2013年10月30日水曜日

街角の第九

先ほどネットで見つけた「第九」パフォーマンス。しゃれたハプニングに喝采!どぎつい「どっきりカメラ」などでなく、こういうどっきりなら大歓迎。
最初にコインを入れた少女は、もし純粋に通行人なら、一生記憶にのこる光景だったと思う。演出かも知れないが、なんとも格好良い動画ですね。音はどうなんだろうなんて野暮な追求はしないで楽しもう。
ハプニングではないけれど、先日お手伝いに言った「しもたかフィル」毎年恒例の「第九」は下高井戸駅そば、松沢小学校の半地下の教室の窓を開け放って演奏される。
お客さんは通行人。座って聞けるよう、窓の外に多少椅子の用意はあるものの、歩いていると(おや?どこから第九が聞こえてくるのかな)と思って立ち止まって聞いてもらうのもよし、座って震えながら聴くのもあり。
常連さん達は始まる30分くらい前からご苦労さんにも椅子を確保している。
寒風吹きすさぶ道の脇に膝掛け持参で始まりを待っている。
暖かい晴れた日なら、ひなたぼっこを兼ねてのどかに第九を聴くのもしゃれている。
演奏する方は、ヒートテックの下着に黒い衣装で膝掛け、指の出る手袋などで防寒するものの、演奏時間になって窓が開くと、おお、寒い!弓が風を切ってますます冷たくなる。
それでも覚悟を決めてしまえば30分くらいどうということはない。もちろん全曲でなく抜粋だから、クライマックスのいいとこどりとなる。
歌のソリスト達は胸や肩が大きく開いたドレスで平然と歌っている。かなり脂肪の助けを借りているとは思えるけれど、見あげた根性には感心する。
今年も12月の最後の日曜日、下高井戸商店街で怪しげな音が足元から聞こえてきたら、私たちの冷や汗と鼻水の結晶だと思って下さい。







それは1枚のコインからはじまった。海外ではおなじみのストリートパフォーマンスは、小銭を入れることでその芸を披露してくれる。ある少女が、コントラバスを持ったパフォーマーの用意したシルクハットにコインを入れた時、奇跡は起こった。

パリ管弦楽団カルテット

『フォーレ』『ラヴェル』『ドビュッシー』
これはもうフランス物の定番を並べた、涎の出そうなプログラム。白寿ホールにて。
人に頼んでチケットを買ってもらっていたので座席が前から2番目。しかも端っこ。
いっしょに行った友人のNさんと「わー最悪」と言っていたのだが、このホールはステージが低くて音響が良く、前のほうでも臨場感溢れる感じで中々面白かった。
それでも後半は後ろの席に移って聴くと、やはりカルテットとしては纏まって聞こえる。
横幅が狭く縦長の会場なので、1番後ろの席は少し音が遠く聞こえるのが残念な気がする。
音響はすごく考えて作られているのだが、どの会場でも完璧にという訳にはいかない。その会場毎の音響のスポットを知っておくと、次にチケットを買う時に役に立つと思う。
さてパリ管メンバーお家芸のフランスものとなれば、掌の中にすっぽりと入るほどこなれた曲だと思う。
曲のどの部分も完璧なハーモニー、洗練された表現、音の良い意味での軽さ、絶妙のピアニシモ。
聴いていて不意に「ヴェルヴェットのような夜の闇」という言葉が浮かんできた。なんだか訳がわからないけれど、詩的にちょっと想像してみて下さい。
ぬばたまの漆黒の闇夜。シーンとした中に神秘的ななにかが現れては消える。光だったり神々しいものだったり。
フランス音楽というと理性よりも感性に傾くと考えられがちだが、どうして、ラヴェルなどは恐ろしく理性的。計算され尽くした組み立てだから、感情にまかせて弾くことは出来ない。
器械のように歯車がかみ合っていないと、ラヴェルの音は出ない。私も何回か『カルテット』も『ピアノトリオ』も演奏したが、自分で演奏してみて初めて曲の仕組みを知ったときに、びっくりするほど理性的なまるで数学のようなものだと思った。
それなのになんと豊かな色彩感が出るのだろうか。
天才だからといってかたづけてしまおう。
凡才は黙って楽譜に忠実に音を拾い、何とかして美しい音を出せるよう頑張っていくしかない。それにしても今日の演奏のような音、いつか出してみたいなあ。

























2013年10月29日火曜日

ヨーグルト製造器

ひょんなことでお付き合いが始まったブログ主さんの最近の記事を見ていたら、ヨーグルトの製造器の話が載っていた。おっ、これは良さそう。早速Amazonにアクセス。器械は来たのに肝心のヨーグルトの種がこない。そうだ、牛乳も買わねば。
1時期、カスピ海ヨーグルトの種が回ってきて、仲間内で作っていたことがあった。
1番初めにリタイアしたのは、勿論、わ、た、し。
さもありなん。みなさんそう思ったでしょう?
家に新鮮な種が来るとはじめのうちはいいが、そのうちに猫の毛やその他雑菌が混じって中々風味のある物体と化してしまう。
なにやらごろごろダマが出来て、酸っぱくなってきたら捨ててしまうから長続きしない。
以前仕事仲間の若い男性達と女性についての馬鹿話をしていた。
年上はどうのこうの言うから「どう?私みたいな熟女は」と訊いたら、その中の一人が「熟成はいいけど腐敗はいやです」ときた。
なな、なんということを。お主、命が惜しくないのか。
あはは、でも1番うけていたのは私なんです。
そんな風に若者達と丁々発止やり合っているのが、元気の素。
これでヨーグルトを作って腸内清掃をしたら、もっと元気になってしまう。もっとも内視鏡で見ても私の腸は超きれい。
ほら、腐敗なんかしていないよ。熟成だよ。
種菌が届かないから器械を取り出して眺めていたら、いつの間にか取扱説明書が消えた。
我が家恒例の物のお引っ越しが始まったらしい。
記憶の糸をたどっていくと、ハタと気が付いた。
昨日は確かにテーブルの上に取説が乗って居るのを見た。
パラパラとめくって、ふーん、納豆もできるんだ~、やってみようかなんて、うそっぽいことを考えていた。
その後杳として行方がわからない。
そう言えば昨日のゴミ収集はミックスペーパーだった。きっと、テーブルの上にあった紙類すべて、ざっとまとめて棄ててしまったに違いない。
あらら、どうしよう。しかし、待てよ!いつもパソコンの師匠がネットで取説出して来るじゃないか。きっと入っているに違いない。そして見つけて一安心。使う前から波瀾万丈。
奇しくも「ヨーグルティア」の記事をみつけたブログの主さんからのコメント「nekotamaさんはセットしたのもわすれてしまうのでは」というご指摘。半ば的中しましたよ。
そのうち器械の中で得体の知れない物体が繁殖しないよう祈るのみです。














2013年10月28日月曜日

しもたか音楽祭


しもたかオーケストラのお手伝いに行った。
「古典音楽協会」で一緒に弾いているヴィオラの東さんは下高井戸の住人。奥様はヴァイオリニスト。
あるとき東さんから「弾きにきてよお」と誘われて練習はかんべんしてもらって、本番の日だけ手伝いに行くようになった。
初めはハイエナの遠吠え(どんな声なのかな?)みたいだったガチャガチャオーケストラが、最近すごく良くなってきた。
以前は間違えても全体がひどかったから目立たなかったのに、最近は周りがちゃんと弾くようになったので油断できない。
「へー、それでプロ?」なんて思われたらいけないから、結構真面目に練習していく。
東夫人の通称「しっぽ」さんがすべてのマネージメントを行っている。とても優秀なヴァイオリニストなのに弾かないで人の面倒を見ているから「勿体ない」と言ったら「私こういうことするのが好きなんです」と言って嬉しそうに飛び回っている。
ふーん、私は人の面倒なんかみたくないのに面倒見たい人もいて、世の中上手くいっているのだと妙に関心した。
地域に根付いた音楽の場を作るために始めたオーケストラはもう9年目とか。
下高井戸駅すぐそばの松沢小学校を会場とした「しもたか音楽祭」が昨日賑やかに開催された。
小学校に行ってみると、地元の学生達のジャズバンド、フラメンコの踊りなども学校の前の広場で始まっていた。
アマチュアオーケストラのメンバーは多くがこの小学校の10分圏内に住んでいるらしい。
音楽人口の多さは、さすが世田谷区。
中でも小学校6年生のモモちゃんは天才少女で、ハチャトリアンの「仮面舞踏会」のコンサートミストレスをつとめた。
組曲の中にゆっくりとした美しいヴァイオリンソロがある。
それを小さな楽器で堂々と歌い上げた。
将来はジャズヴァイオリニストになるのが夢だという。
おじいさまは有名なジャズ奏者で、小さい頃からジャズを聴いて育ったのでは必然とは思う。
大人に混じってブラームスのシンフォニーなども立派に・・・というか、1番上手に弾いているのではないかと思う。
冷静沈着、周りの音もしっかり聴いている。
将来はジャズかクラシックか、どちらにしても活躍するにちがいない。
6時開演、途中で芸大生たちのカルテットも挟んで2時間20分、近隣の人達がじっと聴いている。子供達も楽しんでいる。
すごいなあ、自分たちでオーケストラを作っちゃうなんて。
地域社会に溶け込んで、芸術家でござい的な思い上がった風もなく、ご本人達は優秀な音楽家であるのにアマチュアや子供達と同じラインの目線でいられて・・・中々出来るものではありませんね。









2013年10月26日土曜日

なるほど

日記のつもりで始めたこのブログが、よもやこんなに読んで下さる方が出来るとは思わなかったので、つれずれなるまゝに、ひぐらし硯に向かひて(キーボードを叩いて)思いついたことをツラツラと書き放題。
他人様が読み易いことを想定もせず書きまくっていたら、ありがたいご指摘があった。
読みにくいから改行をしてほしいと。
初めて指摘されてびっくり、なるほど、目が行を追っていくのも改行がないと同じ行を2度読んでしまったり、飛ばしたり、読みにくい。
目から鱗とはこのことですなあ。
それで改行をしてみると、ほんとだほんとだあ、読みやすい。
自分で時々あのときはどうだったかな等と読み返しているのに、ちっとも気が付かなかった。
いやあ、今まで無理して読んで下さっていたみなさま、申し訳ないことをいたしました。
最近は読む方々を意識して、あまり暴言は吐かないようにしてはいるけれど、根が傍若無人のノラねこ気質。
中々洗練されたものにはなりません。
他の人達のブログをのぞくと、まあ、きれいなこと!
写真どっさり、ファッショナブルで話題も豊富、ご自身も美人で素敵なお友達が沢山いて大活躍。
私もお友達はみんな素敵だけれど、私自身はいうなれば田舎のおばさん風。田舎のおばさんごめんなさい、もののたとえです。
顔写真など到底載せられないので悪しからず。
かわりに時々可愛い動物の写真でごまかす。
度々言うけれど根が大無精者、自分でたまさぶろうその他、うちの猫どもを写真に撮って載せればいいものを、それもめんどくさいからネットで見つけたものを引っ張り出してくる。
こんな変な場所へようこそ。
変な言い回しや言葉の間違いなど、ご指摘くださるとありがたいです。


















貧乏自慢

今朝テレビで大分の伊勢エビを紹介していたので、思い出したこと。
スポンサーが降りてしまって自主運営になったかつてのマイオーケストラ、経営は苦しく給料も遅配続きのそんな中でも、メンバーは陽気で目一杯生活を楽しんでいた。
演奏旅行には車で行った。何人かで分乗すれば経費も安くつく。
野宿すればホテル代が節約出来る。
そんなこともあったし、なによりも車が大好きな私は運転したくてウズウズしていた。
初めて演奏旅行に車組と一緒に出かけたのは免許取り立ての頃で、母親が心配して「絶対に箱根は運転してはだめ」と言われたのに、箱根の山道にさしかかるとハンドルを握った。
そう、今みたいに高速道路は日本のほんの一部にしか無かった時代の話です。東名が出来る以前の話。
山道が面白くて面白くて、ハンドルを手放さないくらいだった。
甲府、新潟、富山、金沢、長野、松本、滋賀、京都、大阪、神戸、倉敷、岡山、広島、山口、九州に回って博多、熊本、宮崎・・・そこで走っていると目に付いたのが伊勢エビの看板。
伊勢エビかあ、関係ないなあと思っていたら、別の車から伊勢エビ食べたいと言ってきた。
今のように携帯もないころ、車同士のコンタクトは手信号。
止まれの合図で数台の車が一斉に停まった。
一体いくらくらいで食べられるのだろうか。
出てきたお店の人と交渉して一匹8000円で交渉成立した。
ちょうど人数が8人だったから一人1000円。
当時としてはかなりのお値段だったけれど、ちょっとした贅沢をたまには味わいたい。
座敷に上がって待っていると、まず、刺身が・・・・
思ったより小さい。人数分の8切れに切ってあったものをありがたく口に入れると、かすかに甘くぷりっとした感触はあっという間に喉の奥に消えてしまった。
そのあと殻を味噌汁にしてもらってご飯と一緒にいただいた。
皆食べ終わっても少し無口で、味はいかが?と訊いたら「うーん、ちょっと甘かったけど良くわからなかった」という返事が聞こえた。
若くて貧しくて、疲労困憊しながら苦労したオーケストラは、今立派に経営が再建されている。
演奏旅行は九州から四国に回り、その後名古屋、静岡、浜松、沼津、小田原・・・毎年回っていたので初代カローラはボロボロになってしまった。左のドアが取れかけて(これ大袈裟で無く)満身創痍、気の強い私は九州の山道で真夜中に、スカGと抜きつ抜かれつ競争したりするので、たまったものではなかった。
本当に面白かったなあ、貧乏までも面白かった。
今なら少し奮発すれば丸ごと食べられるけれど、忘れられない伊勢エビはあの時の一切なのです。