表で待つ時間は短かった。
まして今回は生誕300年記念で、多くの作品が出展されたのだから人出の予想はつくはずだけれど、そのための対策をしないというのは怠慢かと思う。

芸大勤務の女性が言うには、美術展は作品の保護のため何平方メートルに最大何人まで入れると決っているそうで、それなら時間を区切って計算すれば、次の人の入場時間はわかるはず。
それなら時間を明記した整理券を出せばいい。
そんな手間すらかけたくないと言うのかな。
1人で行った人はトイレにも行きにくかったのでは?

私は他人が気になって、混み合った美術展では鑑賞に集中できないから、今まではモナリザもツタンカーメンも見なかった。
それでも多くの人達は苦難を乗り越えて見に行った。

去年何処で見たのかとんと記憶が曖昧なのだけれど、若冲を思いがけない所で見た。
びっくりした。
殆ど人もいなかったので、じっくりと鑑賞した。
今一生懸命記憶を辿っているけれど、一体去年は何処に旅行したかも忘れている。
又どうせどこかで遭えると思っている。

こんなに若冲人気が出たのはNHKテレビの放送の影響らしいけれど、ちょっと迷惑な話。
過去にしっかり何回も見たから、自分の記憶を反芻してのんびり回顧するのも良いかな。
も~う、牛になろう。





















2016年5月28日土曜日

苦労は周りが

プログラム作成が捗らず、当日までに間に合わなかったらどうしようかと心配していたら、助っ人がはせ参じて今日完成!!!

私はよほど器械類の操作の才能がないらしく、触るもの悉く壊れてしまう。
私が持っているプリンターが、2台とも調子がおかしくなって絶望の淵をさまよっていたとき、ブログを読んで助けに来てくれたのは、マイPC師匠。

私が持っているのは白いプリンターと黒いプリンター。
元々黒い方を使っていたけれど、今日のような事態を見越した師匠が予備機として白いプリンターを買っておいてくれた。

始め、白いプリンターを使っていたら、紙の裏が少し汚れるようになった。
珍しく取説を読んで、ヘッドの掃除をしたところまでは良かった。
さて、これで一気に印刷と思ったら、電源が入らなくなってしまった。
電源が入ってからの手順が書いてあるのが取扱説明書だから、入ることが前提となっている。
入らないときにはコンセントが抜けているとか、私のようによほど間抜けな人が使わない限りあり得ない事として書くまでにも及ばない。

師匠が来てくれたので、器械も人を見て周章てて電源を入るようにするかと思ったら、そうはいかなかった。(いつもはたいていそう)
やはり私が掃除をした時に何かに触るとか、やってはいけないことをしでかしたらしく、電源は相変わらず入らない。
パソコンの設定は白いプリンターになっていたので、そこから改めて黒いプリンターに設定し直す。
こんな事も私は出来ない、自慢じゃないけれど出来ない。

さて、師匠はなにか操作していたけれど、あっさりと表紙部分と裏のプログラム本文の原稿を作成。
先日銀座で買ってきた厚手の光沢のある紙に印刷。
とても綺麗な仕上がりに思わず歓声を上げる。
昨日まで送れなかった紙も、スイスイ送れる。
なんで?と黒いプリンターに訊いたら「いやあ、あなたのなさることは雑でいけませんから」と生意気な器械は答え・・・なかった。

私はコピーで作ることばかりを考えていたけれど、パソコンから印刷すると格段に綺麗に仕上がる。
こんなことは馴れた人なら当然のことだと思うけれど、私は本当に器械音痴。
器痴とでも言うのかしら。
線が付いてもパソコンで消せるらしい。
私は修正液で一々消してコピーしていたのに。あはは。

無事完成!と、そこまでは良かった。
ここで終ればnekotamaの本領は、発揮できたことにならない。

客席数が70席。
用意するプログラムの枚数は、予備を含めて100枚。
先日買った紙はたしか100枚あったはず。
重くて持ち歩きがとても大変だった。
ところが先程50枚刷ってから次をと思ったら、あとの50枚が見付からない。
確かに買ったはずだけど、私のことだからきっと買い忘れたか、置き忘れたかのどちらか。
帰りに重さでウンウン言って帰って来たのだから、きっと家のどこかに隠れているに違いない。
ああ、イヤだ、この家は何でも消える家なのだ。

今朝Amazonから送られてきた和紙のプリント用紙100枚は、薄すぎて両面印刷は無理と判明。
和紙なら素敵だと期待していたのに。

もう50枚を調達しないといけない。
近所のPCデポに行くことにした。
キャノンの両面用の厚手のプリント用紙を買い求め、必要な枚数は出来上がった。

ここ2,3日かなり心配していたのだ。
出来なかったらどうしよう。
もう汚くてもなんでも許してもらおう。
どうせあのnekotamaのやることだからと皆思うに違いない。
そんな風に投げ出しかけていたのが、これですっきり。
結局自分では出来なかった。
私の周りには、いつもこうして泣かされている人がいるのだ。
結局今回のプログラムは私の汗と涙の結晶ではなく、縁の下の力持ちのサポーターのお陰。

今、出来上がったプログラムを見てはニタニタ。
夜中に1人で笑っているのは、ちょっとホラーだなあと思いながら。






















2016年5月27日金曜日

苦労が絶えにゃい

そろそろ5月も終わり、6月が近くなってきた。
コンサートの準備は着々と、と言いたいところだけれど、まだプロスラムが出来上がっていない。
チラシは業者に頼んだけれど、プログラムはA4の紙にプリントして二つ折りにすればいいと思って、自分で作ることにした。
原稿はすんなりと出来た。
なんだか~んたん!

ところがそこからが苦難の連続。
文字のレイアウトがなかなか難しい。
ようやく左右のページの上下のラインを合わせコピーしてみると、左側のページがちょっと左に寄りすぎている。
そこを目を瞑ってしまえばよかったのに、せっかくだからと両ページを切り離し、左側のページをほんの数ミリ右にずらして貼り合わせ、再度コピー。
見た目はスッキリ。

ところが貼り合わせた所が薄い線になってコピーされている。
同じ白だから大丈夫かと思ったのに。
そこでその線に修正液を塗って、何回もコピーし直してやっと消した。
すると今度は、コピー機に付いた汚れがコピーされていることに気が付いた。
ほんの僅かのチリみたいなものが。
たぶん乾いた修正液が少し剥がれたのかも。
それも修正液で消して、コピー機のよごれも拭いて、コピー。
ようやくなんとか出来上がったので張り切ってコピー開始。

ところが今度は紙の問題発生。
普通のコピー用紙の1番厚いものを買ってきたけれど、裏の印字が透けて、なんとなく黒ずんで見える。

そこで先日銀座でランチのついでに伊東やに行って、少し厚手の光沢のある白い紙を求めてきた。
最初の印刷は上出来。
そこでさて、複数枚印刷を始めたら紙が厚いため、紙を送るのがうまくいかない。
いちいち「紙が詰っているので取り除け」と器械から命令される。
しかも紙が綺麗すぎるので、前に使用した紙よりもなおさらほんの少しの点のような汚れもはっきりわかる。
紙の折シワまで、影になって出てしまう。

ほとほと疲れた。
それで今、Amazonで注文した他の紙が届くのを待っているところ。

紙の問題はそのうち解決すると思うけれど、今度はコピー機の反乱に手を焼いている。
コピー機は2台持っていて、大量に楽譜をコピーすることが多いので、フル活用。

昨日までは一台のコピー機を使っていた。
これから本格的に印刷をと思っていたら、少し後ろ側にインク汚れが出るようになったので、掃除をすることにした。
パネルを開けて硬く絞った布で水拭き。
乾いたので閉める。
そして電源を入れたら・・あらら、電源が入らない。
コンセントを抜いてもう一度差し込む。
たいていこれで解決すると思ったけれど、たまに電源が入るのにすぐ消えるの繰り返し。
取説を見ても電源が入らないときという説明はない。
電源を入れてからのことしか書いてない。

そこで、もう一台のコピー機を引っ張り出す。
よかった、2台あって。
試しに印刷。
なんだか妙に薄いけれど、黒い字がグレーになってとても素敵。
インクを濃い目にセットしても同じ。
でもとても品が良いから、これはこのままでいこう。

万一紙選びが間に合わないときのために、前に買ってあった裏の字が透けてしまう紙で50枚ほどコピーをした。
表は出来上り今度は裏の本分の方を印刷しようとしたら、何回やっても白紙で出て来る。
黒のインクはまだたっぷりあるという表示が出たけれど、試しに新しいカートリッジを差し込む。
そしてもう一度。
やはり白紙で出て来る。
この時点で呪われて居ると思わずにはいられない。
カラーが妙に薄いと思ったら、黒インクが出て居なかったからだった。
怪我の功名で、それも又綺麗なんだけど。

えらく疲れて美容院に行ったら「***さん、苦労している顔をしてますね」と若い美容師さんから言われた。
「そうなの、苦労が絶えなくて」と言って鏡をみたら、目の下にたっぷりと影が出ていた。
シミも増えたみたい。
演奏するのは楽しみだからいいけど、なんで私こんなバカなことはじめたのかしらと、後悔している。
でも、始めた以上はやめるわけにいかない。

今回のプログラムは、私の汗と涙の結晶です。



















2016年5月25日水曜日

修道院

ハムレットに言われたわけではないけれど、修道院へ行った。
その修道院は、武蔵野の面影残る静かな場所に建っている。
礼拝堂の玄関を入ると、中から人が出てきて案内された広い集会場がコンサート会場になる。
どこを歩いてもチリ一つなく、清潔で静謐なことに感動した。

95歳になる母親の誕生日のお祝いに、一緒にトリオを弾いて欲しいという依頼が来たのが2ヶ月ほど前。
そしてボストンから来日したピアニストN子さんと2回練習をして、本番の日となった。
15分程前から車いすに乗ったご婦人がホールへ入ってきた。
その方が、このお誕生会の主役。
彼女はかつてピアニストで、今回演奏するN子さんはそのお母様から最初の手ほどきを受けたという。

年齢と出身校(芸大)から、私の知人ともお知り合いではないかと訊いたところ、やはりお友達だと言う。
本当に世の中は狭い。
品の良い物静かな老婦人は、車いすに座って時々笑みをうかべながら、人々の挨拶を受けていた。
かつては厳しい練習に明け暮れ、自分の娘を育てあげ、今人生のたそがれの残照の中で静かに座ってほほえむ姿は美しい。

親族や修道女たちも集まって演奏が始まった。
やはりモーツアルトは究極の難曲。
来月のコンサートの曲は一時中断してモーツアルトを練習したのに、私としてはけっこう真剣に練習したのに、緊張する。
他の2人からも一様に緊張感が伝わってくる。
N子さんのお母様には、とても喜んで頂けたようだ。
N子さんのご主人であるアメリカ人のRさんが、ひときわ嬉しそうに拍手している。

弾き終わるとお茶と御菓子、それとN子さんがボストンから持参した刺繍の施されたリネンを頂いた。
N子さんのご主人のRさんのお母様(N子さんのお姑さん)が刺繍したのだという。
N子さんが刺したものもあるという。
どれもあまりにも繊細で綺麗でずいぶん迷ったけれど、私は白地に白糸で刺繍されたものを選んだ。

それとN子さんがご自分で作ったネックレスを頂いた。
大きめのアンティーク・ビーズを使った素敵な作品。
彼女はこういう仕事もしていて、そのブランドのものだという。
私はアクセサリーはめったに付けない。
普段は全くアクセサリーを付けないのは似合わないから。
猫の首輪だったら似合うかも。

首が太くて短いからマフラーなど巻くと、工務店のおっさんがタオル巻いた風になるし、上等な指輪など買うと瞬く間に紛失する運命にあるらしく、今までどれほどの涙を流したことか。
インドから素敵なサファイアの指輪を買ってきて、それはいまだに行方知れず。
大好きな馬の付いた金の指輪も、行方知れず。
イヤリングもことごとく消え失せ、残っているのはガラクタばかり。
今度こそ失くすまいと必死の思い。

帰りの車の中でも頂いたネックレスをかけたり外したり。
さて夜になってあのネックレスをもう一度見ようと探したら、何処にも見当たらない。
その日持っていったバッグから何から何まで逆さまにひっくり返しても見当たらない。
それでは車に落としたのかと見に行っても、見当たらない。
あまりのショックで茫然。

次の日デスクの抽出を開けたら、あった!
失くすといけないからと、帰宅後すぐにしまったらしい。
柄にもないことをするから大騒ぎになる。
とするとこのネックレスは、やはり身に付けないでしまっておくことになりそう。
宝の持ち腐れ。

修道院の簡素で清潔なことに比べて、私の家のなんとひどい有様。
身辺に物が溢れかえって整理整頓できないのに、目に付いた物はなんでも欲しくなる。
反省に次ぐ反省。


































2016年5月24日火曜日

猫が王様だったら


forgifs.com
説明を追加

なぜこの子は立ってあるくのだろうか?四つ足で歩く方が身体の構造からいっても自然なはず。
人が歩くのを見てまねをした?
これを見ているとめまいがする。
そのうち猫が地球の覇者となる日があるかもしれない。
悪知恵がはたらく。
自分のペースでしか動かない。
どんなワガママを言っても許される、等々。
王様になる条件は揃っている。
現に私は今まで生きてきた間に、どれほどの数の猫姫、猫王子様達にお仕えしてきたことか。

普段はいう事をきかないくせに自分がして欲しいことになると、ありったけの媚態を使って人間を使嗾する。
そそのかされるこちらも悪い。
けれど、その猫の人遣いの上手さたるもの、悪魔的。
ちょっと膝に手をかけられて「にゃ?」なんて言われたら「よちよち、なにがほちいの?」なんてメロメロ。

そのうち二本足で立つことを覚えて、ラグドールくらいの大きさの猫がやってきたら、私などは怯えて何でもいう事をきいてしまう。
人類の未来は暗澹たるものかもしれない。

なんせ、猫が王様だったら・・・・
毎日美味しい物を献上。
同じ味だとすぐに飽きるから、お城の厨房は大童。
眠くなったら仕事中でもお休みあそばされるので、国政はストップ。
仕事をする間でも、何か動く物があれば走り出す。
侍従やお后様も全員で走り回るからうるさいことこの上ない。
かと思うと、急に甘え始める。
膝に乗る。
其処いら中で爪を研ぐから、お城の壁はずたずた。

人間はというと、それを見て目を細めて喜んでいる。
と、なると、猫が世界のリーダーとなったらずいぶん平和になる。
時々強い雄同士がギャーっと言って、勝負すれば、簡単にボスが決る。
これなら戦争は起きない。

犬だとそうはいかない。
人間に服従する気性だから、やはり天下は人間のもの。
悪い人がいて命令すれば、それに従ってしまう。
ドーベルマンが銀行強盗の手先に使われるとか。
人間ほど腹黒いものはいないから、結果として人間の悪意の代行者になってしまうこともある。

ワンちゃんは可哀相だなあ。
人間の遊び相手をして自分も楽しそうにしているのを見ると、あれで満足しているのかしら。
人から最良の友とかなんとかおだてられて、言いなりになって首輪を付けられて・・・
本当にお人(犬)好しなんだから。


















2016年5月21日土曜日

STAP細胞、ハーバード大学で特許申請

理研、早稲田大学よ、ほら見た事か。
下品な悪態ついて申し訳ないけれど、腹が立ってしかたがない。

nekotama 2014年4月10日投稿「こちら」と2016年5月15日投稿の「こちら」を読んで頂きたい。
これを見ると、あの騒ぎから2年経過している。

日本で袋だたきにあい理研を追われ、早稲田大学から博士号を剥奪された小保方さんの研究が、外国の大学(ハイデルベルク大学、ハーバード大学)で日の目を見ている。
小保方さん、どれほど辛い日々を送ったことかと、心から同情する。

ハーバード大学附属のホスピタルがSTAP細胞の作成方法に関する特許出願を、日本を含め世界各国で行っているという。
これまで理化学研究所の公式発表で、「STAP細胞論文はほぼ事実ではなかった」とその存在は完全に否定された。
日本での騒ぎをよそに、世界の有名大学ではSTAP細胞の研究が進められていたという。
ハーバード大がSTAPという名称をつかうかどうかはまだわからないという。
ips細胞の研究でノーベル賞をとった山中教授が、小保方さんの研究を後押ししてあげられればよかったのにと思わずにはいられない。
彼の気持ちは、本当のところはどうだったのかしら。
ご自分の研究の近いところに迫っていたのだから、共感する面があったのではないかしら。

細胞に外的ストレスを与えることによって、細胞が初期化する。
なんのことかは分からないけれど、初期化された細胞はどんな細胞にも変わりうる。
と、まあ、そんな話しらしい。
小保方さんのすぐれた着眼点が賞賛される日も、近いと思われる。
ノートが汚いとか、写真がどうとか。
多分、小保方さんは学問バカで、ノートを綺麗に書くことよりも頭の中のイメージが充実していたのだと思う。
肝心のことが良ければ良いのであって、ノートは綺麗だけど独創性のない学者はごまんといよう。
そのノートは理研の都合で?焼却されたとか。
さて、あの当時小保方叩きに夢中だったひとたち、さあ、どうする?

今度は理研叩き、若山叩きが始まる?
NHKはどうやって報道するのかな。

今は桝添叩きに夢中だけれど、桝添都知事は叩かれて当然、あんな卑しい人が都知事だと思うと日本の行く末が思いやられる。




















2016年5月19日木曜日

いつまでもベッキーじゃないでしょう。

毎日毎日テレビやさんは一体なにをやっているのだろうか。
未だにベッキーが、川谷とかいう悪い男に騙されて不倫をしたことを大騒ぎ。
謝り方が悪いの嘘をついたの・・・ああ、もう沢山。

大体自分が妻帯者であることを隠していた男が悪い。
しかも見るからに気持ちの悪い男。
まあ、これは単に私の好みではないと言うだけなので、爬虫類が好きな人もいるし、猿が好みの人もいる。
こんな事を書くと、ファンから暗殺されそうだけれど。
不倫なんぞは、そんじょそこらにごまんと転がっている。
テレビの制作者達だって、こういった番組を作るときに後ろめたい人は沢山いるでしょうに。

一度俎上に上ると、一斉に叩き始めるのが恐ろしい。
自分たちが何様なの?
うっかり味方をすると、炎上する。
要するに、いじめをしてはいけないと言う人達が立派に苛めに加わっているわけで、正義の味方を気取るのにはウンザリする。

タレントさん達は自分の仕事をちゃんとやっていればそれで良いので、私生活をどうのこうの言われたら、名誉毀損で訴えれば良い。
聖人君子でなければ仕事をしてはいけないなら、今のマスコミで仕事の出来る人はほぼ皆無では?

ベッキーは相手が独身だと思って好きになったのだから、そうではないと知っても、そうそう急には諦められないでしょう。
すぐに消えてしまうようなら、本気の恋ではない。
どんなに障害があっても好きな人は好き。
しかも最初は相手に騙されていたのだから。
私はベッキーが可哀相だと思っている。

しかし、週刊誌に書かれてしまった後の対応は、流石に自粛すべきだったとは思う。
そうなったときに出るのは本当に人間性で、真剣に世間と向かい合うべきだったかと。
ちゃらんぽらんな対応が、世間の怒りを買ってしまった。
特に相手の奥さんには非常に残酷なことをしたのだから、真摯に謝罪を重ねるべきだった。
それだってなにも、個人個人で解決すれば良いわけで、テレビで大騒ぎすることではないと思う。
自分が被害者でもないのに怒る人は正義の味方のつもり?

それにしても、怖いですねえ。
国民総裁判官になって、他の意見を言おうものなら抹殺されそうで。
ベッキーのことより、熊本の震災や、未だに解決しない福島のことなど、もうお忘れでしょうか。
安倍総理のやりたい放題は、ベッキーの問題よりも小さいですか?













2016年5月15日日曜日

衝撃、スタップ現象確認される!!!

nekotamaの「こちら」の投稿を読んで下さい。
http://nekotama-abc.blogspot.jp/2014/04/blog-post_10.html

けさドイツのハイデルベルク大学の研究グループがスタップ現象の確認に成功したという記事を読んだ。


日本では魔女狩りのようにマスコミから叩かれ、理研からも早稲田大学からも追放された小保方さんの研究を、海外の大学が確認実験を行ったということがまず、非常に日本とは違うと思った。
理研に睨まれたら大変とばかり、他の日本の研究所では実験を行わなかったのか。
多少方法や細胞や試薬を変えて試してみようと思う学者は、いなかったのか。

スタップ細胞の小保方叩きに加わった人達、これをどう思いますか?
難しい学問的なことは分からないけれど、要するに細胞と緩衝液の緩衝能が適していなかったらしい。
「それでもスタップ細胞はあります」と叫んだ小保方さんの悲痛な声を忘れられない。
理研の野依教授の「笹井さん、あせりましたね」と冷笑するあの顔と声も忘れられない。
世間の目に耐えかねて優秀な研究者であった笹井氏は自死。
世間に抹殺されたと言っても過言ではない。

研究が一度で成功することは難しいけれど、少し躓いたからと言って袋だたき、挙げ句の果て誰それと男女の関係にあったとか、会見の時の服装にまで一々口を挟むマスコミのそれこそ「ゲスの極み」
わかりもしない研究を、さもわかったように解説するコメンテイターたち。

理研での再度の実験の時も、たぶん協力しようとする人は居なく、小保方さんは針のむしろ状態で監視され、思うように試薬を変えたり出来なかったのだと思う。
後1年でもいいから待ってあげれば、今回のハイデルベルク大学の研究にたどり着けたのでは?
協力者はいなかったのか。
沈みかけた船からいち早く逃げ出した共同研究者の若山教授、あの人だって何かアドバイスが出来たのでは?
それよりも彼が元凶という見方もあるそうなのだ。
彼女に全責任を押しつけ、恣意的に研究を主導したとか。
素晴らしい発見になる寸前で挫折して、抹殺された女性が気の毒でならない。
たとえ成功しなかったとしても、ここまでの道筋を作ったのは小保方さん。
その後を受け継いで成功したのはよその国の大学。
なんだか情け無い。
理研が総力を挙げて応援すれば、成功は夢ではなかったのに。

スタップ現象とは細胞に酸性ストレスをかけて、細胞が身体のどんな細胞にもなれる可能性をいうらしい。
実験に成功しなかったのは、細胞の種類、その緩衝液の違い、試薬の製造年月日の差などによっても結果が違ってくるそうなのだ。
実験を重ねれば、成功した可能性は非常に高い。
日本の一部の専門家は、いまさらスタップ現象を研究する人は世界の何処にもいないと、批判したらしい。

狭い日本の、心の狭い学者諸氏。
女性に、しかも若く綺麗な人に先を越されては面子が潰れるとでも?
今回のことで1番恥をかいたのが、理研と早稲田大学。
発端の週刊誌の記事は売文稼業なのでしかたないとしても、野依さん、貴方はひどい。

亡くなった笹井氏は研究者としても優秀で、お金や人材をあつめるのに長けていて、自分の名前のついた研究所が完成間近だったときいた。
そんなことで他の研究者から嫉妬されていたかもしれない。
しかも後押ししていた小保方さんは可愛くてオシャレ、およそ今までの研究者のイメージからは遠い。
でも学者がオシャレで、なにがいけない?
可愛らしい顔でブランド品を着ていて、なにがおかしい?
いつもながら、マスコミの意地悪さには胸くそ悪くなる。

会見の時の服装が計算ずくと言われたけれど、誰だってTPOは考えるでしょう。
それがまるで、計算高い悪女のように言われて、さぞ悔しかったでしょう。
日本で活躍するのは諦めて海外で自由に研究する方が、彼女のためだと思う。
こんなせせこましい国で、良い研究が出来る訳がない。













2016年5月14日土曜日

猫に小判ならぬシャンパングラス

ボストン在住の日本人ピアニストが、日本に居る母親の誕生日のお祝いに演奏して聴かせたいというので、お声がかかった。
人伝てに頼まれたので、一体どんな人なのかも詳しく訊かずに今日初めての練習が始まった。
モーツァルト「ピアノトリオ ハ長調K.548」
短く、シンプルでありながら華やかで、スッキリとまとまった名曲。
これが中々手強い。

6月のコンサートの練習も中だるみ状態で、ちょっとした気分転換にいいかと思って引き受けたのだけれど、息抜きになるほどモーツァルトは甘くはない。
今日、練習場の持ち主チェリストMさんのスタジオに行くと、私と同じくらい小柄な女性が待っていた。
年代も同じくらい。
顔を合わせた途端に話しがはずむから、これはたまらんとすぐに調弦を始めて、半ば強引に音合わせに入った。
いつもならゆっくりお茶を飲んで自己紹介をしてというパターンなのに、さっさと弾き始めた私にMさんはびっくり。

でもムダにお喋りをしていると時間が足りなくなる。
楽譜はやさしいけれど、合わせるのはけっこう難しい。
それに一体どんなピアノの演奏をするのか、早く確かめたかったのもあるし。
初めのうちはお互いに探り合い。
2回3回と合わせているうちに楽しくなってきた。
今回のピアニストは音もきれい、合わせるのも上手い、なによりもバランスが良い。

なるほど、こういう人だったら安心だけど逆に言えば、こちらもよほどきちんと反応しないといけない。
こちらが物を言えばちゃんと答えが返ってくる。
よほどアンサンブルを弾き馴れた人だと思う。
丁々発止と練習が進んで、休憩時間に入った。

ボストンで夏のミュージックキャンプがあるから来ませんか?と嬉しいお誘いがあった。
いくらでも我家にお泊まり下さい・・・ですって。
農場を持っていて、馬にも乗れますだって。
うわあ、行きたい。

ボストンねえ。
ボストンシンフォニーはあこがれのオーケストラ。
ボストンはとても美しい町だと聞いている。
一度は行ってみたい。
誘われれば遠慮無く応えて、行ってしまいますよ。
本当に良いのかな?

休憩を挟んで2時間半みっちり練習したら、えらく疲れた。
最近は体力も視力も落ちて、集中力が持続出来ない。
特にモーツァルトはああ見えて(どう見える?)優美で軽やかでと思われがちだけれど、実際は恐ろしくガッチリとしているのだ。
表面の軽さだけ追ったら、鋼のような鎧が中に見えたりする。
それでいて音はあくまでも軽く・・・なんて、ほんとうに難しい。
しかし弾いて居るときのこの幸福感はなんだろう。

昨日まで弾いていたバッハ、ベートーヴェンはしばらくお休み。
モーツァルトが出て来ると、みんな消し飛んでしまう。

ピアニスト(お名前をきいたのに忘れてしまったので、仮にPさん)は大きな荷物を持っていた。
そして、とりだした物は私たちへのお土産。

彼女はアメリカ人と結婚している。
ご主人の家系はメイフラワー号に始まるらしい。
ご先祖のメイフラワー号でアメリカに渡った人が亡くなって、彼と彼の奥さんの結婚指輪を溶かした金をシャンパングラスの飾りに入れた、その記念すべきグラスを私とMさんに下さった。
金の量がグラス11個分しかなかったそうで、2人で6個と5個に分けていただいた。

そのグラスは足の長い30センチもあろうかという大きさ。
グラスの盃の部分は普通のサイズだけれど、丈が高い。
こんな大きなグラスは私には不釣り合いだし、広々としたダイニングの巨大なテーブルにしか合わない。
銀の燭台や天井からシャンデリアが下がったような部屋だったら、さぞお似合いだと思う。
うちの半ば物置と化しているテーブルに置いたら、猫がじゃれて割ってしまうに違いない。
一体こんな上等な物を他人にあげるとは、どんなリッチな人なのか。
うちの足の踏み場もない猫部屋を見たら、仰天するに違いない。
さて、いただいてしまったけれど、どうしよう。

















2016年5月11日水曜日

疲労の朝

目が醒めたらなんか頭が重い。
低気圧がきているようだ。
日が射してはいるものの、午前中、車を走らせていると、目の前の空がどんより重く垂れ込めている。

買い物をしようと出かけたのに、なんと店は定休日。
今まで水曜日が定休日だったとは知らなかった。
と、いうより、最近まで日曜祝日が定休日だったのに。
開店数分前に到着すると、いつもは店に灯りが点いて、中で忙しく開店準備をしている人達の姿が見える。
そして開店と同時に店に入って手早く買い物をして・・というのがいつものパターンだったのに。
いつ変わったのかしら。
しばらく呆然としていた。

気を取り直し、友人に電話してコーヒーブレイク。
ヘラヘラしているうちに気分が良くなった。

昨日は6月のコンサートに向けて、初めて全曲の練習が始まった。
いつもは歳相応に、ゆっくりと一曲ずつのんびりと練習していたのが、チェリストが入ることで急に引き締まる。
午前中ピアニストと2人でバッハとベートーヴェンのソナタを練習。
昼食を挟んで、ブラームスのトリオの練習。
10時から17時までしっかりと練習したら、帰宅した時にはさほど疲れを感じなかったけれど、今朝、その疲れがどっと出たみたい。

低気圧と相まって、ドヨンとする。
今朝鏡を見たら、目の下にお疲れ袋が出て居た。

それで今日はヴァイオリンを弾くよりは、ボンヤリした方が良さそうと判断したけれど、午前中練習していないことで落ち着かない。
どうもヴァイオリンに取り憑かれて、一生落ち着かない時間を過ごすようだ。
思い切って海外にでも行ってしまえば良いけれど、国内だと楽器を持ち歩く。
楽器を車などに放置できないから、食事の時も店に持ち込む。
クライスラーは列車の網棚に無造作に楽器を放置して、食堂車などに行ってしまったらしい。
彼は大金持ちだった(と思う)ので出来ることで、私の様な貧乏ガクタイはそんな大胆なことはできない。
クライスラーの楽器の値段よりず~~っと安い楽器でも、なけなしの楽器だから、いつも持ち歩く。
それで先日の北軽井沢にも楽器持参だったから、休養よりも練習しに行ったようなもの。
貧乏性というか、諦めが悪いと言うか。

普段ドジで不器用な私を見ている友人が、こんな人がヴァイオリンを上手く弾けるとは思えないと言うから、コンサートに来てと言ったらイヤだそうで、すげなく断られた。
上手くはないけれど、あたふたするのが面白いと思うけど。
たいていの人は演奏よりもドレスや靴に注目、私のウエストに食い込んだドレスを見て、いつ破けるだろうかとハラハラするのも御一興。

楽器を弾くのは難しいけれど、楽器にお願いして任せてしまうと、なにもしなくても良いのですよ。
ヴァイオリン自体完成されているので、余計なことはしないほうがよろしい。
結構な歳になってもまだ弾いていられるのは、なにもしないから。
なにかすると劣化した筋肉に負担がかかる。

私の好きなフレーズ。
何をしなければいけないかではなく、何をしなくて良いかを考えなさいという、アレキサンダー氏の言葉。
それを読んだ時、目から鱗だった。
それでもまだ、余計な事をしてしまう。
それで今朝みたいに疲れが出るのだ。
いつまで経っても未完成。




















2016年5月8日日曜日

自転車の事故

赤ちゃんをオンブして自転車に乗っていた母親が、車と接触、転倒して赤ちゃんが亡くなるという痛ましい事故が起きた。
なんて気の毒なと思っていたけれど、その後の情報から、このお母さんは信号待ちの車の間を縫って道路を渡ろうとしていたこと、しかも横断禁止の場所であったことなどがわかった。
1番端の車線を走ってきた車と接触。
他の車の間を走ってきて、最後の車線に出るときに確認をしなかったのだろうか。
その車線を車で走っていて自転車に飛び出された人は、不運としか言いようがない。
まさかそんな所から自転車が顔を出すとは夢にも思っていなかったと思える。
赤ちゃんの命が消えただけではなく、車を運転していた人の、その後の人生にも関わる重大事故となってしまった。

私も一度、あまりの自転車のひどさに、事故すれすれだったことがある。
自宅付近を自転車で走っていた。
いきなり左側の脇道から、こちらの道路に直角に飛び出してきたおばさんの自転車。
見通しの悪い細い路地からいきなり飛び出すとは、良い度胸としか言いようがない。
しかもブレーキをかけもせず、かなりのスピードで。
もし私が車で走っていたなら、彼女は絶対にひかれていた。
その時私は道路の左側を走って居たけれど、急加速してとっさに右によけて衝突を回避しようとした。
しかし間に合わず、その自転車は私の自転車の車輪の後方を直撃した。
私はとっさに自転車を飛び降りて転倒はしなかった。
その人は転倒して痛い痛いと騒いでいる。
全く同情の余地はないので、一応携帯でその人の家族に連絡してあげたけれど、そのまま道の端にその人の自転車とその人を放置して帰って来た。

もう一つ、やはり自宅付近。
買い物帰り、今度は車を運転していた。
その時は右側の路地から、子供2人を自転車の前と後ろに乗せた自転車が飛び出した。
よくまあ、そんな危険な事が出来るとびっくりする。
普段はいい加減な私も、車の運転だけはすごく慎重になる。
やはり走る凶器であることは重々わかっているから。
しかし、あんなに大胆に子供2人乗せた自転車で飛び出すとは!
目の前をすっと横切られて、急ブレーキ!

幸いスピードを出していなかったのと、反射神経の良さで事故を回避。
しかし、シートに乗せてあった食料品が床に飛び散った。
呆れかえって窓を開けて怒鳴ってしまった。
「あなた、子供さんを殺したいのっ」
子供を乗せた自転車は免罪符?
急いでいるからとかなんとか言うかもしれないけれど、子供の命と引き替えに出来るほどの時間などない。
自宅に帰ってから買い物を調べたら、卵がグチャグチャ。
あの場で代金を払わせれば良かったと、一日中むかむかした。
お金をとられれば、その後そんな危険なことはしないと思うので。

なぜ車道に出るときに一時停止をしないのか。
しかも子供も居るのに。
自転車が好きで私も良く乗るけれど、車の交通法規を守って乗っている。
一時停止ではかならず止る。
しかし、そんなことをしている自転車には、めったにお目にかからない。
自転車に乗る人は、あくまでも自転車が車両の一部であることを認識してもらいたい。

自転車と衝突した時のことは前にも投稿したけれど、相手の自転車に気が付いて回避するまでの瞬間、沢山のことを考えた。
まず、右によけるために、後ろから車その他が来ていないか確認。
そして前籠に載せていた荷物が、このまま転倒しても壊れないかどうか、自分がどちら側に跳べば良いかを考えた。
よく人が高い所から落ちるときなどの非常事態に遭遇すると、自分の人生が走馬燈のように凝縮して見えるというのは本当なのだと思った。

そういうとき、私の人生がグルグルと回って、その中でヘラヘラと笑っている自分がみえるのかしら。
ああ、カスみたいな人生だったと反省するのかどうか。
まあ、面白かったことは確かだけれど。














2016年5月7日土曜日

明るいわが家

南側に建っているお隣さんの家が解体された。
昨日一日ゴトゴトやっていたと思ったら、あっと言う間に家がなくなってしまった。
早いのなんのって。

今朝、5時頃目が醒めた。
やたらに明るい。
ガラス窓がピカピカ光っている。
部屋中に光が差し込んでいる。
これはもう寝ていられないから、すっかり起きてしまった。
元々早起きだけれど、夏に向かってもっと早起きになりそう。

しかし、明るい家は落ち着かない。
ずっと南側をふさがれていたので、日中の数時間しか日が当たらなかった。
その僅かな日だまりに猫が寝ていて、それは幸せそうだった。
今度はもっと大きな家になるとしたら、その僅かな日だまりが確保できるかどうか。
建築士のお父さんを持つ友人が、日照権の問題は厳しくしないといけない。
違法なら建築差し止めも考えないといけないとアドバイスをくれたけれど、せっかく新築するのだから広くしたいだろうし、お日様は外で浴びれば良い。
家はあまり明るくなくても良い。

私の寝室は北向きの窓しかなくて、昼間でも薄暗い。
小さな3畳ほどのスペースと壁一杯のクローゼットで、ベッドを置いたら他の家具は入らないほど狭い。
それでも、この部屋になってからは本当に良く眠れる。
穴蔵のようで落ち着く。
照明器具を取り付けてくれた人が、ちらりと見て「あ、ここ物置ね」と言ったほどの狭さ。
とにかくベッドに入った途端に、バタンキューと眠ってしまえる心地よさ。
修道院の部屋みたいに簡素で暗い。

よく建築の本などでモデルになる家は、ガラス張りで凄く明るい。
大きな窓と吹き抜けと天窓からも燦々と光が差し込む。
気持ちは良いかもしれないけれど、明るすぎない?
でも動物たちを見て欲しい。
木の洞などに巣を作る。
外敵から守られて気温の差もあまりなく、実に快適そう。

南側がふさがれていたので分からなかったけれど、遮蔽物のない家はこんなに明るいのだ。
明るすぎればカーテンで調節すればいいのだから、日が差し込むのは都会では幸運なことかもしれないが、今まで暗めの家に長いこと居たために、今の状態は落ち着かない。
そうかと言って、早くお隣の家が完成すれば良いとは思っていない。
前になにも無いと爽やかだし、風も心地よい。
出来ればお隣さんの気が変わって、平屋住宅にでもしてもらえると有り難いのだが・・・
工事が始まって猫が落ち着かない。
しょっちゅう押し入れに引きこもる猫なので、工事中は押し入れが住み処となりそう。

ま、広い南側の庭付きの家に住めない者の、たわごとだけど。
ごまめの歯ぎしり、あの葡萄は酸っぱい的な。