2017年4月26日水曜日

浮世離れ

明日から北軽井沢へ。
別荘の持ち主のノンちゃんが行くというので、毎度のことながら腰巾着になって連れて行ってもらうことにした。
車の運転は私だから連れて行くのは実際は私なんだけれど、宿主のおもてなしと森の生活を満喫してくる。

車付きの腰巾着は、お誘いがあれば尻尾を振って喜んでついていく。
ノンちゃんも足が確保できて楽というわけで、利害関係が一致。
二人ともおおらかと言うかのんきと言うか、どちらも天然だから申し分ない。
それでもノンちゃんは人形つくりの世界では世に知られた人だから、仕事や人としてのありかたは本当にきっちりしている。
ただのだらしない私とは大違いなので、私はひたすら彼女を尊敬している。

時々怖い人になる。
世の中の理不尽さに対しては、本気で怒る。
ただのやさしいおばさんではない。

先日追分に住む友人から、この季節は気持ちがいいよと聞いたので楽しみにしている。
北軽井沢は追分よりも更に標高が高い。
山登りをしていかないといけない。
夏でも東京とは10度くらいの気温差も珍しくはない。
特に朝晩は冷える。
寒いところが好きなので、とてもありがたい。
秋口などは震えることもある。

なによりも余計な音がないのが一番良い。
風の音、せせらぎの音、たまに動物や鳥の声。
森の中の夜中は、怖いほどの静寂。
時々小動物が雨戸のシャッターに当たってガタンというと、とび上がるほどの大きな音に聞こえる。

今回の目的は夏のコンサートをどうするか決めることにある。
去年まで「ルオムの森」のオーナー夫妻及びスタッフの協力を得て、実現できたけれど、毎度毎度お世話になるのは心苦しい。
特にキャンプ場は夏がかき入れ時だから、猫の手もかりたい忙しさ。
そこへ本物の猫が行ってヴァイオリンなど呑気に弾いているのは、迷惑この上ない。
とはいえ音楽会は、オーナーの明美さんが言い出しっぺではあるのだけれど。
オーナー夫妻は、なんとか地元の人たちとキャンプ場のお客さんに喜んでもらいたいのと、北軽井沢を文化的に発展させたいという試みとして音楽会を開きたい。
私たちは音が出せるならどこへでも行くという、これも利害関係が一致したというわけで、連続演奏会を始めた。

村には著名な文化人も住んでいる。
詩人の谷川俊太郎氏が私たちがリハーサルをしているところにフラッと現れて、聞いてくださっていたらしい。
教えてもらえれば握手してもらったのに。

文化人と言えばノンちゃんも、庭続きに住むお隣の二人も素晴らしいキャリアの持ち主で、彼女たちの知人もたくさんいる。
しかも揃って料理上手。
毎晩、夕飯が楽しみで。
しかし、同居人たちは厳しい。
次はあなたが料理するのよ、と言われる。
と、とんでもない、私の料理など食べたらひきつけを起こすから。
キャッツフードでも開けて食べてちょうだい。

キャッツフードと言えば、先日英語の先生のルースさんが故郷に帰るからお土産は何がいい?と言われた。
イギリスならきっと猫のカードなど素敵なものがあると思って、きれいなカードがほしいと言ったらお土産をいただいた。
イギリスではあまり可愛い猫のカードは見かけなくてと言い訳しながら渡されたのは、フィリックス猫のパッケージのクッキー・・・の様なもの。
開けてつまんで食べようとしたら、なんだか大きさも形も変。
良く見たらキャッツフードのカリカリだった。
危ない危ない!うっかり食べるところだった。
彼女はキャッツフードだって知っていたのかしら。
うちの猫は大喜びだったので、ま、いいか!
















2017年4月25日火曜日

本当のところは?

数日前通販で頼んだ品物が届いた。
段ボールを開けると出てきたものは大きなリステリン1000mlのボトルが3本、ドデンと居座っていた。

チェッ又か!と私。
私は確か1本頼んだはずだけど、確信はない。
その前にほかの通販で買ったパンツが大きすぎて、よく見たら私がサイズを間違えて頼んだらしい。
慌てて返品した。
そうそう、その前にもドレスのサイズ違いをして、着たら胸にスイカをいれないといけないくらいガバガバだった。
アメリカサイズでLを頼んだ馬鹿者だった。

そんなことがあったばかりだから、又やってしまったかと思った。
たいていの場合は自分のミスなのに今回は注文履歴を見ると、私は間違えていないようだ。
珍しいこともあるものだ。

それで通販会社に電話すると、倉庫で詰めるときに間違えたのでしょう。
差支えなければ使ってくださいとのこと。
こんな大きなリステリンを使い切るのは大変だけれど、腐るものではないし、有り難く頂戴することにした。
しかしリステリンは飲むわけではなく、使う量はほんのわずか。
どうするのよ、こんなに沢山。

性格がずぼらなわりには歯のケアを良くする方で、以前は毎月のように歯石とりや歯周病予防など様々なケアをしていた。
仕事が忙しい時だったのに、遠くの歯科医までせっせと通っていた。
とても腕の良い先生がいたけれど、その方がいなくなったので自然に行かなくなってしまった。
その先生がつぶやいたのは「あんまりこんなことしない方が良いんだよね」
地獄耳の私には、はっきり聞こえた。
それでも先生は患者の要望に応えて、商売に励まないといけない。

その後、いくつかの歯科医を回ったけれど、どこもいまいち。
自然にケアの回数が減って、最近はほとんど手入れをしていない。
ところがその方が良いみたいで、歯のトラブルは無くなった。
最近よく聞くのは、食後すぐに歯磨きをしてはいけないということ。
1時間くらいおいてからすると良いらしい。
すぐに磨くと、自力の修復作業があるのを妨げるという。

先日テレビで、食後すぐに歯磨きをしたほうが良いと言っていた。
なにが本当なのかはよくわからない。

とにかく健康法に関する説はコロコロ変わる。
いつも言うけれど、私は睡眠時間が少ない。
色々書いたものやテレビでいわれることは、睡眠はちゃんととらないと脳の傷が修復できないという。
すると私は脳が傷だらけ。
手遅れかもしれない、いや、もうとっくに手遅れでしょう。
それでもまだヴァイオリンが弾けるし、本も読める。
字は・・・書けない。
器械の変換を頼っているうちに自分で書けなくなった。
それでも変換が正しいか間違っているかはわかる。
時々ミスに気が付かないこともあるけれど、それはご愛敬だと思っていただきたい。

最近あまりにも睡眠時間のことを世間で言うから、罪の意識があった。
少し早寝をしてみようと思った。
昨夜は珍しく11時に就寝、6時半起床、少し寝すぎた。
するとてきめん、頭が重い、寝起きがスッキリしない、頭痛がする等の異変が現れた。
11時に寝ないといけないというので就寝すると、その時間でも眠れる。

今朝は頭痛に悩まされている。
今夜からは元のパターンに戻そうと思っている。

私は父親似で、父は歯が丈夫で96歳まで全部自分の歯だった。
睡眠時間は少なかった。
早朝起きて私の家の前の草むしりを始めるので、近所からは親不孝者と思われていたかもしれない。
親に草むしりさせるなんて!
言っておきますが、父はほかにすることがないからやっていただけ。
こんなことを本人に言ったら怒られるけど。

父は歯科医にもほとんどかからず睡眠も少なく、最後まで頭ははっきりと体も丈夫で、ある時自宅のソファで座ったまま逝ってしまった。
本人もまだ死んだとは気が付いていないと思う。
人間おおらかに生きるのが一番。
神経質にケアばかりしていると、一番大事なことを忘れてしまう。
でも・・・一番大切なことってなに?

眠りすぎて頭が痛い日に思うこと。
































2017年4月23日日曜日

ピリリと歯磨き

今朝歯を磨こうとして歯磨きを手に取ると・・・それはわさびのチューブだった。
朝から笑い転げた。
誰が、いつ、なんのため?
もちろん私以外にいない。

昨夜お刺身を食べた。
デパ地下(ここは地下ではないけれど)のサービスでマグロ特集。
鮮度の良い大量のお刺身が安く売られていたので買ってきた。
猫も大喜びで、人間の食卓で一緒にうにゃうにゃ言ってたらふく食べた。
その時に使ったわさびらしい。
猫は使わなかったですよ、もちろん。
楽譜やその他諸々の物に足があって出歩く家だから不思議ではないけれど、次回に使いたいときに困るので、いつもの場所にお引き取りいただいた。
強力な殺菌ができそうだけれど、私は今のところ虫歯も歯周病もないから、当分必要ではない。

まだ楽器だけは家出も徘徊もない。
これがそんなことになったら、私の頭もお終いと言うことになる。
おっと、忘れていた。
一度だけ置き去りはあった。

10年以上前になるけれど、コンサート終演後、新宿付近で乾杯をした。
区役所近くの飲み屋だった。
私は車だったから食べるだけ。
それでもコンサートの出来栄えはまあまあだったし、いい気分で酔っぱらった感じだった。
仲間の一人にドイツオペラのメンバーがいて、オーケストラの日本公演にやってきた。
酔っぱらった挙句、新宿の柔らかい場所へ行きたいとほざくので、なだめていた。
「柔らかいものならうちにもいるから、抱っこして寝れば?ちょっと毛深いけど」と言うと「そいつはひげもあるだろう?時々引っ掻くんじゃないか」と察しがいい。
よくわかったね。
西口のホテルに収容して帰路についた。

家に帰ったのはすでに午前3時を過ぎていた。
車のトランクを開けたら楽器がない。
ほかの荷物は積んである。
楽器だけは車に置かないで、必ず自分で手にもって店に入る。
それを積み忘れたらしい。

気絶しそうになった。
とにかくうろ覚えだけれど、区役所付近の飲み屋。
この時間でまだ開いているかしら。
首都高を突っ走った。走った走った・・・・
タイヤが軋む、私はレーサーか。
早朝4時ころお店はまだ開いていて、無事楽器は戻ってきた。
その時の恐怖と言ったら、ガクガク震えながら運転していた。
事故の危険もあったかもしれない。
車が他に走っていなかったからよかったけれど。
その後、楽器だけは鬼のように管理するようになった。

やはり新宿で、公衆トイレの脇に楽器ケースをたてかけたまま忘れてきた猛者もいた。
彼は次の日気が付いて取りに行ったらちゃんとあったそうで、新宿という町は意外と安全なのかもしれない。





























2017年4月22日土曜日

まだまだハリー・ポッター

もう何年になるのか、ハリー・ポッターを原書で読み始めて。
1つの章を2回に分けて、1か月2回のペース。
先生のルースさんは現役のオーケストラプレーヤだから忙しい。
時々イギリスへ帰ってしまう。
時々長い演奏旅行で留守になるから、ひと月1回になったりする。
そのうえ私がさぼりたくなって、目が悪いとか忙しいとか理由をつけては休む。

今読んでいるのは5巻で、38章まであるから月2のペースでも76回のレッスン。
1年は12か月だから読み終わるのに6年余りかかることになる。
私も息が長いけれど、へたくそな朗読を聞かされ頓珍漢な質問をされるルースさんの忍耐力には、シャッポを脱ぎます。
もうすぐ5巻が終わる。
今日の章は特に涙なしには読めなかった。
ハリーの名付け親であるシリウスが死んでしまったのだ。
不思議なことに今朝予習をしていた時、急に電子辞書が動かなくなった。

最初は電池切れかと思って、新しい電池をいれてみた。
それでも電源が入らない。
予習はほぼ終わっていたからレッスンに支障は出なかったけれど、シリウスが死んだ場面で電池切れとはタイミングが合いすぎる。

この場面、たぶん作者のローリングさんが泣いたという箇所だと思う。
私も何回読んでも悲しくて泣いてしまった。
レッスンの初めにルースさんに、悲しくて泣いてしまうから読めないのといったら、冷静なイギリス人らしく、フフンと言った。
なんら同情の持ち合わせもないらしい。
私は感情移入過多な日本人、彼女は論理的な西洋人。
この組み合わせ、上手くしたものだわ。

この先今のペースで読み進めていくと、残すは2巻だから長さが同じとして計算すると、後12年かかる。
私はインドへ旅行に行ったときに現地の占い師から言われた死亡年齢が、後13年後に来る。
おやおや、死ぬまで読み続けることになるのかしら。
読みおおせないかもしれない。
しかも、なんの役にも立たないのに。

読み始めてから英語が喋れるようになったとか、外国人の話すことを聞き取れるようになったとかは一切ない。
ただ、楽譜を読むように英語の単語を見ると、発音できる。
それだけ。
ルースさんはいつも発音をほめてくれる。
それは私が理解しているわけではなくて、書いてある単語を音的に再現できるというだけのこと。
結局音符を見て音が出せるのと同じことで、言語的に理解してはいない。
けれど、最近は時々日本語に訳さなくても、そのまま理解できるようになっているのは、多少の進歩かとも思う。

そんなわけで、私の実りのない勉学はまだ続く。
死の寸前までやることがあるのは実にめでたいというか、かったるいというか。
そろそろ手を引きたいけれど、事を始めると最後まで完結しないと気が済まないという厄介な性格だから、やめられない。
本当のところ面倒になってきている。
目は良く見えないし。
早いとこボケてしまった方がよさそうだ。

電子辞書はアマゾンに注文したら、明日にも届くらしい。
便利な世の中になって助かっている。
次の巻にいくので、電子書籍の印刷の用意もしないと。
と言うのは、原書の文字が細かくて見えない。
せっかくタブレットにダウンロードしてもらって大きな字でスイスイ読んでいたのに、私がさわるとタブレットが壊れるという超常現象がたびたび起きて、只今中断。
それでパソコンにダウンロードして、それを大きな文字にしてもらったものを印刷して、今はそれを読んでいる。
文字を大きくしたのでページ数は膨れ上がって、たくさんのインクと紙が必要になる。
時間もかかる。
準備と覚悟がいる作業なのだ。

ハリー・ポッターを読み終えたときにカクンと首を垂れて、ああ、面白かったと言って生涯を終わるなんて素敵じゃないですか。
























2017年4月21日金曜日

コンサートのはしご

今日はどうしても聴きたいコンサートが昼と夜にあって、ついに二つとも聴くことになった。
初めはマチネーで前橋汀子さん、朝日ホール。
   
     モーツァルト「ソナタハ長調K.296」
     プロコフィエフ「ソナタ第2番」
     ベートーヴェン「ソナタ第9番 クロイツェル」

去年私は6月の三軒茶屋でのコンサートが終わって、来年の秋にはこんなプログラムにしたいとnekotamaに書いた。
それと全く同じプログラムなのでびっくりした。
考えることは世界的な人も、猫社会のヴァイオリン弾きでも同じ。
まさか世界の前橋さんと同じプログラムでは太刀打ちできないので、今年の秋はバッハ、プロコフィエフ、フランクでいくつもり。
クロイツェルソナタはこの6月に弾くのでそのまま秋にもっていこうかとも思ったけれど、あまりに似ているプログラムでは恐れ多い。

前橋さんは若い頃は長い髪の毛を後ろでまとめ、興に乗ってくると体の動きが大きくなって、髪の毛が滝のようにはらりと落ちるのが素敵な見せ場だった。
美しい方だから絵になる。
期待していったら髪の毛は短めになっていた。

さすがに上手い、華がある。
けれど、ソナタを暗譜で弾くと危険!
時々迷子になっていたのがわかる。
音を一つ一つ見るわけではないけれど、模様として見られるから楽譜は置いておかれた方が・・・と余計なおせっかい。
アンコールを4曲、やんやの大喝采だった。
少しくらい道に迷っても、人を大いに楽しませる。
ピアノは松本和将さん。
素晴らしいピアニストだった。

夜のコンサートは花房晴美さんの室内楽シリーズ。

     ショパン「子守歌」「幻想即興曲嬰ハ短調」
     マスネ「二つの小品」
     ショスタコーヴィチ「2つのヴァイオリンとピアノのた
                                                                 めの5つの小品」
     トビュッシー「チェロソナタニ短調」
     ショーソン「ピアノ、ヴァイオリンと弦楽四重奏のため
                                                                     のコンセール」

       ヴァイオリン 徳永次男 木野雅之 会田莉凡
       ヴィオラ   百武由紀
       チェロ    サンドロ・ラフランキー二

花房さんは私の友人のピアニスト太田美里さんの友人。
私は徳永さんがN響に行く前のオーケストラで10年間一緒だった。
彼のすぐ後ろの席か、お隣で弾かせてもらっていた。 
木野さんは、ロンドンアンサンブルのピアニストの亡き美智子さんの親しい友人。
百武さんは私が東京ゾリステンで弾いていたころ、一緒に弾かせていただいたこともある。
あちらは私のことは覚えていないというより知らないと思うけれど。
というわけでなにかしらのつながりがある人たち。

今日のプログラムの中でもショーソンの「ピアノとヴァイオリンの協奏曲」は、私が10年ほど前に東京オペラシティのリサイタルホールで弾いた曲。
モーツァルトの長大な「ディヴェルトメント17番」とこの曲の2曲構成でプログラムを組んだ。
両方とも演奏時間は50分ほどの難曲だったけれど、本当に好きな曲を並べてうれしくて、舌なめずりをして弾いた楽しい思い出がある。

先日漏れ聞こえた情報によると、ショーソンは非常に難しいので、さすがの花房さんもてこずっているとかなんとか。
私たちがこの曲を弾いたとき、私とピアニスト野村さんは何回も何回も合わせて、誰がどこでどう転んでもすぐに起き上れるくらい綿密に合わせた。
複雑に入り組んだ構成がとても面白かった。
今日は徳永さんの音を久しぶりに聴いて懐かしく、心の中で「相変わらず上手いね」と話しかけていた。

コンサートのはしごはさすがに今までやったことはなく、とても疲れるかと思ったらそうでもなく、一日中良い音を聞いて友人たちに会って、幸せな一日だった。


















2017年4月20日木曜日

響き合う

かつてのオーケストラ仲間が会いたいと言ってきたので、日野付近まで車で出かけた。
私の車のナビはいつも本当におバカさんで、一体どうしたらこんな変なコースをとるのか訊いてみたいと思っている。
たぶん距離的に一番近いとか、時間的に早いとか基準があってインプットされているのだとは思うけれど、腹が立つほどひどいコースをとる。
例えば私の家から羽田に行く場合、多摩川に沿って六郷あたりを行けば、ほとんど渋滞にも遭わずなんなく行ける。
羽田に行くときどんな道を選ぶのか興味があって、ナビをセットしてみたことがある。
驚いたことに混む道路ばかり選ぶうえ、踏切を数か所通過。
自分で道を選択する場合、踏切などは一番避けたいところなのに、このナビは踏切がやたらに好きなようだ。
うんざりするほど時間がかかった。

今日も府中、国立までは土地勘があるので、最初はナビなしで行こうかと考えた。
それでも日野付近はよく知らないので、ナビをセット。
自分がよく通っている道を走っていると、ナビがやかましく進路変更を迫ってくる。
ちょうど半分あたりまで来た時に、そろそろナビのいうことを聞こうかと言う気持ちになったのが、間違いのもとだった。

そこまではナビが示している予定時間を大幅に短縮していたから、たまにはほかの道を通ってみようかと。
すると、なんだか遠回りさせられて、その上ナビの大好きな踏切が早速お出迎え。
調布の駅前の混雑したところを走らされ、結局現地到着はナビのもくろみ通りとなってしまった。

友人のHさんは、古いガクタイ仲間。
いつも二人でつるんでなにかしらアンサンブルをやっていた。
ツーと言えばニャーの関係だった。
今回はハルボルセンのパッサカリアを合わせたいと言ってきたので、日野くんだりまでナビに騙されながらのドライブとなった。

お宅に着くとハルボルセンはそっちのけで、話に花が咲く。
私がオーケストラをやめてからウン十年。
その間2,3回は会っていても長く話すことはできなかった。
それなのに、昨日までの話題を今日も話すというように、まったく時空を超えてのつながりが途切れていない。
これができる人とできない人がいるけれど、彼女は全く違和感なく昨日の話しの続きをできるという感じ。

コーヒーをいただいて歓迎ムードの中で流されないように、さあ始めましょうと言ってみる。
前夜、私の飼い猫の具合が悪くて何回も吐くので、心配で眠れなかった。
今朝動物病院に電話をして医師に相談すると、エサを食べてそれを吐かなければ大丈夫と言われ、少し安心して出てきた。
それでも万一のことがあるかもしれないし、明日は別のコンサートのピアノ合わせがあるので、少し早めに家に帰りたかった。

練習はとても面白かった。
私たちは様々な人たちとアンサンブルをする。
仕事によってメンバーはその時々に変わる。
マネージャーが頼むこともあればこちらから希望を言って頼むこともある。
仕事とあれば気の合う人とだけ合わせるわけには、いかないこともある。
特にリズム感の違う人、音程の取り方が微妙に違う人とは、すったもんだする。
反対に数回合わせれば、お互いに納得できる人もいる。
それがHさんなのだ。

回を重ねると、響きもテンポも、二人の阿吽の呼吸で揃えることができる。
先日亡くなった鳩山さんも、合わせの天才。
ヴァイオリンで会話しているようになる。
言葉で決めなくても、相手に少しの動きがあれば、影のようにぴったりとついていける。
先日亡くなったピアニストの美智子さんもその一人。

要するに相手の音が聞けないようでは合わせられない。
すべての基礎が聞くことから始まる。

だから耳の故障は音楽家にとって一大事。
Hさんは突発性難聴になってオーケストラをやめた。
聴力は戻ったものの、耳鳴りがひどいというから、本当につらいことだと思う。
私も働きすぎていたころはひどい耳鳴りがしていた。
けれど、人生には本当に頑張らなければいけない時期がある。
耳鳴りがしていたころは、私はひどいストレスを抱えていた。
突然死覚悟のうえで働いていたけれど、その修羅場が終わってみれば耳鳴りは収まってしまった。
Hさんも様々なストレスを抱えていたために、耳鳴りを背負い込んでしまったらしい。

オーケストラの組織の中で長年働くのは、本当に忍耐がいると思う。
演奏の緊張と人間関係の緊張で、壊れていく人を何人も見てきた。
普通の職場と違うのは、会社にいる時間だけで仕事が済まないこと。
就業時間が終わるとお休み・・・とはいかない。

次のコンサートのための個人練習と、自分のスキルのための生涯終わることのない練習が、休日をほとんどなくしてしまう。
本当に厳しい仕事を選んでしまったものだと思う。

ハルボルセンのパッサカリアは非常によくできていて、チェロとヴァイオリン・ヴィオラとヴァイオリンという2種類の編成で演奏される。
チェロ2本で演奏している動画にも時々お目にかかる。
ヴァイオリン2本で弾く版も楽譜が出版されているらしいけれど、ヴァイオリン2本では重厚な和音が出ないと思う。

「このヴィオラ、すごい安物なのよ」と言ってHさんが弾くヴィオラは豊かに響く。
その上に乗ってヒラヒラ弾くのがヴァイオリン。
琴瑟相和すというと意味が少し変わってしまうが、よく合った楽器の響きはまさにそんな言葉が思い起こされる。
次回はプロコフィエフのデュオ(これはヴァイオリン2本)の約束をした。
これは難しい。
長い空白を経ても私と弾きたいと言ってくれる人がいることが、なによりも嬉しい。

帰り道はナビをやめてみた。
なんのことはない、往きよりもずっと時短になった。
踏切なんて全く通る必要もない。
踏切の好きなナビって変だなあ。









































2017年4月15日土曜日

吉野の桜と阿修羅

吉野山は吉野駅からガタガタとケーブルで少し上がる。
そこから両脇に土産店のある狭い道を抜ける。
その先からは土産店、食事処などは片方の崖側にだけになる。
その崖の向うが桜の山が見えるはずなのに、それらが邪魔で店に上がらないと見えない。
車がやっとすれ違えるほどの狭い道を歩いて上る。
かなり登って見晴らしの良いところに出たとたん、薄い桜色に染まった景色が開ける。
少し遅い時間だったので柔らかな夕日に照り映えて、山肌を埋め尽くす花が煙るように、朧な夢のような世界が眼下に広がった。
息をのむほど美しい。
漱石の道草の非人情の世界。

ガタガタと下りのケーブルは危なっかし気に、吉野駅まで運んでくれた。
後から乗り込んできた女性が、これは飛ぶんですか?と発車駅の人に尋ねている。
往きには乗らなかったのかなあ?
飛びはしないけれど、宙には浮きますよ。
大丈夫ですよと言うと、高いところがダメなのでと言う。
言っているわりには下の景色の写真を撮りに、危なっかしげに階段から覗き込んでいる。
下に着いて、大丈夫だったでしょう?と言うと、ええ、怖くなかったと元気に答える。

古民家にはとっぷりと暮れてから帰り着いた。
男性のKさんは東京の大学で講義をするため翌朝早く出発するそうで、早めに宴は終わった。
次の朝も大音響のヤシの実に起こされた。
荷物を宅急便で送って身軽になり、ご夫婦に別れを告げて、古都奈良へと出かけた。

まず、近鉄橿原線で西ノ京へ。
たびたびの災害を受けた薬師寺は高田好胤管主が白鳳伽藍復興を発願、昭和の時代に復興の手立てとして多くの人の写経勧進によって再興されたとある。

高田好胤管主は以前「題名のない音楽会」にたびたび出演された。
こんなところに出ているなんて世俗的なと、そのころは否定的だったけれど、白鳳伽藍の再建のために人々にアピールするために出ていたのかと、今、やっと納得した。
申し訳ない。
金堂には薬師如来を中心に、日光菩薩、月光菩薩が並んでいる。
日光、月光菩薩は対照的に腰を横にくねらせたポーズをとっているのが、とても優雅で美しい。
玄奘三蔵院伽藍は三蔵法師の仏舎利と、大東西域壁画殿には平山郁夫画伯の壁画が展示されていて、観光客もまばらなのでゆっくりと拝見した。

次は私の修学旅行で感激した記憶のある唐招提寺。

久しぶりの金堂は記憶よりも狭かった。
子供のころ見たものはなんでも少し大きめに記憶される。
それでも私はその当時から今の身長だったので、視線の高さは変わらないはず。
じっくりと写真と見比べると、写真は以前のものらしく、両側の木が小さい。
今は木が迫ってきて視界を狭くしているのがわかった。
これで納得。
当時の感激はそのまま同じだった。
ここだけ別世界で、ゆっくりと時が止まっているように思える。
しばらく佇んで見入っていた。
この場を離れたくない。

奈良に向かうため尼辻駅を目指して歩いていると、不思議な池に出た。
池の中には古墳らしき小島があって、そこは垂仁天皇の御陵だった。
そよそよと春風の吹く中で陽を浴びながら見入っていると、悠久の時の流れを感じる。

尼辻駅から大和西大寺駅へ、そこから乗り換えて近鉄奈良駅に到着。
あっという間に修学旅行や外国人の団体に、もまれる。
駅を出るとすぐ興福寺。
猿沢の池から興福寺の五重塔を眺める。
池の周りにも多くの外国人観光客の姿があって、ロシア?チェコ?言葉を聞きながら歩く。

そのころには私の足はもう限界に近いほど疲れていた。
同行のKさんは全くケロッとしている。
恐ろしく健脚なのだ。前日前々日と歩き回っているのに、少しも足は痛くないという。
ほんの3歳ほどの年の差で、これほど差が出るのは、精神力の違いか、私がとびぬけて筋肉が弱いのか。
好奇心も研究心も人並み外れているので、今回の奈良見物も彼女が地図を片手に調べてくれる。
私はいつものことだけれど、何もせずにぐちぐちと泣き言をいう係。

猿沢の池で少し休んだので、気力を振り絞って次の目的の阿修羅像にご対面することに。
興福寺国宝特別公開で仏像が公開されている。
これは本当に幸運だった。

並みいる仏様の中で、阿修羅はまるで少年のように初々しく立っていた。
細身の体に繊細なひだのある着物、首からは領巾のような細い布が流れている。
手は6本、お顔は3つ、正面の顔はまだあどけない。
右後ろの顔はちょっと女性的なふっくらとした、左後ろは厳しい男性のような。
阿修羅は戦いの神様だそうだけれど、仏教に帰依して守護神になったと解説。
それならもう少し戦闘的なのかと思うのだが、この阿修羅像は若木のような瑞々しさがあって、心なしか悲しそうにも見える。
両脇の顔が本当の顔といえるのかもしれない。
多くの仏像の中で、そこにだけ光が当たっているように、輝いていた。
重量感のある仏像軍のなかで、とびぬけて優雅で芸術性が高いからかもしれない。

すっかり満足して帰路の新幹線に乗った。

改めての大和人の魂を感じた貴重な体験となった。
お誘いくださったHご夫妻には感謝!
すこしでも古民家再生のお手伝いができないかと模索中。
幸い人脈豊富なnekotamaだから、あちらこちらに手を伸ばして皆さんに助けていただこうと思う。
なによりも軍資金。
こういう時に自分が貧乏なのが情けないと思う。
これ、使って!とポンと一億くらい出せたらいいのに。

















京都の桜

朝、新幹線で出発したKさんと私は京都に立ち寄った。
平安神宮に桜を見に行こうというので。
その日の桜は完璧な満開で、風が吹いてもほとんど散ることはない。
平安神宮の社と満開の桜は、穏やかな春の日にやさしく寄り添っているようだった。
河岸の美術館のカフェでお茶を飲んだ。
休憩後は蹴上の南禅寺へ向かう。
南禅寺も観光客が少なく静かな散策が楽しめた。
蹴上インクラインという船を引き上げるためのレールの敷いてある場所があって、その両脇には見事な桜並木がある。
そこも散り始める寸前の、完璧な満開。
人々は歩きにくいレールの間の敷石に足を取られながら、はしゃいでいた。
今年の開花予報が外れて1週間遅い満開となったためか、観光客も少ない。
たぶん先週が花見客のピークだったのではないか。
花が咲いていなくてがっかりして帰ったかもしれない。
私たちはそのおかげで、静かで豪華な花見をさせてもらった。

京都は良いお天気で花爛漫、絶好の花見日和。
それでも今回は古都奈良が目的なので、南禅寺付近を散策してから近鉄に乗る。
弦楽器工房に寄っている暇はないので、又の機会にと諦めた。
同行者のKさんは京都に詳しいけれど、奈良には修学旅行以来行ったことがないという。
私も同じようなもので、時々仕事の帰り道に寄るとか仕事に行ったりということはあったけれど、観光目的ではなかったから、ほとんど名所は見ていない。
中学校の修学旅行の時、一番印象に残ったお寺は唐招提寺。
今回もぜひ行ってみたい。
若い時の印象と今のそれとどう違うのか、見てみたいという思いもある。

京都から小一時間、日は暮れてあたりは真っ暗。
泊めていただく予定のHさんの奥様に電話すると、駅からの道の説明をしてくれた。
あちらからも家を出てこちらに向かうというから、同行者のKさんと二人でカエルの鳴く叢を過ぎてトボトボ歩いて行ったけれど、一向にそれらしい人影はない。
そこへ携帯に着信があった。
私が聞き間違えて方角違いに歩いたらしい。
やっと会えて案内されたのは、見事な古民家。

巨木の梁が高い天井に何本も張り巡らされ、現代の大工さんの技術では到底無理と思える建屋。
瓦屋根が幾層にも重なって、かまどのある土間の煙の排出口が、小さな天守閣のようにしつらえてある。
広い土間から中庭のある元下男小屋に灯りが点いていて、そこにご当主のHさんが満面の笑顔で出迎えてくれた。
あまりにも沢山の修理が必要なので、とりあえず一番狭い下男部屋を住めるようにして、ご夫婦はそこに住んでいる。
あとは手つかずのままで、どの様に修理しなければならないか、あるいは修理する人を確保するかが大問題となっている。
莫大な費用が掛かるので壊してしまえば簡単なのだが、保存しておきたい気持ちが強いという。
素晴らしい民家なので、この土地で再利用できる様にしたいらしい。

ほかに二人、とても背の高い男性のKさん、チャーミングな若い女性のSさん。
初対面の挨拶もそこそこに話題は核心へと入る。
その二人はカップルだと思ったら、今日初対面だという。
男性のKさんは経済学が専門の起業家。
この古民家をイベントやコンサートに使用できないかと、模索しているという。
当主のHさんとは2年前からのお付き合いらしい。
女性のSさんは名古屋在住のダンサー。
元新体操の選手だったそうで、古民家に非常な関心を示し、できれば住みたいと思っている。
それで色々な道筋から、この古民家にたどり着いたという。
彼女はその日のうちに自宅に帰るつもりだったけれど、私たちと一緒に泊まることとなった。
しかも男性のKさんの口から、私の親類筋の名前が出るという驚きの出会い。
まさに出会うべくして出会ったと皆驚きを隠せない。
この古い家が我々を引き寄せたようだ。

夜食の用意ができる前にスーパー銭湯に宿泊客4人で行くことになって、真っ暗な道を車で30分ほど走る。
湯上りにコーヒー牛乳という定番のコースを終えて、もと来た道を走る。
沢山料理が用意されていて会話も弾み、花の宴は夜更けまで続いた。
広い屋敷は住む人もなく荒れ果てていたので、使える部屋が限られている。
私とKさんは離れの一番奥の部屋で、男性のKさんは上がり框の控えの間の次の座敷で、ダンスのSさんはかつて明治天皇が泊まったという竹の間で、それぞれぐっすりと眠った。

翌朝は突然の大音響のチャイムでびっくりして飛び起きた。
ヤシの実のメロディーが村中に響き渡るのは毎日のことだという。
脳天をガツンとやられたみたいで、絶対に朝寝ができないようになっている。
あまりの空気の冷たさに布団から出られない。
この家は雨戸も隙間だらけ障子もうまく閉まらないから、外気は容赦なく家の中に侵入してくる。
朝食後、ダンスのSさんを駅まで見送る。
もう一晩泊まれば?なんて私は自分の家ででもあるかのように勧めたけれど、彼女は次の日のステージの衣装を自宅に置いてきてしまったというので、しぶしぶ別れを告げた。
この家は駅からほんの目と鼻の先の距離で、この家の先々代がこの地に鉄道が引かれるときに、自分の家のそばを通るように鉄道会社に掛け合って、こうなったという。
どれだけ実力者だったのか。
皆の万歳に送られてSさんは帰っていった。

Hさんの案内で家の中を見て回る。
昨夜それぞれが寝た部屋の他にも、納戸や生薬を調合するための部屋、帳簿をつける部屋、農具を置く土間、広い台所。
古い農機具や様々な生活用品に占領されて、なかなか後か片付けができないと嘆くHさんの奥さんのTさん。
見ていると一日中休む暇なく働いている。
2階の屋根裏部屋は趣があって、そこに男性のKさんは住みたいという。
ほかにもたくさんの部屋があるけれどあまりにも傷みが激しく、まずは屋根瓦の葺き替えが2000万円を超えるというので、気の遠くなるような話。
瓦の下に土が入っていて、それが温度調節の役割を果たしている。
その土を入れなければ費用は抑えられるけれど、夏暑く冬寒くなってしまう。
その技術を残したいという気持ちもあるという。

家を見たあとはH家の竹藪でタケノコ狩り。
ネコ車にタケノコ堀の道具を積んで、地下足袋をはいたHさんに案内されてすぐに竹藪に到着。
「日本一地下足袋が似合うヴィオラ弾き」と自慢するHさん。
なるほど、本当によく似合う。
良く手入れされた竹の間にわずかに土から顔を出しているタケノコを見つけると、Hさんがクワやタケノコ堀のための道具を使って、大きなタケノコをいくつも掘ってくれた。
掘ったばかりのタケノコを切ってわさび醤油でいただくと、かすかなえぐみとほのかな甘さが一体となる。
そよぐ風と鶯の鳴き声、暖かい日差しは郷愁を誘う。
あぜ道に咲く草花も昔懐かしい。
日本の田園風景はほんとうにやさしい。

午後からは、男性のKさんの運転する車で出かけた。
彼は日本人離れした長身で、時々光の加減で目が青く澄んで見える。
遠い祖先に外国人がかかわっていたのではないかと思う。
神道や古武道にも詳しく、かと言って国粋主義ではない。
純粋で霊感の強そうな、私とは正反対でありながら、もう一つの端で通じているような不思議な雰囲気を持っている。

目指すは吉野の桜。
Tさんはその前に神馬が2頭いる神社に寄って日本酒を寄進するという。
馬と聞いて私は喜んだ。
着いたのは山も奥まった古びた神社。
なるほど白馬と黒馬が2頭いたけれど、可哀想に手入れが悪く元気がない。
白馬に近寄って鼻面を撫でると、あまり可愛がられていないと思える馬は迷惑そう。
それでもしばらくすると甘えるようになってきた。
見ればお尻のあたりから腿にかけて、薄茶色に汚れている。
これはなにかと神社の人に訊くと、馬房に敷いてある砂の汚れが寝ころんだ時に付いたのだという。
ご神馬でしょうに、もう少しちゃんと手入れをしてあげてほしいなあ。

近くの吉野線の駅まで送ってもらって、私と同行者のKさんは吉野桜を目指した。


















2017年4月11日火曜日

旅への誘い

桜のない寂しいお花見も終わり、ちょっと一息。
そこへ奈良に遊びにきませんか?とお誘いがあった。
仕事上のお付き合いのある弦楽器奏者のH夫妻から。
ご主人の実家が奈良にあって、大変古い家ですが広いのでというので、興味津々。

たぶん由緒正しいお家柄だと思うので、歴史観のある建物ではないかと思う。
そこへ2、3日泊めていただく。
メールにお化けの絵文字添付。
もしや?
お化けが私を(「が」ではない)怖がるといけないから出ないようにお伝えくださいと、メールしておいた。

こうなると私の無銭宿泊旅館はだんだん全国規模になってきた。
宿泊料を踏み倒す予定の上に、時々柿の葉寿司などもいただく。
彼らにしてみれば、何の因果でこのように私ごときを養わねばならないのかと、暗澹とした思いであるに違いない。
ご主人のHさんとはオーケストラで入れ違い。
私がオーケストラをやめた次の年に彼は入団。

私がオケをやめた後しばらくして、元のオケ仲間から自分のリサイタルの手伝いをしてほしいと頼まれた。
その人は元N響のヴィオラ奏者の永野さん。
彼はしばらく私と同じオーケストラにいたけれど、その後N響へ。
その後、残念なことに若くして亡くなられた。
私たちは、いつもアンサンブルをしていた大事な仲間だった。
その永野さんのリサイタルで、ブラームスの六重奏曲2番を演奏。

ヴェネチア合奏団のSさん、私、永野さん、今回の宿主のヴィオラのHさん、チェロのお二人も当時若手のオケのトップ奏者、バリバリの生きの良いメンバー。
もちろん私も今のようにしょぼくれてはいなかった。
その時がHさんとの初対面だった。

何回も練習を重ね、いざ本番。
東京文化会館小ホールで、さてステージに一歩踏み出そうとしていた時、チェロの一人が「ああ、俺だめだー」と突然声を上げた。
「俺、どんな小さなコンサートでもだめなんだよ」といつもの強気がうそのような発言。
すると口々に男どもが「俺も俺も」
まるで何かの詐欺集団のような声が上がった。
そのころオレオレ詐欺はまだなかったけれど。

それまでは各オーケストラのトップメンバーの中で一人、所属グループのない野良猫の私は引け目を感じていた。
こんな上手い人ばかりで、もし私がヘマをして皆の足を引っ張ったらどうしよう。
ステージに出る間際までひどく緊張していたのが、彼らの言葉を聞いて驚いたおかげで、ストンと落ち着いてしまった。
トップヴァイオリンのSさんは、緊張で弓が微かに震えている。
本当に上手い人で、オーケストラでトップを弾いているのに、なんと繊細な。
でもこの演奏のテープを聴くと、素晴らしい音で入っている。
震える直前の音が一番いいとはよく聞く話。

その時Hさんは同じ発言をしたかどうかは覚えていないけれど、いつも駘蕩とした風貌で緊張とは無縁のようでも本人曰く「僕はノミの心臓」だそうだ。
それにしては、協奏曲のソロはいつも堂々たるもの。
奥様はヴァイオリン・ヴィオラの非常に優れた演奏家。
ご夫婦揃って大物で、アマチュアオーケストラを運営している。
そのうえ、様々なコンサートで演奏しているからおそろしく忙しいのに、よくも私を泊めようなどと危険なことを考え付くものだと思う。

奈良へのご無沙汰は30年越ではないかと思う。
今回特に、京都在住の弦楽器製作者に会いたいという思いもあって、とても魅力的な旅になると思う。
会えるかどうかはまだ連絡していないのでわからない。

京都の楽器製作者はOさん。
私が高校生のころ通っていた工房のスタッフだった。
白皙の美青年で話しかけるのも怖いくらいだったけれど、数十年後、彼が大阪で工房を開いたときに、楽器のメンテナンスをしてもらったことがあった。
その時が久々の再会で、依然としてハンサムだけれど、すっかり穏やかな田夫風になって以前よりもずっと親しみやすく、長い年を経た再会を心から喜んでくれた。
田夫といっても粗野というのではなく、土に親しんで地に足の着いたという意味で、良い年の取り方をしているなあと嬉しかった。

そして今彼は、京都で工房を開いている。
再会当時まだ若かった息子さんが後を継いで、立派になっていると聞いた。
Hさんは楽器のメンテナンスは、その工房でしてもらうのだそうだ。
前回行った時には、私が高校生のころ買った楽器のことを細部まで全部覚えていたのには驚いた。

大阪に友人がいるし、神戸に元生徒がいるから会えないかなあ・・・なんて考えていたら、ずいぶん関西方面に行ってないことに気が付いた。
関西をとばして、もっと南の沖縄にはよく行った。
関西は新幹線でほんの2時間ほど、近くてすぐに行けると思うから行かなくなる。
外国も韓国には一回も行ったことがない。
私の中では韓国は大阪の少し先みたいな感覚。

今回は私と私の友人のほかに熟女軍団が8人、その方たちはお泊りなし、もう一人は男性が一人ご宿泊らしい。
知らない人たちでも、コスモポリタンの私はすぐに馴染む。
子供のころはすごく人見知りが激しかったのに、この変貌は地金が出たのか修行のたまものかはよくわからない。
しかし、そんなにたくさんの人を受け入れられる家って、どれほどの大きさ?

今年春のお花見はいまいちで、友人を失う目にも会ってくさくさしていた。
ご厚意に甘えての旅で気分が変われるかもしれない。



























2017年4月8日土曜日

春に逝く

毎年12月になると心待ちしていたのは、ロンドンアンサンブルのコンサート。
ピアニストの美智子さんとその夫、元BBCオーケストラのフルート奏者のリチャード。
ハンガリーのヴァイオリンの名手で世界的に有名な、タマーシュ・アンドラーシュ。
チェリストのトーマス・キャロルはヨーロッパで売れっ子の指揮者でもある。

彼らが来るのはすごく楽しみだった。
なんといってもタマーシュは単に名人というだけでなく、血管には全部ヴァイオリンが流れているとしか思えないほどの生まれながらのヴァイオリン弾き。
彼が弾くと、これぞヴァイオリン、私が弾くのはファイオリンと言いたくなった。
そして彼らは人柄も素晴らしい。
穏やかでいながら情熱的で、礼儀をわきまえ、人の気をそらさない。
ほんの些細なことにも気がつき、思いやりがあった。

過去形で書くのはすごく悲しい。
美智子さんは残念なことに、私たちを置いて天国へ行ってしまったのだから。

1昨年の日本公演の前、彼女は体調不良を訴えていたけれど、日本の公演を前にして治療を受けなかった。
イギリスでの治療は日本人の体格に合わないという理由で。
馬に飲ませるほど薬の量が多いのよと言う。
せめて検査だけでも受けたら?と言っても、コンサートが中止になることを恐れて絶対に言うことをきかない。
日本でのコンサートは毎度のことながら大成功だったけれど、その後入院した美智子さんの症状は予断を許さなかった。
手術を受けた後、抗がん剤治療、一時期回復に向かうと思われたけれど、転移した癌が全身を蝕んでいった。
いつものことだけれど、彼女はエネルギーに満ち溢れ、闘病中とは思えないほど顔色も良く、頭の回転は人の倍ほど。
しかし、医者嫌い、他人の言うことを聞かないことにかけては人後に落ちず、治療は彼女の思うようにはいかない。
納得できないことには従わない反骨精神が、いくぶん治療の妨げになったかもしれない。

人よりも抜きんでた才能と頭脳は、時として彼女の人生を複雑にしたのではと考えている。
留学先のイギリスにとどまり、演奏活動を続け結婚し、日本人留学生の面倒を見ることにも情熱を燃やした。
私が彼女とお付き合いするようになったのは、ロンドンアンサンブルが来日するようになってから15,6年も経ってからだろうか。
最初に会ったのは、今までヴィオラを編成に入れていなかったアンサンブルが、ヴィオラを入れることにしたところから始まった。
タマーシュの現奥さんのジェニファがヴィオラで参加。
しかし彼らのスケジュールの都合で、最後の小田原公演だけはエキストラを入れなくてはならない。
そのエキストラを引き受けることになった。

オーケストラの曲を5人の編成で弾くのだから、普通のヴィオラパートよりもずっと弾く量が多く難しい。
それでも名人たちと一緒に弾くのは本当に楽しかった。
私は英語ができないのにほとんど物怖じしなかったのは、音楽と言う共通語があったから。
それと美智子さんと言う稀有の人がいたから。
彼女は老若男女を問わず、国籍も関係なく、人をひきつけてやまないものを持っていた。
もちろん演奏家として、類をみないほどのアンサンブルの力を持っていた。
数年前サロンコンサートで共演してもらったときに、あまりの繊細さ、耳の良さに舌を巻いた。
これほど、ほかのパートが聴けて寄り添うことの出来る人は滅多にいない。

そしてチェロの名手のトーマスも地獄耳。
どんな些細な間違いも許さない。
一緒に弾いていて、これはもう面白くてたまらない。
本当に幸せで、たった一回の本番で終わってしまうのは惜しかったけれど、本来のメンバーがいるのだから私は我慢しないといけなかった。

毎年温泉好きのトーマスのために、全部のスケジュールが終わると箱根に泊まった。
子供のように無邪気なかれらと過ごすのは、いつでも楽しかった。
美智子さんは数年前脳梗塞で倒れたので、温泉には入らなかったけれど、トーマスのために箱根に行くことにしていた。

1昨年のコンサートが終わった後、美智子さんは本格的な治療に入ったけれど遅かった。
顔色もよく食欲もあり元気なのと、本人が生きる意志を強く持っていたので、私たちは彼女が回復すると信じていた。
けれど病魔は強かった。

3週間ほど前、銀座の病院に付き添っていったとき、治療後彼女の大好きなお寿司を食べることにした。
けれど、マグロ2貫しか喉を通らなかった。
その後プリンを持参しても、もう液体でないと喉を通らないという。

ほんの1週間ほど前「玉ねぎが盛大に芽を出しているからあなたこれを絵に描かない?」と言うから「芽の出た玉ねぎなんて食べられないし、いらないわ」と笑ってお断りしたのが最後の会話。
それは彼女の病院へ行ったときに、待合室にかかっていた玉ねぎの絵に私がひどく感心して、それを覚えていた彼女が声を掛けてくれたと思われる。
なぜその時喜んで貰いにいかなかったかと、私は悔やまれてならない。
玉ねぎよりも、会って話がしたかったのでしょうに。

彼女のお見舞いに行く予定だった日の朝、訃報が届いた。
まさかこれほど早いとは思わなかった。
だって、数日前まで電話で話をしていたのだから。

亡くなる前日、彼女のお兄様がベッドの傍らで「僕の妹に生まれてくれてありがとう」と言ったら、涙が彼女の目尻をツツっと流れ落ちたと聞いて、私はこらえきれずに泣いた。
お兄様も一瞬言葉が途切れて喉を詰まらせた。
彼女はきれいな顔で横たわっていた。
その部屋は彼女が生まれた部屋。
この世に来た時も去る時も同じ部屋だった。

修善寺温泉に行ったとき、私がカピバラを見たいというと「カピバラってどんな動物?」写真を見ても「フーン」「これのどこが可愛いの?」
彼女は猫が好きで、猫以外の動物全般が好きなわけではないらしい。
それでも私の気持ちを尊重して、カピバラのいる動物園に付き合ってくれた。
その時には体は相当なダメージがあって、痛みもあったかもしれない。
それを隠して付き合ってくれたのかと思うと心が痛む。
私を喜ばせるために、自分の苦痛は我慢していたのかもしれない。

タマーシュとジェニファに赤ちゃんが生まれて、それを美智子さんはとても喜んでいた。
その赤ちゃんにも会わずに逝ってしまった。
桜満開の春なのに。


















猫の耳鳥の耳

今飼っている猫はレッスン室に入れないので、ヴァイオリンの不愉快な擦過音を聞かないですんでいるけれど、改築前の家は独立したレッスン室がなかったため、猫たちは一日中楽器の音に悩まされていた。
いつも練習していると私の足元に耳を伏せて寝ていた、三毛猫のナオコちゃん。
彼女は私が普通に弾いていればリラックスして眠っている。
ところが少しでも音程を外そうものなら、ピクリと起き上って私を見る。
まるで音程測定器を飼っているようなものだった。

私の友人のお姉さんはソプラノ歌手。
彼女の家には獰猛な猫がいて、お姉さんが歌っているときは寝ているけれど、お弟子さんが来て歌うと踝にかみついたそうだ。
生徒さんたちは怖がって逃げるらしい。

うちのナオコちゃんはとても賢かったので、人の言葉を理解しただけでなく、本人も人語をしゃべった。
ナオコちゃん!と呼ぶとかわいらしく、にゃんと短く一声。
まるで「はい!」と言っている様だった。
お腹が空くと「にゃにゃーん」
「ごはーん」と聞こえる。
表に出たくなると「にゃんにゃ」
「おんも!」と言う。
ドアノブは開ける。
あれで閉めたら化け猫だねと思っていたけれど、可哀想に巨大な脳腫瘍ができて天国へ行ってしまった。
あまりにも頭が良かったからなのか。
手術をして治療を施しても手遅れ。
遺体を前に大泣きに泣いていたら獣医さんが「しばらくお別れをしてください」と奥へ引っ込んでしまったので1時間ほど涙にくれた。
そのあと1ヶ月うつ状態。
次の猫が来てやっとうつから抜け出した。
そんなに耳がよかったのも腫瘍のせいだったのかしら。

レッスン室のベランダにスズメやヒヨドリが来る。
スズメは前からきていたけれど、ヒヨドリは最近になってから来るようになった。
ベランダにかぶさるように一本の木があって、これがご近所付き合いの悩みの種。
ものすごく生命力が強くて、お隣との塀のわずかな隙間に種が落ちたらしく、そこであっという間に成長してしまった。
私はうっかりの人だから、その木はお隣さんが植えたのかと思っていた。
しばらくしてよく見たら、我が家の敷地内に生えていた。
春になると恐ろしい勢いで枝が伸び葉が生い茂り、秋には大量の落ち葉をまき散らす。
その枝がお隣へ、境界線を越えて伸び伸びと侵入する。
それが気に入らないお隣さんは毎年、枝を切ってもいいですか?と言ってくる。
私は枝を切りたくないし、なんで木が茂ってはいやなのかわからないけれど、争うのは嫌なので切ることに同意。

うちのベランダにかかる分は切らないので、半分切られて不自然な格好の木を見ると、気の毒でならない。
そこへ小鳥がやってきて虫を食べたり花の蜜を吸ったり。
私がヴァイオリンを弾き始めると、スズメがベランダの手すりに止まって、こちらを見ていることがある。
最近は大きなヒヨドリが4羽、手すりに止まってこちらを覗いていた。
等間隔に止まっているので、ダークダックスを思い出した。
鳥の耳は甲高いヴァイオリンのような音は平気なのだろうか。

あんまり上手じゃないね・・などと考えているのではないかと思う。
どうやって歌うのかお手本に鳴いてやろうか?なんて思ってるかもしれない。
音程を外すとサッと飛んでいくなんてことはないから、猫の耳よりは性能が悪い?
鳥の声に音域が似ているのかもしれない。
リコーダーやフルートなら、近所中の鳥があつまるなんてことはないだろうか。


























2017年4月6日木曜日

旧友

オーケストラで弾いていたころ、とても気の合う人がいた。
たぶん彼女は私より少し年下だけれど、セカンドヴァイオリンのトップ奏者だった。
素敵な演奏をした。
カルテットやデュオなど、様々なアンサンブルを一緒に楽しんだ。
私がオケをやめて、もう何十年も経ったころ、彼女の還暦のお祝いに思いがけず誘われて、8人くらいだったかしら、会食したことがある。
他の人は現役ばかりで、私だけ風来坊。

とても懐かしい再会だった。
その後彼女のご主人が亡くなって、その葬儀での再会、これは悲しかった。

最近突然の電話。
ハルボルセンの「パッサカリア」を一緒に弾いてほしいという。
この曲はヴァイオリンとヴィオラのデュオ。
彼女はヴァイオリン奏者だけれど、生徒がこの曲を弾きたいというので急遽ヴィオラを練習して弾いた。
発表会で生徒さんがコケてなんかすっきりしないので、一度プロと弾いてみたいと言う。
プロと言っても、私は去年仕事をやめたから今はセミプロ。
しかも彼女は優れたヴァイオリン奏者だから、私がヴィオラを弾いた方がいいんじゃない?と言ったら、でも一度ちゃんとヴィオラパートを弾きたいというから、久しぶりに合わせることになった。
私が相手では果たして「ちゃんと」弾けるかどうか。
とにかくすっきりしたいのよと言う。
困った!すっきりさせてあげられなかったら、どうしよう。

若い頃、彼女とプロコフィエフのデュオソナタを一緒に弾いた。
とても素敵な曲なのに演奏される機会はめったにないらしく、演奏会でプログラムに載っているのをみたことはない。
プロコフィエフ特有の音とリズムで、かなり難しくはあるけれど本当に面白いから、これをチャンスにもう一度一緒に弾いてもらおうかという下心で快諾した。
彼女は暗雲たれ込める未来にまだ気が付いてはいない。
魔の手がそこまで伸びているというのに・・・

私はオーケストラに11年いたけれど、10年目くらいにファーストヴァイオリンを弾くのにほとほと飽きて、どうしてもセカンドヴァイオリンを弾かせてほしいと団側に掛け合った。
なぜかというとベートーベンの「第九」に、それはそれは美しいメロディーがセカンドヴァイオリンによって演奏される部分があって、それが弾きたくてたまらない。
練習の時にはこっそりとそこを弾かせてもらっていた。
コンマスの意向もあってなかなか許可が出ないので、もうやめると脅したらやっと許可が下りて、彼女の隣で弾くことになった。
言うまでもなくずっと気が合う存在だったから、それからは楽しくてたまらない。
晴れて第九を弾いた時には天にも上る気持ち。

それと同時になんという難しさ!
ベートーヴェンは内声を弾くととてつもなく面白い。
その代わり、モーツァルトの「魔笛」とかベートーヴェンの「田園」などにセカンドの難所が。

指揮者の故朝比奈隆さんが練習が終わると事務所に行って、セカンドヴァイオリンの1プルトの2人が怖いと言ったそうだ。
練習の時朝比奈さんが注意をしている間も、二人でひそひそ話している。
それで注意を聞いていないかというとちゃんと聞いていて、指定通りに弾く。
しゃべっていても聞いているので、怒れないらしい。

元々許可が中々下りなかったので、時々元のファーストの席にもどされる。
そのうちなし崩しに元の席が多くなった。
結局セカンドヴァイオリンは1年くらい弾いただけで、その後はファーストばかり弾いていたから少しも上手くならなかった。
ほとんど覚えていない。
セカンドヴァイオリンは、曲が良くわかっていないと難しい。
ヴィオラとの連携がうまくいかないと辛い。
ファーストはのんきにメロディーが弾けるから、音が高くても楽。

せっかくセカンドヴァイオリンに席をもらったけれど、あまり弾かせてもらえなくて間もなく私は退団してしまった。
それからはフリーで仕事にも恵まれたけれど、同じ釜の飯の仲間たちとはいまでも交流があり、一緒に弾いたことのない後輩たちとも付き合いが広がっている。
オーケストラは言うなれば家族みたいなもの。
しばらく会わなくても、絆が切れない。



















2017年4月4日火曜日

賑やかな病室

先ごろ脳出血で倒れた姉の見舞いにいった。
兄弟は全部で6人。
その上に君臨する母。
母性愛の塊のような人だったので、家族全員が母に従って行動していた。
大人になってから、あれは母性愛というよりも支配欲ではないかと、時々思った。
陰で卑弥呼さまと呼んでいた。
それでも母が私たちを心の底から愛しているのはよくわかっていたので、子供たちにとっては絶対的な存在だった。

その母も相手が6人ともなると、万遍なく愛情を注ぐのは難しい。
贔屓の対象が時々入れ替わった。
愛情の谷間にいたのが、今回倒れた私のすぐ上の姉だった。
6人兄弟の5番目。
1番上が姉で私と13歳の差。
次が男2人。
次が女2人と私の計6人。
1番上の姉から洋服のお下がりが回ってくる。
2番目の姉で少し古くなり3番目で擦り切れる。
それで私のところに来る前に捨てられる。
私は新しい物を買ってもらえるという、サイクルが出来上がっていた。

入院したのはその3番目の姉。
いつも新しい服はかってもらえない。
兄弟の愛情の谷間にいて恵まれないので、精神が安定しない面があった。
それでも時々母が気が向くと可愛がられていたから、そう不幸せでもなかったと思う。
愛情面では母がたっぷりと私たちに注いでくれたので、多少の差はあっても幸せな家族で仲が良かった。

姉が倒れて病院に駆けつけたのは、近所に住む長兄と2番目の姉と私。
今日はこの3人と、長兄の娘が一緒にお見舞いに行くことになった。

病室に入っていくと、表情がうつろで目の輝きが消えた姉が介護士に助けられて、リハビリに向かうところだった。
ちょうどリハビリが始まるというので、見学することにした。
姉の右半身は感覚を失ったまま、言葉は倒れた当初よりはわかるようになって、自分からも物が言えるようになってきた。
これは回復できると思ったけれど、動かない足は触っても感じないらしく冷たいまま。
幸い左足は大丈夫なので、車いすや器具の助け、娘たちの介護があればそのうち良くなると思う。

元はとても太っていたのが少しやせて「前よりきれいになったよ」と愛想の良い長兄が調子のよいことを言う。
でもそれは本当で、もう少し痩せればもっときれいになるよと私たち。
体重が多くて筋力が弱っていたら、このまま寝たきり。
それだけは避けたい。

リハビリが終わって病室に戻るころには、姉の表情が見違えるほど明るくなった。
私の兄姉たちは揃っておしゃべり。
しゃべっているうちに姉も笑い顔になって、目がキラキラしてきた。
こんな賑やかな病室では、ほかの患者さんには迷惑だったかもしれない。
私は普段からすることもなくテレビを見ているのだから、リハビリをやっていることを楽しんだら?と姉に言う。
徐々に機能を取り戻していく喜びを感じてほしい。
今から赤ちゃんみたいに一歩ずつね、とも。
今日よりも明日、毎日の進歩がうれしいでしょう。
もし自力で立ち上がれるようになったら、人生で一番うれしいことかもしれない。

脳の一部の機能が壊れているので望みは半々だけれど、人間の体は必ずほかで補おうという働きがあると思う。
その工夫もやりがいのある仕事だと思う。
人はみな生きていくための努力は最大限しないといけない。
望みは捨てないでほしい。

この姉は若い頃大病をした。
誤診されて危うく手遅れになるかと思えた時に、母が夢中で医者に訴えて難を逃れたこともあった。
その時の火のような母の姿を、姉は見ていない。
それを見ていたら、どれほど自分が愛されていたかわかると思う。
いつもお下がりを着ていた姉は、ずいぶん不満があったと思う。
私が新しい服を着ていると、ぼやいていたから。

人はどうしても平等ではない。
姉は、たまたま3女に生まれたので、お下がりばかり着るはめになった。
私は、たまたま末っ子だったから、ケーキは真っ先に一番おいしそうなものが選べて、ヴァイオリンまで習わせてもらえた。
これは運としか言いようがない。
姉は優しい人と結婚して娘が二人。
私は子供がいない。
トータルすれば、私の方がずっと残念なんだわ・・・と、今気が付いた。































2017年4月3日月曜日

ヘロヘロ

家の駐車場部分の塗装やリフォーム工事を終えて、すぐに「古典」の定期演奏会。
そして今日はお花見。
イベントが続くとさすがに疲れがたまってくる。
今回の「古典」の定期は、自分のソロがなくて楽だったかと訊かれれば、楽ではなかった。
協奏曲の伴奏が続くと、思い切り音は出せないし気は遣うしで、とても緊張する。

特にチェンバロ協奏曲はソロ楽器の音量が大変小さいので、常に音を抑えている。
その結果、筋肉が緊張してしまう。
小さい音を出すのは大きい音を出す時よりも、ずっと緊張する。
相変わらずお客さんは沢山来てくださったけれど、曜日が普段の木曜日ではなかったので来られない人もいて、終演後の食事会参加者はいつもより少なく、少し寂しい思いをした。
上野駅の公園口改札に隣接したレストランで仲間たちと食事をするのだけれど、毎回そこの一番大きなテーブルを占拠する。
いつもはそのテーブルに仲間たちがほぼ隙間なく座る。
ところが今回はそのテーブルが大きすぎるように見えた。
一人は先日のスキーで捻挫して、後の二人は引っ越しで、他は仕事やお葬式でといった具合で、今回は6人も少なかった。
私だけのお客さんで6人だから、これは大きい。

今日は毎年恒例のお花見。
我が家が会場になって、花を愛でながらの飲み会。
2階の窓から見下ろすと、眼下に桜並木がずっと先まで続く。
ここ数年、満開を外したことがなく、今年の予想は今日が満開日。
予想を聞いた時には「してやったり!」と思ったけれど、なんとここ二日、寒い日が続いてようやく5分咲きほど。
今回は突然の病欠が出たりして、これまたいつもよりも人数が少ない。

しかし、お料理の方はテーブルに溢れんばかりに集まって、食べきれないほど。
皆が若い頃には帰りの時間などは気にしなかった。
終電が出てからタクシーで帰ったりしていたけれど、最近は午後の10時半ころには皆さん帰ってしまう。
こちらも朝から準備に追われて疲れて、途中で眠くなる。
仕方のないことだけれど、溢れんばかりのエネルギーを持て余していたころが、少し懐かしい。
すべてが減衰して、人生の黄昏に入っていく。
と、いつもに似合わない感傷にふけっていたけれど、今年も北軽井沢での音楽会のプランが浮かんできた。
まだ楽しみは残っていた。

その前に6月にベートーヴェンの「クロイツェルソナタ」を弾く。
先日初めてのピアノ合わせをして、少し目鼻がついたけれど、この曲は一筋縄ではいかないので、ずっと緊張している。
特に出だしの4小節が、この曲の最大の難所だから大変怖い。
ヴァイオリンの独奏で、堂々とした響きを出さないといけない。
とても緊張するところなのだ。
ただでさえ、コンサートの初っ端の音は固くなるのに。

家のリフォームも工事の人が窓の外に見えたりするので、なんとなく気がやすまらない。
と言うわけで只今私、疲れています。
食べ過ぎ飲みすぎもあって、体調もいまいち。
これから私の嫌いな夏がやってくるし。ブツブツブツブツ・・・・

北軽井沢の住人たちと話した結果、4月の最後の週あたりからあちらに逗留の予定となった。
彼らは連休明けまで北軽にいて、そのあとは入れ替わりに追分の住人が来るので、追分に泊まりにおいでと言われる。
その前の4月の半ばには、奈良の人から奈良においでと誘われているから、さあ大変。
すると私はいつ自宅にいるのかしら。
猫がかわいそうだから、少しは家にいないとなあ。

とにかくクロイツェルソナタ、頑張ります・・・でも、ちょっと疲れている。
本当にエネルギーが弱くなってチャージ切れ寸前。
ピッピッと電子音を出して、誰かに充電してもらいたい。