毎年12月になると心待ちしていたのは、ロンドンアンサンブルのコンサート。
ピアニストの美智子さんとその夫、元BBCオーケストラのフルート奏者のリチャード。
ハンガリーのヴァイオリンの名手で世界的に有名な、タマーシュ・アンドラーシュ。
チェリストのトーマス・キャロルはヨーロッパで売れっ子の指揮者でもある。
彼らが来るのはすごく楽しみだった。
なんといってもタマーシュは単に名人というだけでなく、血管には全部ヴァイオリンが流れているとしか思えないほどの生まれながらのヴァイオリン弾き。
彼が弾くと、これぞヴァイオリン、私が弾くのはファイオリンと言いたくなった。
そして彼らは人柄も素晴らしい。
穏やかでいながら情熱的で、礼儀をわきまえ、人の気をそらさない。
ほんの些細なことにも気がつき、思いやりがあった。
過去形で書くのはすごく悲しい。
美智子さんは残念なことに、私たちを置いて天国へ行ってしまったのだから。
1昨年の日本公演の前、彼女は体調不良を訴えていたけれど、日本の公演を前にして治療を受けなかった。
イギリスでの治療は日本人の体格に合わないという理由で。
馬に飲ませるほど薬の量が多いのよと言う。
せめて検査だけでも受けたら?と言っても、コンサートが中止になることを恐れて絶対に言うことをきかない。
日本でのコンサートは毎度のことながら大成功だったけれど、その後入院した美智子さんの症状は予断を許さなかった。
手術を受けた後、抗がん剤治療、一時期回復に向かうと思われたけれど、転移した癌が全身を蝕んでいった。
いつものことだけれど、彼女はエネルギーに満ち溢れ、闘病中とは思えないほど顔色も良く、頭の回転は人の倍ほど。
しかし、医者嫌い、他人の言うことを聞かないことにかけては人後に落ちず、治療は彼女の思うようにはいかない。
納得できないことには従わない反骨精神が、いくぶん治療の妨げになったかもしれない。
人よりも抜きんでた才能と頭脳は、時として彼女の人生を複雑にしたのではと考えている。
留学先のイギリスにとどまり、演奏活動を続け結婚し、日本人留学生の面倒を見ることにも情熱を燃やした。
私が彼女とお付き合いするようになったのは、ロンドンアンサンブルが来日するようになってから15,6年も経ってからだろうか。
最初に会ったのは、今までヴィオラを編成に入れていなかったアンサンブルが、ヴィオラを入れることにしたところから始まった。
タマーシュの現奥さんのジェニファがヴィオラで参加。
しかし彼らのスケジュールの都合で、最後の小田原公演だけはエキストラを入れなくてはならない。
そのエキストラを引き受けることになった。
オーケストラの曲を5人の編成で弾くのだから、普通のヴィオラパートよりもずっと弾く量が多く難しい。
それでも名人たちと一緒に弾くのは本当に楽しかった。
私は英語ができないのにほとんど物怖じしなかったのは、音楽と言う共通語があったから。
それと美智子さんと言う稀有の人がいたから。
彼女は老若男女を問わず、国籍も関係なく、人をひきつけてやまないものを持っていた。
もちろん演奏家として、類をみないほどのアンサンブルの力を持っていた。
数年前サロンコンサートで共演してもらったときに、あまりの繊細さ、耳の良さに舌を巻いた。
これほど、ほかのパートが聴けて寄り添うことの出来る人は滅多にいない。
そしてチェロの名手のトーマスも地獄耳。
どんな些細な間違いも許さない。
一緒に弾いていて、これはもう面白くてたまらない。
本当に幸せで、たった一回の本番で終わってしまうのは惜しかったけれど、本来のメンバーがいるのだから私は我慢しないといけなかった。
毎年温泉好きのトーマスのために、全部のスケジュールが終わると箱根に泊まった。
子供のように無邪気なかれらと過ごすのは、いつでも楽しかった。
美智子さんは数年前脳梗塞で倒れたので、温泉には入らなかったけれど、トーマスのために箱根に行くことにしていた。
1昨年のコンサートが終わった後、美智子さんは本格的な治療に入ったけれど遅かった。
顔色もよく食欲もあり元気なのと、本人が生きる意志を強く持っていたので、私たちは彼女が回復すると信じていた。
けれど病魔は強かった。
3週間ほど前、銀座の病院に付き添っていったとき、治療後彼女の大好きなお寿司を食べることにした。
けれど、マグロ2貫しか喉を通らなかった。
その後プリンを持参しても、もう液体でないと喉を通らないという。
ほんの1週間ほど前「玉ねぎが盛大に芽を出しているからあなたこれを絵に描かない?」と言うから「芽の出た玉ねぎなんて食べられないし、いらないわ」と笑ってお断りしたのが最後の会話。
それは彼女の病院へ行ったときに、待合室にかかっていた玉ねぎの絵に私がひどく感心して、それを覚えていた彼女が声を掛けてくれたと思われる。
なぜその時喜んで貰いにいかなかったかと、私は悔やまれてならない。
玉ねぎよりも、会って話がしたかったのでしょうに。
彼女のお見舞いに行く予定だった日の朝、訃報が届いた。
まさかこれほど早いとは思わなかった。
だって、数日前まで電話で話をしていたのだから。
亡くなる前日、彼女のお兄様がベッドの傍らで「僕の妹に生まれてくれてありがとう」と言ったら、涙が彼女の目尻をツツっと流れ落ちたと聞いて、私はこらえきれずに泣いた。
お兄様も一瞬言葉が途切れて喉を詰まらせた。
彼女はきれいな顔で横たわっていた。
その部屋は彼女が生まれた部屋。
この世に来た時も去る時も同じ部屋だった。
修善寺温泉に行ったとき、私がカピバラを見たいというと「カピバラってどんな動物?」写真を見ても「フーン」「これのどこが可愛いの?」
彼女は猫が好きで、猫以外の動物全般が好きなわけではないらしい。
それでも私の気持ちを尊重して、カピバラのいる動物園に付き合ってくれた。
その時には体は相当なダメージがあって、痛みもあったかもしれない。
それを隠して付き合ってくれたのかと思うと心が痛む。
私を喜ばせるために、自分の苦痛は我慢していたのかもしれない。
タマーシュとジェニファに赤ちゃんが生まれて、それを美智子さんはとても喜んでいた。
その赤ちゃんにも会わずに逝ってしまった。
桜満開の春なのに。
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