2017年3月3日金曜日

美女転ぶ

友人Nさんが、両手いっぱいに荷物を持ったまま転んだというのを人伝に聞いた。
両手がふさがっていたから顔から地面に激突。
鼻の下に裂傷を負って、血だらけ。
聞くだけで恐ろしい。
彼女は私と同い年でありながら、少しも年齢を感じさせない美貌を誇っている。
その顔に傷ができたとなれば、これは一大事。

電話しても出ないから、口がきけない状態なのかもしれないと、ずい分心配した。
夕方になってから電話がかかってきて、いきさつを聞いた。

もう5日くらい前の話だそうで、路面の段差に足をとられたらしい。
そのあとのことはよく覚えていないけれど、気が付くと顔を打って血がたくさん出て、呆然としていたという。
周りの人は助けてくれなかったの?と訊いたら、すぐに起き上ったから大したことないと思われたのよと言う。
でも顔から血を流しているのだから、周りの人たちもすぐに救急車を呼ぶとかしてくれなかったのは不親切。

かかりつけの医者に電話したら救急病院に行くようにと言われ、タクシーで向かって治療を受けられた。
担当医がとても誠実で、徹底的に傷口のコンクリート片などを取り除いてくれて破傷風の注射までして、今は快方に向かっていると聞いて、ほっと一安心。
傷口のかさぶたもやっとはがれ始めたと言うので、美貌が戻るのもそう遠くはないでしょう。
歯も数本ガタついたけれどそれも治ったのよ、すごいものねと、平然と言う。

手足には骨折などもなかったのは不幸中の幸い。
両手がふさがっていたので手足が無事だったと、医師から言われたという。
変にかばわなかったのが良かったのか。
骨折していたら、寝たきりになってしまう。
若い時とは違って、再起には時間がかかる。

何事もなかったようにケラケラ笑っていきさつを話す声には張りがあって、聞いて一安心。
自分の事故を面白がっていない?あなたと、言いたくなるような口調。
修羅場も過ぎてしまうと客観的にみられる。
自分の置かれた状況を考えるとおかしく感じることも多いけれど、それは無事だったから言えること。
ほんと、ドキドキするわ。

彼女は、よく会う仲間の一人。
この中の一人でもなにかあったら全員ショックで立ちいかなくなるとは、いつも皆で話し合っている。
お互いに励まし合い支え合っている、かけがえのない人たち。

転んで数日で、指がマッチ棒のように感じられて力が入らない。
このままダメになったらいけないから頑張るけど、と健気に言うNさん。
みんながいなかったら、おそらくもう元気にはなれないわとも。
仲間内でも好不調の波があって、去年はあの人元気なかったわねとか、今年私どうも良くないのよとか愚痴を言いながら集まり続けている。
若い頃は、中年すぎた人たちがすぐに健康の話をすると言ってきらっていたのに、最近は自分たちも体調の話中心になる。

これはどうしようもないことで、体がガタついてきているので、毎日がそれとの闘い。
指が曲がり頭がぼんやり、記憶は鈍る。
ボケは、神様が私たちを幸福にするために拵えた仕組みだと思っている。
若い頃のように感受性が鋭かったら、今の状態はとても我慢できるものではない。
ちょっと頭が鈍ってきたことで、恐怖や悲しみが少し和らぐのではないかと思う。

先日我が家の最寄り駅近くで道路工事があった。
交差点の歩道を新しく塗り直し道路の表面を平らに、と、そこまではいいけれど、車道と歩道の境目に微妙な段差がつけられた。
それは3~5センチくらいのコンクリートで、ちょっとこれはないだろうと思う。
高ければ気をつける。
フラットなら問題はない。
けれど、ほんの3,4センチくらいの盛り上がりが一番危険。
なぜ必要もないところにあんなものを作るのかな?と不思議に思った。
今回の友人の転倒事故を聞いて尚更気にかかる。

目が悪くなっている高齢者が、夕暮れ時などの薄暗がりであの段差に気がつくだろうか。
それとも何か目的のある設計なのか、不思議に思う。










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