先ごろ脳出血で倒れた姉の見舞いにいった。
兄弟は全部で6人。
その上に君臨する母。
母性愛の塊のような人だったので、家族全員が母に従って行動していた。
大人になってから、あれは母性愛というよりも支配欲ではないかと、時々思った。
陰で卑弥呼さまと呼んでいた。
それでも母が私たちを心の底から愛しているのはよくわかっていたので、子供たちにとっては絶対的な存在だった。
その母も相手が6人ともなると、万遍なく愛情を注ぐのは難しい。
贔屓の対象が時々入れ替わった。
愛情の谷間にいたのが、今回倒れた私のすぐ上の姉だった。
6人兄弟の5番目。
1番上が姉で私と13歳の差。
次が男2人。
次が女2人と私の計6人。
1番上の姉から洋服のお下がりが回ってくる。
2番目の姉で少し古くなり3番目で擦り切れる。
それで私のところに来る前に捨てられる。
私は新しい物を買ってもらえるという、サイクルが出来上がっていた。
入院したのはその3番目の姉。
いつも新しい服はかってもらえない。
兄弟の愛情の谷間にいて恵まれないので、精神が安定しない面があった。
それでも時々母が気が向くと可愛がられていたから、そう不幸せでもなかったと思う。
愛情面では母がたっぷりと私たちに注いでくれたので、多少の差はあっても幸せな家族で仲が良かった。
姉が倒れて病院に駆けつけたのは、近所に住む長兄と2番目の姉と私。
今日はこの3人と、長兄の娘が一緒にお見舞いに行くことになった。
病室に入っていくと、表情がうつろで目の輝きが消えた姉が介護士に助けられて、リハビリに向かうところだった。
ちょうどリハビリが始まるというので、見学することにした。
姉の右半身は感覚を失ったまま、言葉は倒れた当初よりはわかるようになって、自分からも物が言えるようになってきた。
これは回復できると思ったけれど、動かない足は触っても感じないらしく冷たいまま。
幸い左足は大丈夫なので、車いすや器具の助け、娘たちの介護があればそのうち良くなると思う。
元はとても太っていたのが少しやせて「前よりきれいになったよ」と愛想の良い長兄が調子のよいことを言う。
でもそれは本当で、もう少し痩せればもっときれいになるよと私たち。
体重が多くて筋力が弱っていたら、このまま寝たきり。
それだけは避けたい。
リハビリが終わって病室に戻るころには、姉の表情が見違えるほど明るくなった。
私の兄姉たちは揃っておしゃべり。
しゃべっているうちに姉も笑い顔になって、目がキラキラしてきた。
こんな賑やかな病室では、ほかの患者さんには迷惑だったかもしれない。
私は普段からすることもなくテレビを見ているのだから、リハビリをやっていることを楽しんだら?と姉に言う。
徐々に機能を取り戻していく喜びを感じてほしい。
今から赤ちゃんみたいに一歩ずつね、とも。
今日よりも明日、毎日の進歩がうれしいでしょう。
もし自力で立ち上がれるようになったら、人生で一番うれしいことかもしれない。
脳の一部の機能が壊れているので望みは半々だけれど、人間の体は必ずほかで補おうという働きがあると思う。
その工夫もやりがいのある仕事だと思う。
人はみな生きていくための努力は最大限しないといけない。
望みは捨てないでほしい。
この姉は若い頃大病をした。
誤診されて危うく手遅れになるかと思えた時に、母が夢中で医者に訴えて難を逃れたこともあった。
その時の火のような母の姿を、姉は見ていない。
それを見ていたら、どれほど自分が愛されていたかわかると思う。
いつもお下がりを着ていた姉は、ずいぶん不満があったと思う。
私が新しい服を着ていると、ぼやいていたから。
人はどうしても平等ではない。
姉は、たまたま3女に生まれたので、お下がりばかり着るはめになった。
私は、たまたま末っ子だったから、ケーキは真っ先に一番おいしそうなものが選べて、ヴァイオリンまで習わせてもらえた。
これは運としか言いようがない。
姉は優しい人と結婚して娘が二人。
私は子供がいない。
トータルすれば、私の方がずっと残念なんだわ・・・と、今気が付いた。
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