2017年3月24日金曜日

今昔

女子会、4人組。
たらふく中華料理を食べてそのあとお茶会。

ひとしきり、話に花が咲き姦しい。
4人だから、もう一つ女を重ねたいくらい。
離婚話を聞いたり仕事の悩みを聞いてもらったり、一番興味深いのは他人の噂。
これはもう舌なめずりをして、あれこれこき下ろす。
悪口を言うと自分に戻ってくるというけれど、お互い様。
悪口を絶対言わない聖人君子がいるけれど、なんだか嘘くさい。
他人のことは、自分を棚に上げて非難するのは、古今東西普通のことなのだ。
育ちがよく躾の厳しい両親のもとで育った人は、めったに悪口は言わないけれど、お腹の中はなにを考えているのかわからない。
たいていは、内心舌打ちをしながら上辺は良い人を演じていると、私は意地悪く考える。
時々自分で気が付かず独り言で内心が露呈する人もいる。
「あの人が?え!」と驚くような独り言。
お気を付け召され、年を取ると独り言が自分の口から出ていることに気が付かないこともあるのですよ。

地獄耳の持ち主である私は、つぶやきであってもちゃんとキャッチする。
あらまあ、この人がねえと驚くこともある。

今日の話題は、かつて私たちが自分の先生に接していたころと、今どきの生徒が先生に接する態度との大きな違いについて。
「前に生徒から言われたのよ」とNさん。
「ふーん、なんて?」と私たち。
彼女のリサイタルを聴いた生徒が彼女に言ったそうだ。
「先生、悪くなかったですよ」

普通悪くないというのは、まあまあということだと思う。
自分よりずっと技量の高い人に向かって言う言葉ではない。
「悪くないというのは、良かったということじゃない?」とフォローするSさん。
ところがSさんも自分のことになると、こう嘆く。
門下生たちとのグループコンサートのチラシを見せてもらった。
美人揃いの若きピアニストたちと一緒に、Sさんの写真が。
指導者なので当然中心にいる。
それを見た若い人が「先生もこんな美人の中でたいへんですね」と言ったそうだ。
それはどういう意味?
確かに若い人たちは美しい。
でもSさんも「悪くない(笑)」 

外国ではそんなに気にするようなことではないらしいが、日本人は元々包む文化の人たちだから、謝礼などもきれいな封筒に入れていただく。
ずい分前のこと「先生!おつりありますか」と言われて腰を抜かしそうになった。
私たちは先生への謝礼は金額をきちんと用意して、封筒に入れてというのが普通のことだった。
銀行の封筒で出すなんてことは絶対しなかったけれど、今どきはそれほど珍しいことでもない。
外国なら、現金を裸のまま渡す方が多いようだ。
私の英語の先生はイギリス人。
はじめのうちは、謝礼を封筒に入れて渡すと訝しげだった。
しかも私が間違えて空っぽの封筒を渡したことがあって、彼女はパニックだったようだ。
とても申し訳なさそうに「お金が入っていなかったけど」と遠慮がちに言われて、とても恥ずかしかった。

ようやく彼女も慣れてきたようで、これが日本のやりかたと納得したようだけれど、あちらから見れば、わざわざ包んで中身が確認できないのは困ったことだと思ったらしい。
目の前で現金の受け渡しをするのが外国や最近の若者のやりかた、包んで現金が見えないようにするのが私たち世代。
面倒と言えば面倒。
それがきれいと思うのは古い感覚なのかもしれない。



















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