2024年6月30日日曜日

土砂降りの中華街

 悪友のM子さんの誕生祝いをしようと約束した日は、線状降水帯が発生したという素晴らしい日だった。まだ西日本でと思っていたけれど、敵もさるものあっという間に関東地方も土砂降り。われら病み上がりのか弱い二人。元町・中華街の駅に降り立った頃には横殴りの強い雨が。ゆくもかえるも地獄、それなら行ってしまおう。

小さなお店はたくさんの有名人の色紙が壁に貼ってある。どうやら野球関係者?そのあたりの知識のまったくない二人はありがたい色紙にも目もくれず注文をする。しいたけや中華風高野豆腐?の甘辛い炒め物、ピータン、フカヒレスープ、うにの茶碗蒸し、など普段あまり食べない料理につられて食べる食べる。飲み物は慎ましくノンアルコール。ずっと病院食の薄味に慣れていたけれど、濃い味が殊の外美味しい。

すっかり満足してさて、表を見れば、この中を歩いて帰るの?誰に相談するまでもないけれどシャワーのような素敵な大量の水が天から降ってくる。しょうがないか、いつまでもお店に居座ることもできないし。

とにかくコーヒーでも飲もう。水たまりをものともせず駅に近い方まで戻ると、ああ懐かしやヴェローチェなど数件のカフェ。そこでやっと一息ついていると続々と客が入ってくる。入り口近くは水浸しで店員が時々モップで拭いている。慌ただしい誕生会となってケーキもなかったけれど、実現できてよかった。なんたって「俺達に明日はない」だから。誕生日を祝えたことだけでもラッキーなの。思い出に残る誕生日にはなった。

しばらくすると雨は小降りになってきた。しかし、無鉄砲な二人のビショビショ美女がこんな高齢者だとは誰もしらないのが愉快。生命力強いのかもね。メニューの中で気になる食べ残しがあったからまた来ましょうと言って、この食欲がある限りもう少し生き残れるかな?


2024年6月3日月曜日

泡沫の夢

 いつも猫に起こされるのは夜明け前。もうすぐ夜が明ける頃お腹が空いたといって鳴き始めるから、渋々起き上がって少し食べさせてもう一度眠ろうと思うけれど、もう眠れない。それでまたしばらく起きて窓の外を覗いたり白湯を飲んだりしているうちにあっという間に夜明けがきて、そのまま起きてしまうからいつも睡眠時間が短い。

時々まだ眠りたいと思うときには布団に潜り込んで横になっていると、しばらくして眠っていることもある。そんなときに夢を見た。昨日のこと。

つい先ごろまで仕事をしていたからその仲間たちがぞろぞろ登場してきた。どの顔もニコニコしている。ああ、懐かしい仕事仲間たち。本当に楽しかったのに、ここ2年半ほどの擦った揉んだですっかり忘れていた。

同世代もいたけれど、大抵はわたしよりずっと年下の息子や娘の世代なのに、なんとも愉快に過ごしてきた。私は本当に幸せだったのだと改めて思い出した。その仕事仲間にマンドリンのSさんがいて、彼女とは仕事でもプライベートでも仲良くしてもらっていた。

毎年東京マンドリンクラブのコンサートが千駄ヶ谷の青少年センターで開かれて、それを聞きに行くのが恒例だった。去年はあまりの忙しさにいかれなかったけれど、色々解決して余裕ができたので今年は聞かせてもらった。マンドリンの音色は弦を指で細かく震わせるトレモロで演奏するので、不思議に心揺さぶられる。

今年の曲目は前半はクラシック、後半は越路吹雪特集。

前半 プーランクの「牝鹿」 シューベルト「交響曲 未完成」

マンドリンの音は普通の弦楽器よりもボリュームが出ないけれど、ビシッと決めるときには面白いように決まるのだ。そんなことを考えながらのんびりしていた。シューベルトの二楽章に差し掛かり、そういえば三楽章ってどんなメロディーだったかしら?思い出せない。

ついに私もボケたかと思っていて気がついた。思い出せないのは当然、だから「未完成」の名がついたのだ。この曲は二楽章までしかないのだ。いくらオーケストラから遠ざかっていたとはいえ、こんなことを考えるようではもうおしまいなのだ。苦笑い!

後半は思い出の越路吹雪特集。越路さんとは「題名のない音楽会」でお目にかかったことがある。リハーサルに現れた彼女は顔色が悪く髪の毛ボサボサ、声も出ない。「これが?あの?」越路吹雪?有名なあの人なの?

本番当日心細げに佇んでいる彼女。しかし、舞台袖でスタートの声がかかった途端、オーラが噴出した。あの情景を思い出すたびに私は胸がいっぱいになる。そこには輝く火の玉のような大スターがいた。あっという間に私達を虜にした。

マンドリンコンサートの演奏者の中には、リズム担当のゲストとして以前スタジオやテレビ局などで一緒に仕事をしていた人たちがいて、彼らの上手さには舌を巻く。パーカッションやベースの小気味よい決まり方が素晴らしい。こんな人達と仕事をしていたのだ。なんて素敵なことだったのか。終わってみてやっとわかったこと。

外は土砂降り、雷鳴が轟いていたらしい。表に出ると小雨の中、球場から出てきた人たちとコンサート会場から出てきた人たちで歩道はいっぱいでノロノロ進む。目と鼻の先にあるかつて勤めていた音楽教室で私の生徒がピアノ合わせをしている。時間が間に合ったら聞きに行くからと言ってあったのに、終演が伸びたのと人混みと悪天候で遅くなってしまったので諦めた。タクシーも捕まらないし、徒歩では間に合わない。地下鉄で行くのはもっと無駄。

電車の窓には土砂降りの雨が叩きつける。最近私は電車に乗ると必ず席を譲られる。ずいぶん老けて見えるのだろうなと思う。2年半の嫌な時間を過ごしていたときは鏡に映る顔は般若だった。やっと自分を取り戻し始めたけれど、もう時間は戻らない。

姉が来て私の顔を見て「nekotamaちゃん、前に戻ったね」といってくれたから少しは元気に見えるのかな?やっと。

















2024年5月13日月曜日

プラシド・ドミンゴ プレミアムコンサート

 彼ももういい年だと思うから多少の衰えを感じるのは覚悟でコンサートにいったけれど、嬉しい誤算、声もオーラも変わりなく、東京文化会館大ホールの満席の聴衆からブラボーの嵐が巻き起こった。

私が彼の生の声をきいたのはずっと以前、彼の容姿はスラリとしていかにも若々しかったから数十年は経っているかも。私の音楽人生は聞くことから始まった。学齢前の頃からクラシック音楽は私の最高の遊び相手。親兄弟が学校や仕事に出かけたあとの空っぽの家にたった一人、ぽつんと残された無聊をかこちながらレコードを聞くのが日常。そのお供にはいつも猫がそばにいた。逃げないように私にぎゅっと抱きしめられて猫もさぞや迷惑なことだっただろう。

その頃レコードで聞いたのは古くはシャリアピン、カルーソーなどの昔の歌手たち、その後はブライトコッフなど、そしてディートリッヒ・フィッシャーディスカウ、ペーター・シュライヤーなどから後は肉声を聞いている。歌は人そのものが出す音だから、楽器に比べてより面白い。しかも声楽家はだいたい女たらし、美食家、わがままときている。男としての魅力満載でいながらジェントルマンでもある。こういう人は素敵だけれど、そばにいたら鬱陶しいかもなどと妄想を馳せる。私ごときにそんな男は寄っても来ないのに。

さて、今回のコンサートの顔ぶれは

 プラシド・ドミンゴ    モニカ・コネサ(ソプラノ)  マルコ・ポエーミ(指揮)新日本フィルハーモニー交響楽団

ヴェルディ:序曲「シチリアの晩鐘」が終わってドミンゴ登場。少しお腹周りが太ってはいたけれど、無理をしていたかもしれないけれど、歩き方も颯爽としている。第一声を聞いたときに驚きの若々しさに感嘆。最初から手加減せずに聴衆を魅了した。いったいおいくつになりますか?

聞き手は魅了されどんどんヒートアップ、おとなしい日本人も彼に翻弄されてスタンディングオベーション、後半は一階席は殆どの人が立っていた。私は二階席で良かった。そうでないと前の人が立ってしまって彼が見えなくなってしまうところだった。なんかオペラ歌手のコンサートというよりもロックバンドの乘りではないか。しかも客はほとんど中高年層。おしゃれをして母と娘で参加しているようなセレブ層など。珍しいね。

おかかをたっぷりかけた餌をもらった猫のように満足して家に帰ると、やはり疲れたらしく食事後すぐに眠ってしまった。あのパワーに対抗するには私はどうも齢を取りすぎたようだ。

新日本フィルの演奏が新鮮でチェロやビオラのソロがとても良かったことが嬉しかった。多分私のかつての友人たちの忘れ形見が演奏者の中にいると思う。もはやどこのオーケストラにも私の同僚だった人たちの姿はなく、次世代の活躍する時代になった。その血脈が音楽の中に流れてまた次世代につながり、西洋音楽が自然なものになる。今後は日本の文化に自然に溶け込んで世界は一つになる。そんな日がもうすぐそこに来ているのに他国では未だ戦争をしているバカどもがいる。これが悲しい。



















2024年5月7日火曜日

ヴァイオリンはもうやめるけど

体調が戻ってきた。

これは足の状態が良くなったということで、まずは復調の兆しと喜ばしい。けれど私はもう引退を決めている。ステージで死ねたら本望なんていうことも聞くけれど、それはひどくはた迷惑なことなのだ。ステージにたどり着くまでにどれほどの人たちの陰の力が必要か考えてみてください。

誰かがコンサートを企てるとする。まずは会場を決めてホールの使用状況を調べる。プログラムを決める。そのプログラムに必要な演奏者を決める。もし自分が主催者ならば曲目に必要な共演者・・例えばピアノ伴奏がほしいとか、カルテットならば自分の他にあと3人、もっと大編成のこともあって腕の良い共演者を集めるのは至難の業、売れっ子はたいていひどく忙しく希望日が空いていなかったり練習日が合わないとか、様々な障害が立ちはだかる。

やっとメンバーが決まって、大抵はそこからはマネージャーにお願いしてプログラムとチラシのデザインを決めて写真を撮ったり演奏者のプロフィールを集めて印刷が始まる。チラシが出来上がるともうあとには引けなくなる。ここまでに相当のお金がかかる。

一番楽なのは仲良しの共演者を作っておくこと。そうすると同じようなスケジュールができるからグループとして同じ動きもできるし、日頃から練習を重ねておけば多くの言葉はいらなくなる。以心伝心、楽器で会話ができるようになったらしめたもの。それでも揉めるのはいつものこと。以前私がしつこくチェリストに注文をつけてカルテットを潰してしまったことがあった。10年間も一緒にやっていたのに。これからもっと良くなっていくはずだったのに、その度合に対する熱意の分量が違っていたから。

揉めようが未完成であろうがコンサートの日は迫ってくる。眠れない、逃げ出したい。その繰り返し。しかしそうやって苦労しなければ永遠に上手くはならない。生涯の最後の日までうまくなったとは言えず死んでいくのが普通で、私ごときの演奏家は自分の限界を知っているからむしろ楽かもしれない。これが天才的な演奏家になるとプレッシャーは限界がない。

あのハイフェッツが自分に課したのは、演奏はそれ以前のものよりも進化していなければならないということだったと聞いたことがある。なんという厳しい生活なのか。長い目で見れば人は必ず上達していくとおもうけれど、時には体調や心のあり方で不調の事もあろうというもの。ヨアヒムが日本に最後の来たのは彼の引退の寸前で、一体どこが不満で引退するのかと思うほどの名演奏だった。もったいない。会場中の人が涙した。拍手が鳴り止まずハンカチで目を拭う人たち。でもそれが彼らの矜持と思うと、名演奏家はつらいと思う。レベルを下げることはできないのだ。

さて私の場合は引退するといえば皆さん喜ぶ。やれやれ、あのヴァイオリンをもう聴かなくてすむ。あれなら猫の声を聞いたほうがましだ。それは自分で一番良くわかっている。「そこはあたしの寝床なんです」と言って泣く丁稚ではないけれど、今までお付き合いしてくださって皆様、本当にありがとうございます。上等なお茶と羊羹をお出しして、お帰りにはお土産を差し上げたいと常日頃思っておりました。

で、ちゃんと今年で引退します。しますとも。だからヴァイオリンは古典の定期以来もう弾いていないのですよ。まだあと一回本番ありますからそろそろ準備しなければならないのに楽器を持つ気がしない。それなのに私の楽器は良く鳴る。下手くそな持ち主から開放される喜びでしょうか。時々指ではじくと素敵な音がする。この楽器にあえて良かった、としみじみ思う。楽器だけでなく今まで私に関わってくださった皆様、あなた達に会えて本当に幸せでした。

強情で頑固で意地悪で怒りん坊の私をよくぞ支えてくださった。御礼の言葉はどれほど言っても足りません。でもまだ死にはしないから(たぶん)今後ともよろしくお願いします。






































2024年5月3日金曜日

休眠期

 私はどうやら休眠期に入ったらしい。

今までの自分の活動パターンを見るに10年とか15年に一度大病をする。最初の病気の記憶は急性腎炎。ある朝起きると姉たちが大騒ぎを始めた。「nekotamaちゃん、顔どうしたの」どうしたと言われても元々不細工で美人と言われるような顔ではないけれど、大騒ぎされるような、そこまでおばけチックでもないだろうにひどいわ。と思ったらまぶたがあかないくらいのむくみが出ていたらしい。母が驚いて牛乳瓶に私の尿を入れて病院に走った。

結果急性腎炎、かかりつけの岸田先生というおじいちゃん先生が飛んできて私は絶対安静で寝かされた。優しい先生はいつも大きなカバンにいっぱい注射器や薬を詰め込んで往診してくださった。「入れ物が牛乳瓶だったから蛋白が出たと思ったけど、瓶のせいでなく本当に病気だった」と。おかゆと梅干しを食べ、タンパク質の多いものは食べてはだめ、当時はそう言われていたらしい。今なら体外に出てしまうのだから補うらしいけれど、初めての大病に大騒ぎ。

私としては痛みもなく好きなだけ寝ていられて、しかも嫌いな学校に行かなくていいからラッキー!だった。子供のくせに体を動かすのが嫌いで空想にふける毎日。天井の板の模様をじっと見ながらお話を作って楽しんでいた。

終戦後の当時の我が家の経済状態はどん底だったから母は大変だったと思う。1,2ヶ月はじっと寝ていたと思うけれど少しも退屈ではなかった。治って学校に行き始めると、私の授業の遅れを取り戻そうと女の先生が張り切って大いに迷惑した。その先生が大嫌いだったからで。

補講が始まっても私は断固拒否。大泣きに泣いて先生を困らせた。教檀で生徒の前で口紅を塗ったり、胸がやたらに大きく明いた服でなんか不潔!大嫌い、というわけで、先生も親もお手上げだった。その後もその先生が私にやたらと親切だったのは、親が地元の旧家ということだからと子供心にも嫌だった。未だにその手の不潔感が大きいのは、その頃からの感情の芽生えからかもしれない。

兄弟が沢山いて学校の先生よりも兄弟から教わることが多かった。結構な高学歴家族だったから家庭教師が何人もいるようで、授業で教わることはとっくに知っている。それでもなおその先生は私を目立たせようと、学芸会の始まりの言葉を言わせたり、運動会の入場行進の先頭に立たせたり、全く無駄に努力をしていた。

学芸会の挨拶は講堂の壇上で黙って突っ立っていいるだけ、入場行進は道を間違えて他のコーナーに突き進んで混乱を招いた。そのへんでどうやらこの子はだめだと諦めてくれたらしい。というより、3年生が終わって4年生となるときに担任が替わった。やれやれ、4年生からの先生は大好きで私はやっと学校が好きになった。

というように人生の節々の私の体調の変化で人生そのものが変わっていった。小学校の腎臓病のあとからは、それまで他の学友たちともなじまず学校嫌いだった私も楽しい小学校の高学年生活を送った。

中学校は間違えて良妻賢母育成のための女子校に入学、これもまた実につまらない中学生活。あまりにつまらないので同学年でヴァイオリンを習っているという人と共謀して、音大附属高校を受験、とうてい受かる見込みのないレベルのヴァイオリンの腕ながら、見事(?)合格。これからの人生がお花畑だった。

学長の有馬大五郎先生は体も心も巨大な人で、高校に現れると長い腕を広げて生徒たちを愛おしそうに抱え込んで廊下を歩いておられた。学校には校歌も規則もなくて、生徒たちはのびのびと明るく育っていった。この世の中に怖いものはなかった。少なくとも校内では。そして私は音大に進んでもヴァイオリンを練習するより本を読む時間のほうが長かった。

せっかく音大に入っているのにあなたはなんで本ばかり読んでいるの?と言ったのは高校受験をともにしたまり子さん。私は音楽家になるつもりで生きてきたわけではなく、その時々の気まぐれで音大に入ってしまったので、ここは遊びの気分。ここを出たらもう一つ普通大学を受験して真っ当な職業につくのが私の目論見だった。

そして卒業間際に母に「この次はどこの大学受けようかなあ?」その時の母の怒りは凄まじかった。子供の望むことなら何でも叶えてくれる母だったのに、そのときは怒髪天を衝く勢いで叱られた。「そんなにあちらもこちらもできないでしょ。一つ事をちゃんとやりなさい!」本当に音大ではただただ楽しく暮らしていたのでもうびっくり。しかもその頃には周りの大人達が私の進路を狭めていた。学生時代からエキストラでお世話になっていたオーケストラがそのまま私の職場となった。

音楽でお金をもらうということは生半可なことではない。お金をもらうからには絶対に手抜きはできない。生まれて初めて私は必死でヴァイオリンを弾くことになった。そして周りの人々が私を導いてくれて素晴らしい演奏家たちと引き合わせてもらい多大な影響を受けた。半べそをかきながら来る日も来る日も練習に明け暮れ、それまでの遅れを取り戻すために練習を重ねた。

当時は良い時代だった。オーケストラをやめてからも仕事は途切れることなく、そして私は大好きなアンサンブルを勉強するために多くの仲間達と夜中まで、時には早朝から練習を重ねていった。フリーになったのも自由に時間が使えるからという理由だったけれど、忙しすぎてフリーどころか寝る間も惜しいくらい。そして急性肝炎、狭心症などなどの病気にブランクを強いられては入院、通院を繰り返した。その周期がだいたい10年から15年くらい。最近は足の故障でここ2年ほど辛い。それもだいぶ良くなってきた。

今年は80才、何回目かの休眠期になりそう。毎日異常なほど眠る。つい数か月前までは4時間から5時間睡眠だったのに今や9時間ほども眠れる。人生の休息年。こうなるとまた新しい目論見が誕生する。時々こうした休息のあとで、なにかしら変わったことを知りたくなって挑戦してきた。若ければきっと長くてきつい旅に出たと思うけれど、今は体の無理が効かないので頭の体操、もう少し勉強しようかなんて思っている。なにを?さあ、なんだろう?そのうち目標が見つかるでしょう。


































2024年4月28日日曜日

恐怖のドライブ

いつも早朝というより真夜中に目が覚める。午前4時、雨は小降りで猫も二匹揃っている。野良は私が出かけるのを諦めたと思って油断している。ときは今。出かける前に老猫のこちゃのトイレを済ませないといけない。こちゃだけ車に乗せてそこいらへんを走り回る。ついでに24時間営業のドラッグストアで餌の買い出し。さて野良のトイレ事情はわからない。いつもは目が覚めると私にドアを開けさせてしばらく帰ってこないからそのへんでトイレを済ませるのだろう。そこで仲間の猫たちに出会うと昼ころまで帰ってこない。それでは渋滞が始まってしまうから可愛そうだが出発してしまおう。5時近くだんだん明るくなってきた。

野良は私に抱っこされてもまさかその後の苦難が待ち受けていようとは知る由もない。車のドアを開けると珍しそうに中を覗き込む。今だ!ファスナーを開けてあったキャリーバッグに放り込まれてしばらく理由がわからなかったようだけど、その後は猛烈に騒ぎ始めた。ファスナーがちゃんとしまっているかどうか点検して、よし、完璧。

このあとの騒ぎはその時から始まった。

仄明かるい道を走り始めると二匹の猫の合唱が始まる。野良は若いから高い声で「ニャン、ニャン」こちゃはどすの利いた声で「ガオーガオー」一斉に合唱が始まって、驚いたことにその後3時間半、途切れることがなかった。私は気が狂いそうになった。そのうち野良がキャリーバッグをガリガリ引きちぎろうとする。ネットになっている部分が切れるのではないかと心配になるほど。それが不可能と知って諦めても鳴き声は収まらない。

おかしいことに二匹の声の大きさと音程は車のスピードに合わせて上下する。スピードに合った声があることに気がついた。自動スピード検査機を積んでいるようだ。幸い野良はトイレを我慢できているようで、数回の検査でもセーフ。やっと高速をおりたと思ったら運転している私の顔の横に野良の顔が並んだ。仰天して思わずブレーキを踏んだ。一体どうやってキャリーバッグから抜け出したかわからないけれど、出入り口のファスナーをどうにか引きずり下ろして抜け出たらしい。しかしどう見ても猫が通れるほどの空き方はしていない。猫は液体であるという説は正しいらしい。

そこは[カフェ春木]の直ぐ側だったから駐車場に車を止めて、悪戦苦闘の末野良をキャリーバッグに戻しこんだ。ここのカフェには時々朝食時に寄るけれど、そのときはまだ8時になったばかり。開店は8時30分になっているけれど、ここのご主人はたいてい起きていないらしい。しかしその日は珍しく起きていたようで車の側まで降りてきた。「うちにきたの?」「違う、ごめん勝手に車停めて。猫が逃げそうになって」猫をキャリーバッグに押し込めるのに苦労していると「うちに来たのでなければいいんだ」まだ朝食の用意はできないよと言いたいらしい。寝起きのご主人は犬派だから猫に興味はない。

ここまで来るとあとは難所の山道。急カーブが続く。そこでコチャが気分が悪くなった。もうすぐ家に着くというのに。家に入ると冬中切らずにおいた床暖房のほんわかした温かさがありがたい。

コチャは毎度来慣れた家、しかし野良は見たこともない家に連れてこられてびっくり。しかしおどおどしないのはさすが頭脳も度胸もあるうちの野良。真っ先に階段を見つけてロフトの探検に出かけた。その間年寄り猫のコチャはしっかりと野良の監視について歩く。一通り家の見取り図を頭に入れたらしい野良は自宅から持ち込んだ彼女専用のベッドに収まった。

やれやれ、外は雨で気温9度、肌寒くまだ新芽も出ていない森の木々は裸で震えている。その中でひときわまっすぐに丈高くそびえて白い花を咲かせているのは辛夷。そこに鳥が飛んでくる。声の感じでは歌がまだ下手くそなうぐいすなのに、見た感じは一回り大きい。なんという鳥かしら。生き物がいるのは楽しい。周辺の家も森の中もほとんど人の気配はなく、僅かに連休に備えて家のメンテナンスを頼まれた業者の車が通り過ぎるのみ。

疲れていても食い気は健在、御代田の蕎麦の名店「地粉や」に行ってみよう。道も空いているし連休前のこんな寒い日なら混んではいまい。11時半ころ駐車場に入っていくと空きがある。ラッキー!店にはすぐに入れて念願のクルミそばをいただく。その後は佐久平に車を走らせて新しいカインズホームを探した。けれど以前にも行ったはずが見当たらない。おやおやどうしたものか。とりあえず新人野良が心配なので家に帰ろうと車を回すと、なあんだ、近くの別のところにあったではないか。

あまりの広さに圧倒されて疲れ切った私はおそばのエネルギーだけでは持たないから帰って眠ることにした。二匹の猫は騒がしく鳴いて餌を要求したあとぐったりと寝込んだ。しかし野良の様子が気になる。家を出たのは夜明け、その前に排泄したのは何時ころかしら。見るとお腹がやけに張っている。新しく用意された彼女専用トイレはずっと小綺麗なままで心配になる。時々部屋を徘徊してそのトイレまでいくものの、用は足せないらしい。

そのうち夜になった。しかし彼女のお腹はパンパンに膨れたまま。これはおお事だ!もしこのまま出ないと尿毒症に。明日朝帰らないといけないかも。しかし近所にこのあたりで有名な動物病院がある。万一のときには駆け込もう。でも電話番号を知らない。いざというときには地元の人に訊こう。

その時ふとひらめいた。いつもの野良は外がトイレだから土の上にならできるかも。クリスマスローズのために買い込んだ土があるじゃないの。もったいないけど試してみよう。

その時ほど自分を「天才」だと思ったことはない。クリスマスローズの美味しそうな土のトイレに早速入っていった野良はめでたくことを済ませて、二人で安堵のため息を漏らした。ああ、良かった。これで明日から花作りに専念できる。

次の日は絶好の花作り日和、シャベルと落ち葉掃きの熊手を持ち長靴を履いての作業は初めは簡単に思えた。しかし30本近い苗を植え終わったときには足はガクガク、傾斜地で転びそうになってよろよろ。最後の水やりはとてつもない重労働に思えた。もう食欲もなく近くのコンビニで買ったお惣菜を食べて二匹の猫と爆睡した。

夜中に同じベッドで寝ていた野良を蹴ったらしい。朝起きると私を嫌な目で見ている。近づくと逃げる。しかも猫同士の確執も一向に改善されていないから仲裁に駆け回る。私はもう疲れ果て、帰路についたときには心底ホッとした。

今回初参加だった野良はまだ正式の名前がない。今回思ったのは、北軽井沢の家の前の持ち主の田畑純子さんの通称はノンちゃん、そのノンちゃんのお名前をいただこうと思う。年齢からいって野良は私の最後の猫となる。本当はコチャが最後のつもりだったけど野良が来るようになって、それなら飼えるだけ飼ってみようと覚悟を決めた。

賢く情が深く人の気持ちを素早く察知してしかれば二度と同じことをしない。真に飼い主とは正反対の利口者。ノンちゃんも賢くおおらかで勇敢な素晴らしい女性だった。天を仰いでお許しを乞うたら優しい声が「いいわよ、nekotamaさん」と聞こえたような気がした。
















猫は宇宙で一番偉いのだ

野良は自慢じゃないが知能が高く人の気持を読み取る術に長けている。私が北軽井沢に行くときにこっそりと旅支度をするのはすぐに分かってしまう。「また私をおいてどこかに出かけるのね」それがわかるとぷりぷりしながらさっさと近所のスペアの飼い主さんたちに媚を売りに行くのだ。

 出かけるときは前日から車に荷物を積み込んでいつでも出発できるようにしてある。今回は北軽井沢にいよいよイングリッシュガーデンを出現させるための試み。

少し前に花郷園で買い込んだクリスマスローズをすべて積み込んだ。きっちりと鉢を並べるとやっとどうにか全部いれることができた。やれやれ、今回は猫が二匹になり、久しぶりの遠出なので荷物が多いところにクリスマスローズが20本、それに添える花が10本ほど。車の中はジャングルかと思えるほどの植物の葉が茂っている。

いまごろ車の中は植物の息でムンムンしているに違いないから、乗り込むときにご挨拶をしておかないと意地悪をされそう。問題は二匹目の猫をケージにだましていれるのに成功するかどうか。とりわけ賢く人の気持を読むのができるので一筋縄ではいかない。昨日から置かれている新しいいケージのにおいを嗅いでいる。なにか察しているかもしれない。しきりに膝に乗ってくるのを邪険にしたらとっとと外の空気を吸いに出ていってしまった。

花郷園で株を選んでもらって買ってきた花はいずれもしっかりとした株で、1週間ほど自宅のベランダや浴室で暮らしていた。私は20鉢ほどと言ったのにそれよりもたくさん入っていた。北軽井沢の家はおとぎ話の魔女の家のように小さいのに、庭はとても広い。私には手に余る広さで、前の持ち主のノンちゃんは草木がはびこるままにしていたからイングリッシュガーデンは実現できるかどうか。庭の写真を見せてこんなところですと言ったら、結構理想的な環境ではないかと彼女はいう。花郷園の美しい社長が張り切って選んでくれた株はすごく健康で茎がしっかりしている。

植物を飼うのは初めてなので北軽井沢に移植するまでに枯らしてしまうのではないかと心配だったけれど、とんでもない。全てピンシャンと天に向かって伸びている。しっかりした茎がたくさんの花を支えている。どうやら直射日光は苦手らしい。ベランダで毎朝たっぷり日を浴びているもの、室内で網戸越しに朝日を4時間ほど浴びるもの、南側のベランダで日没まで必死で日光浴をしているものを比べると、室内網戸越しが一番お好きなようだ。南側ベランダが一番辛そうにしている。

時々場所を変えて観察するに段々彼らの性向がわかってきた。お日さまは少しで弱めでいい。お水は乾ききったらたっぷりと飲みたい。毎日でなく数日おきが良い。なんて手のかからないお花たち。

これを書いたら八代亜紀さんの・・・肴は炙った烏賊でいい・・・なんていう歌詞を思い出した。

私は植物の気持ちがわからないからこれから勉強していかないと。わけもわからずあじさいやダリアなど買ってきて植えては枯らしていた。今日から手に豆を作って畑を耕すのだ。しかし天気は悪そうで一日目は雨らしい。木・金曜日が晴れそうなのでそこで一気に。行けば美味しいおそばが食べたくなる。

ここ数ヶ月北軽井沢にはとんとご無沙汰だった。美味しいおそばが食べられなく飢餓状態になって自宅付近の蕎麦屋に入ってがっかりした。蕎麦はまだしも蕎麦つゆが真っ黒でしょっぱくて半分も食べられなかった。信州で食べるお蕎麦とは大違い。都心で食べる美味しいお蕎麦は味が良くても高価で少量、ざる蕎麦は食べてもお腹が空く。いっそのことザルまで食べたくなる。

ざる蕎麦を生まれて初めて食べたとき、まだ子供だった私はなんて不味いのかと驚いた。こんなものをどうして大人たちは美味しそうに食べるのかしら。

音大に入って校舎の前に日本そばやさんがあった。私はどうしてもほしい弓があって、その頃は少しずつスタジオの仕事などもやっていたので自分で買おうと思った。昼ご飯は一番安いもりそば。来る日も来る日も、もりそばを食べていて

食べていたらその後はもりそばが好きになった。特に野尻湖周辺の山の中で食べたそばがきなども美味しかった。そして最近時々行くのは御代田にある地粉やさんという蕎麦屋。最初の頃は何回行っても地粉やさんのおそばにありつけなかった。あっという間に売り切れてしまうか定休日だったりして。

できれば月曜日に北軽井沢に行きたいのだけれど、野良はたぶん旅慣れていないから彼女のご機嫌次第。こちらはラッシュに走るのは嫌だからできれば早朝か昼過ぎに出たい。そのときに家にいてくれればいいけれどいないときには時間がずれてしまうと困る。なぜそれほどまでに猫ごときに気を使うかというと、ひたすら猫に嫌われたくないという弱みがあるので。

月曜日には私の気持ちを察して野良は非常に神経質になっていた。私もイマイチ出かける気持ちにゆるぎがある。二匹の猫を積み込んで大量のクリスマスローズに囲まれて運転することに怖気付いている。とにかく植物はどちらかというと苦手で。今回ばかりは車の小ささが不便に思える。

私が出発を諦めたかのように思えるまで呑気そうな顔を装って、猫に本心を悟られてはいけない。ここが犬の飼い主さんとの違いなのだ。ワンちゃんの飼い主は犬に言うことを聞かせるのにためらわない。しかし猫の飼い主はあくまでも猫の機嫌取り。卑屈になってしまう。宇宙で一番えらいのは猫であって、飼い主はしもべでしかない。

その日は夜になってやっと野良の疑いは晴れたらしく、夜の出発はこちらもありがたくないから翌日に延期となった。