2017年3月26日日曜日

佐藤愛子さん

「九十歳、なにがめでたい」 小学館

佐藤愛子さんは今90歳を超えて、なお矍鑠と往時の怪気炎をあげておられるようだ。
遠藤周作、北杜夫さんらとの交友関係も彼ら二人の死去で終わりをつげ、自宅でむっつりと暮らす日々。
その彼女に執筆依頼が舞い込んで、今更この年でと思いながらも引き受けて連載が何回か続いた頃に、うつ状態から抜け出していたそうだ。
人間いつまでも仕事はやめてはいけないというメッセージと受け止めて、私もこれからもお金にもならないことに邁進しようという思いを新たにした。

彼女のエッセイは以前、週刊誌で拝読していた。
うろ覚えだけれど、週刊新潮または週刊文春で。又はほかの雑誌かも。
以前はこの2冊をいつも読んでいたけれど、最近は暴露本みたいになって不愉快だからあまり見ない。
なにが好きって、彼女の歯に衣着せぬまっすぐな言葉、お腹を抱えて笑ってしまうユーモアの感覚。
最近友人から「これ、読んでみる?」と渡されたのが「九十歳。なにがめでたい」だった。

「卒寿、おめでとうございます。白寿を目指してがんばってください」と言われると「はあ・・・ありがとうございます」と言うけれど内心は「卒寿?なにがめでてえ」と思っている・・・とのっけから、勢いがいい。
それがこの本のタイトルになった。

サトウハチローというむさくるしい詩人がいた。
彼女とハチロー氏が兄妹とはずっと後になって知ったけれど、愛子さんは非常に美人、ハチローさんはひげもじゃのオッサン。
どうにも結びつかなかった。

「九十歳。なにがめでたい」
中でも「グチャグチャ飯」で、ハナという犬のことが書かれている章で、私は大泣きに泣いた。

ハナは北海道の彼女の別荘前に捨てられていた子犬。
いったん飼うことを決めた次の日、キタキツネに襲われた。
思わず窓から飛び出し、キタキツネの牙から子犬を助けた。
前に飼っていた犬をなくし、二度と犬は飼わないつもりだったけれど、北海道の狐の出没する荒野に子犬を残していくわけにもいかない。
当時の日本では、飼い犬のエサは人間の食事の残りに味噌汁をかけた、いわゆる猫飯。
この場合は犬だから犬飯?
東京に帰ってからも家には入れてもらえないハナは、テラスからガラス戸越しにずっと佐藤さんを見ている。
助けてもらったことを忘れないらしい。

残りご飯に昆布だしをとった後の昆布をまぜ、この汁飯で15歳まで生きたけれど、そのころから何も食べなくなり腎不全になって死んだ。
佐藤さんは、あの昆布がいけなかったのではないかと「私の胸には呵責と後悔のくらい穴があいたままである」と書いている。

私も動物の死に遭うと、いつも後悔する。
もっと早く気が付いていればとか、なんであんなに叱ってしまったのかとか・・・
いつもそうなので、彼女の気持ちは痛いほどよくわかる。
そのへんで私もウルウルになってしまった。

そしてある日、霊能者から佐藤さんのお嬢さんに、こう告げられる。

「ハナちゃんは佐藤さんに命を助けられて、本当に感謝しています。そして、あのご飯をもう一度食べたいと言ってます。」
霊能者には見えたらしい。
「これは何ですか?なんだかグチャグチャしたご飯ですね?」
娘さんからそれを聞いた佐藤さんは、そこでどっと涙がこぼれた。

これを読んだ私も、そこでどっと涙がこぼれた。
霊能者を信じるかどうかはさておいて、グチャグチャ飯を食べさせて後悔していた佐藤さんにとって、こんな優しい言葉はない。





























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