世間では私をおっちょこちょいと言う人もいるけれど、最近のまわりの友人たちの言動を見たり聞いたりしていると、言われるほどでもないと自分を見直している。
なんだなんだ、うわ手がいるじゃない。
来週合わせる約束をしていた。
相手は優秀なヴァイオリン奏者だけど、最近ヴィオラを弾き始めたのでぜひヴァイオリンを一緒に弾いてもらいたい、曲はハルボルセンのパッサカリア、と言ってきた。
ヴァイオリンとヴィオラの二重奏。
昔オーケストラで、いつも組んでカルテットなどを一緒に弾いていた人だった。
彼女の生徒が発表会でハルボルセンを弾きたいというので、急きょヴィオラの練習をして弾いたという。
でも生徒さんは途中でこけて、欲求不満のわが友は誰か一緒に弾いてくれる人は・・・そうだ、あいつならホイホイとのってくるだろうという思惑で、電話してきた。
言っとくけど、私はゴキブリではないぞ。
でもやはり音を合わせるのが何よりも好きな私は、まんまと彼女の術中に。
久しぶりだから楽譜が行方不明。
やっと探し出して弾いてみると、見事に忘れている。
この曲は難しいのだ。
それでも来週だなあと、友人との久々の再会を楽しみにしていた。
今朝電話があって「骨が折れてたのよ」
いきなり何のこと?
「は!骨が折れたってどこの?」
「顔じゃないわよ失礼ね、いくら変な顔だからって!」
勝手に想像して勝手にむくれている。
だれもそんなこと言ってないじゃない。
思ってはいてもそんなこと口には出せません。
こんなこと言ったら、自分に丸ごと返ってくるくらいの自覚はある。
「ほら、東京駅で転んだでしょう、言わなかった?」
そんなこと知らないよ。
転んでからも我慢しながら仕事をしていたけれど、あまりの痛みに病院に行ったら「骨折していますね」軽く言われたそうだ。
その時点でもまだ、どこの骨とは言わないから「一体折れたのは手の指?それとも足?」と訊くと「手足は大丈夫、すごいでしょう」
なんだか威張っている。
結局肋骨だった。
それを聞き出すのに何分もかかった。
本当に年寄りを相手にするのは難しい。
彼女の方が年下だったような気もするけれど。
来週はキャンセル、状態が良くなったら連絡すると言って、電話が切れた。
先日鼻の下をケガした人も肋骨の彼女もほぼ同年代。
この年齢になると、転ぶ人が増えるようだ。
私は駐車場の車止めに引っかかってころんだけれど、幸いなことにキャベツや野菜が詰まった段ボールを捧げ持っていたために、そのうえで胸を打っただけで大事に至らなかった。
それでもたいそう長いこと痛みがあった。
感心するのは、転んでもみな手をケガしない。
私も駅の階段を頭を下に真っ逆さまに落ちたとき、手足は無傷だった。
自転車で転んだ時も、ケガしない。
不思議に手をケガする人は周りにはいない。
手をケガする第一号にならないように気をつけよう。
駅の階段を落ちたときは、スカートの裾上げの部分にヒールがひっかった。
あまりの惨状に周りが驚いてわらわらと駆け寄って「大丈夫ですか」
口々に言うから「う~、落ちたばかりで返事なんかできないでしょう」と悪たれ口をきいたら、親切な人たちがさあ~っと引いていった。
馬の首を飛び越えて派手に落ちたときも、インストラクターに同様の口をきいた。
いえ、私が悪いのじゃございません。
この口がね、生意気なんです。
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