2011年11月8日火曜日

整体に行く

ヴィオラを弾いて痛めた首、腰を直すために近くの中国整体に行った。いつもの担当がいなくて今日は大男の先生。うわ、大丈夫だろうか。こんな大きなひとにボキボキやられて痛くないところまで痛くなったらどうしよう。身長180センチくらい、体重もすごく重そう。そして始まった。とても元気が良い人で背中を乱暴にぐいぐいさすって「硬いね」と言う。この調子でずっとやられたらきっと痛いにちがいないから、もう少し力を抜いてくださいと言おうとしたら、なぜかスッと眠くなる。おや、思ったよりずっとソフトになってきたぞ。そして、そのまますとんと眠ってしまった。時々目を覚ますと鼻水が垂れている。風邪をひいたらしい。又眠ってしまった。終わる頃再び力が強くなって目を覚まされた。最近こんなにぐっすり眠ったのは久しぶり。終わって立ち上がろうとしても力が抜けてフラフラする。初めて顔を見ると柔和なまん丸顔で、やさしそうな小さな目が笑っている。家に帰ってもう一度ヴィオラを弾こうとおもっていたのに、もう体中がふにゃふにゃで、このまま寝たい気分になってしまった。12月のコンサートが終わるまではせっせと通うことになりそう。結局楽器を弾くということは体つくりにもつながるから、同じ年代の人に比べて外見は元気に見えるのはそのお蔭かもしれない。中身はいろいろあるのです。胃が痛い、腸の具合が悪い、腰、ひざが痛いなど長年使ってきた部品にガタがきているのは仕方がない。でも楽器を持つと生き生きとした気分になれるのは本当に幸せなこと。歳をとって無理に動かさなくなったぶん力が向けて、むしろ以前より音を出すのが楽になったのは、すごく儲かった気分がする。捨てる神あれば拾う神、ですね。

サイズが合わない

今年12月にロンドンアンサンブルの演奏会に一日だけヴィオラで参加することになった。若いころはヴィオラもヴァイオリンも両方で仕事をしていたけれど、やはりヴィオラは私には大きするので、泣く泣くヴァイオリンだけで仕事をするようになった。ヴィオラの音もヴィオリストの性格も好きだったから、と言うより私自身がヴィオリスト的性格(マイペース、ひがみっぽい、大雑把、無精、ものぐさ、表に出ることを嫌う等々)だから、非常に楽器との相性も良くて、ほんとうならヴィオラ一本でいきたいところだった。ところがヴィオラ弾きに必要な体の大きさがない。日本人の中でも特に小柄だから、ヴィオラを弾くと必ず腰が痛くなる。今回の演しものは「展覧会の絵」をアレンジしたもので、初めはピアノ用に、あとでオーケストラに書き直された。音が厚く多彩なオーケストレーションなので、ピアノ、フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの5人で弾くのは各々の受け持ちが多くなるということ。かなり一人一人の負担が大きい。そしてふつうヴィオラではめったに弾くことのないハイポジションがやたらに出てくる。もう一本ヴァイオリンがいればセカンドヴァイオリンが受け持つ音域をヴィオラが弾かなければならない。短い腕をいっぱいに伸ばすと体は捻じれ、腰や首がギリリと痛む。でもこんな面白いチャンスを人に譲る気はさらさらなく、この一ヶ月それに耐えるように訓練していかなくてはならない。サイズが合わないと言えば、飛行機のビジネスクラス。一度乗ってみたいと思っていたので、ある時思い切って乗ってみた。さて椅子に腰かけると、これが私には途方もなく大きく、体は沈んで立ち上がることもできない。足載せに足を乗せようとしても届かない。体が宙に浮いた状態のままの状態で本当に疲れた。身の丈に合った生活をするものだと痛感した次第。ヴィオラもサイズが合わないからこの先もう弾くこともないとは思うけれど、あの何とも言えない魅力のある音を捨てがたく、来世は大きな人に生まれ変わろうと思う。さっきヴィオラ弾きの性格を悪く言ったようにとられるけれど、裏を返せば中庸を知る落ち着いた控えめな教養人の姿が浮かんできませんか?そういう人に私はなりたい。あまりにもおっちょこちょいなので。

2011年11月7日月曜日

ジェットコースター

先月今月と感情の起伏はまるでジェットコースターに乗っているように上がり下がりする。コンサートの楽しみと人が亡くなる悲しみとが交互にやってくる。今日は親戚の私より若い男性が亡くなって、奥さんと娘さんの悲しみに付き合ってきた。先日はたくさんの人と一緒に演奏ができてとても楽しかった。
禍福は糾える縄のごとしと言うけれど、こんなに短時間のうちに両方がどっと押し寄せてくることはめったにないから、気持ちのコントロールが大変。かわいそうだったり幸せだったり、本当に忙しい。今年は3月11日の大震災を境に、日本中の人の気持ちや人生観が変わった年でもあった。私も非常に影響を受けやすいほうだから、あれからしばらくはふさぎ込むことも多かった。しかも夏の節電騒ぎで、蒸し暑さを我慢したために、秋口からなんとなく体調もすぐれない。その上ジェットコースターのように変わる悲喜こもごも。年をとったせいか、少しは衝撃も柔らかく受け止められるようにはなったけれど、それでも時々ひどく応えることがあって、本当に今年は疲れました。先日睡眠中に、いきなり足がつって目がさめた。その痛さったら、我慢強い私でも唸ってしまうほど。次の日友人4人と会った時にその話をしたら、そんな重大なことなのに皆しれっとしている。何のことはない、足がつるのは日常茶飯事だそうなのだ。私は軽くつるのは時々あったが、そんなに痛いのは初めてだったので、重大なことが体に起きていて救急車ものだと思っていたのに、皆そんなことはよくあるらしくて、ビックリして損をしたような気持ち。歳とればいろいろあるさって、軽く受け流さないといけない。それでもし命にかかわるようでも、人の命は結局消えるのだから心配しても同じこと。それなら心配しないでおおらかに生きたい。おおらかさとだらしないのは紙一重で、私はどちらかと言うと・・・だらしなく生きている方かな?

2011年11月6日日曜日

珍しくヒマな日曜日

土曜日は怒涛のような一日で、しもたかフィルというアマチュアのオーケストラのお手伝い。なんだか最近プロのオケからお呼びがかからなくなり、アマチュアのオケを彷徨している。オケマンが地元で自分の弟子や地域の人たちを集めてオーケストラを始めることが多い。それは自分の楽しみでもあるし、弟子にオーケストラの楽しみを知ってもらいたいからでもある。しもたかフィルはヴィオラの名手である東氏とその奥さん、ヴァイオリンとヴィオラで大活躍する手島さんの二人が作り上げた。東さんとはいつも古典音楽協会で一緒に演奏する仲であり、手島さんとは仕事でご一緒する。しもたかフィルは手島さんの名マネージメントで成り立っている。優秀なヴァイオリニストでカルテットなどでも引っ張りだこの売れっ子の彼女が、ここのオケでは完璧に裏方に回っている。もったいないとは思うけれど、彼女の裏の働きがないとやっていけないので、仕方のないこと。東さんから「ねえ、弾きに来てよお」と言う甘ったれた言葉に誘われてもう5,6年にはなると思う。初めはがっちゃがちゃだったオケも次第に体裁が整ってきて、今年なぞは結構な出来栄えだった。私はいつも一回しか練習に出ないから、シンフォニーなど弾くと結構緊張する。やっと思い出したころ本番が終わる。今年は会場練習ができなくて、下高井戸の小学校で練習してから会場に移動するという煩わしいことになった。大体下高井戸みたいに道の狭い商店街にコインパーキングがあるのかどうかがまず心配だった。うちのひどいカーナビに振り回されて、世田谷のわかりにくい道をやっとのことで小学校近くまで行くと、なんとラッキーなことか。コインパーキングに一台分空きがあった。ほかのパーキングはすべて満車で、日頃の行いが良いと幸運は向こうから来るものだわと自賛する。狭い教室でひしめき合って自分の音もわからないくらいの騒ぎの中で練習が終わると、ほとんど茫然自失、耳が疲れる。今度は会場へ向かう。井の頭通りを行くとカーナビが大騒ぎをしてなにやら変な方向に導こうとする。一応カーナビさんにお伺いは立てたものの、勝手知ったるNHK周辺。さっさと自分の道を行く。ほら着いたじゃないの。このカーナビは本当におかしい。オリンピック記念青少年センター。とても響きのいいホールで本番は楽しいが、今年は後ろにやたら威勢のいいお姉さんがいて、テンポがかならず速すぎる。それを抑え込もうと必死に努力するも、若くて生きのいい音がバンバンと迫ってくる。なんせ、一泊休止符があっても絶対に休まない。だから人が休んでいる時にはもう弾いている。そうされるとこれから弾こうと思っている人はもう弾けなくなってしまうのだ。殆ど半分後ろを向いてそれをけん制しながら弾いたのでもうヘトヘト。終わってから来ていると思った友人たちがだれも現れないし、雨は降ってくるし、盛り上がらないでしょんぼり帰ってきた。その疲れで今日は一日どんより、空模様もどんより。いつも一番忙しいはずの日曜日が休みになった。

2011年11月4日金曜日

月例弾く会

あっという間に一ヶ月は経ってしまう。「弾く会」も初めは気楽に参加していたけれど、これが中々のくせもの。一曲終わってほっとすると、あっという間に次の会がきてしまう。追いまくられているようだ。そしてピアニストと言う人種は超真面目なので、必ずと言っていいほど毎月大曲を新しく出してくる。弦楽器のFUMIKOさんと私はなんだかいつまでもヘンデルのパッサカリア。今日はFUMIKOさんはシューベルトの「アルペジオーネソナタ」私はベートーヴェン「ロマンス」とバッハ「G線上のアリア」。でも来月は「パッサカリア」を弾く本番があるので、次回も練習代わりに例会で弾くことにする。譜読みはできているのであとは練り上げていくばかりだが、奥が深くてスケールの大きなこの曲はいつまでたっても様にならない。作曲家の器の大きさをひしひしと感じる。ピアニストに言わせれば「ヴァイオリンは音がピアノに比べて少ないから譜読みが楽よね」とくる。いえいえ、とんでもない。まずあのつるっとした指板のことを思い出してほしい。あの指板の上のある一点を違えずに押さえるのがどれだけ大変なことか。譬えれば、なんの目印もない原っぱでゴルフの名人がどの地点でも必ず同じポイントに球を落とせるとは限らない。左右にぶれたり、距離が違ったりするでしょう。ヴァイオリンはそれの縮小版、短くなった分誤差はもっとひどい。ほんの0コンマ何ミリの差で音程は変わってしまう。指一本が半音違う。指を寝かせて押さえるか、立たせて押さえるかで、音程も音質もガラッと変わる。そして指板の高音域のほうは、なぜかどんどん音域の差が狭くなってきて、ひどい時は指をいちいちずらしながら押さえなくてはいけなくなる。ピアノのように音が決まっていて、そこを叩けば猫でも犬でも同じ音程が出る楽器とはわけが違う。毎日毎日音程との戦いで終始する。もっと厄介なのは右手のボウイング。弓の遣い方によってどれほど音質の差が出ることか。毎日弾いていても音がガサガサの時もあるし、めったにないけれどやたらに調子のいい時もある。訓練である程度の水準は確保していても、調子が悪いと音そのものがちゃんとでない。ピアノは音はとりあえず出るし、音程も決まっている楽器だから、弦楽器はその前段階で苦労しなくてはならない、とても損な楽器なのだ。時々子供にヴァイオリンを習わせにくる親御さんに泣かれる。「こんなに大変だとは思っていませんでした」と。ピアノの悪口を言っているのではありません。なぜなら私は途中までヴァイオリンにするかピアノにするか迷ったくらいピアノが好きだったから。ピアノにはピアノの苦労がある。だからほかの楽器が自分の楽器よりも易しいなんて、露ほども思わない。それぞれ大変なんだから。

2011年11月3日木曜日

手

手にいつ頃からかシミができて、目に入るたびに嫌な思いをしていた。顔は鏡さえ見なければ本人は見えないからいいけれど、手はすぐに目に入る。先日北里研究所に行って手のシミ取りをしてきた。レーザーをバシッ、バシッと照射して行く。あとが真っ黒になってシミよりずっと汚い黒い斑点になったけれど、2週間後には全部のかさぶたが取れて、シミは消滅した。久しぶりに見るシミのない手。うれしいけれど今度はしわが目立つ。この手で何十年もヴァイオリンを弾いてきたのかと思うと、しわがあろうと、関節が節くれだっていようと、いとおしい。何十匹もの猫の頭を撫でてきたことか。怪我もせずここまで来られたことに感謝する。今更ながら人間の手の素晴らしさに驚嘆する。こんなに精巧にできている手をもったからこそ人間はこれほどの文明を築きあげられたのだと思う。二本足歩行を始めたからそうなったのか、手が素晴らしく器用なので足から分離できたのか、その辺はわからないけれど、そのお蔭で私は素敵に楽しい人生を過ごしてきた。大事な大事な私の手。関節炎で指が曲がり、一時はヴァイオリンを弾くことをやめなければならないかと思うほどの痛みに悩まされ、音程が悪くなって周りにもずいぶん迷惑をかけたと思う。でも私の唯一の自慢は幅広で親指が内側を向いていること。見てくれは悪いけれど、この手がヴァイオリンを弾くことに向いていたから、ろくな才能もなく努力も中途半端でもやってこられた。あるとき右手のボウイングを習いに行った時、初めてお目にかかる先生が私の手を見ておっしゃった。「あなたの手はそのまま弓をもてるよね」本当に初めからなんの苦もなく弓が持て左手も苦労なし。だからといってろくな音楽的才能は持ち合わせていないから、大成はしなかったけれど、そこそこ仕事も出来て、時々はコンサートも聞いて頂けて幸せだった。あともう少し手が長ければ申し分なかったと思う。でも私は身長が低くて、これで手だけ長ければオランウータン。オランウータンでもいいな。森に棲んで木の天辺で昼寝も悪くはない。

2011年11月2日水曜日

カレーランチ

昨日は友人2人と待ち合わせて私の地元のカレーやさんでランチ。インドかスリランカか、とにかく本場の人の作るカレーはたくさんの種類があって、しかも、ナンの大きさと言ったら、初めて見た時はほんとにビックリした。しかもおいしい。それでアンサンブルの練習する前にこのカレーを食べて気合を入れるのが、FUMIKOさんと私の習慣になってしまった。彼女は無類のカレー好き。ここのカレーはどうやらお口に召したようで、いつも付き合ってもらえる。そして、今回は同級生のピアニストのSさんが一緒。今度の「弾く会」に一緒に演奏するための練習にわざわざ私の地元まで来てもらった。3人で楽しく会話しながら食べていると、隣の席に2人の女性が座った。初めて来たらしく名物のナンの大きさに仰天している。こちらを見て「大きくてびっくり、食べられるかしら」と言って笑う。こちらからも「大きいでしょう。おいしいのよ。食べきれなければ残した分を包んで持って帰れますよ」と言ってニコニコする。女性同士はこうやってあっという間に打ち解けるけれど、男性の場合そうはいかないらしい。猫を見ていてもわかるけど、雄同士はすぐに縄張り争いを始める。メスはどこ吹く風。気の毒だなあ雄は、いや、失礼、男性は。さて、昼食が終わると練習。まずFUMIKOさんがシューベルトの「アルペジオーネソナタ」を合わせ始めた。もともとアルペジオーネというギターの親戚のような楽器のために作曲された。アルペジオーネ自体はすぐにすたれて演奏されなくなったけれど、その無類に美しい曲は今、チェロやヴィオラで演奏され愛されている。隣の部屋でパソコンの写真のチェックをしながら聞いていると、ステキな音が聞こえて来る。でも、ある人から送られてきた自分の写真があまりにもお化けなので、少し悲しい。ああ、美人に生まれてくれば写真見るのもうれしいのになあ。