芥川賞を受賞した又吉直樹「火花」を読んだ。
あの芸人さんは不思議な人だとかねがね思っていた。
やはりなにかどこか人と違うものを持っていたのだ。
大勢の芸人のいる中でいつも静かに片隅にいて、時々ぽつんとコメントを言うのも小さな声で、表情も殆ど変えない。
ほとんどの出演者が声高に自己主張する中で、どうやって芸人をやっていくのかと心配するくらい。
かえってそれが目立って、私は彼のポーズだと思っていたけれど、物書きと知って初めて納得した。
書いていない時は、周りのことを吸収し考察しているのだと思う。
私は殆どテレビを見ない。
朝の報道番組と天気予報、1ヶ月に2,3回は見たい番組もあるけれど、テレビを点けっぱなしにしておくような見方はしない。
漫才やバラエティー番組は、10分も見ると飽きてしまう。
漫才を馬鹿にしているのでは無くて、最近のお笑いの傾向についていけないだけなのだが、私にとっては興味のない分野になってしまった。
随分以前、テレビでつまらない漫才を見ていた。
あまりにも笑えないので「この漫才はつまらない」と言ったら、私の姉が「でもね、もし、電車の中で普通のおじさんがこういう会話をしていたらと思ってみてごらん。すごく可笑しいから」と言う。
そう言われて、以後そんな風に聞いていると、なるほど可笑しい。
かつて「やすしきよし」がいた頃までは、本当に可笑しかった。
切れの良い、アクの強いやっさんの破滅型の人生は、いかにも真性の漫才師。
最近の若者の芸は見た事がないので、もちろん又吉という名前すら知らなかった。
芸名は又吉ではないのかな?
時々バラエティー番組でチラッと見かけるので、大騒ぎしている人達の中で1人だけ物静かに居る、顔色の悪い人という印象しかない。
「火花」は自分が師匠と仰ぐ天才肌の漫才師神谷の生き方と、主人公の徳永の笑いを追求する姿を描いている。
徳永は出会った瞬間から神谷を認め、彼を全面的に肯定していく。
ここがすごいと思う。
神谷はお人好しだが破天荒な生活を送り、借金にまみれ、女に振られ、社会的にはくず同然。
自分のすべてを笑いのために費やしているような人物。
徳永はそんな彼をどこまでも突き放せない。
神谷は変な事を言うけれど、徳永はそれを自分の想像力で浄化してしまう。
そんな徳永に神谷はいらだちながら、お互い別の生活をしていても、切り離せないものある。
最後に笑いを追求する余り、神谷は自分の胸にシリコンを入れて、女性のような胸になる。
そのことで徳永は神谷をいさめる。
「それのどこが面白いのか」
「ジェンダーでなやんでいる人達がどう思うか」と。
そして自分でも真っ当すぎる言葉に驚く。
人としての限度を外せないことが、とことん笑いを追求する神谷とは一線を画すのかもしれない。
けれど神谷はその真っ当な言葉に涙する。
この人も又人間としてまともすぎる。
それを呆れ、腹を立てながらも、優しく受け入れる徳永。
それでも徳永は、大勢で入らなくてもいい露天風呂付きの部屋のある旅館に、神谷を招待する。
神谷は天才であるけれど、その神谷を何処までも純粋に敬愛する徳永の感性の瑞々しさが、感動もの。
師匠と弟子がこのへんから逆転していくのではないかと思っている。
できたら続編が読みたい。
話題性はあっても、果して本当に面白いかは半信半疑だったけれど、とても良い作品だった。
作者自身が澄んだ目を持っているのだと思う。
ほとんど起伏も無く淡々と物語っているのに、惹きつけられて読み終えた。
花火のシーンから始まり花火のシーンで終る。
きれいにまとめすぎかなとも思う。
ただ、最初の花火と最後の花火では、作者の感情の意味合いがまるで違う。
しかし、作者はこの先どうするのか。
漫才師としては、相方に敬遠されないだろうかなどと余計な想像が働く。
この作品で先生と呼ばれ、お笑いの世界で先生ではやりにくかろう。
落語の枕に「先生、下駄とっておくれよ」なんて台詞がある。
芥川賞をとったばかりにお笑いが遠くに行ってしまうのは、本意ではないと思うけれど。
へー、これ読み応えある小説なんですか。先入観ありましたが、読んでみようと思います。ありがとうございます。
返信削除実は私も話題先行かと思っていました。起伏に乏しくさらりと書いているけれど、じわりとくるものがありました。nyarcilさまの場合、もう少し深みを求めるかもしれませんが、中々面白かったです。
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