2017年4月11日火曜日

旅への誘い

桜のない寂しいお花見も終わり、ちょっと一息。
そこへ奈良に遊びにきませんか?とお誘いがあった。
仕事上のお付き合いのある弦楽器奏者のH夫妻から。
ご主人の実家が奈良にあって、大変古い家ですが広いのでというので、興味津々。

たぶん由緒正しいお家柄だと思うので、歴史観のある建物ではないかと思う。
そこへ2、3日泊めていただく。
メールにお化けの絵文字添付。
もしや?
お化けが私を(「が」ではない)怖がるといけないから出ないようにお伝えくださいと、メールしておいた。

こうなると私の無銭宿泊旅館はだんだん全国規模になってきた。
宿泊料を踏み倒す予定の上に、時々柿の葉寿司などもいただく。
彼らにしてみれば、何の因果でこのように私ごときを養わねばならないのかと、暗澹とした思いであるに違いない。
ご主人のHさんとはオーケストラで入れ違い。
私がオーケストラをやめた次の年に彼は入団。

私がオケをやめた後しばらくして、元のオケ仲間から自分のリサイタルの手伝いをしてほしいと頼まれた。
その人は元N響のヴィオラ奏者の永野さん。
彼はしばらく私と同じオーケストラにいたけれど、その後N響へ。
その後、残念なことに若くして亡くなられた。
私たちは、いつもアンサンブルをしていた大事な仲間だった。
その永野さんのリサイタルで、ブラームスの六重奏曲2番を演奏。

ヴェネチア合奏団のSさん、私、永野さん、今回の宿主のヴィオラのHさん、チェロのお二人も当時若手のオケのトップ奏者、バリバリの生きの良いメンバー。
もちろん私も今のようにしょぼくれてはいなかった。
その時がHさんとの初対面だった。

何回も練習を重ね、いざ本番。
東京文化会館小ホールで、さてステージに一歩踏み出そうとしていた時、チェロの一人が「ああ、俺だめだー」と突然声を上げた。
「俺、どんな小さなコンサートでもだめなんだよ」といつもの強気がうそのような発言。
すると口々に男どもが「俺も俺も」
まるで何かの詐欺集団のような声が上がった。
そのころオレオレ詐欺はまだなかったけれど。

それまでは各オーケストラのトップメンバーの中で一人、所属グループのない野良猫の私は引け目を感じていた。
こんな上手い人ばかりで、もし私がヘマをして皆の足を引っ張ったらどうしよう。
ステージに出る間際までひどく緊張していたのが、彼らの言葉を聞いて驚いたおかげで、ストンと落ち着いてしまった。
トップヴァイオリンのSさんは、緊張で弓が微かに震えている。
本当に上手い人で、オーケストラでトップを弾いているのに、なんと繊細な。
でもこの演奏のテープを聴くと、素晴らしい音で入っている。
震える直前の音が一番いいとはよく聞く話。

その時Hさんは同じ発言をしたかどうかは覚えていないけれど、いつも駘蕩とした風貌で緊張とは無縁のようでも本人曰く「僕はノミの心臓」だそうだ。
それにしては、協奏曲のソロはいつも堂々たるもの。
奥様はヴァイオリン・ヴィオラの非常に優れた演奏家。
ご夫婦揃って大物で、アマチュアオーケストラを運営している。
そのうえ、様々なコンサートで演奏しているからおそろしく忙しいのに、よくも私を泊めようなどと危険なことを考え付くものだと思う。

奈良へのご無沙汰は30年越ではないかと思う。
今回特に、京都在住の弦楽器製作者に会いたいという思いもあって、とても魅力的な旅になると思う。
会えるかどうかはまだ連絡していないのでわからない。

京都の楽器製作者はOさん。
私が高校生のころ通っていた工房のスタッフだった。
白皙の美青年で話しかけるのも怖いくらいだったけれど、数十年後、彼が大阪で工房を開いたときに、楽器のメンテナンスをしてもらったことがあった。
その時が久々の再会で、依然としてハンサムだけれど、すっかり穏やかな田夫風になって以前よりもずっと親しみやすく、長い年を経た再会を心から喜んでくれた。
田夫といっても粗野というのではなく、土に親しんで地に足の着いたという意味で、良い年の取り方をしているなあと嬉しかった。

そして今彼は、京都で工房を開いている。
再会当時まだ若かった息子さんが後を継いで、立派になっていると聞いた。
Hさんは楽器のメンテナンスは、その工房でしてもらうのだそうだ。
前回行った時には、私が高校生のころ買った楽器のことを細部まで全部覚えていたのには驚いた。

大阪に友人がいるし、神戸に元生徒がいるから会えないかなあ・・・なんて考えていたら、ずいぶん関西方面に行ってないことに気が付いた。
関西をとばして、もっと南の沖縄にはよく行った。
関西は新幹線でほんの2時間ほど、近くてすぐに行けると思うから行かなくなる。
外国も韓国には一回も行ったことがない。
私の中では韓国は大阪の少し先みたいな感覚。

今回は私と私の友人のほかに熟女軍団が8人、その方たちはお泊りなし、もう一人は男性が一人ご宿泊らしい。
知らない人たちでも、コスモポリタンの私はすぐに馴染む。
子供のころはすごく人見知りが激しかったのに、この変貌は地金が出たのか修行のたまものかはよくわからない。
しかし、そんなにたくさんの人を受け入れられる家って、どれほどの大きさ?

今年春のお花見はいまいちで、友人を失う目にも会ってくさくさしていた。
ご厚意に甘えての旅で気分が変われるかもしれない。



























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